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Le Diable au sang et corps 1-b

【1er-b Chapitre】


 シモーネは姉、ラウラの様子を窺うようにそっと視線を向けた。最近、姉の様子がおかしい。ぼうっとしている事が多くなった。元々浮世離れしたところのある人であったが、今まさに心がここにあらずと言う言葉を体現している。シモーネは姉の身を案じるように、

「姉さま、大丈夫ですか……」

「えっ、あっ、何?」

「その、これを……」

 シモーネは右手をラウラにゆっくり差し出した。ラウラは両手でシモーネの手をそっと握り、

「大丈夫よ、私にはもう必要はないわ」

 シモーネの手を放し、そしてラウラはシモーネを安心させるように微笑んだ。シモーネはラウラが見せる表情の裏を覗き込むように彼女の、その瞳の奥をじっと見つめた。その視線を避けるようにラウラが少し視線を落とし、それから屈託ない笑顔で、

「明日早くここを立つのよ。もう眠りましょう」

 とまるでシモーネとの言葉と視線を遮るように頭から毛布を被って横になった。

 ラウラとシモーネはボマルツォの森と言われる妖魔、悪魔の使いの巣にいる。そして彼らの寝床は、ボマルツォの森に住む小人族、森の人から提供されたものであった。ラウラやシモーネのように、吸血鬼と人の両者の血を引く混血、その混血たちの一部は森の人と交易を生活の糧としている。残りは剣士として生きるのである。どちらを選ぶにしても、生命を散らす事にかけては抜群の職業である。

 ここ、ボマルツォの森で交易を行うには、森の人の協力が必須である。宿を提供をして貰うことは当然として、森の人からの道程の安全情報も欠かせないもの。混血が有する剣士としての能力がなければこの森で生き抜くことが出来ない。人の能力では幸運と幸運が幾つも重ならないと生きて戻れない。そんな混血たちであってさえ、この交易は、交易相手にほとんどおんぶに抱っこ状態だった。

 ラウラとシモーネは森の人が用意してくれた仮宿に床を取っている。この仮宿は森の人にとっては立派な住居である。しかし一般人の感覚では家など言える物ではなく、魔除けの香を染込ました、雨露をしのぐ為の撥水性のある大きな布が一枚掛けられているだけだった。

 今、逢魔が時も終焉を迎えつつあった。原始的な生活をする森の人に人工的な灯は不要であり、森の人が妖魔避けの結界を張り巡らしているとは言え、人口の灯は妖魔を呼び込みかねない。夜間、ラウラやシモーネが灯をともすことはない。

 シモーネはラウラの隣にごろんと体を横たえ、空を隠すように張られた布の向こう側にある輝きはじめた星たちを眺めるように一点を見つめた。そして今自分が置かれている状況を確認するように、様々な事柄を整理しはじめた。

 この国、トゥッリタ公国では吸血鬼と人間、両者の血を引く混血を人として認めている唯一無二の国であり、それ以外の国では妖魔として頸を刎ねられる以外の選択肢はない。勿論混血たちはトゥッリタ公国が慈悲に深く愛に溢れて、自分たち混血を人として認めているわけではないと気付いていた。その混血の類まれな戦闘力を戦場で利用し、またボマルツォの森での交易を独占し巨万な富を手にしたいだけだと。だが、混血たちも人として社会にいられるならと、その程度のことは目をつぶり、知らないふりをしてやり過ごすことにしたのだ。さらに施政者たちは名誉称号ではあるが、混血たちに爵位を叙任している。自分には侯爵の称号を、姉、ラウラに至っては、救国英雄と称賛さているとは言え、トゥッリタ公国の君主オドアクレ殿下と同じ公爵の爵位を叙任されている。トゥッリタ公国で公爵の爵位を持つのはヘルリ家とラウラしかいない。形だけとは言え、宮中でも爵相応の待遇を受けている。これだけ優遇されれば混血たちも施政者たちへ背く意思を明確に持つことは出来なかった。ただしトゥッリタ公国であっても混血が人として認められるには、人間の血を求めないのが絶対条件になる。血を欲することは妖魔の証であり、忌むべき行為でしかない。そして妖魔狩りの対象となるのである。

