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Le Diable au sang et corps 3-c

【3e-c Chapitre】


 スーヴニール村に帰郷していたイレーヌは、ベルン門会戦で受けた傷も混血の超人的な回復力も手伝って順調に回復していた。その世話をイレーヌの母親がしていた。イレーヌの母親は混血に珍しく、剣士としてもボマルツォの森の交易にもほとんど就いた事がない。それは、イレーヌの母親が混血の中では剣の技術は信じられない位残念なレベルであった為だった。それでも人の剣士では手も足も出ない位の強さは持っているのだが、求められる強さはなかったのである。そうしているうちに、元々人好きのする性格もあり、このスーヴニール村に於いて、ボマルツォの森の交易や剣士として闘い傷付いた混血の世話をすることが不文律な決まりとなっていた。枢機院剣術科も当件を黙認しており、イレーヌの母親に剣士として招集することを四十年以上前のヘルヴェティア王国との会戦以来実施していなかった。

 一方で、村に残り他の混血の世話をすることから、イレーヌの母親は噂話も含め情報通だったりする。当然、ボマルツォの森でラウラが行方不明になった事、シモーネがラウラを捜し続けている事。そして「ラウラが吸血鬼に殺された」「吸血鬼の牙で吸血鬼に転化した」と言う噂話を含め耳に入っていた。「吸血鬼に殺された」という言葉はラウラの母親であるモントルイユの、イレーヌの母親にとっては幼馴染である、死を彼女に連想させたのである。それは同時に、イレーヌにも同じ事が言えたのである。

 イレーヌもラウラが彼女の母親と同じ運命をたどったのではないかと言う、その不安は小さいものから徐々に大きくなったものではなく、最初からイレーヌを押しつぶすように彼女を覆ったのであった。無事でいて欲しいと思う。幼い頃の思い出を共有する人を亡くす事は、寂しくもあり、その喪失感は自分が思っている以上に大きい。

 イレーヌは今は誰も住んでいないラウラ、シモーネ姉弟の実家に向かった。この家でのラウラ、シモーネ、イレーヌ、この三人での思い出は剣の訓練を除けば意外に少ない。ラウラ、シモーネ姉弟の母親、モントルイユは当時最強の剣士を冠して、妖魔狩りや対外戦争に駆り出される事が多くラウラ、シモーネ姉弟がイレーヌ宅に預けられた時間の方が長いからであった。「何故、今更、何故ここに来たのだろう……」ラウラ、シモーネ姉弟宅の玄関の戸を開けようとして手を止めた。そのまま後退りし、家全体を視野に入れた。幼い頃の記憶が余程深く刻み込まれているのだろうか、その姿は自分の感覚より小さく見え、その齟齬は決して小さくなかった。そしてその齟齬は、もう戻れない人間関係が生み出す溝そのものだった。

「そう……」

 イレーヌはその言葉を言い聞かせるように吐いた。イレーヌは優しい時代が終わり、ただ流れていく時間に翻弄されている自分を見た気がしたのだ。ラウラは居ない。シモーネは私から離れることを選んだ。だからこそ、もう一度ラウラに逢いたかった。今のラウラが居たことを感じさせる物に触れてみたかった。例えそれが妖魔であっても。その感情は間違いなく健康的で好ましい感情ではない。例え病的な執着であっても、イレーヌには避けることの出来ない通過儀式のように思えた。そうすれば、錯覚であっても何か一歩進んだと思えるからであった。自己欺瞞と言われようとも。


 体を動かしても、全く痛みがない。イレーヌは軽く運動がてら薪割りをする為に、頸斬りの剣と言われる武骨で男性的な剣を持って庭に出た。イレーヌが剣を持ったのは、ベルン門の会戦で矢の餌食になって以来だった。頸斬りの剣にはブルネレスキ工房の紋章、マリアローザがない。頸斬りの剣の用途は妖魔退治に使われることが多く、その名の通り妖魔に死を与えることと死から復活させない為に必ず頸を落とせるように頑丈さを優先に製作されている。それだけでなく、人が妖魔に堕ちないように頸を刎ねる時にも使用されることから親衛隊の剣士が持ちたがらない剣でもあった。先日の戦いは隣国との外交戦であって、妖魔との闘いでなはい。その為、イレーヌは頸斬りの剣をブルネレスキ工房に発注していなかったのである。

