Le Diable au sang et corps 4-b
【4e-b Chapitre】
イレーヌはサンピエール教会に着いてから、剣の訓練に勤しんでいた。混血の基礎体力、運動能力は人とは比べ物にならない非常に高い。しかし、技術的な訓練については反復訓練を人と同じ様に必要とする。言い替えれば、技術的な訓練を怠れば腕は錆びると言う現実がある。生死を掛けたの闘いを強要される混血たちにとって、戦場、妖魔狩りでの闘いに於いて自分の剣が鈍いと言う事は、自身の生命や盟友の生命まで危険に晒すだけでなく、その生命を奪いかねない。それだけ危険で重要な役目を負っていることを混血自身自覚しているのであった。
イレーヌは吸血鬼対応としてオッシュ卿相手に剣の訓練をしていた。もし吸血鬼相手に闘うのなら、人相手の多人数捌きより混血同士の一対一の方が訓練に適しているからだ。ただ吸血鬼が転化したラウラと想定した場合、剣捌きが余りにも異なることになるのだが、この場にはモントルイユの剣捌きを引き継いでいる剣士はイレーヌ以外いないのだから致し方ない。例え、オッシュ卿にモントルイユの剣捌きを真似てもらっても、ラウラとの実力に遠く及ばず対ラウラの訓練にならない。それではと、イレーヌはオッシュ卿には自分の剣を通してもらい、自分の方にハンディキャップを付ければ良いと考えたのだった。
イレーヌは自分の得意とする長剣を持たず短剣を手にしていた。オッシュ卿はイレーヌのような独特な剣筋を持たずオーソドックスな剣の使い手であり、その技術は何処の戦場に於いても雄姿となる腕前だった。オーソドックスな剣の使い手は自身の剣の長さを利用して力でイレーヌの剣を押し込もうと考えていた。
当然の事ながらオッシュ卿はイレーヌの、モントルイユの剣の特長を十二分に理解している。下手に手を出せば、しっぺ返しは数倍になって降りかかると。それ故にオッシュ卿はシンプル且つ自分の得意の戦術を選んだのだった。
両者動きを止め、互いに呼吸の読み合いになった。まるで水かがみのように、さざ波さえ立たない空気がこの場を覆った。一瞬風が流れたように、オッシュ卿が自分の呼吸に合わせ剣を振る。手首のスナップを効かせた打突つだった。剣先が小さな弧を描き、肉食獣の牙がイレーヌの頸筋を狙う。イレーヌはモントルイユの剣の得意な防御である剣を手許に引き寄せ剣筋を変える手法は取らず、短剣を突き出しその背で少しだけオッシュ卿の剣の軌道を変えた。そして華奢な身体をオッシュ卿の懐に飛び込ませ、そのまま身体を当てた。まさかの体当たりにオッシュ卿は一瞬にひるんだが、その大きな体躯を、体格差を利用して彼より小柄なイレーヌを組み伏そうとした。二人は倒れ込んだ。それはイレーヌには予定の行動だったらしく、あっさり身体を入れ替え、オッシュ卿の背後を取り、短剣をにオッシュ卿の喉元に突きつけた。こういった場合は長剣はその長さ故に木偶の坊となってしまう。短剣の方が使い勝手が良い。
「参りました」
オッシュ卿はその実力差をまざまざと見せつけられ、あっさりと降参の意を示した。もしこれが実戦であれば、背後を取られたとオッシュ卿が感じた瞬間に彼の喉元はイレーヌの短剣に斯き斬られていた。
「ありがとうございます」
イレーヌが立ち上がりながらオッシュ卿に敬意を表した。混血(近衛隊)、親衛隊もそうだが、剣の実力を誇示する者はほとんどいない。剣は自身と仲間も守るものであって、自己の強さを示すのは仲間内でなく敵にすべきだという伝統があったからだ。同時に混血、親衛隊のそれぞれの結束の固さを示すものでもあった。社会からいつ敵視されるかわからない混血、没落貴族の親衛隊、両者に共通するのは、社会からの疎外感だった。それらの華やかな社会の外円部に群なす集団は、時代や宗教、文化に問わず、結束が高くなるのが世の常である。
イレーヌは短剣を鞘に納めると、オッシュ卿に手を差し伸べてオッシュ卿を立ち上がるのを手伝った。それからオッシュ卿に一礼をした。そしてこの対戦を視ていた剣士達に自分の闘い方に問題や課題点がないか問うた。これも近衛隊、親衛隊の伝統で、自分の剣を他人に評価してもらい自分でも気づかない長所短所を知る事は、剣術を上達する上で必要なことと容易に理解できる。さらに仲間も剣をしっかり目に焼き付けることは、剣士同士の連携を高めるだけでなく、隊を編成する上での人員の可用性を高めるのにも有用であった。
イレーヌが指摘されたことは相手を組み伏せてきたのを逆手にとって背後を取るのは良いが、反撃を受けないように敵が持つ剣をもっと上手く制圧できないかと言う点と背後を取った時にイレーヌの身体は対戦相手より小柄で体重が軽いのでもっと敵の動きを止める為にもっと胴に足を絡めるべきはないかと言う二点だった。
イレーヌは剣術では超一流の腕前を有しているが、万能ではない。体術に関してはまだまだ学ぶべきことは多いようだ。
この日の訓練を終えた後、イレーヌが剣の手入れをしている時、サンピエール教会にいるペトラルカから彼の執務室への出頭命令が彼女の許に届いた。
「ダンヴェール伯爵様、ペトラルカ様の執務室へ出頭して頂くようお願い致します」
「解ったわ」
