01-10「神が宿る器」
決着です。
佐藤良祐と芝原翡翠、二人の手の中にあるのは、つい今まで先端が三つ叉に別れた土を耕す農具、備中鍬だったものであった。
それは、同じ三つ叉であるものの、農具というよりは明らかな武器という形となっている。矛の先は翡翠の髪と同じように翡翠色に輝きを放っている。鍬の柄に隙間なく貼り付けられていたお|札《ふだ》は全て剥がれ、二人の周囲を風で巻き上げられた落ち葉のように漂っている。
「何ですかそれは!」
二人の前に立ち、鬼の頭蓋骨のような仮面を被った巨大な蜘蛛の【虚】と対峙する千歳友希道は、ちらりと後ろを振り返り叫ぶ。
その声にハッとした翡翠は、自身の手を握る良祐へと目を向けた。
「後で話、聞かせてもらうからね」
「え? う、うん」
【冥加師】でありながら【冥加の力】が弱いことで【虚】の姿を視認出来ない友希道が賢明に押さえ込もうと奮闘するも、僅か十数秒で前脚の薙ぎ払いで駐車場側へと飛ばされてしまった。
「千歳さん!」
「あの子なら大丈夫! それよりも前!」
「前って、えええ!?」
力の弱い友希道に興味のない様子の【虚】は二人目掛けて飛び込んできた。そして、巨大な蜘蛛の右前脚が今まさに良祐達に届きそうという所で、矛を目一杯突き出した。
接触した瞬間、ほとんど抵抗なく伸ばされた脚を突き破り、消滅させた。
突然脚が消し飛ばされたことで【虚】が怯む。
「……え?」
「やっぱり、いえ、流石……かな?」
≪惚けるでない! 構えろ! 力を貸すぞ!≫
≪わっちも頑張るよ! ひーちゃんもお願い!≫
「分かっているよ! 行くよ、佐藤君!」
「え? う、うん」
訳も分からず二人で矛を天高く構える。翡翠の小学校低学年とも言える低身長のせいで、良祐はそれ程高く上げているつもりはないが、しっかりと翡翠の手を両手で包んで前を見据える。
怯んでいた時間はほんの数秒で、すぐに立て直した【虚】は残った脚を使って突撃してくる。
その鬼のお面の下はどんな表情か、それとも蜘蛛だから表情はないのか、しかし歪んだ魂の集合体だから感情はあるのか。いずれにせよ、先程までの狡猾で罠にはめようという動きはなく、猪突猛進、一直線で突っ込んでくる。
それは焦りから来るものか、極上の餌を早く食らいたいという欲か、いずれにしても理性を失った化け物は……
「「てりゃあああああああっ!」」
振り下ろされた矛から伸びる光の線によって、一瞬も防御すること叶わず、跡形もなく消滅したのであった。
「や……やったのか……?」
「あはは、佐藤君、それフラグだよ? でも、うん、大丈夫。この辺りにはいないし、というか結構広い範囲が浄化されたね。流石”神”の力だね。どう、友希道ちゃん? 何か聞こえる?」
【虚】の攻撃を腹部に受けてしまったのか、手で庇いながらもしっかりとした足取りで二人の横に立つ友希道。
そんな彼女を支える形で翡翠が隣に立つが、身長差から肩を貸すには至らない様子である。
「いえ、何も。ラジオも無事です。また修理となると、出費が……」
「まぁその時は私か所属先の戸田家にでも言ってよ。金額によっては立て替えてくれるか、もしくは少なくとも貸してくれるだろうし」
「出来れば借金はしたくないですね」
「あはは、それもそうだね。それじゃあ、とりあえず【現世】に戻ろうか。いつまでも【彼世】にいたんじゃ、また別の【虚】に襲われるかもしれないし」
「ですが、この辺り一帯の反応はありません」
「今の所はね。でも、この場に佐藤君とこの矛……って、ありゃ、鍬に戻っちゃってる」
「確かに元に持っていますね。先程のは一体……」
翡翠が手元の農具に目を落とすと、先程まで剥がれて周囲に浮いていたはずのお札が、ほぼ元通りに鍬の柄に貼り付いているのを見て、安心したような残念なような微妙な表情を浮かべる。
二人が話をしている間、良祐は一人、先程【虚】が浄化され、消滅した場所に来ていた。巨大な異形の蜘蛛が消えた瞬間、地面に何か光る物が見えた気がしたのだ。
(あれ? これ……)
すると見つけた。自身の握り拳と同じくらいの大きさの透明で、透き通った丸い石が落ちていた。
(これってもしかして【魂石】? 千歳さん達に見せてもらったのよりも透明で綺麗だけど)
≪おそらくな≫
前に触らせてもらった時は、どういう訳かドアノブに触れた時に走る静電気を更に強くしたような感覚がして、結局触れることが出来なかった。今回もそうなのだろうかと、そっと人差し指を近付ける。
