第三話 懐かしの自宅
懐かしの自宅
人並みのペースでジョギングを続け、築十年ほどになる二階建ての自宅の前に辿り着いた。
俺としては約三百年ぶりの自宅だが、単純な現代地球の時間経過だけで言えば、二時間も時間は経過していない。
ここからは、津田家だと弱々しくも主張している、建売の家にありがちな門扉を軽く開き、敷地の中に入る。
そして、ストレージペンダントから、自宅の鍵を取り出し、震える手で鍵穴に差し込み、玄関のドアを開ける。
家族との生活の匂いが、一気に押し寄せてくる。
ドアを閉めるのと同時に、玄関先で、目頭が熱くなり静かに涙が流れてきた。
次から次に押し寄せてくる感情は、単純な懐かしさや帰還できた喜びだけではなく、この約三百年の間に、体験して、感じてきた様々な感情も含まれている。
涙は、なかなか止まらなかったが、自宅に入り、心から安心ができたようで、張りつめていた糸が切れたように、全身に疲れを感じ、それと同時に眠気も襲ってきた。
守護者の広間でエンシェントドラゴンを倒し、その後に飲んだ完全回復薬で、あの時までの疲れは、回復しているはずだが、地球に戻ってから、無駄に力が入っていたのかもしれない。
このまま眠りにつきたい気分だが、しっかり疲れを取りたいなら、風呂にも入っておきたいところだ。
神にこちらへ送られた時に、戦闘での汚れは、落としてもらったようで、全身に戦闘の痕跡はなく、さらに若返りの雫を使い、ダンジョンにいた時の俺とは、別人の様な姿だ。
それでも、風呂に入りたい気持ちが勝ち、気を引き締めて、風呂の準備を始める。
風呂の準備を終え、入れるようになるまで、家中を歩き回り、記憶の齟齬を埋めていく。
自室にも入ったが、正直なところ、厄介な問題に直面してしまった。
異世界に飛ばされる前の俺は、いわゆる隠れオタクと言うやつだった。
中学に上がってからは、友人を連れてきたことがない俺の部屋には、大量の漫画にライトノベル、数体の美少女フィギアとそれらしいグッズが並んでいた。
ゲーム機のソフトにも、異世界を舞台にしたものがいくつもあったことを思い出す。
パソコンの中身にも、オタクが好みそうな内容の中で、口に出してはいけないようなものが、いくつも入っていたことを思い出した……。
オタク文化自体は、否定をするつもりはないが、リアルファンタジーワールドで何度も死ぬような思いをしてきた俺には、これらのものを見るだけでも辛くなってしまう。
早々に片付けたいが、風呂に入って眠ることを、この場では、優先するべきだと考え直し、見て見ぬふりをしつつ、風呂に入り、しっかりと全身を何度も洗い、ナイトウェアに着替えて、カーテンを閉めてから就寝をした。
安心しきって寝ていたようで、ぼんやりと目が覚める。
眠りにつく前は、日光が、カーテンの隙間から入り込んでいたが、今はその気配が全くない。
一階からは、二つの人間の魔力を感じる。
これは、探索者をしていると、わずかでも、周囲と違う魔力があるなら、本能的に把握しようとしてしまうダンジョン内で生き抜くために身についた魔力感知という技能で、息を吸うのと同じくらい自然に展開してしまっている。
ちなみに、周囲数メートル範囲なら、同じようにダンジョン内で生き抜くために獲得した気配察知という、、細かい動きまで把握できる技能を展開している。
この世界に漂う魔力を、いつ調べていたのかというと、昼間にビジネス誌を読みながら、同時に作業を進めていた。
その結果、濃度は低いが、俺が飛ばされていた異世界と同質の魔力が存在していることを確認した。
また、生物それぞれに魔力質があることが把握でき、個体差もそれなりにあることが分かった。
個体差については、俺が飛ばされていた異世界の方が、格差が激しい印象を感じた。
ちなみに、人間はもちろん、犬や猫、カラスやハトやらも、把握済みだ。
目覚まし時計を見ると、もうすぐ午後七時半を示すところだった。
一階のリビングに入り、キッチンダイニングの方から、両親と思われる気配を感じたので、続き間になっている引き戸を通って、そちらに向かう。
我が家は、リビングとキッチンダイニングの間に、引き戸があり、それを完全に開くと、建売の一軒家にしては、広めのパーティールームになる。
両親ともに、それなりに顔が広いようで、年に数回、パーティールームとして活躍している。
キッチンダイニングに入ると、母親は料理中で、父親が、食器を並べている最中だった。
約三百年ぶりに見る両親に、目頭が熱くなってしまうが、何もなかったように振る舞う努力をするしかない。
両親にとっては、当たり前の日常が連続している認識なんだよな……。
「父さん、母さん、お帰り」
「おう、ただいま。良く寝ていたようだな。今、見ての通り、食器を並べている最中だ。ちょっと待ってろ」
食器を並べていた父親が、ふと、俺を凝視してくる。
