弁慶の立ち往生――翡翠は田沢湖で竜に会う
いよいよ奥州を離れるのですが...
「ああ、ついに翡翠さんは義経を連れて、歴史改変をしてもあまり問題にならない土地を目指すのか。」
「どこに連れて行こうと問題にはなるがな。」
「“織田家のアナザー・ジャパン”ぐらいの変化は容認してくれないか?ラノベだし。」
「ハワイからカムチャッカから台湾までが日本の領土のアナザー・ジャパン?そんなの許せるわけがないだろうが。」
「そういやあのときあんたはまだ存在してなかったもんな。考えてみれば翡翠さんより歴史が浅いんじゃないか、試練ちゃん。」
「その呼び方はやめろ。歴史が浅かろうと女神は神。軽々しくちゃん付けするな。」
「ところで、義経に金塊と船を与えて逃がした奥州藤原家、これによって歴史の汚点にならないどころか、奥州の覇者としての面目も保ったよね。」
「そうだな。正史の泰衡は、義経を殺した男として周辺の豪族たちの支持を一挙に失った。それが奥州藤原家滅亡の原因とも言われている。」
「ひょっとして幕府軍にただ蹂躙されるのではなく、けっこう対等に戦えたりして。」
「そうだな、歴史の改変は望むところではないが、奥州藤原氏の善戦は見てみたい。東北の誇りと威厳が保たれる。」
「幕府軍は3万人だったよね。」
「うむ、だが奥州藤原家もなかなかのものだ。あまり知られていないが、白川以北、北は津軽半島までが領地で、莫大な資金力もあった。北上川を大動脈として、中国や朝鮮半島とも交易関係があった。農林水産業の生産力は高く、金鉱もある。独立国と言っても過言ではない。その上で迎撃戦だ。地の利を活かせる。北上川で海戦をすれば有利な上流から攻められる。敵の知らない獣道からの奇襲、山に逃げ込んだ敵は装備品目当ての臨時盗賊団の獲物になる。」
「頼朝は手を引くかな?」
「こればかりは頼朝に直接訊かないとわからないが、仮に3万人のうち2千人が討ち死にした時点で撤退の2文字が浮かぶのではないだろうか?」
「なるほど、御家人の支持が爆下がりする。」
「その通り。御家人がなぜ命を張って戦に出るかといえば、報奨目当てだ。領地をもらえば子孫が繁栄する。だが領土拡張の可能性が薄いのに、一族の働き手が次々と死んで行くとなると、頼朝の地位が危うくなる。クーデターが起こるかも知れない。」
「そこで適当なところで切り上げて講和か。」
「そうだ。奥州藤原家は滅びず、一定の自治権を持った大勢力として東北に君臨する。東北人の誇り――これはアテルイ以来綿々と東北人の血脈に流れる蝦夷の誇りでもある――が保たれ、その後の東北大名たちにも受け継がれて行く。」
「そうなると戦国時代の様相も変わってくるかもな。」
「翡翠たちは東北を去るが、その精神は奥州の地に残るであろう。」
「きょうはずいぶんと真面目だな、女神様。」
「ふん、おまえが不真面目な茶々を入れなければいつもこんなものだ。」
4日後、十分に休息を取り補給を済ませた義経一行は、藤原家の船に乗り込み、秀衡・泰衡に別れを告げた。
「秀衡殿、泰衡殿、最後まで本当に世話になった。船までいただき旅路がずいぶんと楽になり申す。」
「義経殿、軍資金はいくらあっても邪魔にはならぬもの。これをお持ちください。」
「泰衡殿、貴重な金塊をこんなにもたくさん....」
「どうせ頼朝の軍勢が攻めてきたらやつらに分捕られるだけ。義経様にお渡ししたほうがずっと世界の役に立ちましょう。それに....われらとて簡単にこの首を渡すつもりはござらん。奥州の総力を結集できれば、地の利もありますゆえ、返り討ちにしてやりましょう。」
「八幡大菩薩の加護あれ!泰衡殿、本当にありがとう!」
