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第197話

「ダグラス、君は選ばれた。この力を使い、人族の優位性を示しなさい――」



 5歳で迎えた信徒の儀。そこでダグラスが12神、ヘルメスの使徒として選ばれたのは35年も前の話である。


 政権を握る上位権力者の司祭たちの間で生まれ育ったダグラスには優秀な魔法の才能があった。

 法国の潜在的な魔力を測定するという風習によって明らかとなり、自らもその事実を自覚することとなる。



 ――自分は神に選ばれた。

 ――自分は特別だ。



 天資英明、有智高才――いずれも天才を意味する言葉の全てはダグラスのことを指していると皆が口を揃えるだろう。

 それほどまでにダグラスの才能は群を抜いていたのだ。


 さらには努力も怠らない。

 幼い頃より書物を漁り、魔法の実験に明け暮れる日々。足りない知識があれば先人に窺いを立てる。魔物の討伐や戦場も10歳の頃に経験した。


 その上、使徒に選ばれたという事実が強い信仰心を宿し、教会への祈念は欠かすことがない。


 献身で堅実。信仰的な法国にとって手本となる人物像。15歳という異例の若さで最高司祭の地位に就くのも当たり前であった。



 ――争いのない平和な国を作ろう。

 ――法国を、いや世界全体を良くしていこう。



 それは状勢が見えすぎていたからこそのダグラスの目標であった。

 優秀が故に法国の政策が不完全なものだということを誰よりも理解していたのだ。


 腐っているという言い方が正しいかもしれない。


 他国が介入する外交的な問題ならまだしも、イーリス法国内での争いが絶えなかったのだ。

 お布施という名目の過度な税収。信仰という言葉を匠に使った都合の良い法や風習。


 そんなことになっているのも、聖女を信仰する聖女派と神を崇める司祭派に別れていたことが原因である。


 まずは法国の者がまとまらなければならない。ダグラスはそう考えていた。


 しかし、いくらダグラスが優秀であっても淀みきった状勢を何とかできるものではない。

 立場上では聖女派であるものの、ダグラスの目指す先は他の者と若干異なるため、同じ志を目指す者を見つけることが困難であったのだ。


 そんなダグラスの味方となる者が現れたのがおよそ7年後のこと。ダグラスにとって特別な出会いであった。



「本日より御側の命を受けました。ダグラス・ジ・ヴィンセントです。先代様の教えを私どもが引き継ぎます」


「……礼儀作法、政治に信仰、全てはお母様から学びました。私に教育係りはいりませんよ」



 艶のある濡れた黄金の髪。ぱっちりとした大きな瞳に通った鼻先。天使と見紛うほどの端正な顔立ちの少女が嫌そうに目を逸らす。


 その少女は聖女に就任されたばかりの《ステラ・アニエル・イーリス》であった。先代が亡くなったために聖女の地位に付いた淡い15歳の女の子である。


 平均年齢が45歳の最高司祭たちの中でダグラスは最も聖女と歳が近い、という理由で教養する立場としての命を受けたのだ。



 ――私だって子守りに時間を使っているほど暇ではない。



 などと憤っていたダグラスであったが、職務は職務。まじめな性格故に、ひたむきにステラと接する。


 最初こそ不服な態度を取っていたステラもそんなダグラスの堅実な姿を見て次第に心を許し、本来の姿を見せていくのであった。



