序章 盲目の大魔導
ワイウイ21開幕です!楽しんでいただけたなら幸いです!
命を産み出す営みを司り、性的魅了の力を持つ、精霊の王、花の王・ジュール。
彼と王妃の間には、11人の子供達がいた。
智の精霊・リャリスを第1王女に、以下花の十兄妹と呼ばれる花の精霊達だ。
その末弟、ミモザの精霊・アシュデルは、森羅万象を司る不老不死の種族・精霊達の異界・イシュラースの三賢者の1人である、大賢者の異名を持つ、時の魔道書・ゾナに師事し、属性という枠に囚われる精霊という種族でありながら、自然を構成する基本的な6つの力を使いこなす、大魔導へと成長を遂げた。
彼は、生きとし生けるものの異界・グロウタースを転々とする放浪の精霊だが、父王・ジュールと親交の深い、風の王を主君と定め、風一家の一員となった。
風の王は、風という四大元素の1つを司る王という顔の他に、世界に仇なすモノを討つ、世界の刃という戦い続ける宿命を背負った精霊だ。異界に暮らす精霊の取り締まりもしている。
アシュデルは、風の王・リティルの第3子、闇の王、翳りの女帝・イリヨナの幼なじみでもあり、風の王は彼の所在の把握と保護も理由に一家入りを認めたのだ。アシュデルは、グロウタースの巨人の捻れ角島という、珊瑚の姿をした生きている精霊獣の上で営みを続けるこの島にも拠点を置いており、その島を巡る数奇な運命に巻き込まれた。
そして、両目の視力を失うという、代償を支払うこととなった。
風の城の応接間は、高い高い天井と、広い広い床面積を誇るホールのような部屋だ。
応接セットが置かれているのは、中庭に面した聳えるような尖頭窓のそばで、暖炉の前の肘掛け椅子を除いて、それはそれは見事な、クジャクとフクロウの踊る象眼細工の床が広がるばかりだ。
午後の温かな日差しの降り注ぐワインレッドの布張りのソファーには、険しい顔で腕を組んでいる小柄で童顔な青年がいた。金色のオオタカの翼を背負った、金色の半端な長さの髪を黒いリボンで無造作に束ねた彼が、この城の主である15代目風の王・リティルその人だ。
彼の目の前には、深い緑色の長い髪を生え際で束ねた、モノクルをかけた寂しげで目つきの悪い、とても背の高い猫背の中年の男性と、フードを目深にかぶった顔の見えない、レースをふんだんに使ったミニスカートを履いた小柄な女性が座っていた。
「父様、私はこのままでもいいのですの。ただ、顔が見えないだけで、目も見えていますし……」
フードを脱がない彼女は、向かいに座るリティルを父と呼んだ。
彼女は翳りの女帝・イリヨナ。彼女は、風の王の仕事に手を出してしまい、世界に越権行為の罰を与えられ、現在顔が闇に飲まれてしまっている。イリヨナの隣に座っていた魔導士然とした、落ち着いた緑の切れ長な瞳の男性が、ハアとため息をついた。青地にオレンジ色の紋のあるミイロタテハの羽根を生やした彼は、大魔導という異名を持つ、ミモザの精霊・アシュデル。花の王の末っ子だ。深い緑色の、生え際で束ねられた長い髪には黄色いミモザの花が咲いていた。
リティルよりも遙かに年上に見えるが、それは不老不死が故だ。リティルは精霊的年齢19才だが、イリヨナよりアシュデルより遙かに生きている。
「この通り、渋るんだ。聞いたら、実行しなければならないってことは、ないよね?」
「ああ、まあな」
明るく笑っている印象の強いリティルだが、今日は重苦しい雰囲気を醸し、年齢よりも大人びて見えた。
リティルの両隣には、息子で副官の雷帝・インファと、孫で補佐官の煌帝・インジュが座っていた。2、3才しか年が変わらないように見えるインファとインジュ親子の雰囲気も重い。特に、この世に2つとない芸術品のような美しさを持つ青年、雷帝・インファの切れ長の金色の瞳には後悔と自責の念が見え隠れし、そらさない視線が妹のイリヨナに注がれていた。妹の顔がなくなったこの事態は、兄のインファが招いてしまったと言っても過言ではないからだ。
「リティル、イリヨナは今、ホラーなわけですけど、どうにかなるんです?」
