夜花の君
「桜華、いるのだろう」
枝垂れ桜の木の根元で微睡んでいると、低い男の声が聞こえて来た。寝ぼけ眼を擦り、僕を呼んだ声の主に向かって、揺らりと姿を現した。最初に述べておくと、僕は決して寝起きが良い方ではない。眠りを妨げるような不届きものは呪詛の一つでもお見舞いしなければ気が済まない。
「君達一族を見守ってきた神に対して、随分と横暴な態度だね」
「代々神隠しにしてきたお前が言うな」
咲枝家は代々神に仕える一族で、その代わりに莫大な富を築いてきた。しかし時代の変化と共に信仰は薄れ、僕の事を蔑ろにするようになった。故に霊力の高い人間を神隠しに合わせてきた。
そもそも信仰をなくして富を得たいなどという傲慢、片腹痛い。何かを得る為には何かの犠牲が必要なのだ。しかしこの男ときたら娘を差し出すのを拒み、信仰もない。信仰なきせいか敬意もない。相性は最悪だった。
「今朝の変貌振り、お前のせいだろう」
「そうだとも。いずれ僕の嫁になるべき娘だよ。あれはその契約の証」
昨日の契約はこうだ。僕と娘の霊気を循環させ、どちらかが一方的に契約破棄をした場合、破棄した側が死に至る契りを結んだ。その身に僕の霊気を受けたせいか、髪も瞳も変化が及んだ。
ただ約束をその身で結んだだけ。その為の口付けだ。それなのに昨日の出来事を振り返っただけで、背筋を駆け上がる興奮が止まらない。あの口を離した後にも残る甘い霊気。抱きしめて肺いっぱいに吸い込んだらどれだけ酔えるだろう。うっとりと昨日の出来事を思い返してみると、口調まで甘ったるくなる。
そんな僕に反し、彼は苦渋でも舐めたように苦々しい表情をしていた。
「あの子にはあの子の幸せがある。それを神に……お前に嫁がせた事で台無しになどさせるものか」
握られた拳が微かに震えていた。恨みのこもった目で此方を一心に見下してくる。全く、いつから僕を見下せる程偉くなったのか。それもお前が親という立場故のものなのか。
「強情だね」
「親とはそういうものだ」
「ふぅん」
話は終わりだ。とでも言うように彼は身を翻した。これ以上話をしても無駄だと感じたのだろう。実際、彼奴がどれだけ粘ろうとも、僕があの子を手放すはずが無いのだが。そして哀愁が滲んでいた背と共に、耳を済まさなければ分からない小さな声で捨て台詞を吐いた。
「お前程の霊力があれば、婚儀の契約などしなくとも、連れ去る事など容易じゃないか。今までそうだったように」
「分かってないな。あぁ見えて了承の上の話だよ」
名乗った時点で了承さ。自分の手札を晒した時点で、勝ちを譲ったようなものだ。
サブタイトルは桜華からとりました。
黒の着流しに、枝垂れ桜の元に現れる為。
(あんまりバチバチにハマってないなー。と思うこの名前.......)
その為、詫びです。桜華への。




