逃亡の義経――政治のリアル
壇ノ浦で活躍したのに、頼朝の意図する働きでなかったので、義経は逃亡者に。
「ああ、やっと翡翠さんが帰ってきた。どれ、酒を酌み交わして慰労してやろう。」
「やめなさい。顔がセクハラ親父になっていますよ。」
「何だと!俺は作家だよ。翡翠さんのパパと言っても良い存在...」
「だから、やめい!それがセクハラだと言うのです。」
「ふむ、言われてみればそうかもしれない。ここは素直に謝ろう。読者様の中には女性もいるだろう。青水人気が下がると...」
「おまえには元々人気などないから下がりようがない。そこは安心して良いぞ。」
「くっ...で、翡翠さんはどの時点から介入を開始するんだ?」
「再び奥州だ。」
「義経は壇ノ浦で大活躍だったのだろう?」
「ああ、武将としてはな。例の八艘飛びだけではない。海戦に秀でた平家に対して潮の流れを読むという、翡翠に学んだ自然学の応用、敵の軍船を無力化するため最初に操舵手や漕ぎ手を倒すという的確な指令...だが、翡翠の警告を忘れて殲滅戦に走った。これは頼朝の意図することとは異なっていた。」
「頼朝は出陣前に義経に戦の目的を明確に伝えていたのか?」
「歴史的にそのような情報共有は確認されていない。」
「ならば、義経がヒャッホーと平家を殲滅させたとしても頼朝は弟を責められないのでは?」
「まあ現代から見ればそうも言えるが、基本的には政治家である頼朝と軍人である義経の物事に対するスタンスの違いが根底にある。この違いは根深い。」
「なるほどな。軍人はクーデターを起こしがちだ。」
「頼朝は正統性を確保したかった。安徳天皇と三種の神器はそのためにぜひ手に入れなければならない。」
「安徳天皇って赤ん坊だっけ?乳母とともに海に沈んでお陀仏...」
「赤ん坊ではない、幼児だ。おまえな、言い方に気をつけろ!読者様の中にはネトウヨもいるかもだぞ。」
「いや、ネトウヨって最近はちっとも天皇や皇族を敬わないらしいじゃん。」
「う、やめい!燃えるわ!」
「まあ、ともかく、安徳天皇とともに入水した乳母って、平家に仕込まれてたんじゃね?」
「そうかも知れない。平家は頼朝が正統性を欲しがっているのを知っているからな。」
「平家は、ネトウヨではなく本物ガチ右翼に叩かれたりせんのか?」
「右翼はそんな大昔まで遡った議論は通常はしない。というか、いい加減に右翼談義を止めろ。」
「三種の神器のうち草薙の剣が乳母とともに海底深く沈んだ、そう言われてるけどさ、溺死体ってウェイトを付けてないと浮かび上がるのでは?」
「生々しい話をするな。平家物語の雅な世界が壊れる。」
「草薙の剣って熱田神宮になかったっけ?」
「あることになっておる。本殿の最奥に。でも誰も見ることが許されない。」
「そうなのか。終戦後にマッカーサーが見ておけば良かったのに。」
「おまえ、もう満身創痍だぞ。」
翡翠は1187年の奥州平泉に現れた。奥州藤原家の館を訪れる。
「お久しぶりです、秀衡様。御巫翡翠です。」
「おお、翡翠殿。しばらくお姿をお隠しになっていたとか。」
「はい、故あって遠方に身を隠しておりました。」
「壇ノ浦で平家を滅ぼした義経様が頼朝様の不興を買ってしまい...」
「いろいろ事情はあったでしょうが、直接には鎌倉と京都の対立に巻き込まれたと言えるでしょう。後白河法皇から頼朝討伐の院宣を受けてしまいましたからね。」
「行き場を失えば再びここへ庇護を求めに来られるでしょうか?」
「来ると思います。で、どうなさいますか?義経様の庇護はそのまま頼朝様への反旗とみなされます。」
「私は老い先短い。この命を差し出すくらい安いものですが、そんな安物で頼朝様は納得しないでしょう。」
「はい、攻め入ってくると思われます。」
「翡翠殿、たとえ義経様を差し出しても頼朝様はこの藤原家を滅ぼして奥州を我が物にしようとする、そう考えますか?」
「はい、残念ながら、頼朝様の目的は奥州全体の完全な掌握だと思われます。現在のように、豪族が独立性を保持しながらの朝廷への緩い帰属ではなく、鎌倉の直接統治、それが目的であれば、義経様の問題はあくまで掲げた旗に過ぎません。」