(あれ? 触れる……)
ガラス玉のように濁りのない非常に高い透明度。異常だらけのこの空間の中で、この石が放つ魅力は、自分自身と、否、自身の中にいる誰かと共鳴しているような感じがする。
(不思議な感じ……)
「それじゃあ、鍬のことも説明したいし、移動しようか。って、佐藤君そんな所で何してるの?」
夢中で眺めていたら、話が終わったのか急に背後から話し掛けられた。そして、咄嗟に【魂石】らしき石、あるいはガラス玉を制服のズボンのポケットに放り込む。
「ごめん。本当に消えたんだって思って。それで、移動って、どこに?」
何故嘘を吐いてしまったのか自分でも分からない。だが、この石は自分に拾って欲しかったように思えたのだ。
≪……≫
声は聞こえないが、今、自身の中にいる何かが何かを考えているのか、あえて喋らないようにしているのか、何かを発するのを躊躇ったように感じる。だが、ただの気のせいということもあり得る上に、色々あり過ぎて疲れていたこともあって、追求することはなかった。
「んー……あ、そこの裏で良いんじゃない? 友希道ちゃんも行こう?」
しかし良祐は動かない。それどころか翡翠達の方へ目線を向けようとしなかった。
「佐藤君? どうしたの?」
彼の行動に首を傾ける翡翠だが、良祐は顔を赤らめて余所見をしたままである。
生き残ることに夢中でかつ、先程の最後の自分がやったことの衝撃、そして【魂石】のことから意識していなかったが、今目の前には二人の同級生と後輩の女生徒が部分部分で肌を晒している状態だ。そのことに気付いた良祐は、咄嗟にそっぽを向いたのだ。
「いえ、あの、その」
翡翠の提案は、今この場所で元の世界、【現世】に戻ってしまうと、明らかにボロボロな格好をした少女二人 (良祐は守ってもらっていたからほぼ無傷である)が突然現れることとなり、騒ぎになる可能性があるから隠れてから戻ろうというものであった。
羞恥心がないのか、平然とした立ち振る舞いに、自分が間違っているのかと考えそうになるも、友希道が「はぁ」と溜め息を吐いて翡翠を注意した。
「芝原さん、私達の現在の格好を見て下さい。これではいけません」
「あ、あぁ、そうだね。うん。ごめんごめん。それと気を遣ってくれてありがとね」
「い、いえ、それよりも早く何か着て下さい」
ちなみに、中学校の夏服の上は男女共に白地のカッターシャツであり、それがあちこち切り裂かれたり破れたり、そして本人の血が滲んでいて中々に悲惨な状態であった。また、シャツだけでなくスカートも裂かれている部分があり、太ももが見えそうな部分があった。
年齢を考えれば、卑猥というものではないが、異性を意識し始める年代である彼にしてみれば、直視出来るようなものではない。
「それは後。先に【現世】に戻らないと。一通り浄化出来たし、歴史的に見ても最上位クラスを倒したから、しばらく弱小の【虚】も寄ってこないと思うけど、もしかしたらがあるかもしれないからね」
落ち着かないので何か着て欲しかったのだが、その提案はあっさりと却下されてしまう。
そう言って翡翠は二人を率いて、今立っている『円鏡寺公園』の駐車場に併設されている『北方観光案内所』の看板を掲げた小屋 (小屋というにもあまりにも小さいが)の裏手へと回って術式を唱えた。
景色は変わっていない。しかし、明らかに生命と言うべきか、この空気、地面、空が生きているという感覚を味わう。そして幸いなことに、見える範囲でこちらには影響は出ていないようで良祐は安堵する。
「やっぱり元の世界は良いね。それじゃあ、制服は無理だけど、代わりに上に羽織る物を出すよ。それと手早く治療しちゃおうか。それでその間に事情聴取」
「分かりました」
「えーっと?」
話に付いていけない良祐は、そっぽを向いたままどうすれば良いのか分からず佇んでいた。翡翠は二枚のお札を取り出してブツブツと何か呪文のようなものを唱えると、お札が創作の魔法使いが着ていそうローブのような衣類に変わった。それを二人が着たことを確認すると、ホッと胸をなで下ろして正面を向く。
ローブの色は白だが、この七月も下旬という夏真っ只中に於いて膝まで届きそうな長さの服は暑そうに思えるが、意外と二人共気にする様子はない。
そして翡翠はまた懐から二枚のお札を出し、何かを呟いた後に自分と友希道それぞれの額に貼り付けた。
(キョンシーかな?)
