義経、ついに日本を離れる――泡盛飲んでカチャーシー
懐妊した静御前を守りながら、翡翠たちは九州に到着した。このころまだ豚骨ラーメンはない。
「青水よ、義経たちは九州へ行くのか?」
「ああ、九州は鎌倉との縁が薄いからな。」
「平戸へ行くのはなぜだ?」
「長崎は松浦党の本拠地だからな。その力を頼る。」
「松浦党とは?」
「源氏系の水軍をグループだ。壇ノ浦では源氏に味方した。刀伊の入寇や蒙古来襲においても外国勢力との戦いで活躍した。」
「ほう水軍の一族か。それは頼りになりそうだ。」
「広い海を渡って義経の冒険は新たなフェーズを迎える。」
義経一行を乗せた船は肥前の平戸に入港した。平戸は歴史で度々言及される土地だ。有名なのは初代オランダ商館があった場所。だがそれ以前は松浦党の本拠地のひとつだった。松浦党は平安時代から水軍を運用する嵯峨源氏の流れを汲む一族で、刀伊の入寇で活躍した源知などを祖先に持っている。壇ノ浦の戦いでは平家側から源氏に鞍替えし、その後の元寇でも活躍している。翡翠は松浦党の協力を得ようとこの地にやってきた。ただし、義経追討の院宣がここまで届いているだろうから、西国御家人としての立場を確保するために、義経を捕らえる可能性も高い。翡翠は船をいつでも出港できる状態に保ったまま、単独で港に降りた。そして港でできるだけ地位の高そうな侍を探して声をかけた。
「こんにちは。私は全国のお社を行脚している旅の巫女です。少しお話しをよろしいですか?」
「はい、巫女様、何なりと。」
「この界隈の侍衆は先の壇ノ浦の活躍で鎌倉の御家人に取り立てられたと聞きましたが。」
「全員ではありません。私たちは世間で松浦党などと呼ばれていますが、その内実は松浦四八党という複数の武士団の複合体です。そこに属する氏族のすべてが御家人になったわけではありません。」
「そうでございましたか。もちろん惣領である松浦氏は御家人ですよね?」
「はい、御家人で、なおかつ荘園の荘官でもあります。今後、御家人として地頭にもなるでしょう。」
「この地で一番の勢力ですね。」
「はい。一方、御家人になりそびれた一族は、監視の目が行き届かない辺境で自由に交易で富を蓄えている模様です。今後、鎌倉殿がどのような処分を下されるか....」
「大変貴重なお話しありがとうございました。これはお礼の銀の珠でございます。社で神楽を舞うとこのようなものをいただくことが多いのでお裾分けです。どうぞお納めください。」
「よろしいのですか、こんな貴重なものを。」
「はい。ひとつお願いなのですが、弁慶というたいそう身体が大きい僧兵を見ましたら、五島に行けば探している人に会えるとお伝えください。」
翡翠は船に戻るとすぐに出発させた。
「義経様、このままこの平戸に留まると危険です。今すぐ五島列島を目指して出発します。」
五島列島は、いわゆる松浦党の支配下にあったが、惣領の松浦家ではなく、松浦四八党の宇久氏の支配下にあった。朝鮮半島や中国大陸、琉球国との交易も盛んで、鎌倉幕府の守護や地頭の制度の範囲外で、豪族の自治区のような状態だった。翡翠はさっそく領主の館を訪ねた。
「初めまして。全国の社を行脚して回る都の巫女、御巫翡翠と申します。宇久家森様にお目通りたく参上いたしました。」
「都の巫女様でございますか。ささ、こちらへどうぞ。」
「宇久家守でございます。このような辺境の地によくいらっしゃられた。」
「宇久様はこの五島列島を本拠に、壱岐、対馬、さらには高麗や琉球とも幅広く交易をなさっていると聞きました。」
「ははは、幅広くは言い過ぎです。ただの小商いに過ぎません。」
「それでも異国へ船で渡れるというのはなかなかできるものではありません。」
「われわれは平安のころから異国との付き合いがございましたからな。戦もありました。船を用いた戦なら、そうそう後れを取ることはありません。」
