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翡翠さん、ブルトンをフロイトの元に連れて行く

ウィーンは何度か行きました。暑い夏の日に冷房のないホテルは辛かった。何度も水風呂に入った記憶があります。

「長くなったな、ヒトラー編。」


「うん、これでは飽きられる。しかもまだ1920年代だ。そういえばブルトンのシュルレアリスム宣言が出される前にナチスのミュンヘン蜂起があったっけ。触れるの忘れてた。」


「ヒトラーが画家になっちゃった時間線では誰が蜂起の指導者になるんだ?」


「ルーデンドルフ将軍だろうな。」


「ヒトラーがいなくても将軍が自ら立ったか?」


「そこは微妙だな。」


「ナチスが政権を取らないと話が進まないぞ。指導者を適当にでっち上げるか?」


「適当に架空の人物をでっち上げるとなると重要登場人物なのでキャラクター構成の手間がかかる。誰か実在の人物の中から選ぶべきだな。」


「候補は決まっているのか?」


「まあな、開けてみてのお楽しみだ。」



 アンドレ・ブルトンがウィーンにやってきた。ミュンヘンで友人たちに会って来たので到着が遅れた。翡翠はホテルからフロイトのクリニックに電話をかけ、来訪の旨を伝えた。フロイトは応じたが、あまり乗り気ではなさそうだった。


「ブルトン様、アポイントメントは取りました。明日の夕刻、クリニックの業務を終えてからの応対となります。私も同伴してお取り次ぎしますが、会見の場には同席しません。門外漢なのでいても無駄でしょうから。」


「ありがとう、マドモアゼル。」


挿絵(By みてみん)



「こんばんは、ドクター・フロイト。ロスチャイルド財団のジェイディ御巫です。ムッシュ・ブルトンをお連れしました。」


「やあ、君が日本生まれのシュラインメートヒェンか。底知れぬ才気を感じます。そして、ヘア・ブルトン、ウィーンへようこそ《ヴィルコメン》。」


 フロイトはドイツ語で押し通す気のようだ。不穏な空気が感じられる。


「では、私はここで失礼いたします。どうぞごゆっくりご歓談ください。」




「さて、ブルトンくん、君は私と同業者の精神科医という話だが。」


「いいえ、医学生として戦争で召集されて衛生兵として心理的外傷を受けた兵士の治療に当たっていたことはありますが、終戦後に文学に専念するために学業は中断しました。」


「なるほど、ところで、私がドイツ語を話しているのに、なぜ君はフランス語で答えるのだ?私にフランス語を話させようとしているのかね?」


「いえ、ドイツ語は理解できるのですが、流暢に話せる自信がないもので。」


「なるほど、相手に合わせる気はないと。まあ良いだろう。バベルの塔での会話のようになるがこのまま続けよう。君は私から何を聞き出したいのだ?」


「無意識についてです。無意識の世界は自我を超え出た不思議で成り立っていると考えます。これを描出するには意識の統御を離れたエクリチュールが適していると思えるのですが、いかがでしょう?」


「ふん、私に詩作のコツを尋ねるのは馬鹿げている。そもそも無意識が詩になると考えつくのは、もはや何らかの精神の病を疑うべき話だ。私にとって無意識はあくまでも臨床医として必要な手がかりだ。患者の治癒に生かすための知見だよ。詩人ごっこの材料にするものではない。君とは全く接点がないことが良くわかった。これ以上話しても時間が無駄になるだけだ。お引き取り願おう。」


「申し訳ございません《トゥート・ミア・ライト》、これで失礼させていただきます。」


「夜道は暗い。気をつけて帰りたまえ。ミュンヘンでは国粋主義者たちの蜂起があったらしい。敗戦後の混乱は無法者たちの横行を許している。ミュンヘンとウィーンは近い。連中は国民社会主義者ナチオナールゾツィアリステンを名乗っているらしい。ナチオナールとはすなわち自国民ファーストの排外主義だ。いかにもフランス人らしい出で立ちの君は恰好の的になる。フランス語のモノローグを垂れ流して歩くんじゃないぞ。」


「了解しました。目を伏せて目立たないように帰ります。」



 数日前、ミュンヘンのビアホールに国軍の幹部が集結していた。ヴェルサイユ体制に我慢がならない憂国の士たちだ。政府の無策、資本家の強欲、国民の窮乏、すべてを実力で、すなわち暴力で解決しようと集まっていた。集団の中心にいたのは大戦時の英雄ルーデンドルフ将軍である。出入り口を武装した兵士が固めたビアホール内で、彼は唸るような大声で演説を始めた。金融資本がすべてを飲み込む現在のシステムを破壊しない限りドイツ国民に幸福は訪れない。戦争継続こそ国の発展の条件だ。そして戦争は総力戦でなければならない。ひとりの非国民も許すことなく祖国の勝利のために奮励努力しなければならない。祖国に命を捧げることこそドイッチャー・ゾルダートの誇りである。割れるような拍手とジーク・ハイルのかけ声が轟き渡った。



「フロイト博士との対談はどうだった、アンドレくん?」


「けんもほろろだったよ、アドルフくん。接点がないと言われた。」


「それは残念だったね。」


「ぼくが医学の道を捨てずに精神科医になっていたら、もう少し話を聞けたのだろうが、悔やんでも仕方がない。自動書記オートマティスムの詩集を公開しよう。名前は『溶ける魚』だ。挿絵を描いてくれるかい?」


「もちろんだ。詩を読ませてもらってからイメージをなぞらえよう。」


医者は医者としか胸襟を開いて話をしないと良く言われますが(?ホントか?)、臨床医としての活動の外側から医学的知見を手込めにされるのはやはり腹立たしいでしょうね。

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