Last Christmas, you are nobody……
一度でも噛み合いが悪くなった歯車は不良品で粗悪品ーーーそれは誰しもが決めた事ではなくて、為るべくして為ったいわば、数ある結果の内の一つであると言えよう。
すなわちーーーそこには要因が絡み合ってくる。そう、それは一つの結果に行き着くまでの過程に含まれる。
望む望まぬに関わらずたった一つの要因でこれからの道標に影響が出るのだ。しかし、その唯一の要因が何であるかなぞ、所詮結果が示されてからでないと分かりえない。そう、すなわち要因と結果が強く結び付けられるというこの世の善悪をもたらす理論ーーーそれが因果応報である。
「……んぁ、むちゅ……」
「……む、ちゅ、ん……」
少し、ざらついた感触が己の舌を支配する。それは溝淵栞が人生で初めて味わう不思議な感覚であった。受け入れる、攻める、受け入れる、攻める……一定のリズムで舌の攻防は続けられる。
「ぷは……ぁ」
苦しくなったのか、栞の目の前にいる彼女ーーー苺は栞の唇から自分の唇を離す。潤った唇は栞の唇の痕跡、すなわち唾液によるものだった。
「…………」
栞は呆然と至近距離にいる苺を見つめる。すがりつくものを求めているわけでもなく、じっと……抜け殻のように、ただそこに佇んでいた。そんな姿の栞を見た苺は少し罪悪感に苛まれながらも言葉を紡ぐ。
「…………栞ちゃん、私の舌、どうだった?」
「…………おいし、かった」
「…………栞、ちゃん」
「…………」
それは言葉にならぬほど、弱々しく口を動かす……思わず目を背けたくなるほど堕ちる所まで堕ちた一人の少女の姿が現の栞であった。何なんだろう、この妙な焦燥感ーーー苺は己の気持ちが分からなくなった。最初は……司が双葉の後を追いかけ始めた時は少なくとも栞の瞳に生気は宿っていた。それから自分が栞を止め、司の姿が見えぬようになってから栞の様子はおかしくなった。雪の路上にポテッと、栞の肢体はまるで壊れた人形のように足から崩れ落ちた。
「…………そう、嬉しい。私も栞ちゃんの舌、おいしかったよ」
そう言いながら苺は右手を栞のうなじから顎、耳、頬、髪へと……優しく撫でていく。そうすると、栞は少しはにかんで微笑んだ。しかし目は笑っていなかった。それはまるでこの現実の世界を拒絶しているようで、ありのままの本能に従った感情を思わせる微笑であった。儚いーーー苺はそんな一人変わり果てた少女を見て、胸が痛くなった。だから何度も抱きしめた、何度も唇を重ねた、何度も身体を愛撫した、何度も何度も……捨て置かれた自分を忘却の彼方へ追いやるように。
「…………ん、はぁ、栞、ちゃん」
「………あっ、んっ……」
また唇を重ねる、栞の胸を弄る。そして触れ合っていくごとに苺自身の心情も変化しつつあった。これが果たして、栞を想い人を陰影の存在にするための行動なのだろか?いや、それは建前……本音としては愛おしかった。その儚い一人の少女を離したくなかった、人形のように、受身の見せ掛けの感情だけで反応する少女を自分のモノにしたかった。
「……ぷはっ、あはっ……どう?栞ちゃん……?」
何が?と問うものはそこには存在しなかった。唇を離すとキラキラとした僅かに粘性の高い液体が橋のように栞と苺の唇を架けていた。栞の反応は相変わらずはにかんだまま。しかしその様子に苺は一種の快感を覚え、また自らの唇を栞の唇に近づけようと……ゆっくり距離を詰める、が。
「…………おにぃ、ちゃん」
栞の両の瞳から涙が零れ、頬を伝って雪上に一滴、一滴……落ちていく。
それは未だ現実と向き合えぬ一人の少女が見せた本当の感情を露にした一時だった。
「…………しおり、ちゃん……どうして」
しかし苺はその未だ捨てきれぬ感情を見せる栞に戸惑いと後悔とそして……憎悪に入り混じった念を抱いた。