使いの修道士がイレーヌを見て頬を少し赤らめた。それを自覚した若い修道士は何も言わず、慌ててイレーヌに背を向け駆け足で去っていった。その若さゆえの情動をイレーヌは少しばかり羨ましく思うのだった。
イレーヌとペトラルカは旧知の仲ではあったものの、所属する組織が異なることと優秀な人材は上層部にこき使われるという普遍的な法則に従いサンピエール教会の敷地に両者がいるにも関らず顔を会わせる機会を持てなかった。イレーヌは今回の出頭が先日ペトラルカに提出した嘆願についてだと容易に予想がついた。そして恐らく自分の希望が通るとも。
イレーヌがペトラルカの執務室に行くと、意外な先客がいたのだ。ラディゲはイレーヌがこの教会に居る事は知っていたが、実はイレーヌはラディゲがこの教会にいることは知らなかった。イレーヌ程の名のある剣士の情報は簡単に伝達されるが、一方ラディゲレベルの剣士では組織内なら兎も角、組織外となれば注目はされないものである。
ラディゲは起立し、イレーヌに頭を下げた。
「ダンヴェール伯、お久しぶりです」
イレーヌは自分が思った以上に動揺していることに驚いた。そこは恋愛においても百戦錬磨、そのような心の揺れなど微塵も感じさせない表情をしながら、
「伯もお元気そうで何よりです」
と口許に笑みを称えた。それからペトラルカに向き直り、
「ペトラルカ卿、何か御用ですか」
ペトラルカはイレーヌに席を勧め、ラディゲには「退席するように」と視線で伝えた。ラディゲもその雰囲気を読み取り、
「それでは、失礼いたします」
と頭を下げ、儀礼兵のようなかしこまった態度で部屋を出て行った。
イレーヌはそのラディゲの緊張した子供のようなカクカクした動作に思わず笑みを零しそうになり、慌てて口許を引き締めた。
ペトラルカはそんなイレーヌを見て見ぬふりをして、要件を話はじめた。
「ダンヴェール伯には吸血鬼と思われる調査に行って頂く。行き先はモラヴィア辺境伯領、モラヴィア辺境伯コンラード・プシェミスルからの調査依頼になる。この件は他言無用で願う」
イレーヌは黙って肯いた。事を大きくしたくないと言うことは、政治的な裏があることを読み取れるが自分には関係ない事だとイレーヌは判断した。
「伯には親衛隊の剣士と剛力を各一名随伴させる。ラディゲ伯とボッテギア。縁のある連中を選任した。それと伯にはもう一つ依頼したい」
イレーヌは他に何を言われるのだろうと、少し意地悪な気持ちを持ちながら興味を持った。そこにスキャンダル的なものがあるのではないかと。イレーヌは母親同様にこの手の話が嫌いではなかった。剣士として自分を律してはいるものの、そこは女性、はっきり言えば噂好きだったりする。血は争えないということらしい。
「伯もラディゲ伯の実力は十分に知っておられると思う。我々は彼に大いに期待しております。伯に今更隠しても仕方もないので正直に話します。我々、親衛隊は人員の確保、育成を急務だと考えており、このまま何も手を打たなければ親衛隊は先細りするばかりでなく優秀な人材もいなくなってしまいます。ラディゲ伯の才を我々は高く評価していますが、まだまだ経験不足であることは否めません。そこで彼に伯の経験、知識を学ばせて欲しい。これは私事ではなく、親衛隊としての正式な要請です」
イレーヌは黙ってペトラルカの言葉に頷いた。
「有難うございます。それともう一つお願いです。この件はラディゲ伯には内密に願いたい」
イレーヌはそれは当然の事と再び頷いた。
そこでペトラルカは息を吐き肩の力を抜いた。
「ダンヴェール伯、もうお体は大丈夫ですか?」
今まで纏っていた堅苦しい雰囲気を脱ぎ、友人に語るような口調でイレーヌに問い掛けた。それに応えるようにイレーヌも柔らかい口調で、
「お陰様で、もう完治しています」
「よかった……」
ほっと溜息をつくようにペトラルカの口許から言葉が零れ落ちた。それを機に当たり障りのない近況をお互い話した。特にペトラルカは親衛隊の中枢に坐する重要人物である。イレーヌとは戦友の間柄であっても秘匿すべき情報を悟らせる訳にはいかない。おのずとも当たり障りのない世間話になってしまうのは仕方ない事であった。無論、その程度の事はイレーヌも心得ている。敢えて政治的な話は避けていた。話が今年のシードルの出来に移った。公国にはシードル造りで有名な人物としてグイチャルディーニ伯がいる。その腕前は口煩い貴族たちを黙らすだけでなく、多くの信者をつくるほどである。そのグイチャルディーニ伯が営む果樹園が不作だったらしく、彼の納得のいくシードルが造れなかったとかで、その生産量が著しく少なく、供給不足により価格が高騰していると話題に上がった。イレーヌは特にシードルは好んではいなかったが、グイチャルディーニ伯のシードルは不思議と舌に合った。美食家でないイレーヌはそれがどう違うのかまでは表現できないものの、すんなりと喉を通ていくグイチャルディーニ伯のシードルは他のシードルにない魅力があった。今年はそれが呑めない事が少し残念だった。
それからしばらく雑談が続き、最近の天候の話になっところで、二人の会話は終わりを迎えた。
「それでは例の件、よろしくお願いします」
ペトラルカが親衛隊の剣士として握手を求めると、イレーヌはその手に応じて、
「了解しました」
再度確認するようにペトラルカの言葉に応えた。




