Le Diable au sang et corps 4-d
【4e-d Chapitre】
モラヴィア辺境伯コンラード・プシェミスルからの吸血鬼と思われる調査依頼を受け、その出立の準備を剛力であるボッテギアを中心になって進めていた。その間、イレーヌとラディゲは剣の訓練に明け暮れていた。剛力が出立の準備を整えるのは、この組織では当然の慣習であり、手際よく一週間も経たず出立の準備は整えられた。
彼ら一行は馬車を使って移動する。今回は親衛隊や近衛隊の意匠を示すものは掲げておらず、無論、ダンヴェール伯やラディゲ家の紋章もない。外見はただの行商の馬車に見える。注意深く見れば、商品と為す物が全く見受けられず、奇妙な一行として奇異な眼で見られることは避けらないだろうう。
親衛隊や近衛隊を示すものを表に出さないのはモラヴィア辺境伯コンラードからの依頼ではなく、ペトラルカの指示があったからだった。本件は可能な限り内密にしろと。
イレーヌは直接モラヴィア辺境伯領に向かわずに、それなりに遠回りになるが、ブルネレスキ刀鍛冶工房を経由するようにボッテギアに指示した。注文した剣を受領する為である。余談になるが、金銭に余裕がある剣士は余程思い入れがある剣でない限り剣を鍛え直す事はしない。常に新規に剣を注文して、その剣の切味を最高の状態にしておくのである。刃が痛んだ剣は練習用か、困窮しきった親衛隊の剣士の予備用の剣にされるのだった。
寄り道の件は、勿論ペトラルカに件は了承されている。ある程度、行動の自由は許されている調査行動であるが、それでも事前に分かっている付随した行動ならば上長に一言伝えておくのが、余計な摩擦を起こさない為の常套手段と言って差し支えない。
ラディゲはこの行軍において自分の居場所について「どうしたものか」と考え込む結果になった。荷馬車に揺られている間、当然イレーヌと一緒に居る事になる。剣の訓練の時はまだ良い、しかし自分自身納得のいく結果を出していない状態で、このようにずっとイレーヌの傍らに居ることがラディゲ自身、受け入れられないと言うよりも自分自身の不甲斐なさを感じ、それが許せない気持ちがまたも頭にもたげてくるのである。惚れた女性に心を搔き乱され一度決めた心が揺らぐのは、惚れた弱みと言うところ。その一方でラディゲはイレーヌと一緒に居られる事は、純粋に嬉しかったりもする。少なくとも顔がにやけるくらい。
とは言え、ラディゲはイレーヌが傍にいることは、精神衛生上、今の自分には良くないと考え、その考え抜いた結果出した結論は、馭者の横に座ることだった。そうすれば、不用意にイレーヌに視線が行くことがない。そして馭者の横に座る理由だが、これが取ってつけたような理由だった。
「馭者の手綱捌きを学ぶ」実際のところ親衛隊の剣士が馭者の仕事をすることは、ほぼありない。剛力がその仕事を請け負ってくれるのである。親衛隊の剣士にどこであろうと付き従う剛力は、親衛隊の剣士にとって、戦場であろうと、妖魔の闘いであろうと「剣を持たぬ者を護る」の精神に基づいて保護されるのである。その剛力がいなくなる状態は、謂わば隊が壊滅的な打撃を受けていると同義である。そのような状況では、馬車を操っている場合ではない。命懸けの敗走となっていると考えて間違いはない。見え透いた言い訳であった。
イレーヌはその言葉を聞いて、ラディゲが今もなお自分を意識していると感じ、それが自分でも納得いかないくらい嬉しかった。それだけでなく、一緒にいられない事に不満さえ感じていたのである。そんな心内の感情を全く見せず、イレーヌはしらっとラディゲを一瞥しただけで、後はまるで興味がないような態度を取った。ただよく見れば、その頬が薄く桜色になっていることが誰しも気付くだろう。
ブルネレスキ工房には前回同様事前連絡なしの訪問となった。これはイレーヌのミスだった。今回は事前に連絡を入れるだけの時間の余裕があったのだが、完全に失念していたのだ。理由は同行する人間に気を取られたからである。イレーヌは自分の過失を認めることは決してないが。
イレーヌたちを乗せた馬車が何の飾り気のない門扉を抜け、ブルネレスキ工房に入ると、その音を聞きつけたデ・ローザが顔を出し、
「いらっしゃいませ」
とこの工房に似合わない挨拶をした。それからひと呼吸おいて、不思議そうな顔をした。ここを訪れるのは剣士しかいない。即ち貴族階級が顧客となるのだ。貴族は基本自分の地位や家柄を誇示するのが慣わしである為、氏族や家系、爵の紋章を掲げるのが一般的である。それが見当たらない。
デ・ローザの頭にクエスチョンマークが飛び回った。「一体誰が来たのだろう?」そう思っていると、馭者の一人が降りてきた。やたら背高く引き締まった体躯のした若い男だった。