しかしその憎悪の対象は栞本人ではなく、やり切れぬ現実に対して、強いて言うならばこの流れを作った張本人である司に対してのものであった。許さない、ユルセナイ、ユルスモノカーーー憎悪の感情は高まる、こんなにして、自分の妹をこんな状態にして置いていくのかアイツはーーー何て勝手な男だ、殺してやりたい、コロシテヤリタイ、コロシテーーーしかし、そんな言葉はもう当の本人には届くはずも無く、ならばその等価をどこかで補う必要があった。
「栞ちゃんっ……!」
「あっ……うっ」
押し倒す、雪上に苺は栞を押し倒した。もうそれからは止まらなかった、上着、スカート、その他諸々を脱がしにかかる。何かを求めるように、何かを消し去るために、何かを装うように。
「やめっ………てぇ」
「……ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね…………栞ちゃん」
僅かながら意識を残していた栞は身体全体を左右に動かし必死に抵抗をはかるが、苺に上から馬乗りにされて身体を押さえつけられている所為でその抵抗は無意味なものだった。そして苺はその栞が嫌がる姿に何度も罪悪感に苛まれながらも剥いていく手を休める事はなかった。栞の手に触れる、結ばれる手にはほんのりとした温かみを感じた。
「…………先輩の、所為……ですからね」
そう言いながら苺自身の瞳からも涙が零れた。これから自分がしようとしていることが何なのか、これから自分達が行き着く終着点はどこなのか、そしてーーーこの満たされぬ心は何を代価として埋めるべきなのか、と。
溝淵栞は考えた。
自分は今、何をしているのだろう、とーーー何が因で、どうしてこれが結果なのか、と。そしてそれは果たして『善』なのか、『悪』なのか……それさえも粘着質な何かで潤った脳内では答えは出なかった。ただ、朧げながらも現状が嫌ではないから、楽しもうとーーー彼女に身を委ねた。例え結果が間違ったものであったとしても、例えそれが逃げの選択であったとしても……狂った歯車は止まらない。それでも永遠に回り続けるのだ、徐々に軋みの音を鳴らし、『向こう側の世界』へと物語は紡がれていくーーー
雪が降ってきた。
けれども今夜はますます荒れそうだ。ザマァミロ、街を練り歩くバカップル共めーーー俺は徐々に薄れゆく意識の中でそんな馬鹿な考えに浸っていた。
「はぁ……」
息を空に向かって吐き出した。俺の吐いた白い息は上まで上っていき、僅か数秒で消えていった。
そして考える。どうやら俺は仰向けで冷たい雪の上に寝そべっているらしい。我ながら何やってんだばっかちんだねぇ~と自虐的に鼻で笑う。
そして視線を雪の降る空以外に向ける。信号機、どこぞやのビルーーーそして、さらに周りを見渡す。
人、人、人、人ーーー空間の隙間を埋めるように人が止まったり、歩いていや正確には歩こうと、だな。あと何かを囀ったりーーーしている。
でも、そんなの俺には関係無い。だって、止まって見えるんだぜ、雪以外は何もかも。
「……はぁ、雪」
雪はしんしんと俺の身体の上に少しずつだが、積み重なっていく。
重くは無いが数時間経つころにはどうなることやら。そして、俺はまた息を吐き出した。
そして俺は現状を未だ受け入れないでいる。もう少し、もう少しこの世界を楽しみたいという一種のあだるてぃな思考がこの俺に未練という感情を……何?あだるてぃじゃなくてただのガキ?うっせぇよ、ヴぁー……ぁ。
「ちっくしょぉ……」
痛い、どうせならそういう感覚も消えてくれりゃあ良かったのに。神様は俺をとことん苦しめたいようだ。
けれどもその痛みの感覚にまだ俺はこの世界から消えてないんだな、という意識を芽生えさせてくれるから俺は少し笑った。良かった、まだ生きてて。
指は動かない、何かをこの手で掴みたいけれど掴めない。
身体を起こすなどもってのほか、身体の四肢は俺の言う事をちっとも聞いてくれない。
動かしたいのに、こんな所で寝ている場合じゃないのに。
「ハハッ…………」
笑うしかない、何で俺はこんな所で寝そべっているんだ。
寒い、けれども頭の方は何だか生暖かい……こんな暖かさは今まで感じた事が無い。
……でも、何でこんなに頭は変に冴えているんだろう。そして俺はふと横目で地面の雪を見る。
