01-09「鬼の面」
戦闘描写は苦手なのにバトルものを書いています。
佐藤良祐の窮地に駆け付けた二人の少女に、前回もこんな感じだったなとぼんやりと考えていたのは、助けが来たことによって緊張が切れたからだろうか。
「何か前よりも大きくなってない? それに何か変なお面とか追加されているし!」
翡翠色のロングヘアを輝かせながら立つ芝原翡翠は、備中鍬を構えて目の前の巨大な蜘蛛を警戒する。
「やっぱり、他の【虚】を取り込んで強くなっているんやよ」
「そうなのですか? 私には姿が見えないので分かりませんが、ただ、ラジオから今までに聞いたことのない雑音が発せられています。正面……いえ、あの門の上にいるのですね」
翡翠の左隣で草刈り用の片手鎌を持った千歳友希道が、空いた手でラジオから伸びるイヤホンがちゃんと耳にはめられているかと確認する。
「芝原さん、千歳さん」
「待たせてごめんね。わっちらも罠にはまってた。それに、前よりも強そうだし、確実に勝てるとは言えないけど、大丈夫。絶対に守るから。それが【冥加師】としての役目!」
「時間を稼ぎましょう。ここは戸田家の管轄です。異変を察知した彼らが【冥加師】を派遣してくるまで耐えるのです」
目の前で子供三人が話をしているが相対する鬼の面をした蜘蛛は動きを見せない。警戒しているのか、それともどちらにしてもまとめて倒せると踏んでいるのか。少なくとも、以前自身の脚を斬り飛ばした翡翠のことは覚えていたようで、警戒の割合は彼女に傾いていた
「まずは足下を何とかしよう。こう糸が張り巡らされていたんじゃあ動きにくい。【冥加の力】で反発出来るけど、それでも神経を削ぐことに変わりないし……だから」
「賛成です。お願いします。風切り鎌!」
そう唱えて友希道が鎌を振った瞬間、一陣の風が吹いて彼女を中心に渦を巻き、それが一気に拡散した。特に何か斬られたという様子はなかったが、つい今まで地面に貼り付けにされて身動きが取れなかった良祐は、粘着きがなくなっているのに気付き、身体を起こす。
「あれ? 糸は……」
「範囲としては半径二〇メートルです」
「問題ないよ!」
そんな良祐の疑問は無視され、臨戦態勢へと移行した翡翠は、軽く腰を落とした次の瞬間、ものすごい速さで相手の足下へと飛び込んだ。現在相手は門の上に居座っており、その下の門を潜って背後に回る。しかし巨大な蜘蛛の姿をした【虚】はすぐさま反応し、迎撃する。
≪彼奴め、“境界”を無視しよった!≫
(え?)
良祐の脳内にのみ響く声が驚きを表すと同時、翡翠の表情にも驚愕の色が出ていた。しかし、すぐに対応して器用に鍬の柄で受け止めつつも力を逃し、吹き飛ばされつつも軽やかに地面に降り立つ。
「芝原さん!」
焦りの声を上げるも、友希道は鎌を構えつつ良祐の前から動かない。良祐も思わず声を出しそうになるのをグッと堪えた。守ってもらっている身で、余計な心配を与えたくない上に、一年だけとはいえ先輩であるという男のプライドもあった。
現在、友希道は自身の与えられた任務を全うしようと恐怖と戦っている。それもただの戦いの恐怖だけではない。友希道は、その体質から【虚】の姿を視認することが出来ない。中学生に上がり、正式に【冥加師】となってまだ半年も経っていないのだ。その証拠に彼女の足は震えている。だが、それを押さえ付け、堂々と立っている。
≪正しい順序で入ったにも関わらず互角か……≫
(順序?)
