第204話
結果オーライという言い方がある。
そこに至るまでの細々とした過程は問題ではなく、結果が良ければいいという考え方を指すものだ。
数字が出せるか出せないかの商売や、生きるか死ぬかの戦い。結果を求められる状況が多かったため、俺も概ねその考え方には納得いっている。
しかし、今回の事故に関していえば、その認識が間違っていることを実感することとなった。
「そう見えたか?」
ラバール商会の正面で、俺はそんな心中を悟られないように済まし顔で口元を緩ませながら応えた。
「気のせい、だったかもですわね」
その努力も無駄だったようで、何かを察したように眉根を下げて宝石のような赤い瞳に憂いを見せて彼女は告げる。
風に攫われた艶のある漆黒の黒髪を上品な仕草で直したのは《ティアラ・フリシット・クリステレス》。バロック王国の隣国であるミンティエ皇国の第3皇女である。
「もう大丈夫なのか?」
「お陰様で元気ですわ。それに昨日も会ったではありませんか」
後遺症が残っている場合だってある。
気になるものは仕方がない。
「そうだったな」
イーリス法国での暴走する神器を止めたあの日――ハクから届いた【メッセージ】を受け取った俺は即座に王国へと【転移】をした。
傷つき氷漬けになった壁や天井。血みどろの床。倒れる衛兵と騎士。王の間には悲惨な光景が広がっていた。
その絶望的な景色の中で唯一動けていたのはハクである。
どうしようもなく悔しそうに顔を歪め、吐き出すように状況を説明してくれた。
そして、俺は時が既に遅いことを悟ったのだ。
次元属性魔力の残滓が魔法の壮絶さを語っていて、発動すれば自らを含む空間を次元の狭間へと閉じ込める【次元牢獄】の痕跡が伝わってくる。
だが、数秒としないうちに状況は一変した。
何も無い空間がいきなり歪み、ティアラが現れたのだ。
ティアラは意識がなく、それどころか傷ひとつない状態であった。
生気があることを確認した俺はその一瞬だけは本気で安堵したのだ。
「……あまり思い詰めないでください。油断をした私の責任なのですから。それに、私はお兄様が助けてくれたのだと信じていますわよ」
ティアラはそう主張するが、そんなはずはないのだ。
遡ればその時間、俺は【古の鎮魂歌】によって眠っていたはずなのだから。
この事実は時間が経過するにつれて払拭できない後悔になり俺の中で広がっていく。後から後からどうしようもない感情が込み上げてくるのだ。
一歩間違えたら大切な妹をまたも亡くしていたかもしれない……。
ジルムンクでの、リンシアのときも同じ状況である。
俺は周りよりも秀でている部分があることを自覚はしている。しかしそれは、決して達観していい立場であるというわけではないのだ。
今に満足をしてはダメなのである。
もっと、もっと強くならなくてはならない。
不確定要素に邪魔されるようではダメなのだ。
大切な人を完璧に守りきれるように……。
「それよりも商会の用は済んだのか?」
数秒の沈黙。ティアラに過度な不信感を与えないように、俺は話題を変えた。
俺が何を考えていたのか、ティアラのことだから気づいているだろうが。
「はい。セントラル商会の宣伝網もラバール商会が好きにお使ってくれて構いませんわ」
俺の意図を汲み取ってティアラは優しい笑みを浮かべながら、上品な足取りで距離を詰めてきた。
「私はお兄様を待っていたましたの」
「緊急の要件か?」
「緊急ではありません――」
やがてその距離は零になる。
ティアラは俺の身体に手を回してぎゅっと抱きついてきたのだ。安心させる甘い香りが鼻腔を摩った。
俺は目を細めてながらティアラの黒髪に手を乗せる。
「まさかこれをするために待ってたわけじゃないよな……?」
「お兄様に甘えるのに理由が必要ですか?」
「その必要はないが……」
顔を上げて問いかけたティアラに俺は言い返せなくなる。
確かに理由は必要ない。
「実は少々厄介な状況になってきたことの報告をしに来ました」
やっぱりあるのかよ――そんなことを意中に留めつつ話を進めることにした。
「魔族絡みか?」
「おっしゃる通りです。ユーミルちゃんのいた魔王国がバハム魔豪国の属国になってしまいました」
「……タイミングが悪いな」
バロック王国より北部には大陸を横断するほどの長い山脈、ナルデウス山脈がある。
その山脈を超えた先にはいくつもの魔族国家が存在していて、その中でも1番手前にあるのがティアラの親友、《ユーミル》のいる魔王国であった。