白の雪はペンキで塗られたように鮮血に染まっていた。
「…………はは」
そして俺は現実を受け入れた。これが俺の運命なのだと自分に言い聞かせて。だからもういいんだ、今となっては……俺はもうじき死ぬ。そんな事実もとうに忘れ俺は浮かれて意味の無い妄想にふけっていた。そして俺は周辺の奴らに迷惑もかけたし、気持ちも踏み弄るに近い事もした。だからこれは罰だろう、と。
ただ、一つ心残りはあった。
双葉。俺が今までに出会った中で一番気にかけた相手。
それは色々な原因もあるけれど(主に食いしん坊万歳とかロリ様だとか)……心のどこかで双葉を通して自分を見ていた。それは俺の自己満足以外の何物でもない。けれど俺は気付いてしまった、自分の気持ちに。
あいつ、最初俺を見て何て言ったかなぁ……
『私を買って下さいっ!』
最初はなんじゃそりゃ?って思ったさ。
だって、そんな……看板を持って、ねぇ?知らないオジ様に身を委ねるとか、重ねるとか……どう聞いてもそういうイケナイ感じにしか聞こえないじゃん?最初はドキッ、としたさ。えっ、マジで!?とか。嘘っ、この歳になって童貞喪失!?とか。……うん、まぁ多分そんな気持ちも少なからずもあったよ。
『……牛丼、うまいか?』
『はいっ、こんな高級料理食べられるなんて……!夢みたいですっ!』
……そういやアイツ、牛丼食うのあの時が初めてとか言ってたな。牛丼食ってるときのあの顔はしやわせに満ちていたな。見ているこっちまでしやわせになってきたよあの時は。
『あ………お兄さん………お兄さんだぁー、エヘへ………(///)』
『……っ』
……そして、俺は一度アイツを見放した。アイツは俺を攻めなかったけれど……何であの時はあんなことをしたんだろう、と今でも悔いている。寒かった……だろうな、今の俺みたいにアイツは雪の上で倒れていたんだ。
『えへへぇ~~~♪ケーキっ、ケーキ♪』
あの時の……店長が双葉にケーキをプレゼントした時に見せた双葉の嬉しそうな表情にイラッときた時の俺の気持ちは……今なら分かる。俺は……悔しかったんだろうな、あんな表情……見せられて。嫉妬、だ。自分以外の何者かに双葉をあんな表情にさせられて俺は……悔しかったんだ。
『……あっ、ご、ごめんなさい司さんっ!わ、私その……ひぅ、こ、こんな……つもりじゃないのにっ……!ご、ごめ、んなさ……ひっく、ごめんなさ……』
そして俺は何度もアイツを泣かせたな……ちょっとしたイタズラから本気まで。けれど、俺はアイツの泣き顔だけじゃなくて色んな表情を見てきた。馬鹿にしたように笑った顔、ぷんすか怒った顔、恥ずかしがった顔、慌てふためいた顔、酔った時の顔……今でも一つ一つの表情を鮮明に覚えている。
『……双葉ちゃん、お兄ちゃん………帰ろ?』
『……お、おう、だな……双葉もいい……か?』
『……ハイッ、エヘへ………』
だから俺はあの時、気づいておくべきだった。双葉と栞とでケーキ屋に帰ったあの時、あの栞の優しげな表情、いつもとは違った双葉の笑った顔……俺は気づけなかった。俺は、馬鹿だ…………
『私は……私は、私は知っていましたっ!それでも信じたくなかった、司さんを信じていたから……!だから、だから私に近づかないで下さいっ!!!』
『……嫌です、待たないです……嫌い、大っ嫌い……私は、私は……私は司さんなんて大嫌いですっ!二度と私の前に現れないで下さいっ!!!』
……こうして俺は、また一人になった。
「…………はは、は」
俺はもう泣きたかった、思いっきり雪の降る空に向かって思いっきり。
洗いざらいこの気持ちをぶちまけて、汚くてもいい、罵倒されてもいい、殺されてもいい、ただ……
「やっぱり……一人は……寂じぃよぉ……双葉ぁ……」
もう、嫌だった。死んでもいい、死んでもいいから……一人は、嫌だ。
けれどそんな気持ちを吐き出すことも出来ず、ただただ俺は雪の降る虚空を見上げる事しかできなかった。
双葉……お前はどんな気持ちで俺の元から離れて行ったんだ?