 イレーヌはその女性にしては細身の身体である。そんな剣士としては弱々しい身体に似合わない武骨な大剣を片手で軽々持ちあげ、上下に軽く振った。

 違和感。今までこの剣を握っても感じなかった感覚だった。

 イレーヌはすぐさまその理由を理解した。自分が既にブルネレスキ工房の剣に慣れ親しんでいるという事を。多くの名立たる剣士から絶賛されている刀鍛冶工房だけのことある、とイレーヌは感心した。

「私はブルネレスキ工房の剣に虜にされたな」その事にイレーヌは認めざる負えなかったが、不快感は全く感じないどころか、誇らしい気分の方が大きかった。


 夕食はカチカチのライ麦パンに旬の野菜スープ、イレーヌの母親が好きなシードル、それは一山いくらの安物のシードルが付いていた。お喋り好きなイレーヌの母親が楽しそうに今日の出来事を話す。他愛のない日常の出来事を。イレーヌは黙って母親の話を聞きながら、平凡な日常にある幸福の尊さ、素晴らしさをこの家に帰る度に確認し嚙み締めていた。そんな夢心地の良い状況にずっと身を置き続ける訳にもいかなかった。「ラウラを捜す」その命題に対して、イレーヌは背を向けたくはなかった。

「お母様、あのう話があります」

 イレーヌは母親の話の腰を折ったが、母親は特に気にした様子もなく、

「どうしたの?」

 と声をかけ、その問いにイレーヌが一瞬言い淀んだだけで、その内容を察した。いくつになっても女の勘は鋭い。

「ラウラちゃんの事?」

 イレーヌは自分の心を覗かれたのかと一瞬驚いた表情をして、

「うん」

 小さな声で頷きながら応えた。

「ラウラちゃん、心配ね。吸血鬼に堕ちてないといいけど……」

 イレーヌはラウラの安否を確認したかった。だが、その先の事まできちんと考えてはいなかった。そう、ラウラが吸血鬼に堕ちていたなら、ラウラを手に掛けないといけないのだ。ラウラを手に掛けると言っても向こうは自分より剣術レベルは上であり、剣を手解きをうけてから模擬戦では、殆ど勝った事がない。それどころか、もしかしたな一度も勝った事がないかもしれない。しかし、勝てないからと逃げ出すわけにはいかない。ラウラやシモーネの為にも自分が頑張るしかない。姉弟の殺し合いなんて絶対させる訳にはいかない。それは余りに悲惨過ぎる。

 イレーヌは翌朝、ここを発つことを母親に告げた。母親は特に気にした様子もなく、

「もう行くの? 明日の朝とは急ね。じゃ、今日の晩には準備を終えないと」

 頭の中でイレーヌがここを発つ準備の算段をはじめた。


 イレーヌは夕食を終えると、自室の机の前に座った。使い易さを考えて配置された棚、使い易さを重きに置いて購入したペンに墨。それらは理路整然を体現するイレーヌの性格を表しているようだった。

 イレーヌは封書を取り「Vicomte Pétrarque Francesco」を宛名となる封書の中央に書き留めた。そして、ペトラルカに自分の要望をしたためた。蝋蜜で封蜜し自分の紋章を刻印する。そして、その右下の方に「Comte d'Anvers Irène」と自分の名を入れた。

 この嘆願が聞き入れられるかは、近衛隊や親衛隊の判断になる。イレーヌとしては預り知らぬ事となり、上手く行くことを祈るのみである。


 イレーヌはまずサンピエール教会に行き、その足でブルネレスキの刀鍛冶工房に向かった後、再びサンピエール教会に行くつもりでいた。

 いまイレーヌはたった一人で荷馬車を操っている。イレーヌは馬をコントロールすることが決して下手でないものの苦手だった。できればやりたくない作業だった。イレーヌの母親が剣捌きが不得意であるように、混血にも得手不得手はある。

 イレーヌはどこかの町で馭者を雇うつもりでいた。これが近衛隊や親衛隊の正規な辞令でも発令されておれば、大手を振って領主に馭者の貸出を要請できる。確かにイレーヌは近衛隊には登録されている。しかしそれは登録されているだけで、いまは謂わば非活動化状態であり、まさに幽霊剣士状態なのである。「辞令を貰っとくのだった……」先に活動状態にして近衛隊の特権にあやかっとけば面倒臭いことにならずにすんだと、イレーヌはちょっぴりずる賢いことを考えるのだった。


