01-08「現在逃走中」
表向きの活動とはいえ部活は部活。ちゃんとやります。いつも暗躍している訳ではないのです。
点数を取る勉強も後々の進路を考えれば必要なのは理解していますが、まずは知ることの楽しさや興味を持たせるというところを重視しないと長続きしないと思います。どうやってって部分が難しいですが……ゲームなどのサブカルチャーだと割と覚えられるんですけどね。
数日後。テスト返却も無事終わり、その結果に満足する一部の生徒を除き、多くの生徒が阿鼻叫喚に包まれる頃。そこそこの成績で安堵の溜め息を吐いた佐藤良祐は、美術部に所属していながら、本日も変わらず化学部へと足を運んでいた。
美術部の活動はもちろん行っているのだが、現在部活は夏休みに向けて、そして夏休み明けのコンテストを目標にやる気のある部員は熱心に作品製作に取り組んでいる。しかし、特にそういった出品を考えていない彼にとっての部活動はほんの気晴らしに過ぎず、ただ思うがままに作品を製作したり、サボったりしている。
そして訪れた化学部の部室。そこでは何と、ちゃんとした化学部らしい活動が行われていた。
内容は金属の燃焼実験で、実際に教科書に載っているのと同じ炎色反応を示すのかを見る物で、それを真面目な千歳友希道が細かくメモを取り、芝原翡翠は「おぉー」と感心したように火の輝きを見つめ、厨二病の池之頭アリサが一つ一つの炎色に名前を付けようと奮闘し、実験の助手を戸田光久が見事に勤め上げ、離れた場所で面倒くさそうに机に顔を付け、ぼんやりと実験を眺めている部長の高屋伸介とその後ろに立つ不良の白木彰布がいた。
「よし、どれもちゃんと教科書通りに出来たな。だが、教科書と同じだから実験しなくて良い訳じゃない。ちゃんと自分の手で道具に触れ、実験を行い、記録を取ることが重要なのであって、成功だとか失敗だとかは正直どうでも良い」
そう熱弁するのは、この化学部の顧問である中原先生である。見た目は冴えないサラリーマンが白衣を着ているような印象だ。髭を剃るなどして小綺麗にしているが、どこか疲れた空気をまとうやせ形の教師だ。
この化学部の事情を理解、把握しているが、本人は【冥加師】ではない。中原先生に限らず、【冥加師】でなくとも関係者という人はそれなりの数がおり、先日友希道が立ち寄った電器店の店主もその一人である。
基本的に一年生の理科の授業を受け持っているが、例外として二、三年生の最初の理科の授業のみ、中原先生が行うことになっている。
その理由としては、毎年全学年全クラスの最初の授業で同じ実験を行い、去年との比較を行うためだ。そしてその実験とは、ペットボトルロケットである。
去年、彼の授業を受けてきた良祐は中原先生の授業内容を知っているが、とても楽しい授業だったと記憶している。
とにかく実験が多く、一週間の授業の中で最低でも一回は実験だけで終わる場合もある。多い時は、一週間の中で三回も実験の時もあった。彼の信条は、教科書よりもまずは実験だ。今年の一年生に話を聞いても同じような話がされたと直久が笑っていた。
先生曰く「教科書を読み上げ、板書を書き写しても頭にはほとんど入らないし、本質は掴めない」とのことで、とにかく実験し体験させることを大事にしている。
「よし、ちゃんと記録に残しているね。実験はただやるだけでは駄目だよ? 二年生以上の子達には散々口酸っぱく言っているけど、まず考察。こうしたらこうなるを組み立てる。そして、それが正しいかどうかを証明するために、初めて実験をする必要が出てくる」
そして、それに最も適した教材がペットボトルロケットだと彼は持論を展開する。
ただ遠くに飛ばすのではなく、決められた点にピンポイントで着地させることが出来るかを行う。
発射点から到達点まで、どのようにしたら良いかをまず考える。
ペットボトルの大きさは、羽の形は、枚数は、位置は、水の量は、空気圧は、発射角は。当日の風向き、天候は。考慮すべきことは多い。それらを最初に考えて、それぞれロケットを作る。