お札を額に貼るという行ために、ふとそんなことを思い浮かべた。
≪何じゃそれは?≫
「へ?」
【現世】に戻っても聞こえるその声に驚き、思わず声を上げてしまう。
「どうしたの?」
突然声を上げた良祐を、翡翠は不思議そうに見る。
「いや、その、声が」
「そういえば、声がするって言ってたね。もしかして今も聞こえるの?」
「あ、うん」
「それじゃあ、聞いても良いかな? そちらの声の主さんに聞こえるか分からないけど、とりあえず、あなたの名前は何ですか?」
「へ? 名前?」
何者でも誰でもなく、名前。そのことに疑問を持つ良祐だったが、その答えはすぐに良祐の中の声が答えた。
≪ふむ、ワシの名前と来たか。流石は芝原の血を引く者……いや、”翡翠”の名を継承せし者か≫
「え? それどういう?」
「お、何か言ってるの?」
「あ、うん、ちょっと待って」
≪すまんすまん、ワシの名前じゃな。ワシは”牛頭天王”じゃ≫
「え? 牛頭天王?」
「牛頭天王? ってもしかして……」
「はい、かつて『大井神社』の前身である祠で祀られていた神の名前がそうであったと思います」
驚いて名前を繰り返す翡翠に、友希道が同意するように答える。しかし、心なしか翡翠の目付きが鋭くなったように良祐は感じ、不安を覚える。
「え、祠の話はわっちも聞いたことあったけど、その牛頭天王……が?」
「えぇ、私も詳しいことは分かりませんが、確かだったはずです」
「うん、合っているはずやよ」
『円鏡寺』や『大井神社』は北方町に住む者として、その存在自体は知っていたし、祖父の話から漠然と関係性も把握していたが、祀られている神の話は聞いたことがなかった。あるいは聞いても覚えていなかった可能性がある。
(牛頭天王なのか?)
≪うむ≫
(どういった神様か、教えてもらっても良い?)
≪さぁな。人間が伝承で継ぎ足し継ぎ足し語ってきたから、どれが正しいやら≫
(そうなの?)
≪ワシに聞くでない。人間のことは人間に聞くんじゃな。ところで、今更じゃが、お前さんの名前は?≫
(あ、そうだった。えぇと、佐藤良祐って、言います)
≪ほう、りょうすけか、字はなんと書く?≫
(字? えぇと、良い悪いの「良い」に、天祐の「祐」。あ、ゆうは、礻の方ね。)
≪ほう、良祐。ふむ、良祐か……なるほどのぅ、読みは違うが同じ字を持つ人物を知っているが、もしや……カカカッ、これもまた不思議な“縁”であるな≫
(え、それってどういう?)
その疑問に牛頭天王は答える気がないのか、話を逸らされてしまう。
≪それはともかく、ワシの役割は、その祠で悪しき者と戦うことじゃった。そうして楔を打たれてからしばらく、そこに一本の木の枝が置かれた≫
「木の枝? 木の枝が、その、納められたの?」
良祐が口にした木の枝という言葉に、翡翠が反応する。
「木の枝……もしかしなくても、この鍬のことやね」
≪汝、それは一体何じゃ? 先程はワシと同じような力を感じたが、今は何も感じん。それにあの小娘。あれはワシと同類じゃ≫
牛頭天王が言っていることの半分以上理解出来ていない良祐は、まごつきながらも何とか翡翠と友希道に声の主の言葉を伝える。
「私も気になりますね。それはただの【冥加の力】が宿った器ではないのですか?」
【冥加の力】とは、神や仏などの加護の力、つまり借り物の力であると化学部の部活で説明を受けていた良祐は、だから【冥加師】の人達は戦うことが出来るのだと理解していた。しかし彼女の口振りからすると、翡翠の持つ鍬は何か違うとのことで、視線が集中する。
≪【冥加の力】? そんな生易しいものではないぞ。それは、神そのものじゃ≫
「神……?」
「牛頭天王さんが何を言っているのか分からないけど、多分、佐藤君の反応からして合っていると思う。そう、これは神が宿った木の枝、”神木”だよ。まぁ本来の意味の神木とは違うけど、実際に神のいる木だからわっちらは神木って呼んでいる」
「神木……ですか。そのようなもの、一体どこで……いえ、もしや諏訪からですか?」
「違うよ。これは”クスノキ”。わっちらがよく知ってるあの木だよ」
そう言ってお札が大量に貼られて、中の木が見えなくなっている鍬を二人にも見えるように差し出す。
「北小と北中の間に生えている、あの木の枝が素材となっているんやよ。と言っても、もう一〇〇〇年近く昔の話やけどね。今のクスノキは二代目。初代のクスノキがまだ若木だった頃に、一番真っ直ぐに伸びた程度の良い枝を切って奉納したのが、今わっちが持っているコレやよ」