「ならば戦いましょう。義経様の首を差し出しても滅びるのは同じ。であるなら、歴史に汚点として残るより、信義を通して戦って滅んだほうがましです。」
「泰衡様も同じ考えでしょうか?」
「奴の心はわかりません。しかし遺筆を書いて従わせます。何、あやつとてそう愚かではないはず。この平泉の地を彩る館や寺院を戦火で失わせるよりも、南に打って出て迎え撃つよう説得すれば、きっとわかってくれます。」
翡翠は平泉を後にして天使姿になり、目立たないように空から和賀川と北上川が交差する土地、黒沢尻家の館に降り立った。
「おお、翡翠殿、息災にしておられましたか?」
「はい、黒沢尻様。きょうはお願いがあって参りました。」
「この田舎侍にできることでしたらなんなりと。」
「やがて義経様が奥州に逃げて参ります。藤原家に匿われても、頼朝様の軍勢が追ってくるでしょう。秀衡様は、どうせ従っても藤原家は滅ぼされると覚悟を決めてらっしゃいます。そしてその思いは泰衡様も同じ。藤原家は義経様を匿ったあとで逃がし、自らは追っ手の軍勢を迎え撃ちます.お願いというのは、藤原家の女衆を受け入れて匿って欲しいのです。戦に負けた家の女の運命は過酷です。覚悟を決めた秀衡様もそのことだけは心配でならないご様子。いかがでしょう、受け入れて頂けますか?」
「了解しました。藤原家の女子たちは、この黒沢尻家が面倒を見ますぞ。さっそく伝令を送ってこのことを秀衡様にお伝えしよう。老人は先が短いので早く伝えてやらないと。」
「ありがとうございます。このご恩、忘れません。」
黒沢尻家を出た翡翠は、天使モードで上空を和田川に沿って西へ進んだ。義経の退路を確認するためである。和賀川は和賀の所領の西端で本流は北上し、西へは浅い支流が流れている。和賀川の支流は川というより沢で、とても船を浮かべられそうもない。山道も整備されておらず、安全に横手盆地までたどり着けそうにない。翡翠はそのまま北上川まで戻り、和賀川の分岐点から北上川をまっすぐ北上した。小規模の集落が点在するだけで、現在の盛岡市の原型になるような都市はない。ただ、盛岡から田沢湖を経て秋田までの街道は整備されており、馬での行き来も可能だった。義経一行の逃避行ルートは、北上川を北上、現在の盛岡から街道を通って田沢湖経由で秋田に出るということで決定した。
翡翠は藤原家の館に戻った。秀衡や泰衡と義経の逃亡ルートについて意見を交わした。逃亡ルートのほとんどが藤原家の所領なので、さまざまな細かいアドバイスを得ることができた。そして、それから数日後に義経一行が平泉に到着した。みんな憔悴し、痩せ細っていた。
「義経様!」
「おお、翡翠か。久しいのう。息災であったか?」
「はい、おかげさまで。義経様はずいぶんとご苦労なさったようで。」
「うむ、何をどう間違えたか知らぬがこのありさまじゃ。」
「ようやくたどり着いたところで申し訳ありませんが、数日の休息のあとで、再び出発して頂きます。頼朝様の追っ手が迫ってくるでしょう。そして、ここに義経様がいれば、藤原家は頼朝様に攻め滅ばされます。実のところ、義経様がいなくても攻めてくるのは確実だと思われます。義経様の常識では計り知れない政のリアルというものがあるのです。」
「何だと?利有る?」
「まあ、そう言えなくもありませんね。利を求めた結果、悪をなすのも躊躇わない、たしかにリアルな判断でしょう。その政治的リアルに従って、頼朝様は奥州全体を鎌倉の直轄地にしたい。義経様討伐という旗印がなくても、やるでしょう。そのことについては、秀衡様・泰衡様ともう話は付いています。」
「われわれは最後の一兵になるまで戦い抜き、歴史に名を刻むのです。」泰衡は静かに宣言した。」
「なので私たちはそれとは別にこの地を去って、新たな逃亡先、いえ新たな国作りの場所を目指すのです。」
こうなると弁慶の仁王立ちはなくなってしまうのでしょうか?仁王立ち、見たいですか?