一年生の時点では、初めてペットボトルロケットを作る生徒も多いだろうということで、そこまで難しいことは要求されないが、二年生以上ともなると、今度は羽の取り付け位置や大きさの意図なども聞かれるようになってくる。二年生でそれを明確に答えられる生徒はさほど多くない。しかし、ここで大事なのはその意図、理由をしっかり考えること。
何かをするのに必ず理由がある。ただ何となくの行動の中にも、何かそれをするための何かがなければその行動をしないはずなので、そのほんの小さな理由を探るべく考えることが大事なのだとか。そして考えた後、それを今度は相手に説明することが出来るようにする。これは三年生の内容だ。
過去二回同じ実験をやって、考察と記録をノートに書いてきた。それを元に去年はこう考えて実験したが、実際はこうだったから今年はこうしたらより真っ直ぐ飛ぶのではなどの仮説を立てることが出来るようになる。
ちなみに、ペットボトルロケット用の記録は授業で使うノートとは別にファイルとルーズリーフが渡され、それを毎年書いてファイリングして先生が保管している。授業のノートと混同してしまうと、ノートを書き切ってしまうと捨ててしまったり、またはなくしてしまったりすることもあり得ることから、授業の終わりに回収し、来年の授業まで保管している。そして三年生が最後の理科の授業を終えた時にファイルが渡される。
「良いか? 実験は一回やって終わりじゃない。何回もやる必要がある。失敗しても成功しても、必ず次を行う。仮に一年生の時に成功したからといっても、では何故成功したのかを説明出来なきゃいけない。それをこの一年で学んで二年生になった時に説明出来るようにする。そしてそれを再び実験を行うことで証明する。二年生で説明出来なくても三年生で出来れば良い。仮に三年生で出来なくても、この三年間で培った経験は無駄にならない。ちゃんと真面目に取り組むことが大事なのであって、結果は正直どちらでも良い。結果が全てではない。スタートしていきなりワープしてゴールする訳じゃないのだから、道筋があるはずだ。その過程をしっかり取り組み、記録に残すことが大事なのだ」
どうやら、一年生の授業内容について演説しているようだ。
この先生の話に真剣に聞き入っているのは残念ながら友希道と直久の二人のみで、翡翠は逃げるように実験の後片付け。アリサはいつの間にか文庫本を手に読書体勢。伸介と彰布は変わらぬ様子。良祐は、そもそも部員ではないので聞き流していた。同じような話は去年散々聞いたということもある。
実験が一通り終わった所で、何故か部員ではない良祐も駆り出されて後片付けを開始した。そして部活を終え、いつも通りに帰路に就く。
「今日は珍しく普通の部活をしていたんだな」
しばらく会話らしい会話もなく三人で歩いていたら、部活の一部始終を見ていた良祐が感想を言う。そこに翡翠が笑って答えた。
「いつもあんな秘密結社みたいなことをしている訳じゃないんだよ。部活である以上はちゃんと成果を出さないと部活として認めてもらえないからね」
「立場上、他の部活に加入することは難しいですから、私も少しは皆さんと役割以外で打ち込むことが出来て楽しいです。やはり、部活に所属した以上はその部活をしっかり行いたいと思っていましたので」
「友希道ちゃんは真面目やなぁ」
そうやって話しながらいつもの道を歩く。
あの日以来特に良祐の身に目立った変化や騒動はなく、また【冥加師】側も何度か【虚】の退治を行っているが、例の蜘蛛の形をした【虚】は発見されていないと登校時に伝えられている。
護衛が二人、常に下校時では帯同し、他にも【冥加師】が活動している。そしてここ数日何事も起こっていない。だからこれからも大丈夫。
そんな油断があったのだろう。
「えっ」
「っ!」
『円鏡寺』を越え商店街に入った所でそれは起こった。何の前触れもなしに、いきなり翡翠と友希道の二人の間を歩いていた良祐の姿が音もなく消えたのだ。