 馭者のような旅人の世話をする不安定な職に就く者にとって、混血は上客であった。金払いは良い上に、爵位を鼻にかけてくる者も少なく、混血の剣士の能力を考えれば旅路の安全も高くなる。その為、文字は読めなくとも、馭者が混血特有の紋章、向かい合う二羽の鷲と爵位を表す剣の本数の意味を理解できることは必須だった。特に剣本数が表す爵位は重要で、雇われる馭者は混血を爵位のみで呼び、決して混血の名を問わず、呼ばないのが無言の決りとなっていた。

 イレーヌは偶々目についた年若の馭者に声を掛けた。

「そなた、名は」

「伯爵様、ドゥーエと言います」

「ドゥーエはやはり次男なのか?」

「そうです。伯爵様」

「ドゥーエ、今から交渉に入る。よいか?」

「はい、伯爵様」

 イレーヌは行き先と経由先を告げた。ドゥーエはほぼ相場の値を言ったので、イレーヌはそれだけで彼を雇ったのだった。安すぎるのも、高すぎるのも、良い印象はない。

「伯爵様、少しお待ちください。わたくしの馬を連れてきますので」

 と言い残し廐舎に向かって走り出した。馭者が連れて来る馬は彼が帰りに乗る馬である。帰りの足を確保するのは当然の事、勿論、値に含まれている。

 基本、馭者と混血との間には必要最低限の会話しかない。「貴族様のことは干渉しない」平民にとって、貴族とは別世界の人間であり、さらに混血は近衛隊の剣士である。もしお偉方の秘密などをうっかり知ってでもしまったら、碌なことにならないと信じ切っている。お偉方の秘密など知りたくないという感覚は「君子危うきに近寄らず」という諺があるように、立派な処世術であることは間違いない。

 例外は勿論ある。混血の方から話かけられた場合や暇つぶしに何か話をして欲しいと要求された場合である。上客の頼みは無下にできない。心内はともかく、友好的な顔をして彼らの要求に応えるのある。

 イレーヌは特に話し相手が欲しかったわけではなかったので、ドゥーエに話しかけることはなかった。一方、ドゥーエはイレーヌを見た時、やたら綺麗な人だなと思い、こんな人の仕事を受けれるなんてついてると、若い男性にありがちな現金な感想を持った。

 馭者は雇い主と同じ宿に泊まることはない。厩か荷台で夜を明かすである。混血の紋章がある馬車を盗むなどという愚か者はまずいないので、そこまでする必要がないのだが、やはり貴族様には近づかない事を優先させている。夜間の番をすれば、別料金が貰えると言うのも大きい。

 イレーヌに雇われたドゥーエも稼げる時は稼ぐという逞しい商人魂を持っていた。イレーヌは彼らの抜け目ない商魂を取分け不快もの思っていないし、好意的にも思っていなかった。言うなれば、そんなものという感覚だった。一日夜間に激しい雨が降った日だけ、イレーヌはドゥーエを無理やり宿に泊めさせた。それは優しい感情からきたものではなく、風邪などを引かれたら代わりの馭者を捜すのが面倒からであった。この手の行為は受けて側に良い方に誤解されるものである。ドゥーエは頼まれもしないのに、暇を見つけては馬車の点検をはじめたのだった。

「ドゥーエよ、我はそなたに点検を頼んではいないが」

「伯爵様、また雇ってもらえるように、馬車を点検してるのです。勿論、お代は要りません」

「そうか、確か、損して得取れ、と言ったかな……」

「はい、伯爵様。その通りでございます」

「解った。ドゥーエ、好きにするが良い」

「ありがとうございます、伯爵様」

 ドゥーエはまたイレーヌに雇ってもらえる可能性が僅かですもあるのではないかと言う希望が持てた。それが嬉しかったのである。


 イレーヌはサンピエール教会に寄り、ペトラルカ卿への請願書を教会の事務局に預けると、足を止めることなく次の目的地、ブルネレスキ卿の刀鍛冶工房に向かった。公国の半島を半分ほど縦断することになり、それなりに時間を要する。イレーヌは剣の事、ラウラの事を考えていた。噂の吸血鬼の名が判れば対応案を練ることが出来るが、何の情報もない場合は、自分の一番得意な闘い方を想定し、不利となれば負けない闘いに徹するしかない。もしもラウラが吸血鬼に転化していたなら、勝つことは放棄して、例え消極的と誹りを受けようとも、徹底的に負けないように闘うしかない。剣の腕では自分はラウラに敵わない。気に入ろうが、気に入らないと文句を言ったところでそれが現実なのだ。

