第195話
すみません……
今回短いです。
イーリスの塔、最上階にたどり着いたマリアは、リンシアと共に正面の魔力源へと顔を向けた。
40状ほどの広さしかないワンフロアの中心には、角張った6つの鉄柱が中核を守護するようアーチ状に設置されている。
その鉄柱が守りし中央には、見事なまでに大きな魔石が浮いていた。大気の魔力を吸収しつつ乱雑に回転するそれは、バチバチと音を立てて今にも爆発しそうな勢いであらぶっている。
「確認するまでもないと思いますが、暴走している魔力源はこれで間違いないですよね?」
リンシアの問いかけに、マリアはすぐに首を縦に振る。
「間違いないです。この魔力源から塔全体に魔力が流れているのです」
「間に合いましたね……では、早速、無力化します。キサラちゃん」
肩ぐらいの高さにふわふわと浮遊する精霊――キサラに声を掛けて、リンシアは両手を前にかざした。すると、身体が薄白く光を帯び、静謐で淀みのない魔力が大気を漂い始める。
精巧で理想的なそれは何度視ても恍惚で、余程の魔力制御がないと不可能な芸当であった。
魔法の理が深い司祭たちですらできないほどの輝かしい精度である。
リンシアはマリアのひとつ下の年齢だ。この歳でこれほどの魔力制御をものにしているのは、類まれなる才能のみならず、相当な努力を重ねてきたのだろうとマリアは思った。
「私は必要なかったみたいですね……」
ぽつりと胸中を過ぎった感情がマリアの口から漏れてしまう。
民を守りたいという同じ志ではあるものの、ひたすらに前を向いて努力してきたリンシアに――自分にないものを持つ彼女に僅かな劣等感を抱いてしまったためだ。
マリアはすぐさま首を振り、そんな思考を振り払おうとした。差があるならこれから頑張ればいい。できなければ頼ればいい――。
そう自分にいい聞かせていると、不穏な気配が辺り全体を覆っていく感覚を捉える。
「……なんでしょう?」
それは突然始まった。
ゴーン……ゴーン――。
鼓膜に触れたような重々しい音が耳朶を痺れさせていったのだ。
深淵よりも深い闇の旋律。脳神経をピリピリと刺激する演奏に不快感を抱いたマリアは両手で耳を塞ぐ。
その動作に意味はなかった。
音の振動は手のひらを伝い、まるで身体に直接響いているかのように聴こえてくる。
マリアは無意識に外――その元凶へと身体を向けた。感じ取れるのはひたすらに大きな魔力。それとは別で、柱のように天空へと昇っている【気力】を捉える。
バタリ――と、静かな音がマリアの耳を掠める。
音源は先程まで隣にいたリンシアのもの。そばに浮かんでいたキサラも力なく、ぽてっ、と床に転げ落ちる。
「キサラ様! リンシア様! どうされましたか!?」
マリアはすぐさまリンシアの元へと駆け寄る。
うつ伏せに倒れているリンシアを起こして、頭を膝の上に乗せた。
僅かな呼吸音。生きていることにとりあえず安堵したマリアは、見えない目でリンシアの容態を観察する。
眠り――というよりは気を失っているようで、意識が深くに点在しているようであった。
しかし直後、奥深くにあったはずの意識が引き上げられていくように戻ってくる感覚が伝わってくる。
それは水底から勢いよく浮き上がってくるボールのようで、やがてリンシアは瞳を開いた。
「お母、さま……?」
そして囁く。静かな声色には弱々しい感情が宿っていた。ふと、リンシアの瞳から一筋の雫が流れていくのがわかる。
「リンシア様……大丈夫ですか?」
「……」
リンシアのふわふわとした意思がやがて覚醒していく。
「ま、マリア!? 夢……? えっと、その、私は……どうして?」
そして混濁した感情を露にした。マリアはゆっくりと順を追って説明をする。
「いきなり倒れられたのです。それも眠るように……。リンシア様、お身体の方は大丈夫ですか?」
リンシアは膝と肩を少しだけ摩る。崩れるように倒れたおかげでそこまで大事に至っていない様子だった。
少しずつ状況の整理がついてきたようで、周りに目を配っていく。
「私は大丈夫です。それよりもキサラちゃんが」
そのまま起き上がり、側で倒れるキサラをリンシアは抱き寄せた。
「よかった……眠っているだけのようね。キサラちゃん、起きて!」
必死に呼びかけるも返事はない。ふとマリアは思い付き、小さなキサラの胸元に手のひらを優しく乗せた。
すると――。
パチン、と見えない糸が切れるような感覚が伝わってくる。同時にキサラの意識が浮上してくるのがわかった。
「うぅ……? ママー?」