「ここはブルネレスキ卿の工房ですか?」
「そうですが、どのようなご用件で?」
デ・ローザはまた使いの者が来たのかと思ったのだ。やれやれ面倒な事だと頭を掻いた時、見知った顔が馬車の影から出てきた。
「ダンヴェール伯爵様」
「デ・ローザ殿、突然の来訪、申し訳ない。都合により急遽立ち寄せて頂いた」
デ・ローザはイレーヌに思いがけなく会えた事を喜んだのと同時に、その理由を悟った。
「申し訳ございません。ご注文された剣はまだ全て揃ってはおりません」
「デ・ローザ殿、そなたに落ち度はない。こちらに非がある。取り敢えずで良い、完成している剣の本数を教えて頂きたい」
「はい、長剣の長いのが二本、短いのが一本、計三本になります。今製作中なのが長剣の短い方になるのが一本です。それ以外はまだ手もつけておりません」
デ・ローザはイレーヌに落ち度はないと言われたが、頭を深々と下げ詫びた。
「顔を上げられよ、デ・ローザ殿。すまないが、完成された三本を納めてくれぬか」
「はい、ただいま」
それから時を置かず、デ・ローザが剣を大事そうに抱えて戻ってきた。イレーヌは新たに命を吹き込まれた剣を一本一本鞘から取り出し、命を預ける盟友の出来具合を吟味する。それを不安顔でデ・ローザが見ている。当然であろう。自分たちが造り上げた剣が今まさに評価され、審判が下されるのだから。
イレーヌはデ・ローザに微笑んだ。その屈託のない美しさを見て、デ・ローザはほっと胸をなでおろした。一流の剣士に認めてもらう事は、刀鍛冶にとって誉れ以外何ものでもないが、それ以上に自分の腕が至らずイレーヌに満足してもらえないのではないかと、こちらの心配の方が大きかったようだ。
「ダンヴェール伯爵様、この地に幾日滞在できますか? 我が師と兄弟子が石(鉄鉱石のこと)の買い付けに出ておりますので、彼らが戻り次第、至急剣をお造りいたしますが……」
「幾日程待つことになる」
「早くて五日ほどです」
イレーヌは右手を口に当て考え込んだ。中途半端な日数だった。待つも良し、行くも良し。どちらを選択しても問題ないように思える。ペトラルカ卿からの要請では即時対応とは指定されはいない。認めたくはないが、万が一の仮想敵として対ラウラ用の剣を用意するのは今回の調査には必要なことだろう。そして対ラウラ用の剣は少なくとも三本はある。そう思うと決心がついた。
「デ・ローザ殿、以前見せて頂いた頸斬りの剣を納めて欲しいのだが……、手を付けていない剣は造らずともよい。その金で購入したい。何か問題はあるか?」
「ダンヴェール伯爵様、それではわたくし共が貰い過ぎます。我が師に言い訳が立ちません」
「ならば、マリアローザの紋章を大きくして頂いた礼金として納める。それで問題なかろう」
イレーヌは当然の事として、自分の剣にあるマリアローザの紋章を知っていた。紋章が小さくなったのは、ブルネレスキ卿の悪名高い気紛れくらいしか思っていなかったが、ここに来て、こういう使い方があるのなら悪くないと思えた。
一方、デ・ローザはイレーヌが紋章の事で気分を害していると考えたのだった。そう考えると、イレーヌに強く申し出を断る事がためらわれる。そして何よりデ・ローザはイレーヌに物事を依頼されることに喜びを見出していたりもしていた。その思いがすぐに大きく彼の心の中で重くなり、決心と言う錘の方に振り子の腕が下がった。
「それでは、ダンヴェール伯爵様のおっしゃる通り承ります」
デ・ローザはイレーヌに促されるまま、頸斬りの剣を取りに部屋の奥に戻ったのだった。デ・ローザが両腕に頸斬りの剣を抱え戻ってくると、付き添いか剛力と思っていた男性がイレーヌの剣を握っているのを見て、彼は剣士だったのかと思い、無礼な態度を取らなくて良かったと胸を撫でおろした。「ブルネレスキ刀鍛冶工房は師匠だけでなく、弟子も偏屈の変わり者」という噂が立たずに済んでと。
イレーヌは剣を手にしているラディゲの腕を取り、デ・ローザの方を向かせ、
「デ・ローザ殿、紹介が遅れた。彼はレイモン・ラディゲ伯。親衛隊の剣士だ。伯の腕を見ればブルネレスキ卿も惚れこむぞ」
と彼を紹介した。
ラディゲはどこかバツの悪そうな顔をしながら、
「まだまだ未熟者ですが、ブルネレスキ刀鍛冶工房の方々に認めらるよう精進するつもりです。その時はよろしくお願いいたします」
と深々と頭を下げ、デ・ローザもそれに応え、
「我が師の事はご存知と思いますが、その時は手前も口添えさせて頂きます」
と頭を下げた。
彼らが社交辞令的な言葉を交わした後、イレーヌは、
「名残惜しいが、我々はこれで暇する。また剣を依頼させて頂く。その時は宜しく頼む」
「はい、お待ちしております」
デ・ローザの弾んだ声が響いた。




