第76話
時は数時間遡る。
悪魔調査のために皇国領に入ったクロード家の調査部隊。そんな調査員達を横目に、ヴァンはここに来るきっかけを思い出していた。
クロード家は公爵の地位に付き、王国でも一番といっていいほどの有名な騎士家系だった。そんな家柄の五男として生まれたヴァンは爵位を継ぐこともない故に騎士になるべくして育てられる。
頭がいい方ではなかったヴァンは周りからは何も期待されることがなかったのだが、5歳の信徒の儀を堺に一変する。
剣術での稽古中、家庭教師を負かしてしまったのだ。
それ以来、剣術に関してはクロード家から期待されることとなり、英才教育を受けることとなる。
元々小さい頃に読んだ絵本の中の英雄に憧れていたヴァンは剣術を極められる事を喜んだ。
そして思うがままに剣術を極め、14歳にして"剣帝"の二つ名までもらうまでに成長したのだ
そんなヴァンではあるがクロード家にとってはコマにしか過ぎない。
何より地位や名声に拘るクロード家は、サタン事件によって《ラグナ》が悪魔を討伐し、英雄扱いする動きをよく思っていなかった。
クロード家は「我が家の騎士こそ英雄に相応しい」と思っているからだ。
それ以来、クロード家は討伐する事を目的にわざわざ悪魔の情報を集めだした。
そして掴んだのが皇国領での目撃談。
クロード家はその英雄の名声を手に入れるために調査員としてクロード家の騎士を向かわせたのが今回の経緯である。
たくさんいる兄弟の中でも、長男である聖騎士"剣王"クウガ、長女である騎士フレリィー、そして"剣帝"のヴァンは実力が秀でている。
クウガは王族交流会によって聖騎士として皇国に滞在しているため、五男であるヴァン、長女であるフレリィー、そして調査部隊3名と唯一悪魔と遭遇したグリムが皇国領の悪魔調査に抜擢されたのだ。
「考え事かい?」
「いや、そんなつもりはないぜ。それにしても先生は呑気だなぁ……」
ヴァンは緊張感のない笑顔で近寄ってくるグリムに呆れるように呟いた。
グリムは一口サイズのお菓子を食べながら、口をモグモグと動かしている。
「君も食べるかい? 考え事には甘いものがいいよ」
「先生ってあの事件以来変わったよな……俺は大丈夫だぜ。ねーちゃんにあげればいいんじゃないか?」
「そ、それは恐れ多いね……」
グリムはそう言いながら先頭の方に視線を向けた。
ヴァンもその視線を追い、最前で指揮を取っている姉であるフレリィーを見た。
するとちょうど後ろを振り向いたフレリィーがヴァンに声を掛けてきた。
「ヴァンどうした、具合でも悪いのか?」
フレリィーはヴァンの事を心配そうに見つめる。
「悪いところはねーぜ! ねーちゃんこそあんまり無理すんなよ」
ヴァンは元気よく声を上げる。そんなヴァンにフレリィーは微笑みを返した。
「フフ、弟に気遣われるほど私はヤワではないよ。それはそうと――」
そしてフレリィーは表情を変えて眉をひそめ、厳しい目線でグリムを睨んだ。
「今は調査中だ。間食は控えてもらおう」
「あ、はい~」
勢いに飲まれたグリムは笑顔でお菓子をしまった。
フレリィー・アウストラ・クロード、女性でありながら学園卒業後すぐに騎士団に入り、17歳にして隊長を任されるまでになった実力の持ち主。
クルンと巻かれた綺麗な金髪と鋭い目。その鋭い目付きの通りで、誰に対しても厳しい性格を持っている――ヴァン以外には。
「もうすぐ例の祭壇の場所だ、気を引き締めてくれ」
フレリィーは再びキツい目線でグリムを睨む。グリムはコクコクと笑顔で首を縦に振った。
「ねーちゃん、この辺だとすぐに皇国の中央都市だよな」
「確かにそうだ、こんなに近いのに今まで発見されなかったということは最近出来た祭壇ということだろう」
「なんのために?」
「それは調査してみないとなんとも言えない――待てっ!」
そう言ってフレリィーは調査部隊員達を手で静止させる。目線の先には1メートルほどの祭壇、そして4メートルぐらいの狼型の魔物が1匹だけ禍々しい魔力を纏いながら鎮座していた。
「あれは……《グレイブス・ウルフ》だよな」
「Aランクの魔物がこんな場所に? ここ中央都市付近だよ」
首を傾げるヴァンに対してグリムは相槌を打ちながら剣の柄に手をかける。
フレリィーも剣をゆっくりと抜いていく。
「あれは凶悪だ……だが私たちなら勝てない訳では無い」
気配を察知してか《グレイブス・ウルフ》はヴァン達の方へ振り向き、威嚇の動作に入る。
「グルルゥ……」
「臨戦態勢だぜ」
ヴァンの口元は自然と綻んでいた。
「私とグリムは先に行く、ヴァンは私たちと交代で前衛を。それ以外は魔法による援護をしてくれ」
そんなヴァンを横目に真剣な表情のフレリィーは作戦を叫んだ。
「おっしゃー、行くぜ!」
―――
――
―
「あともう少しだ、油断するなよ!」
隊長を任せられているフレリィーの指揮は的確で、戦いは順調に進んでいた。
ここまで怪我人は誰一人出ていない。
「おらよっと」
「グルァ!!」
ヴァンの一振り。
幾多もの攻撃を受けた《グレイブス・ウルフ》は既にヨレヨレで、確実に少しずつ弱ってきている。
ヴァンは入学試験の際、クレイに負けてからはこれまで以上に過酷な訓練を強いてきた。