 シモーネの思考は姉のラウラへと移っていった。ここ一年程、姉は自分の血を求めてはいない。数年前のように、血に追われることがなくなった。混血が吸血鬼への転化が始まるとそれを止める手立てはないと言われている。姉の転化が止まっているのは、もしかすると一時的なものかも知れない。今はそれだけでも十分胸をなでおろす事だった。

 シモーネは目を閉じた。昔愛した女性の顔が浮かぶ。何度思い出しても胸の痛みが和らぐことがない。生きている限り永遠に消えない痛みなのかも知れない。

 その痛みから目を背ける為に、シモーネは意識を今交易の方へ強引に向けた。今回の交易は5カラット以上ある紅玉を森の人から貰い受け、替わりに森の人が欲していた子供向けの玩具、ヨーヨーを手渡すのである。誰が見ても、この取引は森の人が受け取る代価が余りも安すぎる。しかし森の人はこの条件で満足しているのだから何の問題もない。実際森の人にとって宝石はその辺に転がっている石ころと何ら変わりがないと本人たちがそう言葉にしている。契約上互いにWinの関係を築いているが、問題点はしっかりとある。それは森の人が森の人であるが故の問題である。森の人には各人に個が存在しないのだ。つまり個の象徴である名が存在しない。名前の概念がない訳ではない。人には名があり、個人を特定するツールであることを森の人はキチンと理解している。にも拘わらず森の人には個人を示す名がないのだ。これは取引をする上で難問であった。今回の紅玉の取引で言うと、交易する対象の森の人を捜す為に、

「Forester,Who has Ruby called Pigeon blood that is over 5 carats ?」

 と森の人に問うても、返ってくる言葉は、

「I don't have it」

「I have nothing」

 のどちらかだった。実のところ、森の人との交易は、妖魔と闘うより取引相手の森の人を捜す方が至難の業だと揶揄されるくらいだ。そしてシモーネが一番の疑問に感じているのが、森の人との交易は混血が独自に取引をしているのではなく、公国の機関、公益局から指示されている事である。云わば混血たちが行っているのは運び屋以外何者でもない。そもそも公益局はどのようにして、森の人の情報を得ているのかは完全非公開であり、トゥッリタ公国の最大の謎であった。勿論、シモーネは知る由もない。間違いなく公王家、ヘルリ家は森の秘密のひとつを手に入れたのだろう。そう考えた方が全てスッキリと納得ができる。

 元々ヘルリ家は宗主国、ラティーナ帝国の伯領のひとつヘルリ伯の領主であった。それが突然勢力を拡大し始めた。ラティーナ帝国内で最大の権門、トゥッリタ公を引継ぎ、ヘルリ家の軍は連戦連勝の破竹の勢いで、みるみるうちにラティーナ帝国の半分以上の領地を傘下に収めた。その後お決まりである帝国との最終決戦では、帝国軍を一瞬で壊滅させるほどの勢いを持って勝利した。ヘルリ家は(いにしえ)の帝国、ラティーナの名を引継くかと思いきやトゥッリタ公のまま事実上領主から君主に組織を拡大させた。そしてラティーナ帝国は事実上内部分裂状態であった東方ラティーナと西方ラティーナが、それぞれ西ゲルマニア帝国と公国の名を持つ国家に分裂したのだった。

 シモーネは少し姉を方に顔を向け「ヘルリ家は森の何を手に入れたのだろう?」「もしかして、混血が吸血鬼へ転化するのを防ぐ手立てとか?」そんな取り留めのない願望を巡らせていた。やがてそんな願望を巡らせていくことに虚しさを感じ始めた頃、シモーネにも睡魔が襲ってきた。吸血鬼であろうと人間であろうと両者の血を引く混血であろうと、英気を養う為、あるいは活力を取り戻す為に睡眠は必要な生理現象であった。ゴロンと姉に背を向け眠りに落ちるのを待った。少しづつ意識がまどろんでくると、突然シモーネは眠りの世界へと落ちていった。シモーネがラウラに背を向けたのは、無論無意識なことではあるが、その中に含む感情は、ラウラの吸血鬼への転化と言う現実に背を向けたいという心情の現われであった。


