河川敷の師
旭「――ってわけなんだけどさ」
仁「……何がだよ」
病室を後にした俺は、そのまま家には向かわずに少し寄り道をしてから河原の高架下を訪れていた。
仁「久しぶりに来たと思えば何を意味の分からねぇこと言ってんだお前ぇ」
旭「まぁそういわずに色々と相談させてくれよ。それにお土産も持ってきてるからさ」
仁「お……んだよ、そういうことは先に言えってんだ」
段ボールの中からブルーシートを取り出して、無精ひげの中で笑いながらあからさまに態度を変えた仁叔父さんに少し呆れながらも、道中買ってきたものをカバンから取り出す。
仁叔父さんは今まで、女性に対しての接し方だったり、そもそもあまり近寄っちゃいけない女性のさばき方だったりを俺に教えてくれた人だ。
だが男に対しては粗野だったり、そもそも元来の金遣いの荒さだったりが積み重なり、三回目の離婚のときには仁叔父さんのお金は全くと言って残っていなかった。そのせいで今ではこうして河川敷で根無し草というわけだ。
ちなみに、その後にもう一度結婚しているが、その相手は仁叔父さんの現状を知った両親に引きはがされて実家に帰ったらしい。その時に離婚もしているので、今はバツ4だ。
旭「はい、いつもの」
仁「おう悪いな……ってなんだこれ? ラムネじゃねぇか! どうせなら酒持って来いよ酒!」
旭「まだ学生なんだから買えるわけないだろ。それにどうせ酒だろうがラムネだろうが、味なんてわかんないって言ってたろ」
仁「おいおいバカ言っちゃいけねぇ。俺のベロは味覚のオンオフができんだよ。じゃねぇと料理ができる子とできねぇ子、どっちにも失礼だろ?」
旭「あぁ……そう……」
ドヤ顔でラムネをチビチビ飲んでいる仁叔父さんを適当にあしらいながら、ブルーシートのまだ比較的奇麗な部分に腰を下ろす。下に段ボールが敷いてあるとはいえ、砂利が間に入っていて座り心地は悪い。
仁「……んで、今日は何の話だ?」
旭「だからさっき言っただろ? 彩水が夢幻病で、俺も昨日夢幻病の患者が見る夢の世界に行ったんだよ。で、彩水もその世界にいるかもしれないから探す方法を一緒に考えてもらいたくてさ」
仁「あー……いや、やっぱさっぱりわかんねぇ。一個一個説明してくれ、夢幻病ってのは聞いたことあるが、その患者が見る世界ってなんなんだ?」
旭「あぁ、それは――」
それから俺は龍一から聞いた話を、ほとんどそのまま仁叔父さんに伝えた。ところどころ理解できていないようではあったものの、おおよその夢幻病についての話は伝えられたはずだ。
仁「あぁ……そうか……そうだな、お前もそういう時期だもんな……」
……伝えられた、はずだ。なんか目つきが随分と優しくなったような……というか、かわいそうなものを見るみたいな目になったような気がするが、きっと気のせいだ。肩を優しく叩きながらわかってるぞとか言ってるが気のせいだ。
それより、今は彩水を見つけ出す手がかりを手に入れる方が先だ。自称とはいえ女心ならなんでもわかるとまで豪語している仁叔父さんならば、別世界でも少しは彩水の居場所が想像つくはずだ。
仁「俺も若いころはそうだった……中学で付き合っためちゃくちゃ美人な子が『私は千を超える顔を持つ』とか『火は私の天敵だ。近づければ貴様も無事では済まない』とか言って、俺もそれに乗っちゃってな……」
旭「悪いけど昔話はまた今度にしてくれ。俺は本気で聞いてるんだよ」
仁「何言ってんだ。当時の俺も、その時の彼女も本気でやってたんだぞ? もしかしたらお前以上の熱量だったかもな」
旭「だから! 俺は本気で彩水のことを――」
仁「本気だっつうならなんでお前はここで俺と駄弁ってんだ?」
旭「――え」
突然真面目な顔に変わった仁叔父さんに驚いて、思わず体が硬直する。
そのまま説教でも食らうのかと身構えるが、あぐらを掻いた膝に頬杖をついて黙ったまま、ただじっとこちらをにらみつけている。ただ、そこにさっきまでの昔話を語りながらヘラヘラ笑っている仁叔父さんの姿はない。
だが、何に対してそこまで豹変するほどにまで怒っているのかが分からないせいで何も言い返せない。ただ人気のない河川敷に流れる空気が、ひどく気まずさを感じて仕方がなかった。
