第191話
バロック王国の王城内の通路を徘徊しているふたりの男がいた。鎧に身を包んだ王国の騎士と、見事なまでに豪華なローブを纏った白髪の老人――グレンシャルだ。
現在の時刻は深夜の0時を回ったところ。ランタンを形取った照明の仄かな光が、絢爛に飾られた薄暗い通路を照らしている。
その足取りに油断はない。何かを探索するように慎重に歩を進めていた。
「それにしても、お連れの方はこんな時間に何処へ行かれたのでしょうか」
前を進む騎士が振り向くことなく問いかけてくる。その口ぶりは世間話の類いに近い。グレンシャルはそれを沈黙への気疎さと受け取り、波が立てないようなるべく温厚に答えた。
「ワシにも見当がつきませぬ。あやつはまだ青っぽく、好奇心旺盛なところがあるのですじゃ。わざわざこんな時間にすまんのぅ、騎士殿」
「いえ、私の仕事は交流会期間中に限りますがあなた様の護衛です。それに陛下から客人にはなるべく自由に振る舞わせるようにと仰せつかっているので気になさらないでください」
「流石は名家の騎士殿。柔軟な対応に感謝するぞ」
それに対して騎士はにこやかな笑みで返答する。その誠実かつ、洗礼された騎士としての礼儀にグレンシャルは内心吐き気を催した。
それはこの騎士の言葉が虚言であることを察しているからだ。
本日で3日目となった交流会。
イーリス法国から派遣された司祭50人にはそれぞれひとりずつ兵士が付けられていた。
そのうちの最高司祭であるグレンシャル、バリエゾ、ブラストの3人にはいずれも爵位も持つ、よりすぐりの騎士が担当していて、部屋にいるとき以外は常に付きまとってくる。
ここまで過度に対応されれば馬鹿でも気づく。護衛という聞き通りの良い言葉を使ってはいるが、本来の任務は監視だということに。
グレンシャルを含む法国の者が問題を起こさないように見張ることが彼らの目的なのである。
「私どもも若い頃は新地に対しての興味が強かったので、お連れ様のお気持ちもわかります」
くだらない茶番のような回答にグレンシャルは内心、憤りを覚える。その払拭されない淀んだ感情の原因はこの騎士だけではない。
本来、王国へ赴く最高司祭はバリエゾ、ブラスト、フレンスの3名であった。
しかし、古株であるにも関わらず、ブラストの言動には癖があり、礼式もできるものか怪しかった。
年齢が悠に80を超えているが、見た目は20歳前半。その容姿を表したように、中身は何ひとつ成長していないのだ。
若さの研究をするあまり、知性の方も止まってしまっているのだろう。
バリエゾに至っては、礼儀作法の「礼」の字もない。その実力で最高司祭に就任したが、中身は育ち盛りの童子であった。
だからといってフレンスを前に出すのも法国が侮られることは間違いないだろう。故にグレンシャルが抜粋されたのだ。
交流会の合間は外面よく振る舞い、極力問題を起こさないように過ごす予定であった。
だがどうだろう。バリエゾは到着そうそうに王国の騎士団を侮る言動をしたり、謁見の際に退屈そうな態度をとったり――今に至っては深夜にも関わらず護衛の騎士を連れて遊びに行ってしまう奇行。
「(早く帰りたいのお……)」
本当であればグレンシャルが法国に残り、聖女マリアの保護をするという重要で澱んだ計画があった。もちろん、その後の色々のことも含めての……。
それでも納得できたのは聖女が助かることを確信していたからである。
理由は単純だ。知力、武力、軍事力、そのどれをとっても完璧であるミンティエ皇国の第3皇女が、聖女を助けると伝えたからにほかならない。
皇女の怖さの片鱗を知っているグレンシャルにとってはそれだけで十分な根拠になるのだ。《ラグナ》との繋がりがあるということも根拠の一端を担っている。
だからこそ、こんな交流会には意味をなさない。早急に自国に戻って、その後の法国を拝みたいとグレンシャルは考えていた。
思惑通りに進んでいれば、聖女暗殺を企てたダグラスは断罪され――自ずとグレンシャルが最高司祭統括にのし上がるからである。
そのまま生き残った聖女も手に入るだろう。統括の権利を使って聖女マリアを伴侶にしようと企てているのだ。
「ぐふふふふ……」
グレンシャルは頭の中で聖女を恥辱で染め上げて陵辱する。未来は明るい。
そんな愚行を妄想しているグレンシャルの前に、すっ、と騎士は手が前に添えられた。
「どうしたのじゃ?」
「警戒を。何やら争った痕跡があります」
見ると、通路を飾る調度品は見事に散らばっていて、真っ赤な血液が大量に飛び散った跡があった。
騎士は真剣さを取り戻し、力強く抜刀して青眼に構える。
爵位を持つ騎士なだけあり、その細かな動作から実力が一流のものであるとグレンシャルは思った。
そして、同時に焦りも抱いていた。
