104 やきもち
夏のある日、我が家の屋上で遊んでいると、流雨がやってきた。
「あ、るー君! いらっしゃい! 入って入って!」
「……ビニールプール」
苦笑しながら流雨が呟いた。
「下で水着渡されて着替えたものの、何だろうと思っていたら、まさかのビニールプールが来た」
「夏の涼だよ! うちはいつもビニールプールなの!」
毎年大きいビニールプールが一つと、小さいビニールプールが二つが我が家の定番だ。
大きいプールでは、ユリウスと咲とジークと双子も、いつもどおりプールではしゃいでいる。現在、ユリウスと咲は水鉄砲で本気モードで戦っている。
私は小さいプールでスマホを見ながら、今度東京で仕入れる商品を確認していた。流雨が隣のもう一つの小さいプールに入った。
「帝国はクーラーがないから、暑い時があるでしょう? 空気は乾燥しているから、じめじめはしていないけれど、やっぱり暑い日はプールに入りたくなっちゃって」
「へえ。俺はビニールプール自体に初めて入った」
「あはは! るー君、ビニールプール似合ってないもん」
「だろうね……」
麗しい容姿のルーウェンとビニールプールは、とてもちぐはぐである。
「リンケルト家にプールがあるから、今度入りにおいで」
「……やっぱり、あるんだぁ。さすが屋敷持ち」
帝都は土地に対して人口密度が半端なく、貴族と言えど、我が家のようにアパートメント住まいが一般的だ。ウィザー家の場合、一棟持ちだから、これでも貴族としては贅沢なほうである。しかし、そのアパートメントが一般的な帝都でも、屋敷と広い敷地を持つ王侯貴族もいる。宮殿を持つ帝室、大公家であるリンケルト公爵家、ハイゼン侯爵家、他にもいるが、ほとんどが建国貴族で、帝都に屋敷持ちの貴族は少ない。
「うーん……リンケルト公爵が怖いし、今年は止めておこうかな……」
「どうして? この前、父は怖くなかったよね?」
「それは、るー君もいたからだと思うし……」
婚約の契約をした日のことである。
「本当に怖がらなくて大丈夫だよ。俺が紗彩と結婚したいから後継者の勉強を積極的に頑張ると言ったら、ルーウェンをそこまで変える紗彩ってすごい! 絶対に逃すな! って感じで、あれでも紗彩のことを気に入っているから」
「の、逃すな?」
「ルーウェン相手に結婚したがる女性がいなかったからね。息子の結婚相手探しが難航していたみたいだから。婚約が決まっていない時、俺が紗彩以外と結婚しない、と言ったから、俺が紗彩のところから帰ってくるたび、今日は落としたか? って玄関ホールでそわそわしていたし」
何それ。私は獲物か? しかも、私と結婚話も出ていない頃の話のようだから、その頃から流雨とリンケルト公爵は、私を結婚相手とするために、手ぐすね引いて待っていたのだろうか。結果的に婚約したからいいものの、婚約しなかった場合、リンケルト公爵が何をしていたのだろうと考えると恐ろしい。
「だから、紗彩が怖がる必要はない。今日も紗彩のところに行くって言ったら、父は機嫌が良かったから」
「そ、そう? なら、最初からプールは少し図々しいかもしれないし、るー君に会いに行くところから始めようかな?」
ちょっとずつリンケルト家に馴染むようにしないと、私の心臓が持たない。
「そうだ、紗彩に提案があるのだった」
「なあに?」
「紗彩に護衛を付けたいんだけれど、いいかな?」
「護衛!? いらないよー、スリくらいはいるけれど、帝都って平和だよ? それに、護衛って結構目立つもの」
「でもほら、婚約発表後に、ルーウェンの婚約者として紗彩は過ごすことになるでしょう。ルーウェンを恨んでいる人とかが、紗彩に会いに行ったりするかもしれないし、俺が不安だから」
「恨んでる人……確かに、そういう人はいるかも」
ルーウェンを恨んでいる人は間違いなくいる。そう言われると、ちょっと不安になってきた。
「そういう意味なら、護衛は付けた方がいいのかな……でも、護衛かぁ。ずっと付いてくるんでしょう? 私の死神業とか不審がられたりしない?」
「大丈夫。リンケルト家の護衛は外に秘密を話せないようにできているから。石と血の契約をするんだ」
「…………」
石と血の契約があると、前世の夫ルドルフにちらっと聞いたことがある。
「紗彩の生活の邪魔はしないように言っておく。家の中では付けないし、外出時のみだよ」
「……それなら、いいかな。……あの、護衛っぽく見えない恰好だと嬉しいんだけれど」
「ああ、そうだね。普通の服で剣を持っている人はいるから、おかしくないと思う。そうしよう」
今度から護衛が付くのか。咲と喧嘩しないといいけれど。
あと少し仕事をしておこうとスマホをチェックしていると、流雨がスマホを「見ていい?」と聞いてきたので、スマホを見せた。
「仕事か。まだ終わらない?」
「ううん、あとちょっとで終わるよ。東京で仕入れる商品を確認をしていたの。るー君も何か買ってきて欲しいものがあったら、言ってね」
「うん。……いろんな種類のポテトチップスを仕入れるんだね」
「ヴェルナー殿下からの注文のやつね。年々量が増えているの。そんなに作れませんって言って、私が量を調整しているんだけれど、無くなると禁断症状が出るのか、押しかけてくるから大変。この前ニキビができたって言っていたし、食べすぎじゃないかしら」
ポテトチップスは美味しいから、食べたくなるのは仕方がないが、自制は大事だ。
「……第三皇子に納品しているとは聞いていたけれど、結構仲がいいの?」
「仲がいいってほどではないよ。基本的には、月に一回の納品で会うだけだもの。メイル学園では互いに話さないし。でも、小さいころから話はしていたから、幼馴染みたいな感じなのかなぁ?」
「ふーん」
あれ、なんだか気温が下がった気がする。スマホから顔を上げて流雨を見ると、流雨がにこっと笑った。
「俺って結構、やきもちを焼くみたいだ」
「……ん!? え!? どうして、こっちに……るー君無理! このプール一人用だからぁ!」
「俺が紗彩を抱き上げれば問題ないでしょう」
流雨が私のプールに入ってきて、私を抱き上げて膝に座らせられた。なんで!?
「ななな、何にやきもちを焼いたの? あ、ポテトチップス!? 殿下にポテトチップス納品するから? 大丈夫! るー君にも買ってくるよ!」
「何でポテトチップスに妬くわけ。そんなわけないでしょう。紗彩と第三皇子が仲がいいのが嫌だなと思ったんだよ。でも仕事というのは分かっているから、紗彩に構ってもらうことで心を落ち着かせるから、紗彩は大人しくしてて」
仲がいいってほどではないと言ったのに。流雨が近すぎて、恥ずかしい。私の体は固まってしまい、完全に仕事どころではなくなってしまうのだった。