7「”炎の魔女”」
レンブルグ王国中央。
この国の貿交易の要所となる巨大都市、エイレーン。
東西南北へと伸びる交易道がちょうど交差する地点に位置するこの街では、毎日ルーン王国の首都ですら敵わないほど多額の金銭がやり取りされている。
そんなエイレーンの南部の区画に存在する屋敷の一室で、一人の女が煙管を吹かしていた。
女の髪はこの世のどんな花でも真似することのできない深い赤をしていた。瞳はルビーのような輝きを持ち、その表情は煙管とは不釣り合いなほどに幼かった。
女はこの屋敷で最も高価な椅子に腰掛けているが、足が地面に僅かに届いていないほどの背丈をしている。
そんな彼女は側から見れば人形のように容姿が整った子供のようにも見えるが、足を組み頬杖を突く崩した体勢を咎められる者はこの屋敷にはいない。
「どういうことかしら」
女は目の前に立った三人の軍服姿の男たちを睨んだ。
「一ヶ月よ。なぜ王国騎士団ともあろう高貴な役職に就く者たちが、一ヶ月も経つのにガキ一人捕えることが出来ないのかしら」
女の言葉に、男たちは誰も答えられない。
皆強張った表情で俯き、地面の絨毯を見つめるだけしかできなかった。
その様子に腹を立てたのであろう女は、右側にいる男を見つめながら机の上のグラスを指で鳴らした。
キンッという高い音の直後、男の体が炎に包まれる。
男の姿が黒い影にしか見えなくなるほどの厚い炎は、中心にいる肉体を喰い荒らすかのような勢いで燃え上がった。
燃える男はその熱さにもがき苦しんだ。喉が張り裂けそうなほどの叫びが部屋にこだまし、残りの男二人はその様子をこの世の地獄を目の当たりにしているかのように恐れる。
数秒後、女が再びグラスを鳴らすと炎が消えた。
消え去った炎の奥から出てきたのは、先程まで苦しんでいた男の傷一つない姿だった。
呼吸も浅く、蒼白な顔には生気の欠片も感じられないが、確かに生きていた。
殺さずに焼く炎。
それは紛れもなくこの世界で限られた人間にのみ与えられた奇跡、魔法と呼ばれる力の一つだった。
「帝国から入ってきた奴隷商たちがこの街で奴隷取引をしていることなんて、もう何年も前からわかっていることでしょう? その奴隷商たちが隠しているガキを一人捕える。あなたたちにあたしが与えた任務はたったそれだけよ」
燃えていた男には返事をする気力は無かったが、残りの二人が震えた声で「はい」と答えた。
「すぐにガキを捕らえて、あたしの前に連れてこい。生きたまま灰になりたくなければ、ね」
その言葉の後の男たちの動きは早かった。我先にと部屋の出口に駆けて行き、退室の礼もそこそこに焦った顔で消えていく。
最後に燃やされていた男が息を詰まらせながら扉の向こうに消えると、女の部屋には静寂が残った。
女は机の上に置かれたグラスを持ち上げ、中に満たされたワインを一息に飲み干した。東の葡萄の味わいで喉を潤す。
女の名は"炎の魔女"。
彼女がグラスを再び机に戻せば、湧き出すかのようにワインが現れその中を満たした。
"炎の魔女"が一つため息をつくと、ピーッと高い鳥の鳴き声が聞こえてきた。その鳴き声に"炎の魔女"が指を振ると、バルコニーに繋がる窓が風によって押し開けられる。
その窓から滑るように部屋へと入ってきたのは、大きな赤い鳥だった。
燃える炎のような赤の羽毛に、鋭い金の嘴。美しく長いまつ毛は虹色の輝きを持っている。
「フェニクス。おかえりなさい」
そう言って微笑む"炎の魔女"には、先程までの触れるもの全てを燃やし尽くすような覇気は無かった。
"炎の魔女"が優しく指を差し出すと、フェニクスと呼ばれた赤い鳥はまるで帰宅の挨拶をするかのように指を甘噛みした。
フェニクスの足元を見た"炎の魔女"は、嘴と同じ金の鉤爪に括られた羊皮紙に目を止めた。
「ありがとう」と一言を礼を入れてからその羊皮紙を解いてやると、フェニクスは"炎の魔女"のグラスからワインを一口つまんだ。
"炎の魔女"はフェニクスが運んできた羊皮紙を広げ、その中に書かれている内容に目を通した。
読み進めるほどに"炎の魔女"の眉間の皺が増える。そして、その瞳はやがて悲しそうに揺れた。
――どうして。本当は、助けたいのに。
その言葉を、“炎の魔女”は口にはしなかった。
気を取り直すようにフェニクスを見た"炎の魔女"は、そっとその頭を撫でた。
「あなたも老いたわね」
"炎の魔女"の言葉の通り、フェニクスの顔は鳥といえど皺が増えているのが明らかだった。飛行能力こそ変わらず力強いが、あと数日もすれば視力もほとんど無くなるだろう。
「早く終わらせちゃいなさい。手伝ってあげようか?」
"炎の魔女"がそう尋ねると、フェニクスは自分の身を預けるように頭を"炎の魔女"の手の上に乗せた。
それを確認した"炎の魔女"は、フェニクスの体に向かって優しく息を吹きかけた。
魔法の力によりその吐息は火の粉へと変わり、フェニクスの羽毛を焦がした。燃え移った瞬間は小さな種火のような燃え方だったが、数秒後にはフェニクスの全身を覆うほどの業火へと変わる。
自分の愛する鳥が炎に飲まれる様を、"炎の魔女"はじっと見つめた。
やがて、"炎の魔女"がワインを飲み干す頃にはフェニクスを燃やす炎の勢いも弱まり、赤い鳥が居た場所には灰の山が出来上がっていた。
最後の炎が消え、一筋の白い煙が立ち上る。
すると、その灰の中から真っ黒の小さな鳥の雛が顔を出した。
煤のせいで黒くなってしまっているが、その間から微かに金の嘴が見えた。
フェニクスはただの鳥では無い。この世で数少ない死を克服した生物。不死鳥だ。
死を迎えるとその身を燃やし尽くし、灰の中から雛として蘇る。
三日もすれば飛行能力を手に入れ、さらに七日もすれば元の姿へと成長する。その後十年は生き続け、七日かけて老い衰え飛行能力を失って三日後には寿命を迎え燃え上がる。
そんな固有の命のサイクルを持つ彼は、この世界のどこまでも休むことなく飛び続け、自分の何倍もの重さがある荷物でも軽々と運ぶことが出来る。まさに生ける魔法そのものだ。
もう百年も"炎の魔女"の使い魔であるフェニクスが死に、そして生まれる瞬間は"炎の魔女"にとっては日常の一つに過ぎなかった。
大切な使い魔の産声に微笑んだ"炎の魔女"は、先程まで読んでいた羊皮紙に目を向けた。
「殺さずに、救えるかしら」
“炎の魔女”の辛さを抑え込むような声音に、不死鳥の雛は小さく鳴いた。