≪意図して作られた建造物には必ず順序がある。簡単なことだ。出入り口を使って出入りする。これが一番簡単で守護を得られる手段だ。もちろん、門が閉じられていれば入ることも出ることも出来ないし、そもそも出入りすることを想定していない物もある≫
(……)
脳内で謎の声と会話している間も目の前で戦いが続く。
相手は、以前遭遇した時よりも大きく強力になっているようだが、現在は互角の戦いを繰り広げている。それはこの【彼世】という世界が【現世】を写し取って構築された世界であり、元々【現世】にあった物へ【彼世】で存在している者が干渉することは出来ないという理を利用してのもの。物陰に隠れたり、障害物を盾にしたりするなどして立体的に動き、巨大蜘蛛の攻撃を捌いている。
『西運寺』の敷地内という地の利としては翡翠の方が上であるが、その差を覆す程に相手が強い。あくまで防御に回っているだけなら何とかなっているというだけで、攻撃に転じることが出来ていないということでもあった。
その目まぐるしいほどにまで動き回る様子に、良祐は段々と焦りを覚えていく。だが、彼の前に立つ友希道の手にある鎌が強く握り締められているのを見、自身を落ち着かせるように息を吐く。
「ごめんね千歳さん、俺がいるばかりに援護に行けなくて」
「いえ、私が行った所で戦力にはなりません。このラジオと風切り鎌のおかげでほぼ不自由なく戦えますが、完全ではありません。それに、元々の冥加が弱いのでどこまで通じるか……」
その声は平静を保っているようだが、恐怖と悔しさが混じっているように聞こえたのは、良祐自身がその感情を持っているからだろうか。
その時、突然何かが良祐達のいる所まで飛んできた。
「っ! 芝原さん!」
友希道は叫ぶも、すぐに「大丈夫」と声がして、遠くから飛ばされて地面に叩き付けられた翡翠は身体を起こした。
「『円鏡寺』の敷地まで誘い込めば弱体化出来るかと期待したけど勘付かれた。移動するよ。私が迎撃するから大回りして『円鏡寺』の方へ回って。出来るだけ引き付けるから」
「分かりました。佐藤さん、行きましょう」
「わ、分かった」
返事をした二人は、急ぎ足で翡翠の指示通りに移動を始める。すると、それに反応してか蜘蛛型の【虚】が進路を塞ぐように飛び込んできた。
「邪魔はさせないよ!」
しかしすかさず翡翠が間に入り、野球のバットでボールを打ち返すようにフルスイングして蜘蛛を押し返す。
「やっぱり狙いは佐藤君みたいやね! 友希道ちゃん、何としても佐藤君を守ってね!」
「分かりました。芝原さんもお気を付けて」
「大丈夫! 何て言ったって、現役最強の【冥加師】だからね! お任せあれ!」
そう元気に告げて、再び敵と対峙する。
逃げながらも、チラチラと翡翠の様子を窺うも、前回の、今よりも小さい状態であった時でも苦戦していたのに、それよりも力を付けてきたであろうあの化け物を相手に、一歩も引かずに戦いを挑んでいる。
「俺は無力だ……」
「佐藤さん?」
「守られてばかりだ。力がないばかりに」
「今は、生き延びることを優先して下さい。そうでなければ、私も芝原さんも、あなたを助けに来た意味がなくなります」
「分かっている。分かっているけど、悔しいんだ」
「佐藤さん……急ぎましょう」
「……あぁ」
何かを言おうとするも友希道はすぐに言葉を飲み込んで、代わりに口から出たのは急かす言葉であった。彼女が何を言おうとしていたかは分からないが、恐らく慰めようとしていたのかもしれないと良祐は予想する。そしてそれを言わずにいてくれていたことにも感謝する。言われてしまえば、本当に惨めな気持ちになっていたかもしれないからだ。
ガァン!
