第194話
立派な石造りの支柱が目に立つ天井の高い広間で刃と刃の奏でる金属音が鳴り響く。
剣の樋を男に打ち付け、意識を断たせることに成功したマルクスは他の者たちの支援へと向おうとする。
現在はイーリスの塔35階層。塔の崩壊を止めるため、マルクスたちはこの場所にいる。
その手段とは塔の12箇所にある魔力源の機能を停止させるというもの。1階層の6箇所、15階層の3箇所を通って、現在は10、11箇所目に差し掛かっていた。
「神のおもしべしをぉぉ!」
他の男がマルクスの前に割って入ってきた。棍棒のような太い武器が頭部に迫る。刀身を立てて両断しようとするも、マルクスは棍棒をいなして躱す方向へとシフトさせた。
マルクスが相手にしているのは法国の司祭達である。階層を上るにつれてどこからともなく湧き出た者たちで、その数は数十人規模。
武器を所持しているといえど研究に没頭するようなひ弱な体つきの者たちだ。動きはどこか黙々的で単調。本来であればマルクスの刃は棍棒よりも先に男に届いていたことだろう。
そうしなかったのは、一時的ではあるが主の命――祈願によるところが大きい。
「できる限りで構いません。命を奪わないであげてください」
四の五の言っていられない状況だということをわかっていながら、そのような懇願をするのは、民の――否、人を思う気持ちから出た優しさなのだろう。
一時的な主――リンシアはそんな王族なのだとマルクスは改めて理解する。
か弱くて未熟な王女。というのがマルクスの印象だった。
それは王位継承権の高い王子たちが行う手本のような政権と、当たり前のように積み上げられる彼らの功績を見てきただめだ。
習ってきたため、と言い換えてもいいだろう。
貴族のあり方に至っても同じことが言える。
民の上に立つ貴族には権力があり、それを行使することで領民たちが潤っていく。
税をより多く集めた領主は優秀。兵は人的資源であり、消費することで勝利を収めて権威を見せつけるもの。
王族はこうあるべきで、貴族はこうであるべきだ、と諄いほど教えこまれた。
だからこそ、そんな常識的な考え方から外れた行動をするリンシアを異端として見てしまっていたのだ。
民が笑顔でいられる平和な国の政策――そんな童話のような考えは未熟な考えから来るもので、人気稼ぎにほかならない、と。
しかし、それは間違っていた。
リンシアの掲げる理想は偽善などではなく、真に民たちを想い、それを必死に叶えようとしている。どんな難関にも真剣に向き合って、全力を尽くしていたのだ。
名前すら聞いたことのない弱小であった商会の規模を広げた――。
不可能と言われていた領土の到着をやってのけた――。
今では貧民街の民たちに仕事を率先して与えていると聞いた――。
夢物語だと非難していたそれが現実のものになるのではないか。そう思わせるほどの功績。
幼い頃、親に内緒で読んでいた童話に出てくる英雄のような輝きをマルクスは感じていた。
法国へと訪れて、この状況に陥って、強く実感する。
他国の問題にも関わらず、全力の力添えの姿勢。実行力。
しかもそれはリンシアひとりの力ではない。
力になりたいと慕うものたちがいて、協力することでそれが成り立っている。リンシアの人徳があっての結果だろう。
もう未熟な王女などとは今は露ほども思わない。
マルクス自身も、そんなリンシアの政策を手助けしたいと心から抱くようになっていた。
「はぁっ!」
男の振り下ろされた棍棒をいなしたマルクスは、剣先で力強く弾いた。宙を舞っていく棍棒を確認する前に、胴をくるりと回す。
そのまま足先を突き出して、男の溝を蹴りつけた。男はその一撃で意識を失い、ずしりと地面に倒れ込む。
疲労感が後から流れ込む。手加減するというのも楽ではないのだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「大丈夫か? お前さんはひとつひとつの動きに力を入れすぎてる。もっと力を抜いた方がいいぜ」
司祭達を軽く屠りながら横へ並んだ男――法国の最高司祭であるフレンスがマルクスにそう告げる。
