1契り
「君は何時になったら名乗ってくれるの?」
甘さを含んだ声。彼は決まって誰もいないときに、ふらりと姿を現すのだ。今なんて、私の部屋の縁側から姿を現した。季節によって顔を変える美しい草木の中にひっそりと。まるで一枚の絵を見ているようだった。
「名乗ったら、連れ去られてしまいそうなのだもの」
和風の書斎机を彼の顔と向かい合うように移動させると、頬杖をついた。
私の部屋の縁側。少なくとも他人がそう易易と入れる場所ではない。せいぜい身内か使用人ぐらいだ。だが彼は姿を現した。何処からともなく、気配さえ感じさせずに。そんなこと出来る者を私は人間とは思わない。
元より霊感の高さ故か、見えないものまで見える。今回もその類な気がする。神聖さを感じたところからして、神に纏わるなにかだろう。だから名乗ってはいけない。
「どうだろうね。まぁ僕のものにしたい気持ちはあるよ」
縁側に腰掛けて身を乗り出して来た。その拍子に着流しの合わせ目から生っちろい胸元が垣間見えた。でも部屋の中には入るつもりは無いようで、恍惚とした表情は熱心に此方を見つめるだけに留まっている。普通、そんな顔をしたら下卑た男の顔になるだろうに。何処までも、何処までも美しい人。
「しかし、ただ補填の為だけに使うのは余りに勿体ない」
――だから。
「嫁にしたい。一目惚れだよ」
くつくつと笑った。また、あの時の笑い。首の青白い血管が浮かび上がり、肩を微かに震わせる。歓喜に打ち震えると、人間問わず体を揺らすのだな。
……不覚にも、この笑い方が好きなのだと知った。冷ややかな顔半分を袖で隠し、代わりに項を見せつけるようなこの色っぽい仕草が。ドンピシャに私の心を射抜いていくる。
ただ、その熱っぽい仕草は一体何時まで私に向けられるのか? あと数年? それとも数ヶ月? 神々の言う“一目惚れ”なんて大層気まぐれで、私への気持ちなんてすぐにでも移り変わってしまうように感じた。だから一つ、条件を出した。
名前を、早く、決めよう!!