仁「……あのなぁ、お前は俺に何を聞きに来たんだ?」
旭「何って……彩水がどこにいるのか、仁叔父さんの経験から心当たりはないかを聞きに……」
そんな重苦しい空気に耐えきれない俺の心情を察してか、仁叔父さんが口を開く。だが、明らかに不機嫌そうなのを隠そうともせず、見た目以上に粗野な口ぶりで詰問される。
その問いに元々の目的を素直に伝えるが、まるで得心がいかないどころかさらに不機嫌そうに眉をひそめている。
何か、間違えてしまったんだろう。ただそれだけがわかった。だが何を間違えたのかはわからない。ここまで怒らせるような何かとはなんなんだ。
仁「旭、彩水ちゃんの好きなもんはわかるか」
旭「な、なんでそんなこと」
仁「いいから言ってみろ」
旭「……まず、辛い物が好きだ。それから刺繍……双葉とかウサギとかハートとか……あとはスカートとか春とか……それに、自惚れじゃなければ俺のことも――」
……話すたびに昔の思い出がよみがえってくる。他にも色々と言っていたという記憶はあるが、最後に会話したのすら五年前だ。自分でも気づかないうちに記憶が薄れ始めているらしい。
それでも、少なくとも今思い出したものを嬉しそうに話してくれていた彩水のことは思い出せる。
仁「……思ったよりは出て来たな。それで、彩水ちゃんは今は何が好きなんだ?」
旭「は……今?」
仁「そう、今だ。前に言ったはずだぞ? 好みは一生同じとは限らねぇって。味覚も流行りも趣味も嗜好も、偏見と先入観は捨ててちゃんとその瞬間のその子を見てやれってな。彩水ちゃんは眠ってるとはいえ、別の世界で生きてたんだろ? だったら今は変わっててもおかしかねぇ。で、どうなんだ」
旭「……わからない」
わかる、はずがない。だって五年間もまともに会話なんてできていなかったんだから。そんなことができていたら今になって仁叔父さんを頼ってなんかいない。
仁「ま、そうだろうな」
旭「……は?」
さっきまでの態度が嘘のようにあっけらかんとした口調で言い捨て、半分ほど残っていたラムネを一気に飲み干した。そしてその空き瓶を俺に押し付けてくる。
仁「あたりめぇだろ。彩水ちゃんは眠ってたんだからわかりようもねぇ」
旭「……だったら、なんでこんなことを聞いてきたんだよ」
仁「はぁ?」
まだ仁叔父さんの真意がいまいち汲み取れない俺に、呆れたように髪を掻きながらため息をついた。
……少し、イラっとする仕草だが、俺が分かっていないのが問題なんだから受け入れるしかない。そもそも彩水を探すために先に頼ったのは俺なのだから。
仁「あのなぁ、お前はさっき彩水ちゃんの好きなもんを色々と言ってたけどな、俺はその一つも知らなかったんだよ。そんな俺に聞いてどうするつもりだったんだ?」
旭「……それは、仁叔父さんの方が女心を知ってるし、行きそうなところに当てをつけることもできると思って……」
仁「いいか? お前は今、俺から聞いた他の女の子の気持ちを彩水ちゃんに当てはめようとしてんだよ。これから女の子と再会するって時に、他の女の子のことを考えながら行くバカがあるか!」
旭「っ……!」
言われて気づいた。それこそ今まで仁叔父さんに何度も言われてきていたことだ。一人の女の子のことを考えてるときに他の子のことを考えてるような奴はクズだと。
正直その話を聞いた時には、女癖が悪くて結婚と離婚を繰り返すようなクズが何を言ってるんだと思ったが、今の俺がやろうとしているのはそれ以下だった。
……俺が間違ってた。
そりゃそうだ。彩水のことで俺よりも仁叔父さんの方が詳しいわけがない。仁叔父さんに聞いてわかるような居場所なら、早く探しに行った方がよほど有意義だ。
旭「……ごめん仁叔父さん、今日は帰る」
仁「会いに行くならプレゼントを忘れるんじゃねぇぞ」
旭「好みが変わってるかもしれないのにか?」
仁「だったらそれも今日聞いてこい! それと、そんなビビっていくんじゃねぇ! 不安だろうが何だろうが堂々としてろ! 格好つけろ!」
旭「――あぁもう、わかったよ!」
やっぱり、最初にここに来てよかった。最初の目的とは違ってしまったが、結果的に背中を押されるような形になった。今はとにかく、早くあの世界に行って彩水を見つけてやる。