 姉、ラウラが笑っている。その横で幼馴染のイレーヌも微笑んでいる。二人が見ているのはロザリオ。本来は祈りの時に使うものだが、混血の間では吸血鬼除けの御守りとして身に付けることが習慣化していた。彼女たちのロザリオのクロスには彼女たちの名が刻まれている。「Laure」「Irène」と。シモーネは皮肉なことだと思わずにはいられなかった。姉のラウラは御守りの効果もなく吸血鬼への転化が起こってしまったからだ。それからは姉の転化が知られる事を怖れる日々。本当の意味で、心安らぐ日々など一度もなかった。愛する者を失う喪失感、シモーネは二度とそんな気持ちを味わいたくなかった。その時、笑っているラウラの雰囲気が変わっている事に気付いた。そしてシモーネの視線に気付いたようにシモーネの方に顔を向けた。それはシモーネの愛した女性だった。彼女は混血から吸血鬼へ転化をはじめ、それと同時にシモーネを求め、シモーネはそれに応えた。それについて彼女は「混血が吸血鬼に転化する時、吸血鬼として純血を求め、自身の近親の血を欲し、近親の混血もそれに応えたくなる。呪われた血の宿痾ね」と二人の関係をそう評した。彼女の言葉が誰かの言葉なのか、彼女の経験によるものか、今となっては判らないが、シモーネは真実を得た言葉と感じていた。

 彼女が微笑んだ。シモーネの心に愛しさが込み上げる。その思いが呪われた忌まわしい血が為せる業とは思えなった。彼女がシモーネに手を伸ばしてきた。シモーネがその手を掴む。温かい手だった。シモーネはその手を引いた。彼女はその手に引かれるがままに身を任せ、彼女の身体はシモーネの腕の中に納まった。彼女を抱きしめるシモーネの手はどこまでも優しい。彼女がその腕に抱かれながら、シモーネの胸に顔をうずめる。シモーネは彼女の華奢な体を感じ、もう剣を置いてほしいと願った。妖魔と闘うにしろ、人と闘うにしろ、そこにあるのは凄惨なシーンしかない。シモーネの手に少し力が入り、彼女の体温が間近に感じられ、同時に簡単に壊れてしまいそうなくらい華奢な体つきにシモーネの心は一層彼女に剣を置いて欲しいといっそう思うようになった。

「シモーネ」

 彼女の声につられるようにシモーネは彼女を見た。彼女は顔を伏せたままだった。

 もし、ここで「彼女に剣を置いて欲しい」と願えば、彼女はその願いを聞き届けてくれるだろうか……シモーネはその願いが絶対に叶わない願いだと言う現実に目を伏せたかった。この国、トゥッリタ公国では混血を人として扱ってくれる唯一の国ではあるが、混血に本当の意味で優しくはなかったからだ。

「シモーネ」

 と再び彼女の声が聞こえた。しかし、その声には違和感をシモーネは感じた。その違和感はシモーネでなければ判らなかっただろう。再び、

「シモーネ、ごめんね」

 と彼女が顔を上げた。その顔は彼女と瓜二つの顔、姉、ラウラだった。そしてラウラはシモーネの顔を眺めながら、今までシモーネが感じていた不安を和らげるように微笑んだ後、

「さよなら」

 と言葉をした瞬間、シャボン玉が壊れて消えるように瞬く間もなく消えてしまった。今まで腕にあった姉の感触が突然消えたことによりシモーネの腕は姉の存在を求めるように互いに絡み合った。

 シモーネは言葉なく呆然と立ち尽くし、そして足元から這い上がってくる恐怖に取りつかれ、その恐怖がシモーネ全体を覆った時、シモーネは咆哮のような声を上げた。


 シモーネは自分の叫び声で目を覚ました。不安が全身を包み込み、体ではなくその中にある心をグイグイと締め上げる。シモーネは隣で寝ている姉、ラウラの姿を見て安心したかった。シモーネは体を起こし隣で寝ている姉のところに行こうとして、その動きが止まった。ラウラの姿はなかったのだ。シモーネは自分でも分かるくらい息を呑んだ。倒れこむように姉の使っていた毛布を掴みめくりあげた。信じたくない予想ほど当たるものだ。姉の代わりに姉のお気に入りのスカーフが置いてあった。そのスカーフは去年ピアーナ・クレリコと言う貴族向けの商会で姉が一目惚れして購入したものだった。高級なシルクで造られたそれは薄い青色の光沢を持ち、滑らかな手触りであることが一目見ただけ理解できるものだった。正直、子供っぽい容姿をした姉には不釣り合いだったが、シモーネは敢えてその事を言わずいた。そのスカーフをシモーネは手に取った。姉の温もりはもうそこにはなかった。そして、

