プロローグ1
穏やかだった流氷が、悲しい声で鳴き始めた。
海上では、間違いなく北風が強くなっている。牛の鳴き声に似た氷の軋む音や、衝突する音に混じって、海猫に似た甲高い音が海中にも聞こえてきた。
臼渕大空は赤ん坊の泣き声を連想した。
間もなく満潮が訪れる。女性の生理が、出産の経験もない大空にも備わっていると実感して、頼りない思いが心の中に生まれた。
独りになる恐怖が蘇ってくる。
東日本大震災から四年が経った。あれから、海は凶暴な姿を見せていない。
〈いけない。気を強く持たなくっちゃ〉
北風に運ばれて、遠い海から巨神のような氷塊が押し寄せてくる。
このまま三時間もすれば、羅臼の海が隙間なく白い氷原に覆われる。押し寄せる流氷の力で氷の山脈ができそうな勢いだった。
ダイビングのために穿った穴まで塞がる海面を想像した。
〈何が何でも、急ぐのよ〉
行方不明になったツアー客と一緒に、流氷の下に閉じ込められる。最悪の結末だけは、絶対に避けたかった。海水の冷たさを考えると、せいぜい、あと十五分が限界だ。
非番とはいえ、現役の刑事がインストラクターとして参加した流氷ダイビング・ツアーで死者が出る。
ボランティアだったと言い訳しても、厳しい批判は免れない。マスコミも風評も、容赦なく警察官の不祥事を叩くはずだ。
大きくうねる海水に、大空は恐怖を感じた。