「ダグラス様はいつも本を読んでいるのですね。本がお好きなのですか?」


「敬称は不要ですよ聖女様。私のことはどうかダグラスと呼び捨てなさってください」


「では、私のことも聖女ではなくステラと呼んでくださいますか。ダグラス様」



 いたずらじみた様子でステラは口を尖らせる。好奇心旺盛でいたずら好きの元気な少女。それが本来のステラの性格であった。


 加えるなら、ステラもまた優秀な才を持ち合わせていた。

 才色兼備であることは当たり前。政治や戦略においての起点の効かせ方。要領の良さ。女性らしい強かさ。なによりも上に立つものの素質を兼ね備えていた。

 まさに聖女としてなるべくして生まれた女性。


 いつの間にか、なんでも吸収して成長していくステラを教育する時間がダグラスにとって楽しいものとなっていた。



「魚料理といえばクラウディアですよね。ダグラスは魚介は食べられないのでしたっけ。ごめんなさい、私だけ幸せで」


「悪びる様子が窺えませんよ、ステラ様。それに食べられないのではなく苦手なだけです。食わねば死ぬという状況であれば喜んで食べるでしょう」


「じゃあ私のために生きてくれますか?」


「差し出さないでください。はしたないですよ。これを食べなかったとしても私が死ぬことはないでしょう」


「私が死にます」


「……冗談でもそんなこと言わないでください」


「あっ、私の大好物がダグラスに食べられました。ショックです」


「……ごくっ。食べろと言ったのはステラ様でしょう」



 落ち込んだ口調ではあるがどこか嬉しそうな様子のステラに幸せなひと時を感じていた。


 ステラもまた、争いのない平和な国を作りたいと願っており、ダグラスと同じ目標を抱えていたのだ。


 そんな彼女にダグラスは惹かれていくのであった。



 だからこそ、法国に伝わる悪しき風習がダグラスには許せない。

 『聖女降誕の儀』というもので、簡単にいえば新たな生命を宿らせるという儀式なのだが、その内容は歪であった。


 それは選ばれた司祭10名が順に房事していくというもの。


 聖女の子は特別であり父親という存在は必要ない。それが特定できないようにするための錯誤だったのだ。


 儀式は成人を迎えてから1年以内に行われる。

 ステラはもうすぐ成人する。その事実がダグラスの心を痛めていた。


 それに追い討ちをかけるように、法国では争いが絶え間なく繰り広げれた。


 魔族の進軍。帝国との領土争い。何より法国の者同士の内乱が増えていく。


 上手くいかないという事実はダグラスを苦しめ、その苦痛も失敗の要因へと変貌する。


 寝る間も惜しんで悩む日々。


 そんなとき、調査として出向いたダンジョンの奥地で天使――ラファエルと出会い、ダグラスは加護を授かった。


 【ラファエルの加護(情動の導き)】は人の感情の起伏を操作するという優れた加護であった。

 発動条件も直接触れた相手が自分を慕っているほど増減の幅を大きくできるというもの


 これまで人を操ることができる【ヘルメスの加護(神の傀儡)】は持っていたのだが使う機会はなかったのだ。


 否、使う必要がなかった。


 人の心を操ることは、人道的に許せないとダグラスは考えていたからである。

 条件が『その者が絶望したとき』と厳しいものであったのもそのストッパーの役目を果たしていた。ふたり以上に使用すると認識を誤認させる程度しか操作できないということも――。



