第2話
「ようこそ。アルオマ、フィオン」
輿から降りた途端、輝くような笑顔で手を差し出されてフィオンは一瞬思考が停止した。
“アルオマ”とは王族の妻となった女性に対してのみ遣える言葉で、サキルラト語で「我が愛しの伴侶」というような意味合いである。
国境近くの屋敷で数日過ごしたのち、フィオンは豪華な輿に乗せられてサキルラトの王宮へやって来た。
輿は王宮の正面玄関で停まり、降りたフィオンを迎えてくれたのは、サキルラト王家の第二王子、ウリフィスだった。兄弟で共通の妻を迎える場合、花嫁を迎える役目は花嫁と一番歳の近い者が担うのがサキルラトの伝統となっている。そのこともフィオンは把握済みだったので、出迎えてくれるのはウリフィスだろうと予想はしていた。さらにウリフィスはサキルラト軍で将軍を務めていると知ったフィオンは、がっしりした体格の方だろうか、勇ましい雰囲気の方だろうか、と想像していた。しかしいざ対面してみると、ウリフィスは背は高いがすらりと細身の青年で、優雅で紳士的な物腰でフィオンに手を差し出した。しかもフィオンは一応敵国の王女だというのに、ウリフィスは非常ににこやか、というか満面の笑みだった。
思ってたのと違う…(n回目)
もはやそんなことはどうでもいいような気さえしつつ、フィオンはウリフィスの手を取った。
「お出迎えありがとうございます。ウリフィス様」
ウリフィスは表面上だけにこやかというわけではなく全身から歓迎オーラが出ていたので、やはりそれはフィオンも嬉しく思い、笑顔と共に会釈してサキルラト語でウリフィスに応えた。
すると、ウリフィスはそのエメラルドのように美しい緑色の目を丸くする。
「どうして私の名前がわかるんだい?」
ウリフィスが首を傾げると、ハニーブロンドの髪がさらさらと揺れ、ライムの爽やかな香が薫った。
「サキルラトの伝統に則って、一番歳の近い方が出迎えてくださるのではないかと思っておりましたので」
容姿も香のセンスも良すぎるウリフィスを直視し続けると眩しすぎて目が潰れるんじゃないかとフィオンは思ったが、サキルラトの風習では恋人や伴侶とはできるだけ目を見て話すものだと学んでいたので、フィオンはどうにかこうにかウリフィスと目を合わせ続けた。
「あ、そ、そうなんだね」
しかし、ふとウリフィスはフィオンから目を逸らした。
「サキルラトの伝統を学んでくれて…とても…うれしいよ」
ウリフィスの態度の変化に、もしや何か失礼でもあったかとフィオンは不安になったが、そんなフィオンの内心を察したのかウリフィスは首を振った。
「いや、黒い瞳が綺麗な女性だと…知らされてはいたのだけれど、やはりあまり見つめられると照れくさくて」
どことなく女性慣れしたプレイボーイの雰囲気があったウリフィスが照れる様子を見て、フィオンはギャップ萌えの実例のひとつをその目で見た気がした。
「申し訳ありません。サキルラトでは恋人や伴侶とはできるだけ目を見て話すものだと伺っていたので…」
とはいえ、あまりじっと見つめ合うと照れくさくなることはガラティアと変わらないとわかってフィオンは少し安心もした。
「……ねえ、アルオマ、フィオン」
ウリフィスは、フィオンの手を握って語りかける。
「君が、サキルラトの伝統や風習を学んで尊重しようとしてくれることは、サキルラト王家の一員として光栄だし、とても嬉しいよ。けれど」
まだサキルラト語に慣れていないフィオンのために、ウリフィスはゆっくりと話した。
「君に窮屈な思いはしてほしくはないし、無理もしてほしくない。私たちは長く一緒に暮らすんだ。少しずつ慣れて、わかり合えばいい」
ウリフィスの声と言葉は、優しくフィオンの心に沁み入った。
「結婚に限らず、誰かと関係を築く時はそうするものだろう?」
「……はい、そうですね。ありがとうございます」
とフィオンは応えたのだが、後半はなぜか涙が溢れてフェードアウトしてしまった。
「フィオン!?」
「フィオン様!?」
フィオンがぼろぼろと涙をこぼして俯いたので、目の前のウリフィスはうろたえ、近くにいたアルダとヤコタが慌てて駆け寄る。
「す、すみません…」