すぐ近くで金属同士がぶつかるような激しい音がした。反射的に目を向けると、所々に傷を負いながらも必死に鍬を振るって【虚】と戦う翡翠の姿がいた。彼女はチラリとこちらへ視線を向けると、ニコリと笑った。
それを見た良祐はハッとした。そして、無言で頷き前を見る。
先程までの彼は別に生きることを諦めていた訳ではなく、むしろ生きようと足掻いていた。しかしそれは、ただの逃げて生き残るということであったが、今この時、ハッキリと覚悟を持って生きようと決意をする。
≪ほう、良い目じゃ≫
「ありがとう」
「? 大丈夫ですか?」
「あぁ、行こうか」
「はい」
この狭い通りを抜ければ『円鏡寺公園』だ。一応『円鏡寺』の敷地の一部ではあるが、特に境界がある訳ではないので守護の力は弱いと友希道は言う。良祐も、だったらと楼門を潜ろうと提案をする。
先程の脳内の声との会話から『円鏡寺』の参道へ、横から入るのではなく正式に正面の楼門を経由して入れば、境界の役割が働き、十分な守護の力が得られるはずだと予想したのだ。実際、翡翠が『西運寺』で防御寄りながらも善戦出来ていたのもそれが理由だと分かっている。
「そうですね。本坊に向かうよりは、距離も近いのでそちらの方が良いかもしれません」
「というか、敷地ならその守護する力が働いても良いんじゃ……」
「明確な境界がなければ意味がありません。力が外に逃げて霧散してしまいますからね」
「えぇと、ガスの充満した部屋から壁を取っ払う感じかな?」
「ガス……まぁ、それで良いです」
≪お主らも余裕じゃのう≫
良祐にだけ聞こえる声がツッコミを入れてくる。
戦いの音が若干離れていったことによるということは、翡翠が必死に押し留めているということ。このタイミングを逃さぬよう、良祐達も賢明に足を動かす。その際も、途中途中で友希道が止まるように指示し、その都度風を発生させて安全を確認しては進むので、短い距離であるが時間が掛かることにもどかしい思いをする。
通りを抜けて、目の前に公園が見えた。その瞬間。
「どわぁ!」
「はっ、し、芝原さん!」
「芝原さん! 大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫」
目の前で、地面に翡翠が叩き付けられる場面が飛び込んできた。
見た所、身体のあちこちに擦り傷などはみられるものの、大きな怪我を負っている様子はみられない。そのことにホッとしつつも、再びのピンチに動揺してしまう。
逃げに使っていた細い道は、両側に民家が立ち並んでいたこともあって彼女の様子が見えなかったとはいえ、こんな目の前に飛ばされてくるような位置にはいなかったはずだ。
(距離は芝原さんが十分稼いでいたはず、なのに……)
≪ふむ、彼奴め、更に力を溜めよったな≫
(どういうこと?)
≪おそらくじゃが、周囲にいる小さく弱い【虚】を喰らっておるのじゃろう。戦いながら器用な奴じゃ≫
(喰らうって、仲間を食べているのか!)
≪彼奴らに共食いの意識があるのかは分からんが、どうせ喰らっても魂が一つになるという感覚しかないのじゃろうて≫
(そんな……)
≪しかし、ここからどうするかじゃな≫
「! 目の前に!」
そこには、再び道を塞ぐようにして立つ鬼の面をした巨大な蜘蛛であった。その姿は、先程よりも少しだけだが、色が違うように感じる。そして、心なしかトゲも増えているように良祐の目には映った。
「大丈夫。もう一回押し込むよ!」
「あ、芝原さん!」
「き、危険です! 更に強力な”聲”が聞こえます!」
「大丈夫。わっちに任せんさい!」
そう言って、鍬を構えて正面から突っ込む。背後には良祐がいるため、翡翠は回り込むという手段を執ることが出来なかった。しかし、それでも時間くらいは稼ぐと覚悟を決め、相手を睨み付ける。
相手の脚が上がる。その瞬間に一気に加速して接近、鍬を振り上げる。
ガァン!