「よかった……」
目を開けたキサラを見てリンシアは安堵する。
「キサラちゃん、まだできる?」
リンシアが問いかけると、キサラは再びバチバチと鳴り響きだした魔力源へと目を向けた。
「うんー! 頑張るー!」
リンシアは座ったままの状態で手を広げ、暴走する魔力を制御する。一度やった工程なだけあって、今度は迅速に事が進んでいくのがわかった。
マリアはそんな様子を確かめながら、何が起きたのかの考察を始めていた。
屋外では塔の中にも伝わってくるほどの巨大な魔力と気力が残り続けている。さっきまでは存在しなかったものだ。
「リンシア様、先程のことは覚えていらっしゃいますか?」
「そう……ですね。鐘の音が聴こえたのと同時に意識が遠のいていくのはわかりました。私は眠っていたのですか?」
「はい。眠っていたというよりも気を失ったように感じたのです。夢を、観られていたのですか?」
「……そうです。夢を見ていました」
「それは、どんな……内容だったのですか?」
情報は多い方がいい。ただ、その内容に関して聞くべきかは憚られた。それはリンシアが目覚めた直後に口にした「お母さま」という言葉を聞いたからである。
もしかしたらリンシアも自分と同じ境遇にたっているかもしれない。そう感じつつもマリアは確認する。
「……私の母――お母様との思い出でした。幸せなひと時の……それこそ夢のような生活の夢を見ていました」
「……」
――聞くべきではなかったかもしれない。
そうマリアが考えてすぐにリンシアがそれを否定する。
「大丈夫ですよマリア。むしろマリアには聞いて欲しいと思っていました。友達ですから」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「私やキサラちゃんは意識をなくしたのは何らかの魔法の影響によるものですよね?」
「おそらくは……でもそれだとわからないこともあります。なぜ私は眠らなかったのでしょうか」
魔法だったとするなら鐘の音と演奏によって、夢を見せる効果のものだろう。それも音色が聴こえる範囲に効力のある反則的なもの。
そんな広範囲で強力な魔法の元凶はダグラスだろう。
しかし、それだと疑問に残ることがある。
マリアには効かなかったのか。
思い出されるのはマリアに触れたキサラが目を覚ました光景。
その答えにたどり着くのに数秒とかからなかった。
「もしかして……」
「その魔法は神の力……?」
リンシアも同じ考察にたどり着いていた。
先ほどの鐘の音の魔法が神の領域に踏み入れているものだとということだ。
クレイ曰く、マリアは【Xスキル】を持っていて、それにより神の力が作用しないというもの。
だからこそマリアには効果がなかったのだ。
そうだとしたなら、もうひとつの懸念が浮上してくる。
「クレイ様は大丈夫でしょうか?」
それはクレイの心配であった。
クレイはマリアの出会った中で一番実力があり、一番頼りになる青年だ。言うなれば何でもひとりでできてしまう超人。本来ならマリアが心配することすらおこがましいのかもしれない。
しかし、クレイでも人間である。
いくら超人と言えど、神の領域に踏み込んだ初見の魔法には対処が遅れるだろう。
今回のように精神に促す魔法であれば尚更である。
神の使徒であるが故に、もしかしたら自分で対処をしているかもしれない。だが、その逆の可能性だって考えられるのだ。
「マリア、私は大丈夫です。クレイの元に向かってください」
どうやらリンシアも同じことを考えたらしい。表情は不安に染まり、複雑な感情が伝わってくる。リンシアの場合は少し異なった感情からだろうが……。
「えっと……」
「ここの制御にはまだかかります。これはマリアにしかできないことですよ」
リンシアは懐から浮遊石を取り出し、マリアの前に差し出した。
自分も行きたい、という感情が途方にもなく伝わってくる。
人に頼れと言うクレイだが、あの性格と能力だ。あまり人に頼らない生き方をしてきたことはマリアでもわかった。
だからこそこんなとき、側で支えたいと思うのは乙女心を持っているなら当然のこと。
マリアはそんなリンシアの気持ちを受け取るように、手のひらにのせられた浮遊石を掴む。
「リンシアの気持ち、受け取りました」
「マリアなら大丈夫です」
先程まで抱いてしまっていた劣等感はもうない。託された気持ちを胸に秘め、マリアは走り出した。
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