 仮想の敵に対して剣をどのように相手の急所へ差し込むなり、滑らすことが出来るのかを考えるている時、ふとあの青年を顔を浮かべることがある。最初の内は自分が恋に恋する乙女のような感覚に陥り、恥ずかしいやら照れ臭い感情に胸をときめかせたが、次第に疎ましく思ようになり始めた。

 プライドの高いイレーヌにとって、いつまでも自分の心を支配されているようで気に入らなかったのだ。イレーヌも長く生き恋も愛も知っている成熟した女性である。それが「こんな若造ごとき」に、と言う気持ちが、イレーヌ自身に全く自覚はなかったのだが、多分にあった。身も蓋もない言い方をすれば「私はそんな安っぽい女じゃないわ」と云う女性特有の自尊心が為せる業であった。


 イレーヌが自分の心に対して感情を持て余している内に、次の目的であるブルネレスキの刀鍛冶工房にたどり着いた。イレーヌが工房の庭に入ろうとした時、馬車の音を聞きつけたデ・ローザが顔を出した。

「あっ、ダンヴェール伯爵様。これは、これは、このような処にお越し頂き申し訳ございません。一言、(ふみ)を頂ければ迎えに行きましたのに」

 と深々と頭を下げた。

「ダンヴェール伯爵様。取り敢えずは、奥の部屋にお越し下さい」

「ドゥーエ、すまないが、馬車で待ってくれ」

「はい、伯爵様」

 工房の奥に入り、質素な応接間に通された。デ・ローザはイレーヌに椅子を勧め、

「飲み物を持って参ります」

 と言ってこの場を離れようとした時、イレーヌはデ・ローザに向かい、

「デ・ローザ殿、少しで良い。馭者に何か飲み物と食べ物をお願いする」

 デ・ローザは、

「分りました」

 と頷き、応接間を後にした。


 デ・ローザが赤ワインを持って戻ってきた。デ・ローザは申し訳なさそうな顔をしながら、

「この地のワインです。お口に合うと良いのですが……」

 イレーヌにワインを勧めた。

「すまない、頂く。デ・ローザ殿。今日は剣の事で相談した事があって参った」

「ダンヴェール伯爵様。当工房の剣で何か不具合がありましたでしょうか?」

「いや、問題はない。長剣を新たに二種製作して頂きたい。今よりも長いものと短いもの。それと頸斬りの剣も」

「頸斬りの剣ですか……」

 デ・ローザが顔が曇ったのは当然の事だった。

「頸斬りの剣」この剣の主な用途は、妖魔を確実に死を与える為に頸を落とすことである。即ち、この剣の製作依頼があるという事は、妖魔が出没したことと同義になる。教会は妖魔の事は何も言っていない。言い換えれば、この情報はまだ非公開な情報と言う事に他ならない。お偉方の非公開な情報など下級貴族や平民が知って良いものではない。そこは刀鍛冶工房で働く者の心得、この手の話題には触れることはせず、あっさり話題を変えた。

「ダンヴェール伯爵様は、モントルイユ侯爵様の後継者だと聞き及んでおります」

 イレーヌは今さら何をと云う表情を少し見せた。デ・ローザは少しだけ柔らかい表情を作って、

「先日、マルティニ侯爵様がこちらにお見えになりました」

 イレーヌは自分の顔が引き攣るのが分かった。ここにきて思いも寄らない一撃だった。内心の動揺を顔に出さぬように、

「いつ来たの?」

「はい。ほんの一週間前になります」

「シモーネも長剣と頸斬りの剣を注文したのね」

 デ・ローザはイレーヌの問いに何も応えなかった。その行動は彼女の言葉を肯定していると知らしめていた。

「そう」

 イレーヌはデ・ローザから出された赤ワインを一口飲んだ。赤ワインにしては甘く感じた。シモーネが注文した剣の詳細が判れば、それからシモーネの状況が推測できる。しかし、デ・ローザはシモーネ本人の許しがない限り、決してその情報を教えてくれることはない。例え、同門の徒であっても。それが剣士と刀鍛冶との暗黙の了解であり、信頼を築くと言うことである。

