4「村に戻ると」
村の門をくぐると、雪の魔女の腕の中でルーシーが小さく息を呑んだ。
そこにいたのは、栗色の髪をしたひとりの男。彼は雪の魔女たちを見つけるなり、ほとんど転がるように駆け寄ってきた。ルーシーの父親、テッドだ。
「ルーシー!」
その叫びは、焦燥と安堵が入り混じった、切実なものだった。
ルーシーの身体が、びくりと揺れる。
テッドは娘の無事を確かめるように両手を伸ばしたが、震える手をどう動かせばいいのか分からないように、その場に立ち尽くした。
「おとうさん……」
ルーシーがか細い声で呟いた次の瞬間、テッドはついに娘を抱きしめた。
強く、強く、その温もりを確かめるように。
「よかった……! 本当に、よかった……!」
彼の声は震えていた。
その顔をルーシーの肩に埋め、何度も言葉を詰まらせながら、ただひたすらに娘の髪を撫で続ける。
腕の中のルーシーは、しがみつくように父の服を握りしめ、堪えていた涙をこぼし始めた。
「うっ……ごめんなさい……」
小さな声が、くぐもって聞こえた。
「勝手に、森に行って……ごめんなさい……」
テッドは首を横に振ると、娘の背中を優しく撫でた。
「いいんだ、ルーシー……いいんだ……」
その親子の姿に、雪の魔女はそっと微笑んだ。
だが、ルーシーの手はまだぎゅっと拳を握ったままだった。
――木の実。
おそらく、懸命に集めたものの、ほとんどは森で落としてしまったのだろう。
雪の魔女は、ローブの中から取り出した小さな木の実をルーシーの手のひらにそっと置いた。
「はい、ちゃんと拾っておいたわよ」
ルーシーは目を見開いた。
「……!」
ぎゅっと握りしめた拳をゆっくり開き、小さな両手に乗せられた木の実を、涙の浮かんだ瞳でじっと見つめる。
「……これ……」
信じられないような顔をして、そして、それを大事そうに胸に抱きしめた。
まるで宝物のように。
「ありがとうございます……!」
深く頭を下げたルーシーの顔は、安堵と喜びで輝いていた。
雪の魔女は微笑むと、目線を合わせるようにしゃがみ、そっと言った。
「それを使ってパンを焼くんでしょう? 私にも今度、あなたが焼いたパンをちょうだい」
ルーシーの顔がパッと明るくなった。
涙で濡れた頬を拭いながら、何度も何度も頷く。
「はい! 絶対に!」
その笑顔を見て、テッドもようやく落ち着いたように、娘の頭をそっと撫でた。
彼は雪の魔女を見上げ、深々と頭を下げる。
「本当に……本当にありがとうございます……!!」
言葉を詰まらせながら、強く握りしめた拳が震えている。
彼の言葉の詰まらせ方は、ルーシーにそっくりだった。さすがは親子である。
「いいのよ」
雪の魔女は笑いながら、テッドの肩を軽く叩いた。
「アーサーを呼んできてくれる? お願いね」
テッドは「わかりました!」と答え、ルーシーを抱きかかえたまま村の中心へと駆けて行った。
その背中を見送った後、雪の魔女のローブの中からソラが顔を出した。
「人間って、ありがとうって簡単に言うよな」
赤い瞳を細めながら、去っていく親子の姿を見つめている。
「そうかしら?」
雪の魔女は首を傾げた。
「お前といると、よく聞くぞ」
「なによ、嫌いなの? ありがとうって言葉」
「別に。興味がない」
ぶっきらぼうに言うソラに、雪の魔女は肩をすくめた。
そして、ふと手のひらに乗った雪を見て、小さく笑う。
「私は好きよ。この言葉」
指の上の雪が、そっと風に溶けて消えていく。
――やっぱり、君の魔法は最高だな! ありがとう。
遠い記憶が、心の奥底から浮かび上がる。
それは、雪のように儚く、それでも確かにそこにあった温もり。
雪の魔女はそっと手を握ると、上に乗っていた雪は消えてなくなった。
「まぁ、いいや。今回頑張ったし、オレサマはでっかいベーコン食べたいぞ」
ソラが、ふいに気怠そうに言う。
「今日私のハム持ってたの、忘れてないからね」
ムッとした雪の魔女の視線に、ソラは知らん顔を決め込み、ローブの中にさっと隠れた。
その様子に雪の魔女は呆れながらも、口元に小さな笑みを浮かべる。
そんなやりとりをしていると、遠くからアーサーが雪の魔女を見つけ、急ぎ足でこちらへ向かってくるのが見えた。
「雪の魔女様! ご無事でしたか!」
駆け寄ってきた彼の額には、薄らと汗が滲んでいた。
朝の一件から、ずっと村を駆け回っていたのだろう。若い頃は朝から晩まで弓を片手に森を駆け回っていた彼も、もう歳なのかもしれない。
「ええ。“森の精”の機嫌が悪かったようなの。少し手荒になってしまったけれど、もう問題は解決したわ」
「またこの村は守られてしまいましたな……お怪我などはございませんか?」
「もちろん。むしろ、今回の収穫でスキップしたいくらいよ」
そう言って、雪の魔女はスカイブルーの花を入れた瓶を取り出した。
一緒に入れたはずの雪は、もうすでに半分ほどに量が減っている。
「おお、それは!」
「水瓶の花。これで雪凪の儀式が出来るわ」
アーサーの顔が晴れ渡った。
「今回はもう見つからないのかと思っていたから、本当に良かった」
「人死にが出てしまっていますが、我が村としては僥倖といったところですな。彼らは我々が丁重に埋葬いたします。それに、祭りの準備もお任せください」
「ええ。この花はダメになるのが早いし、すぐにでも準備に取り掛かって、明後日には儀式を執り行うわ」
雪の魔女の言葉に、アーサーは深く頷いた。
「そうと決まれば、こうしてはおられませんな!」
こんなに寒いのに腕をまくり、村の中心へと戻っていくアーサーを見送りながら、雪の魔女は小屋へと続く道を歩き出した。