「で、それがその、何で牛頭天王に奉納されたの?」
「武器やね」
「武器?」
「そう、悪しき者を払うためには神聖な武器が必要と、当時の人々は考えたんやろうね。それで、祠に納められた訳やけど、今よりも神や仏の存在が信じられていた昔は、そうやって神の武器だと示されたら手を合わせて拝む人は多かった。そして、奉られ、拝まれ、”意味と役割”を与えられたことで、ただの木の枝に小さな神の子供が宿った」
良祐には先程の光景が思い起こされた。腰に届く程度のストレートの黒髪の肌の白い可愛い女の子。和服を着ていたので、日本人形らしい赴きも感じられる少女だった。
「あ、さっきの」
「やっぱり佐藤君には見えていたんだ」
「む? 私達の他にも何かが、この流れだと、その神様がいたということですか?」
「うん、だけど、今は見えない」
≪ワシも何も感じぬ。幼いがあれ程の神威、早々隠せるものではないのじゃがの≫
「うん、さっきはこのお|札《ふだ》が剥がれたことで見えてしまったみたいやけど、今はこうしてほら。目の前にあっても分からないでしょ?」
「すごく怪しい農具にしか見えないけど」
「私も同じ感想です」
「まぁこのお札は、神の力を外に漏れ出さないようにするための、言わば蓋みたいなものやからね。だから多分今の状態だと牛頭天王さんには普通の農具にしか見えないし、実際に【虚】にも気付かれない」
「でもそれなら、何でわざわざ鍬の形に、それならお札を貼るだけで……いや、”意味と役割”……そういうこと?」
「正解」
そこで友希道も理解出来たのか「そうか」と頷いた。
「農具の形にし、鍬という意味と、土を耕すという役割を持たせることで【虚】の目から神の存在を隠したということですか」
「大正解」
「ですが、それが何故あなたの手にあるのか分かりません。それに鍬の形になっていることも疑問です。それは元々祠にあったもの。本来であればそのまま現在の『大井神社』に祀られていてもおかしくないもののはずです」
「『大井神社』が出来たのは、明治時代初期。そしてこの枝がわっちの先祖の手に渡ったのが戦国時代。既に時効やよ時効」
「えー……そういう問題かなぁ」
シリアスな話の中で、時折混ぜられる冗談に良祐も緊張の糸が何度も切られ、結び直すのに苦労する。だがこの後、この時に一瞬でも気が緩んでしまったことを後悔することとなる。
「戦国時代、今の『大井神社』の南側には『北方城』ってお城があった。天守閣があるようなものやなく、砦みたいなものって資料には残っているけど……」
そこで言葉を切って、良祐を睨むかのように見つめる。
「本能寺の変で織田信長が討たれてから、日本各地は混乱に陥り、荒れた。この美濃も信長の領土だったことから城を巡って争いがあった。その騒ぎの中でわっちの先祖は、城のすぐ側にあった祠も被害を受けると考え、一時的に避難させるべくこの木の枝ともう一つ、”水晶で出来た牛の置物”を回収しようとした」
それを聞いて良祐はまさかと思った。
あの日、祖父の家で壊してしまった透明な大きな動物の置物。あれも牛の形をしていたように思える。しかしと心の中で否定する。あれがそんな代物のはずがない。そもそもそういった家系とは全く関係ないはずの祖父の家に、何故あるのか説明が出来ない。
≪……≫
そんな彼の内心が、動揺が全て筒抜けである牛頭天王は何も語らない。
友希道は何やら空気が変わり、重苦しい雰囲気になっていることに眉をひそめる。
そして、翡翠は彼らが何を考えているのか知ってか知らずか言葉を続ける。
「でも、回収出来たのは一つだけ。このクスノキの枝だけだった。先祖が回収する前に、水晶の置物だけが誰かに持ち去られていたんやよ。置物自体も歴史は古く、祠を造る際にはそれに神を宿すことで、鬼門の番人として要石になると考えたんやろうね。実際にそのおかげで曖昧で不安定だった境界がしっかり定められ、【虚】の侵入を防いだり、その力を削ぐことに役立っていた……」
そこで言葉を句切り、二人を、正確には良祐を見つめこう告げた。
「そう、その置物には、牛頭天王さんが宿っていたんやよ」
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ここで一旦更新は終わりです。
第2章以降が書けましたら順次更新していく予定ですが、現在第2章の1話、ほぼ一文字も書けていない状況ですので、どうなるか分かりません。気長にお待ち下さい。