これの痕跡の原因がバリエゾである可能性が非常に高いからである。
バリエゾは多彩な才能を持ち合わせているが、その内面は歪んでいて、気に入らないものをすぐに殺そうとする悪い癖がある。
それでもグレンシャルやダグラスの命令には背いたことはないことも事実。何かの間違いであってほしいと内心願うばかりであった。
「この跡は王の間へ続いています」
それだけ告げて、騎士は慎重に歩を進めていく。足元から溢れ出す『気力』が全身を覆い尽くしていくのがわかった。
彼もまた、天才の類いの騎士なのだろう、とも。
やがて、王の間の前までたどり着く。
騎士はひたすら絢爛で巨大な重厚の扉を片手で押し出した。
「なっ――」
中の光景を見て、騎士が吃驚に声を漏らす。
グレンシャルも思わず両目を見開いてしまった。
視界に広がっていたのは20人以上ある大量に倒れた衛兵たちの姿。見るからに屈強で盤石な装備をしているにも関わらず、いずれも胴の一部が切断されていて、まるで拷問を受けたかのようにのたうっている。
奥行数十メートルと続く赤い絨毯の上でもわかるような濃厚な紅色の鮮血が飛び散っていた。
昼間の謁見で訪れたときとはまるで違う景色。
その奥、玉座の方には影がふたつ。
ひとりは玉座に腰掛けるように固定されていて、両手と両足は太い槍のようなもので縫い付けられていた。
それは謁見の際に見たバロック王国の国王。飾られた衣服を血痕がところどころに付着している。おそらくまだ息があるのか、生気を僅かに感じた。
そして、前に立つのはその元凶。真っ白だった修道服は今や返り血で染まっていて原色はない。不適で不気味な笑みを浮かべている緑色髪の男――バリエゾであった。
「貴様、国王陛下に何をしている!!」
騎士が叫び散らしながら魔力を一気に肥大させる。
同時に地面を蹴り上げて、80メートルはある距離があっという間に埋まっていった
「陛下から離れろ!」
そのまま流れるような一閃、――雷光を連想させるほど見事な太刀筋であった。
「あは、遅すぎない? それでも騎士なの?」
だが、バリエゾは嘲笑しながら、それをいとも簡単に上へと弾いた。
騎士はすぐさま距離を取ろうと後退する。
その動きは読み切っていたようで、バリエゾは弾いた際に騎士の頭上に振り上げた剣を1歩、前に出てから振り下ろす。
ぐしゃりっと鈍い音が王の間に響き、騎士の肩から左腕を切断された。
「ぐぐ……陛下から離れろ!」
身体の一部が切り離されるのはとてつもない激痛だろう。しかし、流石は騎士と言うべきなのか、叫ぶことなく意を言葉に乗せて吐き捨てた。
「なーんだ、叫ばないのかよ。そこに転がるお前の仲間は『命だけはだすげでぐだざいー』って泣きながら訴えてきたのに。もっと切り刻めばいいのかな?」
バリエゾは面白半分という様子で遊びまじりに剣を振りつける。
早すぎる剣技に騎士のガードが間に合ない。顔、肩、太もも、腹へと深い傷跡を付けられていった。
「はあ、お前つまんないからもういいや。【風魔殺】」
とん、と騎士の腹部に剣先が刺さる。直後、爆発したかのように大きな風穴が空いた。
横腹の僅かな皮膚だけが、上下の身体を繋ぎ止めている状態。やがて支えのなくなったそれは、崩れるように地面に倒れ伏した。
くふふ、とバリエゾは嫌みたらしく笑ったあと、グレンシャルの方に視線を向ける。
「あれ、グレンシャルじゃん。どうしていんのさ。確か深夜の外出って禁止じゃなかった?」
今の一件、この出来事が無かったかのようなケロッとした態度。
「バリエゾよ……お主は何をしている。問題を起こすなと言ったではないか!!」
「問題って、何かあったの?」
「今、お主がしていることじゃ! なぜ王を殺した!!」
「グチグチうるさいんだよねえ、グレンシャルは。それに王様はまだ生きてるよ。ほらっ」
眉をひそめながらそう言って、バリエゾは玉座に固定されている国王の太ももを突き刺した。
国王から激痛に耐えかねた悲壮に歪んだ声が盛れる。
「ぐぉぅぅぅっっっ……」
「あっは、いい声! そう思わない?」
「そう思うのはお前だけじゃバリエゾ……」
――まずい、まずい、まずい。
グレンシャルは心中で焦っていた。
これは歴とした王族暗殺未遂――いや、歴とした王族殺害となるだろう。
このままでは法国と王国の間に溝ができてしまうどころか、戦争が始まってしまう。
王国はあの皇女のいる皇国が後ろに付いている故に、戦で勝つことは難しい。
せっかく掴みかけたトップの座、そして理想の暮らしが崩れていく音がした。
そして同時に、どうにか助かる道を模索する。
もはやバリエゾに全ての罪を擦り付け、背負わせるように仕向けるのが無難。そのためには国王をあの場から助け出し、どうにか証言を貰おう。
――そうすればわしは逆に英雄となるのではないか?
