第88話
剣闘士大会の会場は帝国一の広さを誇る闘技場で行われる。数十万人規模の観客が入ることの出来る、ひたすらに大きい闘技場。その受付ホールに俺は大会へエントリーするべくティアラ、レニと共に足を踏み入れていた。
周りを見渡す限り、そこまでの実力者はいないようにも感じる。チラホラと分厚い戦歴を感じる貫禄のある者もいなくもないが、五十歩百歩という印象だ。
「こちらに記入してください」
見た目は20代前半に見えるきっちりした格好の受付嬢にエントリーシートを渡された。
記入項目は名前、出身国、職業のシンプルに3項目だけ。名前以外は自由記入だった。
なので名前の欄に「マック」、出身国は空欄、職業に「傭兵」と記入した。
「マック……?」
隣で書いていたレニが俺の記入したシート内容を見て、頭にハテナを浮かべて首を傾げている。
「あまり目立ちたくないんでな」
俺はわざと意味深げに告げた。
すると雑な説明にも関わらず、レニは「なるほど」と深く納得したような表情で向き直った。
「そういうことなんですね! でしたら僕もマックさんと呼びます!」
レニは喜ぶように笑みを浮かべている。
何処に喜ぶ要素があったのだろう。
俺は「まぁいいか」と流すことにして隣にいるティアラに目を向けた。
ティアラはそんな俺達のやり取りを笑顔で見守っている。
ちなみにティアラに関してだが現在、認識阻害の魔法を発動させている。【魅了】と【魅惑】、両方のスキルを持つティアラは何かと目立つからだ。
コントロールの出来る【魅惑】と違い【魅了】は能力スキルであるため常時発動してしまうので、存在自体を薄くする魔法を用いている。
しばらくするとレニの記入も終わったようなのでエントリーシートを提出。それから受付嬢が大会ルールの説明をしてくれた。
・大会運営側が刃を潰した武器を多種用意しているのでその中から選んで使う。
・魔法の発動は禁止だが魔力を使うのは可。
・事故は未然に防げるように配慮していて、回復魔導師もたくさん配備しているが、基本的には自己責任。
・攻撃性質のない鎧や装備の着用は可能であるが、顔を覆い隠すような兜や仮面は不可。
と、簡単に説明するとこんな感じである。
「あれ~? 没落くんじゃないか」
説明を聞き終えた俺たちがホールから出ようとすると、横から声が聞こえてきた。
振り向くと髪を肩にきっちり揃えた男が見下すようにこちらへ笑いかけていた。年齢は俺達よりも少し上ぐらいの印象であった。
「バルフさん……」
その男の名前を下へ俯きながら気まづそうにレニは呟いた。
「学園を辞めたお前がなんでこんなところにいるんだ? まさか、大会に出場しようとしてんのか?」
バルフと呼ばれた男はさらに顔をニヤつかせながらレニ向けて問いかける。
それに対してレニは小さく「はい」と呟いた。
「お前みたいな没落の雑魚が勝ち進めるわけないだろ。記念出場なら倍率も上がるし、会場が白けるからやめてくれないか?」
「そ、それは……」
「ふんっ」
「うわぁ!」
口篭るレニの脚をバルフは蹴り飛ばした。
そのままレニは派手に転倒。
それを見ていた野次たちがヒソヒソと話し始める。
「何転んでんだあいつ」
「なにあれ、だっさ」
「弱いやつは帰って稽古でもしてろよ」
そんないたたまれない空気の中、バルフの背後から新たな声が掛かった。
「何を騒いでいるんだ?」
「ボ、ボロスさんっ」
先程まで傲慢な態度取っていたバルフが急にしおらしい対応に変わる。
ボロスと呼ばれた男は身体各所を守るように鎧を装備していて、180センチぐらいの高身長。爽やかの印象を感じる男だった。
その雰囲気やオーラからは歴戦を制してきた強者たる風格を漂わせている。
周りからは「あれが噂の?」「ボロス様だ……初めて見た」などの感嘆とした声が聞こえてくる。
「何をしているんだ?」
「すみません、こいつが雑魚の癖に大会に出場しようとするので」
ボロスの問いかけに淡々とバルフが答えていく。
その言葉を聞きながらボロスは床に腰をつくレニと、立ち尽くす俺に視線を交互に向けていく。
「放っておけ。参加して夢を見るのは自由さ。ゴミに構ってるほどの時間があるなら剣を振れ」
ボロスは嘲笑うかのように見下しながら言い放つ。それを聞いた俺は口元を自然と緩めていた。
「何がおかしいんだ貴様! ボロスさんに失礼だろ!」
「いや、確かにその通りだなと」
「どういうことだ」
「ゴミに構ってる暇が勿体無いから剣を振りに行こうかなって」
俺が言い終えた直後、何かが視界に入ってきた。
どうやらボロスが蹴りを放ってきているようだ。
――本気ではない。そう感じた俺は避けずに敢えて攻撃を受けることにした。
蹴りは右胸部にクリーンヒットして、俺は軽く吹き飛ばされる。
「今のも躱せないゴミが何を言っているんだ?」
ボロスは眉を寄せ、歪んだ笑みを浮かべて呟いた。
「お兄様!」
すると今まで黙っていたティアラが声を上げる。その声に気づいたボロスはティアラの方へに視線を向け始めた。
「女連れだとは思っていたが、よく見たら可愛いじゃないか。こんなゴミといるなら俺と来いよ」