進んで他国に攻戦したりはしない比較的温厚な国ではあるが、売られた喧嘩は徹底的に買い取るというスタンスの国なのだ。故に今までこちら側との争いも起きていない。
しかし、バハム魔豪国の傘下に入ると話は変わってくる。
バハム魔豪国は隣国という隣国に戦を仕掛けて勢力を増やしている好戦的な国なのだ。
その手が王国やその隣にある皇国に伸びることを危惧しなければならない。
現在は魔族襲撃事件のせいで王国民も魔族に対して敏感になっている。少しの綻びでも戦争に発展しかねないのだから。
「まだ期間も空いていないので、すぐ攻めてくることはないと思いますが……警戒はしておくべきかと」
「今は国王選抜で貴族達もピリピリしてるからな」
「はい、何より魔族に対して誤解している部分が多いですから……」
ティアラの顔に曇りが見える。
魔族襲撃を未然に避けられなかったこと、もしくは止められなかったことを悔やんでいるのだろう。
「ティアラは悪くない。悪いのはあのクソ野郎だ」
「……ありがとうございます」
クソ野郎、もといゲインのことを思い浮かべながら吐き捨てる俺をティアラは笑顔で宥めた。
「どちらにせよ、戦争だけは避けなきゃな。悪意ある戦いなんて何も残らない」
「私も全力で力添えしますわ」
「……無理はするなよ」
「お兄様も無理はなさらないでくださいね」
ふふっと優雅に笑い、ティアラは俺から離れていく。そして、くるっと体をターンさせて思い出したかのように問いかけてきた。
「そういえば、あのクリスタルに関しての解析はどうですか?」
「まだわからん。何かあればグリムから連絡が来るだろう」
クリスタルとは、ティアラが生還したときに手に握りしめていたものである。
直径15センチほどの手に収まる紫色の宝石で、内側を黒と白の光が旋律のように迸っていた。
金属よりも硬く、魔石のように魔力が流れているわけでもない。何かが凝縮された石という印象であった。
とりあえずは魔石の解析に炊けている学園の教員、グリムに預けている。
「何か『神力』に関わることでしょうか」
「魔力を感じないのだからそうだろうな。ただハーデスのような禍々しさはない」
「あのクリスタルは何か大切なもののような気がしますの」
「俺も感じてる。なんかの鍵だったりしてな」
そのあとしばらく談笑した。お互いの最近の出来事面白おかしく語る。
会話らしい会話も終わり、俺はティアラを見送ろうとした。
すると、ティアラが身体に魔力を纏い始める。
「どうした?」
「実は契約魔法の方も完成しました。私がお兄様を待っていた1番の要件ですの」
――
―
「なぁ、クレイ君の浮遊魔法って記憶石に保存することってできるんよね?」
茶色の髪から生えた猫耳をピクピクと動かしながら、探るように窺ってきた女性はラバール商会の会長、《セリナ・ラバール》だ。
セリナは獣人族であるが、人間と変わった点はあまりない。
特徴的な部分を示すなら、頭の上にある耳と尾骨の辺りから伸びている尻尾ぐらいで、言葉のイントネーションが標準ではないぐらい。
まぁ、一糸まとわぬ姿を見たわけではないので、確信しているわけではないのだが……。
そして、ここはラバール商会の会長室である。
建物の入口から入ると商品の置かれた大きめの棚が陳列する空間があり、教会で雇い入れた子供たちが出迎えてくれる。
カウンターを通って、そのまた奥へ進むとこの部屋にたどり着くのだ。
今は壁から床、天井まで綺麗にリフォームされていて、初めに足を運んだ際に感じていた古臭さはどこにもない。
「理論上は可能だが……何か気になることでもあるのか?」
俺はソファーに座り、子供たちの入れてくれた紅茶を啜りながら質問を返す。
「それを量産すれば、飛行する移動手段――飛行船が作れんとちゃうかなって」
「なるほどな」
セリナの発案に俺はしばし黙考する。
商売人としては才能のあるセリナのことだから、いずれはそこへたどり着くこともわかっていた。
今、それを告げるべきなのだと思う。
「結論を言えば、飛行船は作れる。お前が想像しているよりも遥かに簡単にな」
「じゃあ――」
「でも、やらない」
俺の否定に前のめりになりかけたセリナが眉間を寄せる。
「なんでなん? 飛行船があれば空輸ができるやんか。空輸があれば時短にもなるし、魔物との遭遇率も減るやんか。それに今まで行くことが困難だった場所にも物資を届けることができるやん」
