114 弟の旅立ち
リンケルト家の広い屋敷の西側にウィザー家を丸ごと引っ越しする。そう流雨に聞き、現在流雨と手を繋ぎながら内装工事中だという西側の部屋を案内されていた。まだユリウスはハイゼン侯爵家の後継者になるとの返事をしていないので、現在一緒に案内され中である。
リンケルト家の屋敷は五階建てなのだが、屋敷自体がすごく大きい。その西側だけだから広くない、と流雨に言われたけれど、はっきり言って広すぎる。ウィザー家のアパートメント一棟の三倍くらいある。
私の部屋、ユリウスの部屋、私の執務室、応接室、談話室、食堂、実験室、倉庫など、現在のウィザー家にある部屋は全て用意されていたけれど、まだ部屋は余っている。工事中とは言うけれど、私が見た限りほぼ完成のように見える。
「ウィザー家の部屋と用途は分かっているから、とりあえず同じ部屋は作らせたんだ。もし今後欲しい部屋があったら、余っている部屋を工事すればいい。倉庫は東京と行き来するから、防音がいいんでしょう? だから窓無し防音で作ってる。あと、少し前に紗彩が東京に帰った時の手紙で、実海棠にドアに取り付ける顔認証システムとかの機器は依頼中だから、今度紗彩が東京に帰った時に持って帰ってきてね」
「う、うん……」
なんだろう、完璧すぎて、何も言えない。
「……流雨さん、これっていつ頃から工事しだしたんですか?」
「紗彩が俺との結婚を承諾してくれた次の日」
「……………………」
ユリウスが無言で引いている。うん、私もびっくりです。流雨の未来計画の予測がすごすぎて、私も何も言えません。
「……この工事、リンケルト公爵に反対されなかったの?」
「全然。この広い屋敷に、父と姉と俺しか住んでないから部屋も余っているし、好きにしていいと言われたよ。屋敷の外観を変えるわけではないしね」
公爵を怒らせているわけでないなら、よかったと思っていいのだろうか。
「工事は俺がやりたくてやったんだから、紗彩は気にしなくていい。ウィザー家ごと引っ越しというから、大げさに聞こえると思うけれど、実際は紗彩とユリウスと時々帰って来るお母さんの三人だけだから、そんな大した話ではないよ。後継者の伴侶を家に迎える時、屋敷の大規模工事をすることは普通のようだから、紗彩も当然の権利だと思っていればいい」
ユリウスと目が合う。これって普通なの? いやいや、普通ではないですよ。そんな視線を交わし合うが、口には出さない。
伴侶を迎える時の大規模工事云々は、流雨はきっと公爵から聞いたのだろう。帝都で屋敷持ちはそもそも少ないし、その中で『普通』という規模が私の普通とは違うけれど、もう深く考えるのは止めた。流雨の善意と優しさと私を思う気持ちの表れだと思うことにして、ありがたいと感謝しておく。
「ありがとう、るー君。色々考えてくれて」
「俺が好きにしただけだから、気にしないで。紗彩の部屋やユリウスの部屋は先日完成したから、いつでも住めるよ」
流雨がにこっと笑う。これはすぐにでも引っ越すことになりそうである。
ちなみに、リンケルト家を囲む壁に付いている門は、東西南北とそれぞれあるけれど、南にある正門はリンケルト家とウィザー家共同で使う。ただ、我が家には死神業があるわけで、普段であればウィザー家アパートメントの裏からこっそり出入りしていたのだが、リンケルト家に住むにあたり、西門をウィザー家が専用で好きに出入りしていいことになっているという。もう本当に完璧で、言うことありません。
リンケルト家の家族は、屋敷の南東側と東側をメインに使用しているらしい。流雨の部屋も、元は東側にあったのだが、流雨の執務室を作るにあたり、流雨の執務室と流雨の部屋を南西に移動した。流雨が父である公爵と話し合った結果、大きく分けると、南にある正面から見ると、右側が公爵たち家族、左側が流雨たち後継者家族が住むと分けたようだった。
それから数日後、私たちウィザー家はアパートメントに住む使用人を含めた全員が、リンケルト家に引っ越すのだった。引っ越した後に誰もいなくなるウィザー家のアパートメントは、今後工事をして、誰かに貸し出す予定にしている。
そして引っ越してから数日後、ユリウスはハイゼン侯爵に後継者の勧誘を承諾した。とうとうユリウスは、うちの子ではなくなってしまう。
リンケルト家の屋敷の前には、ハイゼン家の馬車がユリウスを迎えに来ていた。流雨が私の後ろに立ち、私は涙目でユリウスに抱き付く。
「ハイゼン家が嫌になったら、帰ってきていいんだからね!」
「はい」
「……ハイゼン家が嫌にならなくても、私に会いに帰ってきて」
「帰ってきますよ」
ユリウスがぎゅっと私を抱きしめる。行かないでと喉まで出かかって、ぐっと我慢する。体を離したユリウスが、私の頬にキスをし、私もキスを返した。
「……いってらっしゃい」
「いってきます」
ユリウスが馬車に乗り込み、馬車が動き出す。馬車が見えなくなっても、私はそこから動けなかった。
「ユリウス、行っちゃった」
「うん」
流雨が抱きしめてくれ、私は泣き続けるのだった。