「最近、シモーネと会ってないの。元気にしてた」

 デ・ローザは少し口ごもったまま、

「はい」

 と応えた。デ・ローザが話題の振り方を誤ったことを自覚したらしく、「しまった」という表情が漏れていた。

 イレーヌはそんなデ・ローザの表情に気付かない振りをした。イレーヌもデ・ローザも役者としての才能は皆無であり、お互い思う処はあったのだが、余計な事を言ってで気まずくなることを防ぐ程度の大人としての度量は持ち得ていた。

 彼らはイレーヌが注文する剣についての話に戻した。イレーヌは長い方の剣を自分の得意な剣術をさらに有効に使う為に、デ・ローザに調整を頼んだ。具体的には重心の位置を元の剣と違わぬようにと。短い方の剣は、モントルイユの剣術に似合わない耐久性重視だった。モントルイユの剣は変則的な動きするが、その攻防における性質は超攻撃的な剣であった。イレーヌがこの二種の剣を欲したのは、もしラウラが吸血鬼に堕ちていた場合の対抗策だった。長さの異なる長剣を三種用意することで、少しでも戦況を有利に持って行く為である。

 正直、イレーヌはラウラが吸血鬼に堕ちていた等と考えたくもないのだが、戦闘と言うリアリズムに生きてきた性が最悪の事態に対応する心を忘れさせてくれなかった。自己嫌悪とは違うそれは剣士の習性とも言えばしっくりくる悪癖のようなものだった。

 デ・ローザが話題を頸斬りの剣の仕様に方向転換させた。

「ダンヴェール伯爵様、頸斬りの剣はこちらで見本が数本あります。それをお持ちしますので、少々お待ちください」

 イレーヌは無言で頷いた。頸斬りの剣に特に要望はなかった。妖魔が復活しないように頸を刎ねるのが目的の剣である。生命のやり取りをするような場面ではまず使用しない。頑丈であればそれで良いのである。

 デ・ローザが持ってきた頸斬りの剣をイレーヌは軽く振った。文句のつけようのない一品だった。

「デ・ローザ殿、貴殿の師匠、ブルネレスキ卿にご挨拶をしたいのだが、ブルネレスキ卿はおられるのか?」

 デ・ローザは何ともバツの悪そうな顔をして、

「我が師は逃げました。きっと、ダンヴェール伯爵様に会うのが恥ずかしかったのでしょう」

 イレーヌは不思議そうな顔をして、

「それはどういう事か、伺って良いか?」

「いえ、お気になさらないで下さい。我が師にはよくある事です。いちいち気にしていたら、心も体も持ちません」

「……そうなのか」

 イレーヌは返答に窮した。少なくとも弟子がそう言うならば、そう言う事にして於こうと考えた、イレーヌだった。

「それで、ダンヴェール伯爵様はこの後、宿とかはどうなさいますか?」

「この地でも宿くらいはあるだろう。なければ荷台で寝る」

「宿は一件ございます。ブルネレスキ工房の客だと言っていただければ、それなりに融通が利きますので是非とも我が工房の名を告げて下さい」

「了解した。ブルネレスキ工房の名を告げさせて頂く」

 デ・ローザの兄弟子も加わって、別れの挨拶を交わし、イレーヌはブルネレスキ工房を出た。

 兄弟子はイレーヌの顔を見て何やら納得した様子だったが、デ・ローザに睨まれ素知らぬ顔をしてやり過ごした。この辺のやりとりは師匠ゆずりと言うところか。


 再びサンピエール教会に向かいながらイレーヌは考え込んでいた。ラウラの事だった。ずっと同じ思考がぐるぐると回っているだけで、何ひとつ建設的なものではなかった。しかし、イレーヌとしてはともすれば思考が悪い方へ流れていき、気分が鬱々となるよりはまだ救いのある状態だった。馭者のドゥーエに他愛無い話相手を頼めば、雇われの身でなくとも彼は快く引き受けてくれるのだが、イレーヌにはそこまで気が回らなかった。イレーヌの思考がそれだけ硬直し融通が利かないものになっていたのだ。もしここでラディゲの事など思い出そうものなら、本気でラディゲに対して腹を立てていただろう。