すぐさま察した二人は、友希道が軽く周囲を見渡しつつバッグからラジオを出して首に掛け、その間に翡翠もバッグから一枚のお札を手にとって地面に貼り付けた。
そして二人して勢い良く一回手を打ち鳴らして目を閉じ、術式を唱える。
「「我、境を渡りて彼の世へ映し、水を歩いて波立てる」」
すると周囲の景色が一変する。町並みそのものの変化は見られないが、空気感、雰囲気、気配など、目に見えないものが止まり、同じであるのに同じでない世界が構築される。
【彼世】である。
周囲には意思のない、まだ【虚】にすらもなれていない火の玉が、時折ホタルのようにふわふわと通り過ぎていくが、普段見たり感じたりする数よりも明らかに少ない。
「佐藤君の姿がない。急ぐよ?」
「はい!」
顔を見合わせて頷き、【冥加の力】を全身に行き渡らせて身体能力の底上げを行う。そして、それぞれの手に一枚ずつ地面に貼ったのとは別のお札を持つ。
「「解!」」
唱えた途端お札が光り、次の瞬間にはお札ではなく翡翠の手には柄に大量のお札が貼られた備中鍬が、そして友希道の手には片手で持てる大きさの草刈り鎌が握られていた。
「佐藤君の場所は分からないけど、【虚】の方はおおよそ特定出来ている。先にそっちに向かうよ?」
「はい」
簡単に状況を確認し、一気に駆け出す。
一方で、そこから少し距離が離れた建物と建物が密集した物陰で、良祐は身動ぎする。
(またこの場所か……)
翡翠達とはぐれた位置から少し移動していた良祐。突然の事態で多少混乱するも、一回経験していることから周囲の様子を素早く確認し、襲われにくいようにコソコソと隠れながら移動を開始する。
この世界に来たと同時に目の前に前回の【虚】がいなかったことに安堵しつつも安全という訳でもないので、この止まった世界の気味の悪さに不安と恐怖を感じながらも足を止めない。
(多分、芝原さん達もすぐ来てくれるはず)
前回はいきなり、それも今まで自身が経験したことがない誰もいない並行世界に飛ばされるということを身を以て知った。それ故に誰にも助けが求められない状況ということと、見たこともない化け物に襲われるということから恐怖で足が竦んでしまったが、今回はすぐに姿を物陰に隠したことで発見されることなくやり過ごすことが出来た。とはいえ、人間の子供の足ではさほど遠くに逃げていないのだろうと予想しているのか、巨大な影は周囲を行き来している。
だが、良祐の正確な位置が掴めないのか、時折遠くへ移動するなどして隙が出来る時がある。そしてそれを狙って素早く別の物陰へ移動するを繰り返している。
≪焦るなよ?≫
良祐一人では無理だったであろうその判断も、前回聞いた声に導かれることで、何とか見つからずに移動することが出来ている。
≪次の合図であの建物と建物の間に移動だ≫
(は、はい!)
≪前よりも良い返事だ……よし、今じゃ≫
(くっ)
声の正体は未だに分からない。少なくともこちらの世界に来た時に聞き覚えのある≪逃げろ≫の一言があったおかげで、すぐに行動に移すことが出来たことに感謝している。本来なら私有地に無断で入り込んでのごっこどころではない鬼ごっこであるが、今のこの世界は自分以外に人間の姿はないので住居侵入の罪に問われることはない。
家と家の隙間や用水路、庭などの道でない場所を逃げ道としているが、この辺りは幼い頃よりこの北方商店街を利用していた良祐にとっては、おおよその位置把握は出来ており、もう少しで『西運寺』の門前に出る所まで移動していることが分かっている。
攫われた地点から東に直線で五〇メートル程。距離としてはさほど離れていないが、未だに助けが来ないのはあの蜘蛛の【虚】と同様で、位置が特定出来ていないのだろうかと不安が顔を覗かせるが、それをすかさず脳内の声がフォローする。
≪大丈夫じゃ。助けは来る。力の流れが変わった≫
(そうなんですか?)
≪だからもう少しの辛抱じゃ≫
(ありがとうございます。それにしても、あなたは本当に誰ですか?)