キラキラ輝く金色の長い髪を三つ編みハーフアップに結った、女性寄りの柔らかな中性的な面立ちの青年、煌帝・インジュが、様子を窺うように隣のリティルに声をかけた。
「…………なるにはなるぜ?」
瞳を閉じ、リティルは重苦しく口を開いた。そして、ややあってリティルは、その燃えるような光の立ち上る金色の瞳で、アシュデルを見た。
イリヨナに寄り添うアシュデルは、精霊的年齢もイリヨナより15も年上で、190ある身長でイリヨナより50センチも高い。そんな年齢、体格ともにかけ離れた2人だが、生きてきた時間はほぼ同じで、精霊を両親に持つ純血二世の幼少期12年を、ほぼ共に生きてきた幼なじみだ。2人の間にある空気は、誰もが疑いようもなく恋人と見るだろう。いや、すでに夫婦だろうか。
「なるほどね。リティル様、ボクは何を支払えばいいの?」
リティルの、苦渋に満ちた視線を受けて、アシュデルは淡々と問うた。イリヨナは顔を上げないまま、アシュデルの袋状になったローブの袖をギュッと握ってきた。その手に気がついているだろうに、軽く握った手を膝の上から動かさないアシュデルの様子に、リティルは彼の覚悟を見た気がした。
「この顔を戻すには、アシュデルの両目の視力を捧げるか、おまえ達2人が2度と会わない契約をするかだな」
「!?なぜですの?」
イリヨナが顔を跳ね上げた。その拍子に、フードが外れてその顔が露わになる。
フワフワと巻かれ、高い位置に結んだ黒髪のツインテールが縁取り、辛うじて顔の形はわかるが、前髪とそのツインテールに縁取られたその中は、ただ真っ暗な穴があるばかりだった。
アシュデルは慌てた様子なく、イリヨナのフードを元のようにかぶせた。イリヨナの言葉は、皆の言葉だ。インファ、インジュのみならず、固唾をのんで様子を窺っていた一家の皆の気配がザワリと揺れた。
「イリヨナが力を使ったのは、ボクのためだったから?だったら、答えは決まってるよね」
穏やかに、アシュデルは微笑みを浮かべた。
「アシュデル!」
イリヨナの両手が、アシュデルを引き留めるように彼の両腕を掴んでいた。ソファーに両膝を立てた淑女らしからぬ恰好で、アシュデルを見つめるイリヨナのない顔に、アシュデルは両手で触れた。
彼女の顔は、ただ闇に閉ざされて見えないだけだ。こうやって触れれば、凹凸がわかる。愛しげに微笑んだアシュデルに、口を開きかけたイリヨナは彼に唇を奪われていた。
「ちょっ!」と短く声を上げた者があったが、皆は無言でそっと視線をそらした。
「――大丈夫だよ。目が見えないくらい、どうってことないから」
その、濡れたような色香漂う瞳が、彼の浮かべた微笑がユラリと揺れた。
「アシュデル君!」
異変に気がついたインジュが腰を上げるが、イリヨナを手放して立ち上がる彼の姿が陽炎のように揺らめき、フッと浮かべた微笑みを覆い隠すように、彼の背にあったミイロタテハの羽根と同じ羽根を持つ無数の蝶が、爆発するように現れた。
瞬間、空気が青と緑色に染まった。チラつくオレンジ色が目を惑わす。
「っ!ノイン!」
至近距離で蝶の大群に襲われたインファの声に動いたのは、濡羽色の短い髪のスラリと背の高い若い男性だった。額から鼻までを仮面で隠したミステリアスな彼は、力の精霊・ノインだ。ノインが濡羽色のオオタカの翼を羽ばたくと、風が巻き起こり四方八方へ飛び立った蝶達が一箇所に集められた。
「アシュデル!イリヨナの受けた罰はオレの軽率な行動によるものです!世界があなたに払わせるというのなら、その半分をオレに払わせてください!」
肩甲骨の辺りから緩く結った金色の三つ編みを揺らしながら、金色のイヌワシの翼をはためかせ、集められた蝶の前に立ったインファは叫んでいた。
『できないよ。副官のあなたが五体満足でいなければ、風の仕事はどうなるの?この咎はボクの物だ。誰にも渡さない』
硬質な煌めきが鋭く風を切り裂いていた。青や緑色の強いミイロタテハ達が、風の壁に空いた穴から一斉に飛び立つ。その蝶達に紛れ、尾に鎌を持つイタチが転がるように飛び出してきた。