またも金属同士がぶつかり合うような音が響く。鍬と脚が接触した瞬間、このまま押し合ってもまた吹き飛ばされて二の舞となることは分かっている翡翠は、その接触面をズラして身体を回転させ、【虚】の脚から飛び出たトゲを掴み、鉄棒の大車輪のように身体を半回転させて手を離す。
すると、相手の真上に位置するように空中へ身を投げ出すことに成功した。そのまま死角となる真上から鍬を叩き込もうと構え、落下と同時に一気に振り下ろす。
全長一〇メートルは優に超える巨体が、真上からの攻撃によって地面へと倒れ込む。そのまま追撃しようと考えるも、思ったよりもダメージを受けていないことに気付いた彼女は、すぐさまその蜘蛛の身体を蹴って離れ、良祐達の正面へと降り立って油断なく構える。
巨大【虚】が地面に倒れたことで内心喜ぶも、翡翠の様子に良祐は警戒を続ける。
「やったの?」
「駄目! 全然ダメージ入ってないっぽい」
「芝原さんでも駄目なのですか」
悔しそうに唇を噛む友希道。
蜘蛛は、ゆっくりとその身体を持ち上げると、翡翠目掛けて脚を突き出してきた。
その速さは、良祐が気付いた時には既に少女の目と鼻の先。注視していたはずなのに反応が遅れる。
「くっ!」
「「芝原さんっ!」」
躱すことが出来ず、咄嗟に鍬を構えることで受け止めることが出来たが、【冥加の力】で強化された身体能力を持ってしても、翡翠の身体は軽く、踏ん張りきることが出来ずに二〇メートル程も突き飛ばされてしまった。
蜘蛛の脚と鍬の柄が接触した際に剥がれたのか、数枚のお札が舞い、ヒラリヒラリと地面へと落ちる。
良祐と友希道が翡翠の安否を心配するも、前に佇む巨大な蜘蛛の化け物から目が離せない。友希道には【虚】の姿は見えていないが、ラジオからものすごい雑音が流れ込んできているのか顔をしかめている。
≪狙いは良祐、いや、その中のワシか≫
「え? それ、どういう……」
≪いや待て、何だこの“力”は≫
「え?」
その声に導かれるように後ろを振り向く。そこには、全身ボロボロになりながらも良祐に笑顔を向けてくれる翡翠の姿があった。しかし、注目すべきはそこではなかった。何故なら、翡翠の側に彼女よりも更に小さな、長い黒髪で和服を着た幼女が浮いていたのだ。
「え、何? いや、誰? っていうか、え、何?」
「どうかしたのですか?」
戦いの最中だというのに、目前の脅威から注意を逸らしてしまうという失態を冒すが、その脅威である【虚】も翡翠の方を注目している様子で、動きが止まっている。
「芝原さん、その子、誰?」
「あれ? 佐藤君見えるの?」
見えると答えようとした時、脳内で例の男性の声が≪くくく≫と笑っていることに気付いた良祐は訝しむ。
≪悪いな。急に可笑しくなっての≫
「え、それ大丈夫なの?」
≪むしろ勝機が見えたのじゃ! お主よ! あの娘と一緒に鍬を持て!≫
「どういう……」
≪問答は後じゃ! 時間がない! 今すぐじゃ!≫
「っ! 分かった!」
「えっ? あっ、佐藤さん!」
声に従って、疲労も忘れて駆け出す良祐。それに独り言を言っていたと思ったら突然走り出した彼に戸惑うも、護衛の役目を果たすと公言していた友希道も遅れて続く。
そんな彼等の動きを敵が許すはずもなく、すぐに追い付いて攻撃を仕掛けようとした。しかし、走り出していたのは彼等だけではなかった。同じく地を蹴りすかさず距離を詰めた翡翠が、鍬を振るって弾き飛ばした。
出来た隙はほんのわずか。しかし、そのわずかな時間で翡翠の隣に立った良祐は彼女の持つ鍬を、手を覆うようにして掴んだ。
「え? 何?」
突然の良祐の行動に驚く翡翠だが、すぐに別の驚きへと変わる。
「何これ? 力が……すごい! 力が流れ込んでくる!」
≪む、これはもしや……≫
≪主……様?≫
そこに良祐の脳内に響く男性とは別の、幼い声が混じった。そのことに疑問を挟もうとした次の瞬間、鍬が光に包まれた。それと同時に柄を覆っていた残りのお札が、全て勝手に剥がれて周囲を漂い始める。そして光が収まった時、二人の手の中にあったのは、鍬ではなく三つ叉の矛であった。
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