 ――この加護があれば、あるいわ……。



 だが、今のダグラスは違う。

 必死な想いで心が歪んでしまっていた。暗闇に垂らされた糸が間違っているものだとしても引っ張ることに躊躇することがないのだ。


 少しでも争いを無くそう――。

 少しでも平和に近づけよう――。


 手段が目的となっていることに本人は気づいていなかった。



「真の敵は魔族であり、法国の者ではない。派閥争いは意味をなさいのだ。だからこれより聖女派と司祭派の統一を実現したいのだが、どうだろう」


「ダグラスの進言通りだな。わしは最高司祭としてダグラスの意見に賛同する。皆はどうかね?」


「そうですな」

「賛成じゃ」

「ダグラスが言うのであれば――」



 それからは簡単だった。

 ダグラスが培って得た尊敬の念や民からの憧れは大きいものであったからだ。


 イーリスの塔で活動する司祭たちはダグラスへの信仰をするようになっていた。


 個性が削げ落ちて考えは一丸となる。

 意見はそのまま通ることが当たり前。


 さらにはそれだけには留まらない。ダグラスはそれを応用して使うことにした。


 失意の感情を増大させて絶望に変え、【ヘルメスの加護(神の傀儡)】の発動条件を満たしたのだ。


 それを使って叶えることはひとつ。

 ダグラスは司祭たちに『聖女降誕の儀』は無事に終わったという認識を植え付けたのだ。



「ダグラスだけなのですか?」


「そう決まったのです。嫌でしたか?」


「それは……その。嬉しい報せです」



 それから一年が経過して、第一子のマリアが生まれる。

 だが、そこで予期せぬ問題が発生した。

 一通りの行事を終えて落ち着いたダグラスはステラに子供を抱くようせがまれたのだ。



「ダグラス、マリアを抱いてあげて。父親に抱かれれば喜びます」


「ああ、そうだな。――ん?」



 パチン、何かが切断されたような異変。【ヘルメスの加護(神の傀儡)】で縛っていた繋がりが一切感じなくなってしまったのだ。


 最初は何が起きているのか理解できなかったダグラスであったが、次第にそれがマリアによって引き起こされた事象だということに気づいていく。


 故に、ダグラスはマリアを隔離して遠ざけることにした。

 ステラと選ばれた従者ひとりが育てていくという形で……。



「どうしてマリアに会ってくれないのですか?」


「私は忙しいのだ。これも法国の平和のため、わかってくれるだろう?」



 それを気にステラとの距離は遠ざかっていく。


 しかし、加護の力により、政策は順調に進んでいた。


 角が立たない平和な国。以前よりも確実に豊かな国になっていっているとダグラスは思い込んでいた。


 だがそれも一時である。

 無理やりねじ曲げた事実は次第に歪んでいくもの。それは貧困の差から始まり、ダグラスへの信仰心を利用する者も増えていったのだ。


 増減できる感情がひとつであり、ダグラスへの信仰を強めても悪意が減るというものではないが故に起こった弊害のようなもので、罪を犯すものが度々でてくるようになった。


 ダグラスはそういった者を都市の外へと放り出し排除することで対応していった。もちろん反抗心を下げて。


 慈悲のない行動にかつての堅実なダグラスの姿はどこにもない。



「ダグラス。何か、私に隠していることはありませんか?」


「私がステラに隠していること?そんなものあるわけがないだろう」



 そんなダグラスの変化にステラが気づいていないわけがなかった。

 真剣な面持ちでステラはダグラスに問いかける。



「司祭たちの様子がおかしいです。それに、街の人たちの様子も……中央通りに店を構えていた人たちがいつの間にか変わっていました」


「……」


「思えばダンジョンから帰ってきてから、ダグラスの様子が変わったように思えます」


「……」


「ダグラス、私はあなたの味方――」


「私は正しいことを行っているのだよ。ステラ」



 そしてダグラスは過ちを重ねる。

 ステラには、愛する者には絶対に使わないと考えていた加護の力を行使してしまったのだ。


 ただ盲目に邪魔をする者を排除する。そんな作業を淡々と熟す機械と化していた。


 精神は綻んでいく。大切な何かを失っていっていることにダグラスは気づいていなかった。


 それに気付かされることになるのは5年も先の話。


 きっかけもまたステラである。病にかかったという悪いものではあったが。


 原因は不明。急に倒れて意識を失ってしまったのだ。

 目を覚ましても様子がおかしい。水を怖がり飲もうとしない。