≪ワシか……まぁ、それはまた後じゃな。しかし彼奴め。前よりも大きくなっておるの≫
(ですよね。やっぱり見間違いじゃないですよね……)
少し気が楽になった良祐は、前回よりも割とフランクになっているその声に質問を投げ掛けるもはぐらかされてしまった。気を取り直した彼は声に指摘された通り、建物の影からコッソリと相手の姿を見る。
彼の目には、前回彼を襲った【虚】の姿があったが、その姿は記憶にある蜘蛛の姿と大きく異なる。大きさだけでも一回り以上大きくなり、脚などの棘も増えているように思えるが、何より一番の違いは、顔面と思われる部位に人間の頭蓋骨のような、しかし額に二本の角が生えていたり、鋭い牙が生えていたりと、少しどころかかなり人間とかけ離れている。それを仮面のように被っていた。
≪”鬼”にまで昇華するとは厄介だ。今は助けが来るのを耐えるしかないだろう≫
(お、鬼って?)
≪ほれしっかり身を隠せ≫
(は、はい!)
言われてみれば確かに鬼の形をしている。しかし、今の鬼という単語には厄介そうな何かが含まれていることを薄々察するが、今は自身の命が大事だ。無事に生きて【彼世】を脱出することが出来なければ意味がない。
今なお、相手はこちらを捕捉出来ていない様子で周囲を探索しているが、見つかるのも時間の問題であることは脳内に響く声と一致している。よって、出来るだけ急いで声の言う安全な場所へ移動する必要がある。
完全に安全な場所などこの世界には存在しないが、その中でも比較的マシな場所はある。それは神社仏閣の敷地だ。特に塀などで外界との”境界”をハッキリとさせている場所は、悪い物、この場合【虚】になるが、それの侵入をある程度抑制することが出来る。
声の知見によれば、あの成長した化け物相手にそんな場所に逃げ込んだ所で、ほんの少しの時間を稼ぐことが出来るだろうと思われる程度で、確実性はない。ただ、翡翠達と行動を共にしていたことで救助に来るのは早いだろうから、それまでの身の安全を確保するという点で、現在『西運寺』に向かっているのだ。
(あそこが門だ)
『西運寺』は『別格本山円鏡寺本坊』の裏手に位置する寺だ。『別格本山円鏡寺本坊』とは、普段良祐達が『円鏡寺』と呼んでいる楼門から観音堂までの参道を含めた敷地よりも東北東寄り、直線で五〇メートル強程度の場所にある。そして『西運寺』はその本坊の真北にある。その門から通りを挟んで反対側の家々の隙間に身体を入れて息を潜ませていた。
ここに居続けることも危険だが、あの門を潜るためには見通しの良い道路に出る必要がある。幸い、今現在【虚】との距離は離れていると判断した良祐は、思い切って飛び出した。
そして道路へ足を踏み入れた瞬間、突然何かに足を取られて転倒してしまった。
「何で!」
思わず声を上げてしまった。足下を見ると、何か粘着く細い糸のようなものが道路に張り巡らされていた。
≪こいつは彼奴の! いかん! すぐに逃げるのじゃ!≫
「そうは言っても!」
藻掻こうにも倒れた拍子に地面に手を付いてしまい、それもまた糸によって絡め取られてしまい身動きが取れない。
ズンッ……
何かが『西運寺』の門の上に降り立つ音が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、散々追い掛けていた蜘蛛がこちらを向いた。相手は良祐の様子をただ眺めている様子だったが、彼からするとみすみす罠に掛かったことを嗤っているように感じられた。
あの小さな門の上にどうやってその巨体を置いているのかと一瞬頭を過ぎるが、それ以上の恐怖を正面から直接受けてしまい身体が強張ってしまう。
前回翡翠が斬り飛ばした脚も修復されたのか、左右四本計八本揃っている。
【虚】は前脚をゆっくりと上げて、良祐に狙いを定めた。そしていざ振り下ろそうとした瞬間。
ガンッ!
重い何かがぶつかる音がしたと同時に、巨大蜘蛛の身体が何かに弾かれるように姿勢を崩した。
「え?」
惚ける良祐の耳に待望の声が届く。
「ごめんね佐藤君! 助けに来たよ!」
「お待たせしてすみません。まさかダミーの反応に地面には糸とは……中々狡猾ですね」
翡翠と友希道。二人の【冥加師】が良祐と【虚】の間に立ち、背後にいる彼を守るように手に持つ道具を構えた。
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