122 思わぬところで2
――落ちる、落ちる。再び地獄のような底へ――。
何の支えもなく、落ちるゾッとする感覚。
「――っ、紗彩!」
流雨の声が聞こえたかと思うと、体が浮遊する感覚がして、その後、誰かに抱きかかえられた。私は衝撃が来ると身構えて息を止めていたらしい。抱きしめられる感覚と共に、はっと大きく息を吸い込んだ。
「紗彩! 息をするんだ!」
「――っるー、……君」
「大丈夫、ゆっくり息をして」
流雨の言う通り、ゆっくりと息を吸い込み、やっと流雨を見る余裕が出てきた。
「う……るー君、私生きてる?」
「生きてる! 痛いところは!?」
私は首を振ると、涙が溢れた。良かった、生きていた。流雨が助けてくれた。しがみつく私を、流雨は抱きしめた。
私が落ち着くまで流雨は抱きしめてくれていた。私は落ち着くと、日本からの移動による空腹でお腹が鳴りだしたため、食事を用意してもらい、私は食べながら流雨にあったことを説明した。思い出して怖くて、泣きつつ食べつつ説明するものだから、分かりづらいはずだけれど、流雨は根気よく聞いていた。
「紗彩が俺のところに落ちてくれて良かった……」
流雨がほっとした顔で私の頬を撫でた。本当にそう思う。もしいつも通り倉庫に移動していたなら、流雨にもらったピアスの石の力をとっさには自身で使えなかっただろう。落ちて体を床で強く打っていたかもしれない。それに、流雨の執務室は天井までの高さが三階くらいあるのも良かった。流雨がすぐに私が落ちているのに気づいて、私が床に落ちるまで少しだけ時間を稼げたのだから。
「それにしても、他にも前世の記憶のある死神業者がいた、か」
たとえ記憶があったとしても、なんであんなことになったのか、よく分からない。弥生はいなかったけれど、弥生も葉月と同じことを考えていたのだろうか。もう如月親子に会いたくないが、私を狙っている様子だったので、東京に帰るのが怖い。そこまで考えて、はっとした。
「まーちゃん……、お兄様も、人質に取られたりしない!?」
「……ありえるね」
私が兄妹の仲がいいと伝えてしまっている麻彩と兄を、私を呼び出すために人質にされる可能性。
「ど、どうしよう!? 葉月ちゃん、私を殺すのに躊躇ない感じだったから! まーちゃんが危ないよね!? お兄様も、どうしたらいいの!?」
「紗彩、落ち着いて。葉月という子は、周りにバレないように殺すことを狙っていたのでしょう。目立つ場所で麻彩と実海棠を襲うとは思えない。今すぐ紗彩が戻って、実海棠に全てを話すんだ。麻彩のことは、実海棠に指示を仰げばいい」
「わ、わかった!」
「東京で、一番安全なのは、紗彩の家だ。カメラや認証システムを多く仕込んでいるし、簡単に部外者が入れない。ビルの倉庫に移動したら、その場を動かず、麻彩と実海棠に電話で連絡する。いいね?」
「うんっ」
私は再び東京へ移動することになった。お腹がすくだろうと、流雨に食事を大量に持たされる。流雨に見守られる中、東京の我が家のビルの倉庫へ移動した。
東京の倉庫の明かりをつける。私は震える指でスマホを操作し、麻彩に電話をする。電話のコール音は鳴るが、麻彩が出ない。
「まーちゃんっ……お願い出て!」
気持ち悪い。でもお腹も空く。短時間に異世界を二度も行き来するのは、今回が初めてだった。それのせいなのか、体調が悪く座っているのも辛い。倉庫に横になりながら、麻彩に電話するが、まったく出ない。今度は兄に電話をする。兄はすぐに出た。
「お兄様! まーちゃんが電話に出ないの! お願い、探して!」
麻彩が電話に出ないことが不安で、泣きながら兄に葉月に狙われたことを説明する。話を聞いた兄は、すぐに対応すると言ってくれて、電話が切れた。
私のせいで麻彩に何かあったらどうしよう。不安が胸を渦巻くが、こんな時でもお腹が鳴るのが恨めしい。行儀が悪いのは分かっているけれど、気持ち悪さもあるので、床に横になったまま、流雨が持たせてくれたパンを頬ばる。きっと今の私を見られたら、横になり泣きながら食事をして何事か、と思われるだろう。
どれくらい時間が経過したのか、倉庫の扉が開く音がした。部屋に入ってきたのは、兄と麻彩。
「さーちゃん!」
「まーちゃん! よかったぁ!」
体を起こして座り、抱き付く麻彩を抱きしめる。よかった、麻彩も兄も無事だ。私の意識は、ほっとしたのか、そこで途切れた。
次に私が起きたのは、夜だった。起きてすぐ、食事量が足りていないのか、お腹の音が大音量で腹ペコだったので、本家から届いている冷凍の食事を次々に口に運びながら、詳しい説明を兄と麻彩にした。
麻彩に電話が通じなかったのは、電波が届きにくい場所にいたかららしい。兄が探してくれて良かった。
兄は流雨の言うように、周りにバレないことを葉月が気にしているようなら、最初から私を殺すことを失敗した場合を想定していたのだろうと言った。葉月は私を殺せば、時間が遡ると信じているようだけれど、もし殺すことを失敗した場合、保身のためにそれを誰かに露呈するのを恐れていた可能性がある。
ということであれば、もし兄や麻彩を人質にしようと思っても、人に知られずに誘拐することは日本では難しい。兄は基本一人で移動はしないが、麻彩は通学など一人になる場合もあるため、しばらくは車で送迎することになった。麻彩も数日後には中学校の卒業を控えているのだ。それに、兄は母にも一応の注意は呼びかけると言っていた。
とにかく、兄や麻彩のことは兄が任されてくれることが決まった。葉月など如月親子のことも、兄が探ってくれるらしい。葉月に直接狙われている私の方が日本にいるのが危険と兄は言い、体調を様子見しながら、次の日私は帝都へ帰るのだった。