境地に立たされているせいか、グレンシャルの思考はおかしな方向へと傾ける。そこに希望を見出して、叫ぶように声を上げた。
「国王陛下は、我が国にとっても大切な人物じゃ! 今助けますぞ、陛下!!」
「はぁ? ……おもしろ。グレンシャルはそうでなくっちゃ。長いものに巻かれてこそ真価も発揮される老人だよね」
鋭く、指摘するような呟きにグレンシャルは一瞬、焦りを催す。もしかしたらバリエゾは気づいていたのかもしれない……と。
そう考えた直後、グレンシャルは体中の魔力を纏わせた。【防護】、【魔法耐性上昇】、【魔法制御上昇】と、自己補助をかけていく。
「最後に問う。なぜ、このような奇行に出たのじゃ、バリエゾよ」
「最初から、これが目的だったからだよ。これであとは聖女が死んでくれれば完璧! 早く目的を果たして帰りたいんだよ」
「……何を言っているのじゃ?」
「知らなくてもいいんじゃない? どうせグレンシャルはここで死ぬんだし」
張り詰めた殺気のような【威圧】がグレンシャルを襲う。
「若造の妄言よ。お主がこのわしに勝てるとでも思っているのか?」
「いやー、それが勝てるんだなー。もう変態趣味に付き合わないでいいって思うと、本当に清々しいよ」
バリエゾのカラカラとした軽い苦笑を聞いて、グレンシャルは憤りながらも魔法を発動させる。
「――風よ!」
一言詠唱まで短縮した風属性6級魔法、【サイクロン】。指定範囲の周囲を強固な風の渦に閉じ込めて、鋭利な風のナイフで切り刻む魔法だ。
「はい、おそーい」
しかし、魔法発動してくれなかった。
何故の発動が阻害され、魔力は空虚に霧散してしまったのだ。
まるで魔法を切られたような感覚。
「詠唱してる時点で3流だよ。頭の中ピンクに染める暇があったら魔法の鍛錬すれば良かったのに。くだらないよ、本当に」
それだけではない。
ふたりを隔てていた80メートルの距離は既に存在していなかった。先程の騎士とは比べ物にならない速さ。
バリエゾは歪な魔力の宿った剣身を同じく見えない速度で振りつける。
「ぎぃぇぇぇぇぇぇ!!」
スパンっと両腕が野菜のように切断される。
切断面から大量の血が勢いよく吹き出てきた。
「いい声だぁ!【流動加速】」
止血のための魔法を放とうとするも、その前にバリエゾが魔法を発動した。
それは全身の血流を早めて身体能力を飛躍させる本来は補助として使われる魔法。この効果によって、先程よりも勢いを増して鮮血が吹き荒れる。
「うわぁ、ピクピクしてるよ! じーさんのクセに活きがいいんだね」
愉快な輝きを放つバリエゾの目には容赦がない。
そのまま両脚を太ももから切断。
崩れるグレンシャルの胴の中心を剣先で突き刺し、地面を縫い合わせるようにした。
僅かに伝わる刀身から燃え上がるような熱をグレンシャルは感じる。事実、バリエゾは火属性魔力を剣に纏わせ、グレンシャルの身体を内部から焼き尽くしていく。
「や、め、げろ、ばり、え、じょ」
「あははは、やめげろってなんだよ! 面白いなあ本当に。じじの串焼き完成だね」
「っ……」
遠のいていくバリエゾの言葉。グレンシャルにはもう視界はなかった。ひたすらに感じている激痛も、少しずつ遠のいていく。
やがて、グレンシャルの意識は闇の中に落ちていった。
「あれ、もう固まっちゃったの?」
動かなくなった肉片をバリエゾは飽きたおもちゃを扱うように足のつま先で小突いた。
「なんだよぉ、やっぱ年寄りはすぐ固まるなあ。さっきの騎士はもっと魚みたいにピクついてたのに。これならもっと手加減すればよかったよお」
残念そうに言い捨てるが、その顔は満足感に浸っていた。
「さーって、次は王様だね――」
ごごっ――。
すると、王の間の重厚な扉がズレる音がバリエゾの耳に届いた。さらには遠ざかっていく小さな気配。【気配遮断】を使っているようで、扉の音が無ければ気づかなかったかもしれないほどの制度である。
「ネズミが1匹。なるほど、次は追いかけっこかあ」
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