 次第に身体は衰弱していく。天使と称された姿はそこにはない。やがて、喋ることすらままならなくなっていった。


 そんな状況になってようやくダグラスは気づく。

 自分が本当は何のために行動していたのかを――。


 しかし遅すぎた。

 知る限りの回復魔法も、医術も、全てを試すが、意味をなさなかったのだ。


 頭を抱える日々を送り、ステラの生気は確実に磨り減っていく。



「どうにかせねば……ステラ……」



 政治のことは当時の側近であったグレンシャルに任せて、ダグラスは自室で書物を漁っていた。


 すると――。


 ガチャっ、とダグラスの部屋を尋ねる者がいた。

 ダグラスは濃いくまを作った眼でその者を凝視する。



「君は……ブラストの推薦で司祭になった、名前は確か――バリエゾだね」


「覚えてくれていたようで光栄ですよぉ」


「何用だ? 私は忙しいんだ」


「それってステラ様のことですよね。もうその必要も無くなるかと思いますよ」


「不敬にもほどがあるね。何を根拠に――」


「ステラ様の容態が悪化してます。今夜が峠と医術師が」


「なにっ!?」



 ダグラスはすぐさまステラの部屋に向かった。


 数分遅い到着である。

 たどり着いた先には、瞳を閉ざし仰向けに寝かしつけられていたたステラの姿。両手は祈るように胸元に合わせられ、苦痛から開放されたような憐憫で豊かな表情を浮かべていた。

 医術師が、言いにくそうに口を開く。



「手を尽くしたのですが……」


「……」



 暗闇に落とされたかのような虚無の音が心を侵略していく。

 悲しい感情が内側からどんどん広がっていくのがわかった。


 ――私も死のう。


 そんな突発的な考えが浮かぶほどのショックがダグラスの全てを歪めていく。


 その瞬間――。

 ビリッと身体を伝う雷に似た感覚を味わう。

 それがなんなのか、12神の使徒であるダグラスはすぐに理解した。



「おぉ、やっぱり使徒だったんだ。へぇ、それに便利な加護だね」



 場違いにも程があるほどの軽やかな声色でバリエゾが告げた。

 そこで初めてダグラスは背後に立たれていることに気づく。



「ふむふむ……条件は絶望したときなんだ。えっ、それって今じゃん。うわー超ラッキー!」


「なにを――?」


「お前の加護、貰うよダグラス」



 バリエゾがそう囁いた直後、意識の一部が遠のいていくのがわかった。

 まるで底のない闇を落下していくような気分で――意識はあるにも関わらず、自我で思考することができなくなる。



「さて、ダグラスには王国との架橋となってもらうよ」



――



 それはダグラスの弱さが生んだ悲劇であった。

 力に頼り、何もかもを遠ざけてしまった落ち度。


 夢のごとく映し出されるのはステラと過ごした幸せな情景である。


 訓練と称して抜け出した夜の街――。


 変装して入った繁華区画――。


 頑張ったご褒美として差し上げたハンカチ――。


 お返しにもらった防護魔法の込められた魔石の指輪――。



 ステラから沢山のものをもらった。

 その全てが夢で、自分の魔法によって見ている幻影であることをダグラスは悟る。


 気づいてなお、この場に残りたいと心が揺れる。

 この理想の空間に、精神の全てを委ねておきたいと。



 ――そういうわけにもいかないだろう。



 何一つ達成できてはいない。

 ステラがいなくても、想いは残っている。

 そして、その意思を継ぐ者――マリアがまだいるではないか。


 操られていた期間の記憶は脳裏に残っている。


 マリアもまた、ひたむきに立ち上がり、ステラと同じ目標を掲げていた。


 ダグラスはそんなマリアの力になりたいと心から思う。

 それは決してステラと重ねているわけではない。

 法国の司祭として、ひとりの父親として、マリアを慕っているからである。


 それがステラへの恩返しになることを信じて……。



「長らくさみしい思いをさせてしまったな」



 パキッ――。


 すると情景にヒビが入っていくのがわかった。

 それはこの夢の終わりを意味している。

 ダグラスは天を仰ぎ見て、静かに囁いた。



「ステラ、私がいくまでそこから見ていてくれ。見せたかったものをいつか見せよう」



 ガラスのようにバリンと音を立てて破れていく。

 崩壊する情景の隙間から強い光が差し込めていくのがわかる。


 やがてその輝きはダグラスを包み込んでいった。

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