Le Diable au sang et corps 2-e
【2e-e Chapitre】
第二次ベルン門会戦、ヘルヴェティア軍とトゥッリタ軍の戦いはヘルヴェティア軍の敗北、トゥッリタ軍の勝利で幕を閉じた。ベルンはトゥッリタ公国を新たな支配者として受け入れることになった。
数名の上級士官(貴族)と五十名足らずの従卒兵がベルンからジェヌアにこっそりと逃亡していた。
ジェヌアはヘルヴェティア王国の王都としても現在機能している。以前は自由都市トゥリクムを王都としていたが、現在のトゥリクムはトゥッリタ公国の配下になって治められている。四十年以上前のトゥッリタ公国がヘルヴェティア王国との会戦に勝利した際に、ヘルヴェティア王国の領地の半分以上を手に入れ、その領地一つに、王都であり自由都市のトゥリクムがあったのだ。その元王都はベルン門まで三十リューほど東にあり、第二次ベルン門会戦に於いてトゥッリタ軍はトゥリクムを補給拠点として陣を展開していた。
トゥッリタ公国との会戦で王都を奪取されるという屈辱的な敗戦の影響で、ヘルヴェティア王国の実勢は国王の権力より新教教会の長老会が絶大の権力を振るっていた。云わば教会、長老会の足許に王家と諸侯が跪いているのである。ヘルヴェティア王国と名乗っているが、ヘルヴェティア新教国と名乗った方が実を得ている。
いまサン=ピエール大聖堂の奥にある司祭部屋に長老会の主要メンバーと国王と有力な諸侯が雁首を揃え卓を囲んでいた。上座に座るのは主教であるフルドリッヒ・ツヴィングリ猊下であった。彼はこれ以上の戦闘は最早無意味だと感じていた。この先トゥッリタ公国と戦ったとしても現在の戦力では勝利を掴むは不可能だと言い切れる状況である。血の気の多い司祭は徹底抗戦を唱える者もいるにはいたが、旧教信者の新教への嫌悪感を鑑みると、徹底抗戦は新教教会関係者を皆殺しにしかねないのが正しい見方であった。
ツヴィングリ猊下としては、何としてもそれだけは避けたい事柄だった。だが降伏したとしても、見せしめとして、旧教の改宗を強要されるのは間違いない。無論、そのような事は受け入れる事は出来ない。「亡命」それ一択の選択肢のみである。旧教徒でありながら新教に寛容な皇帝がいる西ゲルマニア帝国が最も最有力な亡命先となるが、今回のトゥッリタ公国とヘルヴェティア王国との会戦については我関せずを通している。西ゲルマニア帝国の帝位に就くアマル王家はトゥッリタ公国と事を構える意思は全くなく、それどころか今戦えば敗北すると考える節さえあった。そんな国がヘルヴェティア王国の残党を受け入れるとは考えにくい。そうなると、亡命先というより落ち延びる先は北方の諸国となる。その有力な先がゴール地方の旧ラティーナ帝国属州だったアクィタニア州国となる。
アクィタニア州国は国教としては旧教ではあるが、特に新教を否定はしていない。西ゲルマニア帝国同様宗教には寛容な文化である。ただ政治的に不安であり、また北方や東方の部族からの侵略などもあり、いつ政変が起こってもおかしくない国情である。落ち延びるには些かどころか不安だらけだ。そんな処に行きたくなどないが、他に選択肢が無い以上、文句など言える立場ではない。即刻、彼らは落ち延びる準備を始めた。長老会、王族、貴族連中は一気に逃出すのではなく、逃出す為に持っていく荷物を幾度かに分けて運び出し、領民に知られることなく司祭や王族、貴族である施政者は逃亡することに成功した。
ベルン門を制圧したトゥッリタ軍がジェヌアを包囲した時、ジェヌアを治める責任者たちは既にトンズラしており、またフルドリッヒ・ツヴィングリ猊下は亡命時に邪魔になると考えた王族と貴族たちに、今まで頭を抑えられた恨みのあったのだろう、殺害されていた。
それを知ったジェヌア市民は怒りより呆れかえってしまったのだった。そしてそれよりも最大の問題は、旧教保守派の教徒が新教改革派を心底憎んでいることである。その様子はベルンでの新教教会の徹底破壊などのトゥッリタ軍の暴虐ぶりが伝わっている。ジェヌア市民の一部には死を覚悟し、徹底抗戦を唱える者も多くいた。追い詰められた彼らのように玉砕覚悟の徹底抗戦の考えに至るのは、新教教徒に限った事ではなく。もし歴史書を詳細に調査すれば、同じ様な事柄が数えきれない位存在すると知る事になるだろう。
トゥッリタ軍のジェヌアの包囲が完了し、徹底抗戦か降伏か、二日の猶予がトゥッリタ軍からジェヌア市民に与えられた。
トゥッリタ軍の勧告が為されたその日に、ジェヌアに残された修道士が単独でトゥッリタ軍に投降した。そして司令官である万人長に直訴を願い出たのだ。この無謀な直訴はその場で斬り捨てられてもおかしくない状況であった。しかし万人長であるリキメル卿はその修道士の直訴を受け入れた。命を懸けての直訴ならリキメル卿は直訴を聞く価値があると感じたのだ。そして、修道士はリキメル卿の前で跪き大きな声で訴えた。
「閣下、自分の命を閣下に捧げます。その代わり、ジェヌア市民の命をお救い下さい。そして願わくば、市民の安全も」
下手くそなロマンス語だった。修道士であった為、古語であり外交語のラティーナ語(旧教・新教の聖典は全てラティーナ語で書かれている)を話せたのだが、あえて敵国語を使ったのである。服従を意味する為に。そして自分の命を引き換えに、ジェヌア市民、新教改革派教徒の生命の保証と安全を訴えたのである。その修道士はジャン・Cと言い、旧教そのものを否定し改革すべしと唱える、過激な宗教観を持つ青年だった。
一方リキメル卿は旧教保守派の熱狂的な信者であった。ただし旧教保守派に見られる様な新教改革派に対する異常までの嫌悪感を抱いてはいなかった。ベルン包囲戦と同様に、敵対するのであれば徹底的に叩くが、白旗を揚げるのであれば無益な血を流すことはないと考えていた。リキメル卿はこの修道士の直訴を聞き入れ、抵抗しないのを条件に、勇敢な修道士とジェヌア市民の生命の安全を保証した。それだけなく自軍のジェヌアへの進軍を禁じたのであった。無駄な摩擦を抑える為である。この人道的な処置は、この先起こる事変(ここでは語らないが、数世紀後、この地が新教改革派の聖地となる)を知っていたならば、正しい判断だとは言い難いものだった。そして、なぜここまでリキメル卿がこの修道士に肩入れしたのか、その理由は一つ。この修道士の行動が、主が人々の罪を背負い昇天されたことと重なって見えたからであった。
フロレアールの最期の日、ジェヌアは無血開城され、ヘルヴェティア王国はその名を歴史のページから消える事となった。