少々まくし立てるようにセリナが言い放つ。
セリナの主張は全くその通りであった。
現在、ラバール商会の基本的な運輸方法は馬車である。
積める量には限りがあるし、護衛も必要だ。
近い領地ならそれでもいい。ただ、王国は端から端まで馬車で1ヶ月はかかるほど広い。
他国ともなればもっとかかるだろう。
それに因んで、馬車代、人件費、食費、馬の餌代、護衛依頼料など、日数に応じてコストが肥大していく。
遠方に行けば行くほど、利益は下がっていくのだ。
そのコスト的な面を飛行船なら一度に解決できる。燃料は魔力なので、魔力石を使えばいいし、護衛もいらない。空には道もないので、真っ直ぐ目的地にたどり着ける。
良いことずくめなのである。
「セリナの言いたいことはわかるぞ。俺も、皇女のティアラもそれを考えたんだ」
セリナは頭に疑問符を浮かべて首を傾ける。
「? ……じゃあなんで実行しなかったん?」
「リスクがあったからだ」
「リスク?」
「他国がその技術を真似て、飛行船による兵器を作るリスクだ」
「……」
思いもしない方向からの指摘だったのだろう。セリナは一瞬目を見開いて、黙り込む。
「飛行する平気はセリナの思っている何倍も悲劇を生むんだ。だから俺は飛行船を作らなかった」
どの時代でも空を制する手段は強い。飛行船の技術はやがて兵器に使われる。その技術が元に戦争に発展することを俺とティアラは知っている。
前世の歴史がそれを証明しているからこそ、俺はティアラと「この世界では文明を進めすぎないようにする」と決めていたのだ。
「技術を隠せばええんやない?」
「無理だ。完成させてしまったその瞬間から歴史は変わるんだよ。技術を隠しても、研究は進む。いずれはたどり着くか、似た何かが作られるだろう」
俺の反論にセリナはぐうの音も出ない様子で俯く。その暗い表情からは、飛行船には他に何か思い入れのあるように見えた。
「わかったわ……うん。クレイ君の言う通りやね」
そして無理やり納得させたように気丈に振る舞う。納得しているのならいいのだが……。
「何か考えがあったのか?」
「いや、気にせんで。兵器に利用されたら元も子も無い。リンシアちゃんに顔向けできんくなるわ」
どうやら本当に納得している様子であった。
それ以上詮索するのはよそう。
「……まぁ、今は陸路での手段を見直しているところだしな」
「あぁ、あの魔石を動力にするやつね。エンジンって言うんやっけ?」
「そうだ。騎馬たちの補助をしてくれる装置だ。半日で進める距離も3倍以上だと見込んでる」
「そら凄いなぁ。流石、私のブレイン」
セリナにいつもの明るい表情が戻ったことに安心する。
すると、会長室の中にひとつの気配が入ってくるのがわかった。
「ようやく来たか。オーガスト」
「あっちゃー、やっぱボスにはバレちゃいますかぁ」
何もないところで陽気な声が響く。
やがて、ふわっとその場に15歳ほどの青年が現れた。
黒髪の短髪。細身で、笑顔が爽やかな印象を受ける青年の名前は《オーガスト》。教会から雇い入れた子供の1人である。
オーガストは隠密の才能に秀でていたため、ラバール商会では情報収集を統括して担当しているのだ。
「練度はかなり高いぞ。ほとんどの奴は気づかないと思う」
「そうやね。正直私は気づかんかったしなー」
「ボスがそう言ってくれると励みになりますね! いやぁ、嬉しい!」
オーガストは感情表現が豊かなため、思っていることを直ぐに声に出す性格だ。これが隠密では全くの無になるのだから凄い。
「それで、何か新しい情報でも拾ってきたのか?」
「はい、実は……」
スイッチを切り替えて、真剣な眼差しをオーガストが向けてくる。
仕事モードというやつで、声も先ほどよりも低くい。
「誘拐は真実でした。とある貴族の領地に依頼された行方不明リストと特徴が似ている者が集められている場所があったんです」
「なるほど」
先程聞いたガロウの話を思い出す。
冒険者ギルドでも行方不明者は出ていると言っていた。もしかしたらその者達もそこへ集められているのかもしれない。
「あと気になることが」
それに付け加える形でオーガストが呟く。
「なんだ?」
「見たことないのですが、おそらくそこに魔族と思しき者がふたり、捉えられてました」
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