それにより王都でヴァンに勝てる者はほとんどいないぐらいの強さになっている。
「ヴァンはそのまま下がって、グリムは私と懐を狙う」
「了解です」
グリムは怯んだ《グレイブス・ウルフ》の顎を上に向かって切りつける。
その隙にフレリィーは懐へ剣を突き立ようとした時――。
「ねえちゃん危ない!」
ヴァンは動き出していた。
上空からとてつもないスピードで"何か"が落下してくる気配を感じ取ったからだ。
そしてフレリィーを突き飛ばし、一緒に飛ぶことで庇うように抱きとめる。
"何か"は勢いよく地面に落下。地面がめくれる音が響き、土煙が辺りを覆った。
その衝撃で調査員達も後ずさる。
土煙が少しづつ晴れていき、中央から黒い"何か"が姿を表した。
「やれやれ、こいつを殺されたらこまるんですよ」
2メートルを少し上回った大きさでほっそりとしたシルエットの人形、全身に黒い靄のようなものがかかっていて、頭部にはぐるっと渦を巻いたような角を生やしている。
「何者だっ!」
「……ん? あぁ、僕に言っているんですね」
その瞬間――ふっと黒い人形は姿を消した。
消えたのではなく移動したのだ。
それにいち早く気づいたヴァンは剣を気配の移動先に振るった。
<キンッ>という金属音と共に黒い人形がフレリィーの目前に現れた。ヴァンの剣は黒い人型の爪を止めていた。ヴァンが止めなかったらおそらくフレリィーは貫かれていただろう。
「人間如きが僕達に口を聞かないでくださいよ」
「おらぁっ!」
ヴァンは力を込めて剣を振るうと、黒い人形が後ろへ飛び距離を取った。
「ヴァンくん、そいつは悪魔だ! 油断するな!」
グリムは焦った表情で剣を構え直していた。
ヴァンも黒い人型から出ている圧倒的な魔力を見て身を引き締め直す。
「そこの赤髪はなかなかですねぇ。いいでしょう。私の名は《ベリアス》。これから皇国を滅ぼしに行く悪魔の名前です」
淡々とした口調に丁寧な仕草で名乗ったベリアスの表情は、靄がかかっているにも関わらずこちらを嘲笑っているように見えた。
「なっ……皇国を……?」
「俺たちがさせると思うのかよ」
体制を立て直したフレリィー。
そしてヴァンは全身に気力を滾らせ殺気を放った。
ベリアスはそんなヴァンの殺気など気にすることなく無視をして、《グレイブス・ウルフ》に視線を向けた。
「おい、何をやっているんです、さっさとしてください」
「ガウッ!」
《グレイブス・ウルフ》は返事をして立ち上がった。すると祭壇から触手のようなものが出現し《グレイブス・ウルフ》に巻き付いていく。
「まさか……」
グリムが目を見開いた。
触手に巻き付かれた《グレイブス・ウルフ》は枯れ果て、灰になって消えていく。
その直後、祭壇の地面から魔法陣が出現した。
「知っていますか、悪魔を呼ぶ方法を」
ベリアルの表情が揺れる。
魔法陣は赤黒い光を放ち、祭壇がたちまち壊れていった。
そして中央から、新たな"何か"が現れていく。
体長3メートルと大柄で、牛のような頭に、大きな翼を背中に付けた人型。赤黒い魔力が羽に渦巻いている。
「おはよう《ザガン》」
「ガグゥゥゥ!」
「まだ、知性はありませんか……そうだ、そこにご飯がありますね。その者達の魂を食べれば少しは役立つ悪魔に育つでしょう」
ベリアスは笑顔でヴァン達を見下した。《ザガン》も視線を向けて吠える。
「ガルァァァ!」
「どうする……悪魔2体では流石に……」
ベリアスとザガンの圧倒的な魔力に気圧されながらも、しっかりと剣を構えながらフレリィーは声をあげた。
その言葉には震えを感じさせる。無理もない、3人の調査部隊員達は立っていることも出来ないぐらいに震えて、涙しているのだから。
ヴァンはそんな姉を見て、しっかりと剣を構え直した。
「ねえちゃんは逃げてくれ……」
「何を言っている、逆だ! ヴァン、グリムと調査員達を連れて逃げろ」
「うるせー! ねーちゃんには生きてて欲しいんだ!」
「ヴァンはここで死んでいい人間じゃない。隊長命令だ!」
「死ぬつもりもねーよ! 俺はこいつらを倒すつもりだ!」
ヴァンの目は死んでいない。それはグリムも同じだった。
「盛り上がってるところすみませんが――」
2人のやり取りにベリアスはヤレヤレと言いたげな仕草を交えつつ口を挟んでくる。
「僕は忙しいんですよ。君たちみたいなカスを相手にしている暇はないんです。カスの相手は《ザガン》に任せて僕はそろそろ行きますね。ザガン、カスを食べたら皇国で合流です。わかりましたか?」
「ガグゥ!」
ベリアスはヴァン達をゴミを見るような目線を向けながら、羽を生やし宙へ浮いていく。
「舐めるなよ!!」
「では、私はおいとましますね。また――あぁもう会うことがないんでしたね。せいぜい我々の養分として良き働きを」
そう言ってベリアスは皇国の中央都市の方に羽ばたいていった。
「クソっこのままじゃ皇国が!」
「大丈夫だ、皇国にはクウガ兄さんがいる。私達はこの悪魔に集中しよう」
「……そうだな」
ヴァンはそう言って目の前を渦巻く強大でドス黒い魔力を見つめ息を飲んだ。
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