北上川と和賀川――弁慶は殴られても死なない
奥州のマップを手に入れたので、実際にどうなっているか調査しないと。
「なあ、女神、なんで翡翠さんの呼びかけに返事しなかったん?」
「私はできるだけ物理的に介入しないと決めておる。声や姿を出したらルール違反になるだろうが。」
「あ、なるほどね~。試練ちゃんのツンデレか。」
「そんな軽々しい言葉で私を語るな。」
翌朝、約束したようにお勉強の時間が始まった。翡翠は勉強プログラムに組み込まれていなかったので、外に出て人気のないところで天使モードにチェンジして空から周辺の配置を観察し、脳内のマップと照らし合わせた。東の果てに海、西には山嶺がそびえ立つ。南北に流れる大きな川が北上川で、川に沿って北上すると砦や集落があり、そこで川は分岐している。分岐した支流は西に向かっている。翡翠はこの川沿いに進む退路を考えた。そこで問題になるのが、その周辺を所領とする豪族との関係である。うまくいけば、藤原家の女たちを匿ってもらえるかも知れない。
午後になって外出が可能になったので、翡翠は一行に船遊びを提案した。空から見た北上川流域の情勢を探るためである。
「この程度の小舟ならわし1人でもこげる。」嬉々として弁慶が櫂を握った。
「なら楽をさせてもらおう。」常陸坊が腰を下ろした。
「やはり貴様もこげ。同じ僧兵なのになんとなく腹が立つ。」
「ふっふっふ、先ほどの勉学でがっつり絞られたのが腹に据えかねているようだな。」
「櫂は船の左右にあるので、2人で漕がないと前に進みません。」静が海尊を懇願するように見つめた。
「仕方あるまい。」常陸坊は苦笑いをしながら櫂を握った。
しばらく進むと、翡翠が空から確認した砦が見えてきた。ここは誰の領地だろう?翡翠はここで接触を図るべきだと考えた。
「ご挨拶に参りましょう。」
「たのもう!私は源九郎義経、源氏の嫡男にして今は藤原秀衡殿の館にお世話になっている。お目通りをお許し願いたい。」
「これはこれは義経様、われらは黒沢尻と申す田舎侍の一族です。ささ、どうぞ奥へ。」
奥に通された義経一行は、黒沢尻家の当主の歓待を受けた。
「この北上川、そして西の支流の和賀川は、物資の運搬にも便利で、田畑に水も供給してくれるありがたい賜物です。」
「ふむ、この界隈の豪族はどのような方々がおられるのか?」
「一番大きいのが和賀氏、和賀川を西に登ったあたりが領地です。和賀氏の分家筋に当たる家がその周辺に散らばっておりますが、地頭権をめぐって諍いごとがあるようです。この界隈、当家もそうですが、蝦夷の血を引く家が多いのです。そのため、表面だって争うことはありませんが、朝廷との関係はあまり濃いものではありません。」
「なるほど、貴重なお話を聞かせていただいた。ところで、魔物や野獣や盗賊など、何か手こずるような邪魔者がいれば、われらにお任せいただけませんか?武者修行中の身なのです。」
「おお、そういうことでしたらぜひお願いしたい。実は先月から川に鬼が住みついたのです。」
「川に鬼ですか?」
「はい、水鬼という水棲の魔物なのですが、北上川か和賀川の上流から流れてきて、ちょうどそれらが交わるこの地が気に入ったらしく、住みついてしまったのです。釣り人を襲ったり、貴重な水産資源を荒らすので、何とか退治したいのですが、神出鬼没で捕まえられません。」
「わかりました。お任せください。」義経は胸を張った。
翡翠たちは2つの川が交わる岸辺にやってきた。弁慶が義経に問う。
「しかし、義経殿、相手が水の中となると、どうやって見つけ出すのです?」
「黒沢尻殿が言ってただろう、釣り人が狙われると。」
「はい、おっしゃっておられたが...」
「おまえが魚釣りをやれ。」
「は?私がですか?」
「おまえを狙って鬼たちが現れたら倒す。」
「なーるほど、それは名案...って、私がオトリですか?」
「おう、おまえなら少し殴られた程度では死ぬまい。」
「わ、わかりました。鬼が出たらちゃんと助けてくださいよ。」
「おう、任せておけ。」
弁慶が川辺で釣り糸を垂らしていると、川の中心に渦巻きができ、三匹の水鬼が現れた。弁慶は釣り竿を捨てて金棒を構え、迎撃の姿勢を取った。
常陸坊の法術で水鬼たちの動きが緩慢になり、静の舞で弁慶の動きが俊敏になった。
「弁慶頑張れ!」義経の声援が飛ぶ。
「弁慶負けるな!」常陸坊の半笑いの声援。
「おまえら...」仲間から声援しか得られないことを悟った弁慶は金棒で次々に水鬼を倒した。
「いやー、やったな、さすが弁慶!」義経は手を叩いた。
翡翠は黙って弁慶にポーションを差し出した。
川が富を作るのですね。でも魔物も運んできたりするわけです。