独り言
旭「よぉ彩水、元気か?」
彩水「――」
旭「今日も寝てんのか、本当によく飽きないな。そんなずっと寝てると起きたときに苦労するぞ?」
真夢と別れて数分ほど歩いた先にある病院、その一室で何本もの線に繋がれながら眠っている彩水に声をかける。返事はない。こんなことをしてるんじゃ真夢のことを言えたもんじゃないな。
こんなことを始めてもう五年は経つ。死んでいるわけではない。体のどこに異常があるわけでもない。ただ、ずっと眠り続けている。
『夢幻病』という病気だそうだ。
病気といっても何かに感染したとか、どこかを怪我したとかいうわけでもない。ただある日突然眠ったまま目覚めなくなってしまった。
原因はわかっていない。対処法もまだない。それでも毎日のようにこの病気の罹患者は増え続け、今では世界で数千万人を超えるらしい。そんな恐ろしい病気の、彩水は最初期の罹患者だった。
旭「全く……このままじゃ昔の約束も果たせそうにないな。なぁ彩水――」
彩水の体がピクリと動く。毎日話しかけにきていたおかげで、この言葉にだけはわずかに反応してくれるということが分かった。もしかしたら体のどこかで覚えてくれているのかもしれない。
俺と彩水の約束。それは将来を誓うための数百ページにわたる契約書だ。そしてその中には俺にとって一番大切な内容があった。それは――
旭「――彩水が俺を養ってくれるって話はどうなるんだよ!!」
右手のこぶしに力がこもる。頬を涙が伝っていくのを感じた。
いつか二人で将来を語り合った時に約束したのだ。彩水が俺をヒモにしてくれると。
俺はその日を夢見て叔父さんから女性の気持ちを学び、働かずに彩水を支えることができるように必要最低限の家事手伝いを独学で学び、いつかくる将来に備えてきたというのに!
旭「彩水が目覚めてくれなかったら、俺は誰のヒモになればいいんだよぉ!」
最初っから自分で働くことなど考えていなかったから勉強などまじめにやってこなかったから教科書の内容などまるでわからないし、力仕事など俺のぷにぷに筋肉では以ての外だ。
彩水が目覚めてくれない限り、俺は生きるすべを失っている。このままだと卒業と同時に無職になってそのまま野垂れ死にする以外に道がなくなってしまう。絶望的だ。
旭「ぅう……ぅうう……!」
看護師「あの……」
旭「なんですか! 俺は、俺はねぇ! こいつがいないと生きていけないんですよぉ! こいつは俺の全てなんですよぉ!!」
看護師「は、はぁ……。ですがその、院内では大声を出さないようにお願いします……」
その言葉で少しずつ冷静さを取り戻してくる。気づけばあちこちから視線が集まってきているし、病室の外にいる爺さんは「わしも一昨年までは婆さんがああして毎日……」とかなんとか呟きながら物思いにふけっている。
……ふぅ。
旭「……お騒がせしました」
看護師「いえ、今後気を付けていただければ……」
それだけ言ってそそくさと立ち去って行った。あからさまにこれ以上関わりたくないオーラを出しながら。
しかも病室の外にいた他の看護師と一緒に俺の方をちらちら見ながら何か話している。そういうことは見えないところでやってくれないかな。
くっそ。俺がこんな目に合うのもいつまでも眠りこけてる彩水のせいだ。こいつがさっさと起きてくれていればここに来ることもなかったんだ。
八つ当たりに軽く頬っぺたを小突く。反応はない。相変わらず柔らかいだけだ。人目がなければいっそこのまま全身揉みしだいてやりたいくらいだ。
旭「……なぁ彩水、夢の中はそんなに居心地がいいのか? 俺と一緒にいるよりそっちの方がいいのか?」
言ってから少し厭味ったらしかったなと反省する。当然、返事はない。それでも何か一言言ってやらないと落ち着かなかった。
ずっと仲が良かった。昔あんな約束もした。俺の思い違いでなければ両想いでもあったはずだ。
なのに、彩水は一人で眠ったまま帰ってくる気配もない。それが俺を置いてどこかに行ってしまったようでどうにも割り切れなかった。
旭「今日はもう帰る、また明日来るからな」
最後に彩水に向かって一声かけて病室を後にする。
今日は長居しすぎたせいで少しおかしくなっていたのかもしれない。普段ならあんなこと、思っても言わないんだけどな。