声を発した事で魔法の効果が薄まったのだろう。ボロスはティアラの全身を舐め回すように観察してから、腕を掴もうとする。
イラッとした俺はボロスの手を弾くため、身体が自然と反応しそうになるが、その前にティアラがボロスの腕を躱した。
「安い男には興味ありません」
そしてすまし顔で見下すように一言。
その言葉に周りが騒然とし、空気が青ざめていくのがわかった。
ボロスが今にも怒り出しそうな表情をしているからだ。
後ろに待機していたバルフもあわあわと口に手を当てて動揺している様子だった。
「お前……ふざけてんのか」
途端にボロスの魔力が一気に膨れ上がる。
さらにそのまま腰の剣に手を掛けた。
「お前達! 止めないか!」
そんな殺伐とした空気が流れているなか、また新たな声が聞こえてくる。
声の方向に目をやると、金髪のブロンドに立派な鎧を着用した女騎士がこちらに向かってくる。
キツそうな目付きではあるが美人の印象を受ける容姿。
そんな金髪の女騎士の顔には見覚えがあった。
確か悪魔を倒しに《ラグナ》として皇国の闘技場へ行った際、ミロード王子に向かって「ミロード様!」と必死に叫んでいた騎士だった。
ボロスはその女騎士を見た直後、チッと舌打ちをして、魔力を一気に霧散させる。
「ここで争うなら外で出ろ。ただし私が相手になるぞ」
「金雄騎士団団長のフレリィー様が遥々ここまで来るとは王国も相当暇なんだな」
ボロスはからかい混じりで嫌味な笑みを浮かべながら言い放つ。
「……こんな子供をいじめるのはいくら功績や実力があっても許されんぞ」
フレリィーと呼ばれた騎士はボロスの言葉に一瞬だけ歯を食いしばるが、すぐに冷静になり睨みつけた。
「はいはい、白けたからもういいわ。小僧、予選であったら覚悟しとけよ」
そう言い捨てながらボロスは軽く笑い、立ち去っていく。
その後ろをバルフが追っていった。
「君たち、大丈夫か?」
「大丈夫です騎士様」
心配そうな表情で俺達へ交互に目を配らせるフレリィーにレニは慌てて感謝を述べる。
「あれっ、先程まで少女がいたような気がしたんだが」
フレリィーは辺りを見渡しながら口ずさむ。
居たはずのティアラは姿を消していた。
正確に言えば最初にフレリィーの声が聞こえたときに、ティアラが気まづそうな顔をしながら【気配遮断】を密かに発動させて外に出ていったのだ。
ボロスが言っていた事が正しければ、この金髪の女騎士は王国の騎士団長の1人。だからティアラは皇女として顔見知りだったのかもしれない。
ということはつまり俺とも間接的に顔見知りの可能性があるということになる。
「あれっサナさ――」
「俺が逃がしたんだ。無事に逃げられたようでよかった」
レニの言葉を遮り、俺はしれっと誤魔化した。
「そうか。そうならいいのだが……それより君たちは剣闘士大会に出場するのか?」
「はい!」
元気よく答えるレニ、俺は軽く頷くのみの反応で返した。
「本来は君たちのような子供が参加するのはよくないのだが……危ないと思ったらすぐに棄権するんだぞ」
少し俺達を観察したフレリィーは心配そうな表情で呟いた。
「はい、ありがとうございます!」
「あと先程の――ボロスに当たった場合はすぐに棄権しなさい。あんな態度ではあるが、あいつの実力は本物だ。怪我だけじゃ済まなくなる」
――有名なのか? と問いかけようとしたが寸前で止めた。
周りの反応から有名人っぽい雰囲気を感じたので、帝国の者じゃないのか? と疑問を抱かせてしまうかもしれなかったからだ。
なので俺は素知らぬ顔で目線を外すことにした。
「あれ、君は私とどこかで会ったことはあるか?」
だけど突然フレリィーが俺に向けて話を振ってきた。
記憶をたどる限り俺と女騎士の接点はないはずなので、落ち着いて対応をした。
「初見だな。会ったことはない」
「ふむ、そうか……そうだよな」
少し首を傾げるが納得したように頷く。会ったことないはずではあるが、王国ですれ違っている可能性は多いにあるのも事実だった。
「ではエントリーを済ませたいから私はこれで失礼する。剣闘士大会は各国から猛者達が集まる大会だ。だから君も無理しないようにな」
そう言ってフレリィーは立ち去っていく。
俺とレニも歩き出し、闘技場の外へ出ていった。
「少々焦りましたわ」
「サナさん、急にいなくなるから心配しました!」
会場の外に待機していたティアラに笑顔を向けるレニ。
そんなレニを横目に、ティアラは俺に耳打ちをした。
「あの騎士は顔なじみですわ」
「そうじゃないかと思ったけど。俺は会ったことがない」
「王国のクロード家の令嬢です。お兄様の通う学校にもクロード家は在籍していましたよね?」
それを聞いた瞬間に理解した。
あの女騎士はヴァンと同じ家の者らしい。年齢から推測すると姉という立ち位置になるだろう。
「め、目立たないように注意しないとな……」
知らない土地なら少しぐらい目立つことになっても大丈夫だろうと高を括って大会に参加したのだが、そうでもないらしい。
後々の苦労を想像しながら俺はゆっくりとため息混じりに肩を落とすのだった。
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