「ボク達が少しずつ肩代わりしますよ!両目なんてダメですよぉ!」
精霊獣・かまいたちを捕まえようとしたインジュの腕を、スルリと獣は躱す。
『これ以上の問答は無意味だ。インジュ、ボクも花だ。花は風を傷つけたくない』
タタッと蝶を引き攣れて走るかまいたちの前に、左目を長い金色の髪で隠した、目立たない容姿の風の青年と、軽やかな緑がかった金色の髪の女性が立ちはだかった。風四天王が執事、旋律の精霊・ラスと彼の妻である歌の精霊・エーリュだった。
「それは風も同じだ!花に、犠牲になってほしくない!」
声を荒げることのないラスが、叫んだ。
「あなたも風一家でしょう?わたし達は、助け合ってこそなのよ?」
ラスに合わせエーリュが両手を突き出すと、透明な風がかまいたちを閉じ込めようと迫った。かまいたちは、透明な風の動きを目で追った。
『ありがとう。でもね、これが最良なんだ』
かまいたちは、トンッと踏みきると風の檻に閉じ込められる前に上へ逃れていた。
『こんなに言われてるのに、おまえ、何様だよ!』
ガラスのような透き通った空色の翼を持ったライオンが、かまいたちに突進していた。
『君に理解してもらおうとは、思わない』
飛びかかってきたライオンは、瞬間標的を見失っていた。アシュデルは変身を解いて、ミイロタテハに化身していたのだ。勢い余ったライオンは、応接間の壁を破壊していた。この応接間という部屋は、戦闘になりやすい。そのため、見た目以上に強度が高いのだが、ライオンは頭突きで易々と壁を破壊していた。
崩れた壁の向こうに、廊下が見える。ミイロタテハ達がその穴へ向かって雪崩れ込んだ。
「ああもお!レイシ!逃がしてどうするんですかぁ!」
ライオンに悪態をつきながら、蝶達を追って廊下へ出たインジュは、左右に伸びる廊下と天井、3方向に分かれた蝶達のどれを追っていいのか、決めかねてしまった。
「くっ!上だ!左っ!1、2、3番目の部屋!」
瓦礫の下から顔を出したのは、茶色い短い髪と、底冷えするような紫色の瞳を持った十代の青年だった。風の王の養子の次男・レイシだ。さっきのライオンは、彼の化身した姿だったのだ。レイシの持つ、固有魔法・見破りレーダーが、無数の蝶の中からアシュデルを見つけ出したらしい。インジュはオウギワシに化身すると、廊下の天井に開いた穴に無理矢理身をねじ込ませて飛び去った。
「追えよ!」
瓦礫から這い出せずにインジュを見送ったレイシは、ソファーから動けないイリヨナを睨んだ。
「イリヨナ!おまえのせいだろ!」
レイシの怒りにビクッと身を振るわせたイリヨナを、雷帝妃・セリアが庇うように抱きしめた。彼女の青と緑の瞳が、レイシを容赦なく睨んでいた。
「違います。オレのせいなんです……!アシュデルとイリヨナは、オレのエゴに、巻き込まれただけです!」
アシュデルとインジュを追えずに半ば呆然と立ち尽くしていたインファが、両手にこぶしを握り血を吐くように叫んだ。その手が憤りに震えていた。
「兄貴!でも、あの島は!」
巨人の捻れ角島は、百年毎に生け贄を捧げ存続する人食いの島だった。
イリヨナの顔がなくなってしまったのは、インファが安定していた巨人の捻れ角島に個人的に干渉したがためだ。それは、インファの趣味だった。その趣味に付き合ってくれた精霊達の善意が、生け贄の命を未来永劫救ったが、島の最大の秘密を暴いてくれたイリヨナは、越権行為とみなされてしまった。
「口を慎みなさい、レイシ!あの島を、オレの思い描く通りに開放できたのは、花の精霊達と翳りの女帝のおかげです。女帝・イリヨナは、滑稽に踊るオレを憂いてくれただけです!」
「だからって!兄貴のしたことは悪い事じゃないだろ!島の奴ら、解放されて感謝してるじゃないか!」
「それとこれとは話は別です。オレのエゴが、大事な妹と一家のアシュデルを傷つけたんです。風の王の副官としてみれば、オレの行いこそ罪です!」
風の仕事は、グロウタースの民では太刀打ちできないような力に干渉された場合、それを正すことにある。巨人の捻れ角島は、風の仕事には該当していなかった。