「壇ノ浦の戦にも水軍として参戦なさいましたね。」
「はい、平家方として...」家盛の顔色が変わり、横に置いた脇差しに目をやった。
「源義経様をご存じですか?」
「あの八艘飛びの!もちろん知っていますとも。壇ノ浦でその勇姿をしかとこの目で見ました。」
「院宣によって朝敵となり追討される立場です。」
「あれだけの戦果をお立てになったのに理不尽です。」
「家盛様、あなたが平家の人間であったのか、平家に味方した松浦の人間であったかはわかりません。いずれにしても頼朝様に監視される立場とお見受けします。」
「ははは、そなたはただの巫女様ではございませんな。その立ち振る舞い、一分の隙もない。」
「いずれ鎌倉より地頭が派遣されましょう。いかがなさりますか?」
「ふふ、ここは平戸からでもそう簡単に到着できない辺境中の辺境。地頭など切り捨てるのも簡単ですが、女と酒で骨抜きにしておけば何もできますまい。」
「わかりました。鎌倉幕府との関係、今のお話で理解できました。家盛様、源九郎義経様に会っていただきます。」
「なんと!」
「奥州よりここまで同行させていただきました。出羽の酒田からは船です。実は静御前という白拍子が義経様のお子を身籠もってらっしゃいます。できればこの地で誕生させてやりたいのですが、お願いできるでしょうか。」
「おお、それはなんとめでたい。源氏の嫡子を取り上げたとあっては、この五島の産婆も歴史に残る快挙となりましょう。万全の体制で臨ませます。お任せください。」
「ありがとうございます。家盛様ならきっとお力添えをいただけると信じておりました。ではさっそく義経様と静様を呼んで参ります。」
「源九郎義経でござる。お初にお目にかかる。」
「宇久家盛...かつては平家に仕えておりました。壇ノ浦での義経様のご活躍、敵陣からしっかりと拝見させていただきましたぞ。その働き、まさに鬼神。畏れで、いや畏敬で、足が止まりました。そして静御前、ご懐妊おめでとうございます。この五島にいる産婆をかきあつめて、最も優秀な者に指示権を与え、万全の集団体制でご出産を介助させていただきます。どうぞご安心を。」
「かたじけない、よろしく頼む。」義経は頭を下げた。
「頭を上げてくだされ。これは当家にとって歴史に名を刻む名誉なこと。戦に出られぬ女たちにとって家名を上げる絶好の機会でございます。」
「家盛様!」翡翠が前へ出た。
「家盛様、赤子が生まれたあとのことなのですが、義経様の身の振り方です。このまま日本に留まれば、いつしか頼朝の追っ手に捕まってしまうでしょう。この五島でもそう長くは庇いきれなくなります。異国に逃げるしかありません。異国を知る家盛様なら、どこへ逃げるのが得策だと思われるでしょうか?」
「異国となれば高麗か琉球、いずれもかなり遠方ですが、われらなら送り届けることができます。どちらにするか?高麗は言葉が通じません。通訳はおりますが、長らく住むとなると言葉が通じないのは大きな障壁となりましょう。そして、高麗と鎌倉は、細いけれども交流があります。外交筋から圧力がかかるという可能性を捨てきれません。いっぽう琉球は、言葉がある程度は通じます。そして鎌倉幕府とはまったく交流がありません。ということを鑑みると、行き先は琉球が最適だと思われます。」
「ありがとうございます。それでは琉球への船旅の準備に入ります。」
「お待ちください。皆さんが乗って来た船では琉球までたどり着けません。われらが軍船を提供いたします。軍船2隻で琉球を目指し、その道すがら操船方法をご教示いたします。琉球に到達したら1隻は進呈し、われらはもう1隻に乗って帰ることにいたしましょう。」
「何から何まで本当にありがとうございます。」
やっと幕府の追跡を振り切って沖縄へ渡ります。もう大丈夫、泡盛飲んで踊ろうぜ!