86 思わぬ出来事1
四月の春。 私はメイル学園の最終学年になった。
流雨もメイル学園に通うのを再開すると聞き、私は流雨にあるお願いをした。
「学校で話しかけないで欲しい?」
「うん……ルーウェンと私って、クラスが同じなだけで知り合いではないもの。急に仲良くしたら、おかしいでしょう? るー君には申し訳ないとは思うのだけれど……」
「………………」
流雨は黙り込んでしまった。
「ご、ごめんね、るー君。学校の間だけなの。ルーウェンのことは、みんなが遠巻きにしているし、急に私が『るー君』とか馴れ馴れしく話しかけたら、異様な光景だと思うの!」
「……分かった。紗彩とは知り合いじゃなかったから、仕方ないね」
「あ、ありがとう!」
悲しそうな顔をしていた流雨には心苦しいけれど、承知してくれてほっとした。流雨がこれから帝都でいろんな人と交わるだろうし、リンケルト公爵家の後継者であることもあり、日々が忙しくなっていくだろう。私もその間に、少しずつ流雨離れをしなければならない。
そして、メイル学園に向かう辻馬車の中、私はブレスレットをニコニコと見ていた。そんな私を、ユリウスが呆れた顔で見ている。
「またそのブレスレットを見ているのですか」
「だって嬉しいんだもの! 可愛いしキラキラしているし」
このブレスレットは、一昨日流雨がプレゼントしてくれたのだ。私の誕生日プレゼントである。メイル学園で話しかけないでと言った失礼な私なのに、流雨はその後にもこうやってプレゼントしてくれる。
「可愛いですが……なんだか繋ぎとめる鎖みたいで、僕はちょっと嫌ですね……」
「うん、鎖だよ? ブレスレットって、こういうものだよね?」
「そういう意味ではないのですが……まあ、いいです。姉様好みのブレスレットですね。小さいダイヤとエメラルドが目立ち過ぎず普段使いしてもよさそうです。……まさかそれが狙い?」
「うん? あ、そうかも! るー君、毎日つけてくれると嬉しいって言ってた! ゴテゴテしてなくて、制服の下に付けられるし、綺麗だよねぇ」
「綺麗ですが、どうみても独せ……ンンッ」
「え、ユリウスったら風邪!?」
「違いますよ、口が滑りそうになっただけです……」
ユリウスがため息を付いている。流雨のプレゼントばかり褒めたから、機嫌が悪くなったのだろうか。私はバッグから猫の手鏡を出した。ユリウスから誕生日に貰ったもので、特注してくれたらしくビジューの装飾が可愛いのだ。
「ユリウスがくれたこの猫鏡も可愛いから、私のお気に入りだよ。ありがとうね」
「姉様が鏡がいいと言うので、それにしましたが、本当に鏡で良かったんですか?」
「うん、鏡が欲しかったの。前使っていたのは、持ち手が壊れてしまったから」
鏡は乙女の生活必需品である。絶対に大活躍するだろう。
そうこう話すうち、メイル学園に到着した。ユリウスとは途中で分かれて、私は自分の教室へ向かう。
教室にはまだ流雨は来ていないようだった。私は自分の席に着席し、バッグからノートを出した。授業開始までまだ時間があるから、化粧品の企画でも考えようと思ったのだ。
考えてはノートにペンを走らせ集中していたけれど、急に教室が静かになったので、授業が始まるのだろうかと顔を上げた。しかし授業開始だったわけではなかった。長机と長椅子を私と一緒に使う隣の男子生徒の前に、なぜかルーウェンが立っていた。
え、何、なんで流雨が――、と呆然としていると、流雨が口を開いた。
「今日から俺と席を交換してほしいんだけれど」
「……ひゃい!?」
流雨たるルーウェンに話しかけられた男子生徒は、噛んだのかよく分からない返事をした。
「俺と席を交換。してくれないかな。できれば快く頷いてくれると嬉しいんだけれど」
「も、ももも、もちろん! もちろん、交換します!」
男子生徒は慌てて私物を片付けると、転がるように席を立った。
「どどど、どうぞ!」
「ありがとう」
いつも殺伐としていたルーウェンが、にこっと笑ったため、教室の空気が氷点下まで落ちたように感じた。クラス中の視線がルーウェンを向き、全員真っ青である。整った顔で微笑まれると、人は恐怖を感じてしまうのかもしれない。悪魔の笑みのようにも感じるのだろう。しかも今までのルーウェンから考えると、ルーウェンが注目浴びているときにルーウェンから視線を外すのがバレると、ルーウェンから目を付けられる。今もみなそう思っているのか、誰もルーウェンから目を逸らせない。
流雨は笑みを引っ込め、私を見た。
ちょっと待って。学校で話しかけないということを承諾してくれたよね!? 流雨に話しかけられるのかと身構えたけれど、流雨は私の隣に黙って座るだけだった。
どういうことなんだ。私はどうすればいいんだ。動揺し過ぎて、流雨から少しでも離れようと、そろっと長椅子を流雨のいない方へ横滑りすると、なぜか流雨が同じ距離だけ近づいてくる。
なんで。そろっと顔だけ動かして流雨を見ると、私の視線に気づいた流雨が私を見て口角を上げた。え、それはどういう笑みですか。謎過ぎて、私はまたそろっと前を向いた。
教室中の視線が、まだルーウェンを見ている。そして私も注目されている。その中にはちらほらと、同情の視線が混じっていた。
これはきっと、ルーウェンの次の興味のターゲットが私になったんだと思われている。そこのあなた、私の骨も残らないな、という諦めの顔、止めてくれますか。
何が何だか分からず、その後始まった授業の内容が一切頭に入ってこなかった。