塔へと向かう途中、フレンス、リオン、聖女のマリアの姿を発見。走りながら事情を説明したところ、手助けすると彼らも合流したのだ。
司祭達もフレンスも同じ法国側の人間である。
普通に思索するなら同国の者同士で争うということになるのだが、その理由についてもここへ来る途中で説明を受けていた。
「助言、感謝します。しかし、私の元よりも他の者たちの援護に行ってください。彼らは私よりも未熟なのです」
フレンスたちに助力を求めて正解だったと常々思う。
この参事に腕の経つ者が加わるというだけではなく、曖昧な魔力源の場所を即座に特定することのできるマリアの鋭い感覚のおかげで時間を掛けずにここまでたどり着けたのだ。
終始、瞳を閉ざしていて盲目である少女が法国の聖女であることにマルクスは驚き、合流することに反対していたのも先ほどまでの話。
マリアの感知能力は目が見える者たちよりも正確で、存知する王国の名だたる偉人の中でも郡を抜く鋭さなのである。
リンシアとの仲も良いということも好感が持てる。そんな些細なこともリンシアの人徳の話に繋がってくるのだ。
「意外と同輩想いなんだな。腕の立つ者は大方動けなくなってるから大丈夫だ」
フレンスは関心の念を向けながらマルクスに言う。
確かにその通りで、フレンスは身体能力の高い司祭たちから順に対峙してくれていた。
この広場にはすでに他の――リオン、マッシュ、カーモ、ミールのラグナレス騎士団の面々が相手に出来るほどの者が数名しか残っていない。
実力があるからこそできることであり、フレンスは自らがやるべきことを瞬時に判断して行動に移したのだ。
だからこそ、マルクスは憤りのような感情を抱いてしまう。無力とまではいわないが、マルクスは自分がつくづく弱者であることを痛感してしまっていたからだ。
これは嫉妬にも近い。
それはカンニバル家という名家に産まれ育ったことや、兄という優秀な身内がいたのも原因だろう。
貴族はこうあるべき、弟が兄に勝てるわけがない、決められたレールを進むのが普通――そういう固定概念があったことで、マルクスは自分自身の限界を縛っていた。
強くなりたいと願いながらも、心のどこかで現状に甘んじていたのだ。
――違うだろう。
マルクスは自らの心を鼓舞した。
大切なのはその弱さを認めること。そしてこれからどうすべきかを考えることである。
リンシアの姿を見てマルクスはそう学んだのだ。
全ての民を守れるようにとまではいわない。ただ、大切な人を守れるぐらいには強くなりたいとマルクスは思う。
貴族としてではなく、騎士としてでもなく――まずはひとりの男の子として。
平静を取り戻したマルクスはフレンスの言葉に答えた。
「時間の方が気になります。これから最上階に向かうんですよね」
「ああ。ギリギリの戦いになるとは思うが――」
すると、ガシャン――という大きな音が広場に響く。この階層に上がってきた螺旋階段の方から聴こえてきた。
「今の音はなんすかね?」
いつの間にか傍に寄ってきていたリオンが懸念そうな顔で呟いた。見ると、広間にいた司祭達はしっかりと意識を絶たれている。
そんなリオンの言葉にフレンスは訝しげに眉根を寄せた。
「やべーな。嫌な予感がする」
そう言って、フレンスは螺旋階段の方へと走り出す。マルクス、リオンとそれに続く。
たどり着くと、下の階層から新手の司祭達が上ってきているのが見えた。
たが、それだけではない。
「おいおい、あいつら……リフトを破壊しやがった」
螺旋階段の中央には直径7メートルほどの円盤が設置されていた。それは各階層を移動するために使われる自動リフトである。
巨大な螺旋階段を1階層ずつ上っていたのでは間に合わないため、そのリフトを使って階層を移動していた。
だが、その円盤状のリフトが真っ二つに割れているのだ。その片割れはすでにない状態で、おそらく地上へ落下していったのだろう。
「貴様等、やめないか!」
マルクスは抜刀し、床を蹴り上げる。
