36 夢はときどき残酷で
「サーヤ! 今日は少し馬に乗って散歩しようか!」
いきなりルドルフが部屋に入ってきたと思うと、最初にそう言った。私はハンカチに刺繍をしていた手を止めて、顔を上げた。
「……陛下、もうよろしいのですか?」
私がいるこの部屋は、ルドルフの執務室の隣の部屋である。ルドルフが執務をしている時間は、私はたいていこの部屋にいる。先ほどまで、隣の部屋から「陛下、どうか許してください!」という声や悲鳴が聞こえていたので、今日は散歩は難しいかと思っていたのだが、今日も行く気らしい。
「問題ない。裏切者を炙り出したはいいが、刑を軽くしようと少し自白するだけで隠し立てするから痛い目に合うんだ。先ほど口が軽くなるよう刺激を与えてやったから、あとは部下だちでも白状させるくらいできるだろう」
「そ、そうですか」
そこまで詳しいことは言わなくていいのだが、ルドルフは私には何でも話したいタイプのようで、いつも聞いていないことまで言ってくるのだ。なんと返せばいいのか分からず、とりあえず笑っておく。
「それは何だ?」
「……ハンカチに刺繍を施してみたのですが、いかがでしょうか。陛下の名前の頭文字と私の名前の頭文字を入れてみました。白百合も飾りで入れたのですが」
「よくできてる。刺繍はまだ始めたばかりだろう。サーヤは器用だな」
「こういうことするの、好きみたいです。もしよかったら、陛下に差し上げたいのですが、貰っていただけますか?」
「ありがたくいただく」
ルドルフは笑みを浮かべ、私に口づけをする。その感触にも最近は慣れてきて、ルドルフが私に向ける愛情の籠った視線に幸せを感じる。しかしだんだんと深くなる口づけと、体が次第にソファーへ背中から倒されていくのに気づき、私は慌ててルドルフの肩を軽く押した。
「散歩へ行くのでは!?」
「このままサーヤで遊ぶのもいいかと思って」
「い、今は遊んではダメです!」
私は真っ赤になって叫ぶ。部屋にいるのは、私とルドルフだけではない。使用人もいるのである。
「俺は散歩よりサーヤで遊ぶほうが何倍も……」
「私、馬に乗りたくて乗りたくて仕方がなかったんです! さすが陛下ですね、私の気持ちを分かっておられるなんて!」
クククっと笑うルドルフは、私の背中を支えながら起こしてくれた。強引に話を変える私の恥ずかしい気持ちが、可笑しいのだろう。
「そうだろう、俺は妻の気持ちが理解できる、良い夫だ」
「はい……」
「では、妻を散歩に連れ出そうではないか」
ルドルフは私をエスコートしながら、庭へ連れ出した。庭にはすでに馬が一頭用意されていた。
ルドルフは私を馬に乗せ、ルドルフ自身も私の後ろに乗った。私は馬には一人で乗れるのだが、ルドルフは絶対に私を一人で馬に乗せようとはしなかった。ルドルフは過保護なのである。
ゆっくりとした速度で、ルドルフは馬を歩かせだした。皇帝の宮殿の庭を外へ出る。
「どこへ行かれるのですか?」
「特に行先は決めていないが、護衛がいないから皇宮の敷地は出られないな。そうだな、第七宮殿まで行ってみるか。あそこには今の季節、花が咲いていた気がする。サーヤの刺繍のモチーフにするのにいいのではないか?」
「それはいいですね」
雑談をしながら、第七宮殿までやってくると、馬から降りる。第七宮殿は初めて来たが、宮殿というより可愛らしい家という感じで、庭に可愛い花がたくさん咲いていた。
「陛下! 第七宮殿って、素敵ですね!」
「ああ、何代前かの皇帝の愛妾が住んでいたと聞いている」
なんと、そんな逸話のある宮殿だったとは。しかし宮殿は本当に可愛くて、その愛妾に対する愛情の感じる建物だった。
「そろそろ、名前で呼んでくれないか。今は誰もいないのだぞ」
ルドルフからは、二人っきりの時は『陛下』ではなくルドルフの愛称である『ルディ』と呼べと言われているのだ。
私はあたりをキョロキョロと見回した。本当に誰もいないか確認するためである。
「……ルディ」
「うん、それでいい」
名前を呼ぶ。それだけなのに、ルドルフは本当に嬉しそうに笑うのだ。それが私も嬉しくて笑みを浮かべると、ルドルフが抱きしめてくれる。
ああ、幸せだ。こんなに幸せでいいのだろうか。もう二度と、愛を知る前には戻れない。
ルドルフの手を、一生手放さないのだ。
◆
はっと目が覚める。
ここがどこなのかわからず、辺りを見回す。そして、帝国の自室だということを思い出し、笑いが込み上げた。
「……ふふふ、なんて夢」
笑いつつも、じわじわと目に涙が込み上げてくる。
最近は見ていなかった、逆行する前の前世の夢。昨日久しぶりに第三皇子のヴェルナーと会話し、少しだけルドルフの名前が出た。たったそれだけが影響し、彼と過ごした夢を見たのだろうか。
逆行後、もう二度と関わることのないよう、ルドルフとはできるだけ接触しないようにしている。それも逆行して十年以上経ち、もう彼を忘れてもいいはずなのに、いまだルドルフの名前を聞くだけで騒ぎ出す心。なんて弱いのだろうか。こんなことではいけないのに。
枕が涙で濡れていく。夢を見ると、あの頃に戻りたいと思ってしまう。もうあの頃のルドルフはいないのに、彼が恋しい。
ひとしきり泣いて落ち着くと、また目を閉じる。まだ夜中だ。明日は学園に通学する予定なのだから、寝ておかなければ。
しかし、どんなに寝ようとしても寝れず、私はため息付きながら体を起こした。ネットは繋がらないけれどいつも携帯するスマホを手に持ち、ベッドを抜け出すと、部屋を出た。階段を上り、屋上に出る。
夜なので少し肌寒い。屋上庭園のベンチに座り、空を見上げる。地球から見える星とは違う星が瞬いていた。星を見て心を落ち着かせようと思っても、こんな時でも思い出すのは、ルドルフのことだった。
ルドルフと最初に出会ったのは、まさに今のように星を見ている時だった。