 ドゥーエはイレーヌの事を気に掛けていた。しかし、こういう時に貴族様に気軽に声を掛ける良いものか判断しかねていた。もしイレーヌの方から話掛けでもしたなら笑顔で話せるといつもドゥーエは思っていた。世の中、なかなか期待通りに行かないもの。ドゥーエはそれがじれったかった。

 イレーヌたちがサンピエール教会まで後一日までの距離にあるグイチャルディーニ伯領に入った。伯はシードルの崇拝者として有名でシードル用の荘園を持ち自前のシードルを造るまでの熱の入れようである。

 僧会や近衛隊の出陣や帰還の時に、グイチャルディーニ伯の離れに泊まることが慣例になっており、ここで出されるシードルは高級品が出されイレーヌに限らずその信望者は多い。イレーヌは今回それが飲めないのが、それは当然の事だが、何となく不満だった。

 イレーヌは宿を取り食事に出かけようとした時、ドゥーエを誘った。ドゥーエは世間話の相手ならまだしも、食事に付き合うのはさすがに気が引けた。はっきり言って恐れ多いのである。イレーヌは今までラウラの事で気が滅入っていたので、その気分転換としての行動だった。傍から見れば、もっと早く気分転換をすれば良いのにと思うもの。当人がそれに気づくのは信じられないくらい時間が経ってからと言うのは、意外に多い事柄である。

 一旦はイレーヌの誘いを固辞したドゥーエだったが、イレーヌが「そう硬くなるな」と再び誘われた時は、これ以上固辞するのは失礼だと思い、イレーヌの誘いを受けた。ドゥーエにとって貴族との食事は生まれての出来事だった。ドゥーエ本人にしてはこんな事態が起こるなんて、考えるに至らない事だった。

 とは言え、彼らを迎えるような貴族の知り合いもなく、領地持ちの貴族は基本外食はしないので高級料理店などそもそも存在しない、たまたま見つけた安価の店に入っただけだった。それでもドゥーエが硬くなるのは無理からぬ事。

 ただイレーヌは華美な服装はしておらず、旅人のような質素な格好をしていたのがドゥーエにはせめてもの救いだった。

 当たり障りのない会話。イレーヌが頼んだ食事の味がドゥーエにはあまり感じられなかったのである。ただただ恐縮し緊張したのである。最後に安物のシードルを口にした時、イレーヌは、

「ドゥーエ、そなたに感謝を。我が色々と考え込んでいたのを気に掛けてくれた」

「滅相もございません。こちらこそ、伯爵様にお気遣いいただき感謝するばかりです」

 イレーヌは唇に笑みを称えることで、ドゥーエの言葉に応えた。


 サンピエール教会の中には馬車は入れない。門の手前までしかいけないのである。イレーヌの荷物は馭者のドゥーエが手で運ぶことになる。イレーヌは決して手を出すことはない。それが身分階級と言うものであり、誇りを持って仕事をすると言うことである。

 全ての仕事が終わり、イレーヌはドゥーエに後払い分の報酬と少し多めの心づけを付けて手渡した。ドゥーエは意外に多い報酬に感激し、

「伯爵様、ありがとうございます」

 と深々と頭を下げた。

「ドゥーエよ。(えにし)があれば、そなたをまた雇うとしよう」

 イレーヌの言葉にドゥーエは再び頭を深々と下げた。

「ありがたいお言葉です。神の導きがありますように」

 十字を切ってドゥーエは背を向けて歩き出した。イレーヌはそれを見てすぐに踵を返し僧会の事務局に向かった。ここで剣の訓練をする為である。

 何ともあっけない二人の別れ方だった。契約で結ばれた関係であることを念頭に置けば、現実はこういうものである。


 ドゥーエは伯爵様の名をブルネレスキ工房で聞き、その名をしっかり覚えた。「ダンヴェール伯爵様」だと。意外にも、ドゥーエを含む一般庶民は、ラウラのように救国英雄などと祭上げられた有名な剣士を除けば剣士の名をほとんど知らない。ブルネレスキ工房についても、有名なので名を知ってくらいでそれがどれ程の地位と名誉を持っているかまでは知らないのである。ただ有名な工房のお得意様のようだったので、きっと名のある剣士なのだろうと思ったのである。ドゥーエは少しだけ、未来のソロバンを弾いてちょっと嬉しくなった。

 そして何より伯爵様は物凄い美人だった。こんな美人と(えん)が持てたことが嬉しかったのである。どんな時代に於いても、男は単純な生き物である。

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