<Adieu,Simone>

 とおそらく姉自身の血で書かれた文字があった。その文字は書くことが不慣れな子供が書くようなブロック体で書かれていた。それは姉が字を書く時の特徴でもあった。シモーネは只々呆然とラウラの残したスカーフを見つめていた。涙が出なかった。枯れたのではなく、涙が出ないのだ。愛した女性を失った時もそうだった。涙が一粒も出なかった。人はショックが大き過ぎると心が停止状態になるようだ。

「<Adieu>……姉は自分に二度と会うつもりはない」その現実の言葉を眺めながらシモーネはここ数年の姉の事を思い返していた。以前、姉は嫌悪しながらも自分に血を求めていた。それが突然なくなり、吸血鬼への転化が一旦治まったのだと信じて疑っていなかった。それが間違いだったと気付いた時は全てが遅かった。それは()()の時と同じ間違いを犯したとに変わりなかった。彼女の時も転化が進行していることに気付かず、彼女が吸血鬼へ完全に堕ちた時には最早手遅れだった。さらにシモーネを苦しめたのは彼女が吸血鬼へ堕ちた事を知ったのが、彼女の首が刎ねられた後だった。シモーネは彼女の死を、それが必然にあったにしろ、転化の進行を何も知らずただ漠然と過ごしていた自分の無能さを、無知さを悔やむばかりだった。そんなシモーネを救った姉、ラウラには同じ轍を踏むまいと心に誓ったのに、結局何も出来ずじまいで自分の無能さをまた自覚させられただけだった。

 シモーネは力尽きたように両膝と両手をつき首を垂れる姿勢になった。額が姉の使っていた毛布に触れた。微かにロマランの香り、ハンガリー水の匂いがした。その移り香は姉がスカーフを購入した時に一緒に購入した香水だった。スカーフ同様、姉の容姿には似合わない大人びたアイテムだった。シモーネは顔を上げた。

「姉さまを捜そう」

 と誰に言うわけでもなく独りごちた。その言葉には、姉が吸血鬼へ堕ちた証拠はないという希望にも似た独り善がりの願望が含まれていた。その気持ちに逸ったのか、シモーネは簡易テントのような寝床から外に出た。まだ()は開けていなかった。季節はヴァンデミエール、もう肌寒い。シモーネは周り見渡した。暗闇と静寂が覆っていた。だが暗闇の中には確実に妖魔の気配が感じられた。森の人の結界に守られているとはいえ気持の良いものではなかった。「この中に姉はいるのだろうか……」シモーネは姉が居なくなったことに再び焦燥感と無力感に囚われた。その気持ちもこの闇を見ているうちに、また姉の失踪が信じられなくなった。それ程、ボマルツォの森の闇は深く、その闇の得体の知れない力は人の心を惑わし、判断を誤らせる。シモーネは今一度、本当に姉が失踪したのか確認したくなった。「姉さまがこの闇に居る……」一種の絶望を含む恐怖を再び感じたと同時にシモーネはあることに気付いた。「この闇に居るということは……、剣」シモーネは姉の剣を確認する為、再び森の人特製テントの中に入った。姉の寝ていた横に置いている長剣、何かあった場合にすぐに使用できるようにいつも傍に置いておくのがボマルツォの森の常識、その剣があるのかを確認した。

 姉の剣はなかった……シモーネは姉が居なくなったことに三度落胆し、何も知らずにいた自分に後悔し、彼女を失った時のように嘆き、二度と姉に会えないのかと思い悲しんだ。胸に湧き上がる後悔、暴力的なまでに襲ってくる喪失感、罪の意識。それらは溶鉱炉で溶けた鉄のように灼熱を持ってシモーネの心に流れ込み、そしてシモーネの心を覆い焼き尽くし自責という灰を残した。その怒涛の感情が流れ去った後、まるで魂をどこかに置き忘れたような表情をしながら、

「姉さま、捜さないと……」

 何の感情も感じさせない口調で再び独り呟いた。


 太陽が昇りはじめ、夜を支配した闇が、いつの間にか消えている夜露のようにその存在を失い、彼の心にも、その中に在る感情のひとつが、彼自身に気付かれる事もなく今その存在を失っていた。


<注>英語はインチキレベルです。

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