義経一行は船で北上川を北上した。最初の宿営地は、黒沢尻家の館である。宴が開かれた。
「義経様、これから長い旅路になりますなあ。」
「うむ、だが頼もしい仲間に守られての旅だ。魔物が出ても問題ない。」
「そういえば二股の大蛇を倒していただきました。あのあと里に勉強堂を作りまして、読み書きと計算を教えるようになりました。里の民の顔がみな賢そうになりましたぞ。」
「無知蒙昧を根絶すれば自ずと魔物も出てこなくなると思います。」翡翠が確信を述べた。
「これから北上川をずっと北上なさるのですか?」
「はい、盛岡まで行って、そこから西の秋田へ参ります。」
「道中お気をつけなされ。豪族の中には義経様の首を狙うものもいるかもしれません。」
翡翠たちは盛岡で船を下り、そこから陸路で秋田を目指すことになった。盛岡と秋田の間は街道が整備されており、馬も通れたので、一行は馬を調達した。弁慶、義経、経春、義盛、海尊には1頭ずつ、静は翡翠の馬に同乗である。途中で野宿をしながらしばらく進むと大きな湖があった。その湖面は独特の色味を見せていた。緑色、いや翡翠色である。
「まあ、綺麗!」
翡翠はうっとりとして湖に近づいた。そのとき湖水から一匹の大きな竜が姿を現した。
「我は綺麗か?」
「ええ、とっても。」翡翠は嘘偽りない声で答えた。
「そうか。ならば良かった。我は辰子姫なり。永遠の美を求めて祈願し続けた結果、この竜の身体を得た。」
「羨ましいほど美しいです。」
「翡翠!」義経が心配して駆け寄った。
「大丈夫です。この竜に敵意はありません。自分の美しさを確認したいだけです。」
「辰子様、鏡を差し上げましょう。八の原子、十四の原子、大気より疾く集い、透明なる真理、光を受け止めよ。無数の原子、結びつき、輝きを放ち、己を映し出せ!急々如律令!」
巨大な鏡が竜の前に現れ、竜は映し出された己の姿に満足して湖に沈んだ。
義経一行はしばらく馬を進め、山の向こうに秋田の町が見える峠の麓へやってきた。秋田の町で船を調達して日本海を南下する、それが翡翠の立てた計画だった。奥州の陸地での最後の夜、ここをやり過ごせば海の上だ。
「今夜はここで野営します。明日は海上に出ます。」
「陸の上は今宵が最後か。食えるだけ食っておくか。」弁慶は大きな弁当箱を広げた。
「船に乗っても飯は食えるぞ。」海尊が冷ややかな目で言った。
ビュッ!突然矢が飛んできて弁慶の弁当を落とした。いつの間にか武装した集団に囲まれていた。義経の首を狙う地侍の類いだろう。100人近くいる。
「悪いけど死んでもらう。賞金首なもんでな。」
一同は馬に飛び乗り、突破口に向けて走った。太刀を抜き、走りながら敵を切り、その場を離脱することだけに集中した。弁慶は馬を下り、族どもに対峙した。殿を務める気のようだ。
「武蔵坊弁慶、ここで殿を務めさせていただく。この先、1人も通すわけにはいかん。通りたければかかってこい!」
「弁慶!馬に乗って続け!」義経が叫んだ。
「いえ、義経様。あとで参ります。どうぞお先に。こやつらはこの弁慶が打ちのめしてくれましょう。」
「弁慶さんにお願いしてここは先に進みましょう!」翡翠は静を馬に引き上げて鞭をくれた。
「弁慶、あとで必ず合流するんだぞ!」常陸坊海尊は振り返ってそう叫んだ。
無数の矢が飛んできた。義経たちは馬に鞭をくれてその場を離脱した。
「ううむ、痛いな。」弁慶は唸った。
森の中から無数の矢が飛び、弓で弁慶を攻撃している地侍の一団を倒した。藪の中からの奇襲を受け、地侍たちの陣形は崩れた。
「とっとと息の根を止めて、鎧と武器を引き剥がすんだよ!」
リーダーらしき少女の声が響いた。
弁慶はここで離脱です。死ぬの?