双葉……お前は今どこにいるんだ?腹、空かせてねぇかな……?あんな格好で凍えてねぇかな……?
双葉……お前ってさ、好物は何だ?牛丼?魚肉ソーセージ?それとも……店長の作ったケーキ……?
双葉……お前のお袋さんとか親父さんとか……心配してねぇか……?なぁ、聞いたらダメだったか……?
双葉……なぁ、お前ってさ、好きな奴とかいる……?俺?俺は、いるけどな……誰って……?言えるか馬鹿……
双葉……お前、さ……俺の事、好き……か?なぁ、双葉……おい、聞いてくれよ双葉……………………なぁ…………
…………双葉…………
真夜中の交差点。
空はとうに黒に染まっていた。
人が溢れかえっていた、一箇所に、集中して。
そんな中、一人の少女はそこに向かって歩き出す。
人混みを抜ける、途中で誰かの足に引っかかりそうになって、踏ん張る。
そして、そのざわめく野次馬の中を抜けると雪はとうに止み、綺麗な夜空を見せていた。
綺麗、ほんとに綺麗です……そう呟いた少女の口から白い息が出てきた、まだ……寒い、寒すぎる。
そしてさらに一歩踏み出す、前へ……前へと、足は自然と前へ進んでいく。そして……ある地点で止まる。
「…………」
そして少女は冷たくなった肢体の傍に座り込む。
あったかい……冷たくなったはずの肢体はまだあったかいような気がした。そして、肢体の頬に触れる。何度も何度も……そこにいる存在を自分で確かめるように、自分の体温を移すように。
「…………あったかいです」
そして、少女は涙ぐみながらも微笑む。
「…………司さん、一人は寂しいです」
弱々しく少女はとうに冷たくなった肢体に向かって呟く。……反応はない。それでも少女は続ける。
「…………司さん、一人で行くなんてずるいです」
「私は……ずっと待っていたんです。私と司さんが短い間過ごしたあのアパートの前で」
「えへへ……寒すぎて死んじゃうかと思いました。けど、けど……ずっと、待っていたんです」
「それなのに……どうして一人だけこんな寒い所で寝ているんですか?こんな寒くて地面が硬い所……寝れないです。早く……ベッドで寝ましょう……」
少女は司を強く抱きしめる。……自分を抱きしめてくれなかった代わりに、強く、強く……
「…………司ざぁん、私は、私はここにいるんでずよ……?……無視、しないでください……」
鼻声で少女は司に語りかける。それでも動かなくなった司には声が届かない、耳元で叫んでも声は届かない。彼女が欲したモノは既に『向こう側』に行ってしまった。それでも何度も何度も語りかける……
「……司、さん。私、司さんに言い忘れていたことがありました。はっきりと言って無かったですよね……」
司の顔と自分の顔を向かい合わせる。司の瞳は手で閉じ、息をすーっと吸い込み少女ははっきりとした口調で言う。
「司さん……大好き」
少女は自分の唇と司の唇を重ねた。
Fin