司祭達がそんな叫びなど聞き入れるはずもなく、割れた円盤のもう片方をハンマーのような武器で強打。
大きな音を立てて、浮遊する力を失ったリフトの片割れは1階層へと落下していった。
「っ――のやろう!」
マルクスの背後から舌打ちが聞こえた。
直後、マルクスよりも先にフレンスが司祭達の元へと到着している。
達人域に達する剣さばきで、ものの見事に司祭達を無力化した。
「これ、まずくないっすか?」
遅れてきたリオンが不安そうに告げると、フレンスも焦りを隠せない様子で告げた。
「まずいな。最上階まであと15階層――階段で行くには時間がかかりすぎる。【フライ】が使えるやつは――ここにはいないだろう」
塔の階層を移動する手段は先程のリフトしかない。そのリフトが壊されたとなると途方もなく長い螺旋階段を駆け上がっていくことになる。
残り時間もあと数分。大方の魔力源は止めたとはいえ、仕掛けが作動すればどうなるかはわからない。
すると、広間の方から足音が聞こえた。向こう側に残っているのはマルクスの味方しかいないため、その音が誰のものなのかすぐに理解する。
「何か問題がありましたか?」
マルクスたちの様子を察してか、すぐに声が掛かる。
到着したのはリンシアとマリア、そしてラグナレス騎士団の面々だった。リンシアの傍にはふわふわと浮遊する小さな童女の姿も見えた。
彼女はキサラという名前で、リンシアと契約した精霊であることを街で合流したときにマルクスは伺っている。
「それが大問題です王女様。リフトが壊されちまいました」
フレンスが早口に説明すると、マリアが不安そうに口を開く。
「そんな……時間は差し迫っていますよね」
「この中だとキサラちゃんしか飛べないです。魔法による補助を掛けたとしても階段では間に合いませんよね」
リンシアが眉根を下げて告げた。その顔は心底悩んでいる様子である。
「っ――!」
それは一瞬の出来事だった。
突如、背筋がぞっとするほどの何かをマルクスは感じたのだ。
その正体は鋭い殺気。それも先程の司祭達とは比べ物にならないものである。
マルクスは剣を抜くために握りを掴もうとする。
しかし、それよりも先に何かが迫ってきていた。マルクスの目でもギリギリ追えないほどの音速域の速さのそれは、まっすぐとマルクス目掛けて飛んでくる。
――間に合わない。
そう判断した直後、カキン――と高々しい金属音が響いた。
殺気に気づいたのはマルクスだけではなかった。迫り来る何かに反応して、フレンスがそれを剣で捌いたのだ。
そこで初めて迫ってくるものを視界に捉える。鋼で出来ていそうな硬質素材のムチであった。その先を辿っていくと、女性の姿が目に映る。
「おいおい、なんで邪魔するんだよ。ティーチェ」
呟くフレンスの顔は笑っていない。
先程の殺気といい、ティーチェと呼ばれた女性は相当な手練はなのだろうとマルクスは思った。
さらには思ってもみなかった方向からも声が掛かる。
「お姉ちゃん……」
その声主はリオンであった。
目を見開いて驚嘆の表情を浮かべている。
マルクスは耳を疑った。リオンは王国の平民である。そんなリオンが法国の者――それも相当な実力と地位を持っていそうな女性を「お姉ちゃん」と呼んだのだ。
感動的でドラマチックな事情があるのか、もしくは、隠さなければならない事情なのか……。
手練の女性――ティーチェはそんなリオンにチラリと目を向けるも、すぐさま視線を逸らし、フレンスを見据える。
「今は緊急事態なんだ。お前に構ってる暇はねーんだぜ?」
先程までとは異なりフレンスの声は強ばっている。それに伴い魔力、気力が増大していき、本気のオーラが漂った。
マルクスが見た中でフレンスは上位の実力者である。フレンスが本気ということはティーチェはそれほどの相手なのだろう。
凄まじい戦いが繰り広げられる。そんな予感が収まらない。
マルクスは一歩引き、自分がすべきこと――リンシアたちを守ることに重点を置く。
しかし、その予感も思いもよらない形で裏切られる。
ティーチェは武器を手放したのだ。その後、無抵抗を主張するように両手のひらを上にあげる。