過去、危機に瀕したあの島を、島民が犠牲を払うことで存続させた。その方法がどうあれ、運命は選ばれたのだ。それに、生け贄が残酷だとそんな理由で、介入すべきではない。
滅びもまた運命。異界・グロウタースは、繁栄と衰退を繰り返す、生と死の世界なのだから。風の精霊として、王として、父王のリティルはその営みを見守ってきた。インファも、それが風の王として正しいことを知っていた。
「まあ、そうだな」
言い争うレイシとインファの血の繋がらない兄弟の間に口を挟んだのは、父王・リティルだった。
「父さん!?」
あざ笑うかのようなリティルの言葉に、レイシは絶句した。
レイシには今でも、インファの行いがいけないことだとは思えなかった。むしろ生け贄なんていうモノを捧げなくてもよくなったあの島に、いいことをしたのだと思っている。結果が結果だっただけだ。だったらそれを悔やむより、両目を賭けるというアシュデルの為にすることを探した方が有意義だと思う。1番そばで支えなければならないのは、越権行為とみなされたイリヨナだとレイシは思った。
見届けろよ!おまえのせいで、アシュデルは両目の視力を失うんだろ!動き出さないイリヨナに、レイシはただただ憤っていた。
「その通りなんだよ、レイシ。インファは触れちゃいけねーものに触れちまったんだ。その歪みを、イリヨナが1人で受けちまったんだ。おまえ、アシュデルに背負わせたくなかったんだろ?」
リティルは、憐れむような瞳を、顔をなくした娘に向けた。イリヨナは激しく首を横に振った。
「違いますの!私が浅はかだっただけですの!闇の王の力を使えば、アシュデルの助けになれると、ただ、それだけだったのですの!私が……私が!」
あの島は時間がなかった。珊瑚の精霊獣だったあの島。人々はそれを知らずに、生き物の上に住み始めてしまったのだ。
衰えた滅び行く精霊獣は、自分が死ねばこの上に暮らす数多の命を道連れにしてしまうが、生け贄も嫌だと苦しんでいた。精霊獣のか細い消え入りそうな声。優しい精霊獣と、今回が間に合わないなら、生け贄の命を背負うと言ったアシュデルの決意にイリヨナは絆されてしまった。確かに、王の力を使ったが、助言も助言になったかどうかすらわからない、曖昧なものでしかなかった。それなのに、越権行為とみなされたのは、それだけあの島が安定していたからだ。優秀な兄のインファが、今まで止められてなかったことを、もっと深く考えるべきだったのだ。
兄が、島の理が歪まないように、自分に協力してくれる精霊達に害が及ばないように、細心の注意を払っていたというのに、イリヨナはアシュデルに救えなかった命を背負わせたくなくて、王の力を使ってしまった。
「イリヨナ……」
激しく頭を振ったために脱げたフードの下、涙に頬を濡らす、真っ白の美しい肌の、歪めた黒い瞳の可憐な顔が、セリアの目には見えた。
セリアのその瞳に、イリヨナは、自分の顔が戻ったことを知った。
「アシュ――デル……?アシュデル!あああああああああアシュデル!!!!」
悲痛に泣き叫ぶ娘を前に、リティルは、瞳を、伏せた。
「ボクは、イリヨナから離れる以外のことなら、なんだってできる。ボクの選択が、君を追い詰めても、ボクはボクを貫く」
「なぜですの?インファ兄様の長年の苦労と想いを踏みにじってしまったのは私なのに、なぜ、アシュデルが背負わなければならないのですの!なぜですの……?」
インジュの化身したオウギワシの大きなかぎ爪が、物理的に扉を破壊していた。
「アシュデル君……!」
インジュに背を向けて、ベッドと椅子と机しかない、小さな部屋に立っていたアシュデルが、振り向いた。
「その声は、インジュ?」
扉を壊して中へ入ったインジュは、振り向いたアシュデルの握っている、アイスピックのような細い刃が血に濡れているのを見た。
「アシュデル君!」
グラリと揺れたアシュデルのひょろ長い巨体を、インジュは華奢に見えるその体で受け止めた。
閉じたアシュデルの両の目からは、血が、涙のように筋を作っていた。