泣くつもりなどなかったのに勝手に涙が流れて、フィオン自身も内心動揺していた。
「大丈夫です。優しい言葉をかけて頂いて、うれしくて…」
フィオン自身も自覚していなかったが、国境を越えてサキルラトへ入国して以降ずっと、王女として、嫁ぐ身として、失礼があってはいけない、間違えてはいけないと常に気を張っていた。
そこに、当の結婚相手であるウリフィスから心を解きほぐすような言葉を掛けられて、緊張がやわらいだ途端どういうわけか安堵ゆえなのか涙が溢れてしまった。
悲しいとかつらいとかではないとわかって安心したヤコタは、フィオンの頬の涙を拭いつつ、ワルい笑みを浮かべてウリフィスをチラ見する。
「ウリフィス様がフィオン様泣かしたって言いつけちゃおー」
「ヤコタ」
フィオンの服を整えながらアルダがヤコタを窘めた。
「勘弁してくれ。父上はまだしも兄上に知られたら絶対面倒なことになる」
ウリフィスの言う兄上とは、つまり第一王子のエデインのことだとフィオンはすぐに理解したが、そんなに面倒な人物なのだろうかと少し気になった。
「さあ、行こう。君の離宮の準備はできているから案内するよ」
「……離宮?」
部屋の聞き間違いではないかと思ってフィオンはつい聞き返してしまった。
「そうだよ。離宮と言っても渡り廊下で繋がっているけれど」
そこは白磁の離宮と呼ばれ、代々王妃が居住する宮殿なのだという。しかしウリフィスたちの母にあたる王妃は数年前に亡くなっているため、国王リーダンは白磁の離宮全体を改装し、フィオンの居所に定めた。
「父上から君への贈り物だそうだよ」
しかしフィオンはまさか自分が宮殿ひとつ、しかも本来王妃が住まう離宮を与えられるなどとは思っておらず、あまりに予想外すぎて白目を剥きかけた。
しかし、ウリフィスにエスコートされて足を踏み入れた王宮の美しさに、フィオンは白目剥いてるどころではなくなった。
壁も天井も、サキルラトで好まれるという植物をモチーフとした細緻で美しいレリーフと絵画で覆われ、陶器やガラス、大理石、黄金で装飾されていた。輿の中から見た王宮の外観も、白い大理石で覆われて眩しいほどに美しく、サキルラト語で“白く輝く宮殿”と呼ばれていることをさっきフィオンは納得したばかりだったが、内装も眩暈がしそうなほど美しくて、王宮まるごと巨大な芸術品のようだと思った。
「綺麗…!」
フィオンは思わずガラティア語で感嘆の声を上げた。
「素敵な表現だよね。神様からの贈り物みたい、という意味なんだろう?」
「そうです。ご存知なんですね」
「私たちも、ガラティアから来る花嫁のために準備はしたんだよ」
聞けば、フィオンのために四人の王子だけではなく、国王リーダンとその二人の弟も、ガラティアの言葉や文化をいろいろと学んだのだという。
「そうは言っても、何だかんだでそれぞれ興味のある分野ばかりになったのだけどね」
そんな話をしながら、ウリフィスはフィオンを白磁の王宮まで案内した。
「今日はゆっくり休むといい。明日、父上たちに紹介するよ」
「はい」
ウリフィスの言う父上とは、つまり国王リーダンである。そして、次期国王の王子エデインや他の王子たちとも対面することになるらしいとわかり、フィオンは少し緊張した。
しかしウリフィスはそんなフィオンの気配を感じたようで、優しく微笑みかける。
「そんなふうに緊張しなくていいよ。みんな君のことを歓迎しているし、会えるのを楽しみにしているんだ」
(いやそれはうれしいですけど同時にプレッシャー…!)
と、フィオンは内心冷や汗をかいた。
「それじゃ、また明日」
そう言って去っていくウリフィスは後ろ姿まで美しく、あんな人がサキルラト王家には何人もいたりするのかと思うとフィオンは気が遠くなりそうだった。
そしてフィオンは白磁の離宮に入ったが、そこはさすが本来王妃が住まう宮殿だけあって非常に豪華で美しく、自分がそこの主になったとは俄かには信じ難くて、今度こそフィオンは白目を剥いた。
[つづく]
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