「あたいの勘違いみたいだ。危害を加えるつもりはないよ」
張り詰めた空気が霧散する。
フレンスはふぅ、と嘆息してから口を開いた。
「……何を勘違いしたんだよ」
「崩壊術式を止めるんだろ?」
そんなフレンスの質問には無視を貫き、ティーチェは話を進める。
「ああ、だがリフトが壊されてな。お前、【フライ】は……使えないよな?」
「あんな高等魔法をあたいが使えるわけないだろ。ダグラス様ぐらいだよ」
それを聞いて一同は落胆する。
しかし、次の言葉で希望を持つことになった。
「だがこれは持ってる」
ティーチェは懐から魔石を取り出して、前に差し出した。
「浮遊石か!」
「正確にはダグラス様の【フライ】が込められた魔石だね。これを使えば最上階まではいけるってこと」
「お前……たまには役に立つんだな」
「一言余計だよ。だからあんたは結婚できないんだ」
「いやいや、お前も未婚だろうよ」
言い合っている暇はない。そう思ったマルクスは割って入ろうとすると、
「ただ、この魔石には重量制限があってね。80キロまでしか浮かせることができない」
と、ティーチェは告げた。それにはマルクスも目を見開いた。
「80キロだと!?」
「そう。そこのお嬢――王女様は魔力源の解除に必要なんだろ? なら使えばいい」
「それだと殿下の身に何かあったら助けられない」
「いや、あながちありだぜ。上の階層の者たちは既に処理している。この状況でひとりでも行けるのであれば御の字だ」
マルクスの懸念をフレンスは答える。
確かにその通りであった。
しかし――。
「リンシア様、つかぬ事をお聞きしますが体じゅ――」
「レディーに何聞いてるんすか、マルクス君。失礼っすよ」
確かに失礼なことを聞こうとしていた。
そういう意思はなかったが、使命を全うしたいという一心で変な質問を投げかけてしまう。
女性に対して聞くことではない。それ以前に王族に対して問いかける内容ではない。
「も、申し訳ありませんでした!」
勢いよく頭を下げるマルクスにリンシアは困惑している。
「あの、私もご一緒してもいいでしょうか?」
そう進言したのはマリアだった。
「上は安全なはず。私の感知能力はリンシア様の役にたつと思います。それに、その……重量制限も大丈夫だと思いますので」
本当に大丈夫だろうかとマルクスは思う。身長は同じぐらいだが、マリアにはリンシアよりも大きな膨らみがあるからである。
「マルクスくん、今失礼なこと考えてませんすか?」
「ば、考えていない……」
ジト目を向けるリオンに内心焦燥感を抱く。
ティーチェがリンシアの前に魔石を差し出した。
「試してみればいいだけだ」
浮遊石を渡されたリンシアはマリアの手を握った。
すると2人は重力を失い、両足が地面から離れる。
その横に寄り添う形でキサラが並ぶ。
「大丈夫みたいだね」
「そのようですね」
一体どちらがどれくらいの重さなのだろう、という無粋な考えをマルクスは脳裏から排除した。
「みなさん、ここまでありがとうございます。では、いってきます」
「ああ、俺たちも階段で上に向かう」
マルクスは傍に居るのが自分でないことを悔しいと抱きつつも、最良の判断だと言い聞かせる。
「リンシア様、必ず追いつきます。どうかご無事で」
それだけ告げて、リンシアたちは長い螺旋階段を急速に上昇していく。これなら間に合いそうだとマルクスは思った。
「さて、俺たちも上がりますか――ん?」
「「……」」
フレンスが楽観的に告げると、ティーチェとリオンが気まずそうに目をそらしている。
そんな様子から、この姉妹同士何かあるのだろう――とマルクスは察した。兄弟関係のことは理解している。野暮なことは聞かないようにしようと考えていた。
「早速追いかけましょう」
マルクスの言葉に残された一同が頷く。
それから数秒後に――。
響く重厚な鐘の音と、絶望を表したかのような演奏歌がマルクスたちの意識を刈り取っていくのだった。
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