父親が異世界ですら、人外の域に達していた俺の魔力だとしても、魔力を感知できるとは思えないし、神威なら、自分の中にあるはずなのに、俺自身が感知できていない。なら、長すぎた異世界生活で、俺の雰囲気が変わったのを察したのかもしれない。
それなら、なんとかごまかすことができるはずだ……。
だが、父親に、何かを気取られないように、普段通りにしたいが、普段通りが、どうだったのか、思い出せないまま、父親に声を掛けられる。
「和馬、何かあったか。雰囲気がいつもと違う気がするぞ?」
「うーん、寝起きで、まだぼんやりしているからかも」
「そういうんじゃなくてな。凛々しくなったというか、輪郭がはっきりしたというか……。まあ、良い方向へ印象が変わった気がするってことだな」
「よくわからないけど、悪い事じゃないなら良かった」
とても切り抜けたとは、思えないが、こんなことしか言えない無駄に長いだけの俺の人生は、やはりやり直すべきだな……。
父親の名は、悠馬と言い、公立中学校の国語系の教師をしている。
だが、どこで鍛えているのか、国語系の教師には見えない筋肉を身に着けており、どう見ても、体育系の教師と言われたほうが、納得できる。
ちなみに、趣味は、素人小説投稿サイトに自作の小説を投稿することだ。
いくつかの作品を読ませてもらったが、様々な文章を使い分ける、まさに国語系の教師の技と感嘆してしまった。
俺からしたら、かっこよく尊敬のできる父親だ。
「和馬、ただいま。良く寝ていたようね。昼寝はほどほどにしておきなさいよ。夜中に眠れなくなるからね」
「ああ、気を付けるよ」
母親の名は、和歌と言い、そこそこ大きいが何をやっているのかいまいち、よくわからないNPO法人の事務局に努めている。
両親ともに、四十歳を超えているが、二人とも、年齢より若く見られる傾向がある。実際、俺から見ても若く見えるので、他人から見たらなおさら、そうなのだろう。
今日は、母親が務めるNPO法人が参加するチャリティーバザーがあり、母親は当然参加として、父親も手伝いに行っていたはずだ。
我が家は、三人家族なので、人数分の食器を並べ、それに母親が、夕食を載せていく。
今晩のメニューは、トマトソースのパスタにサラダのようだ。
トマトソースは、スーパーで売っている缶詰の物のようで、実質、パスタをゆでて、野菜をちぎっただけの、時短料理だ。
夕食の食材を、持ち帰れなかったことに、少し心が痛むが、どうにもならなかったことなので、考えるのは辞めよう。
家族全員で、ダイニングテーブルの席に着く。
「いただきます!」
手を合わせて、声を出す。
異世界では、長い祈りの文言を述べてから、食事をする文化や、何も言わずに食べ始める文化など、地域や宗教の在り方で、いろいろなスタイルがあったな。
食事を始めた俺を、母親は、さっきの父親と同じ様に凝視してくる。
「和馬、何かあった?」
「ん、特に何も」
「うーん、急に雰囲気が変わった気がするけど、高校生にもなると、そんなこともあるのかもしれないわね」
「よくわからないけど、そういう時もあるんじゃないかな」
「悪い感じに変わった雰囲気はしないから、そういうことにしておきましょう」
それから、両親が、俺の何が変わったのかを話し合い始めたが、あくまで雰囲気が変わったというだけであって、気にしないという方針でまとまったらしい。
俺の約三百年の苦難の日々を、あえて語るつもりなんてないし、仮に話したとしても、頭の心配をされて、病院に連れていかれるかもしれない。
両親が、俺の変化に気が付きつつも、気にしない方向で、まとまってくれたのは、ありがたい。
この先の生活で、必要以上に、慎重になる必要が亡くなったのは、本当に助かった。
「そういえば、父さん、明日もバザーの手伝い?」
「そうだな。撤収の時だけ、手を貸してほしいと言われているから、頼み事があるなら、昼間は大丈夫だぞ」
「明日、俺の部屋にある小説や漫画、その他色々を整理して、売れるものを、買取ショップに持ち込みたいんだけど、車を出してくれないかな?」
「うーん、お前がオタク文化を好んでいたことは、知っていたが、あれはあれで、悪い文化じゃないと思う。無理に捨てる必要はないと思うが、良いのか?」
「高校生にもなったことだし、オタク文化とは、一度離れて、気分を変えようと思うんだ。興味の持てそうなことが見つかったら、ちゃんと報告するよ」
「わかった。部活動をきっかけに趣味を見つけるのも良いし、街を散策しているうちに、意外な者に興味を持つこともある。やってみたいことが見つかった時の報告を、待っているからな」
父親は、自ら小説を書くことが趣味なだけあって、いろいろな分野への造詣が深い。
そのなかに、オタク文化へに対して、良い意味で何か思うところでもあるのだろう。
父親の私蔵の本でも、落ち着いたら、借りて読んでみるか。
その後、食事を終えて、父親から段ボール箱を幾つかもらい、自室の整理を始めた。