第187話
普段よりも憐憫に飾られた修道服を纏ったマリアは講堂に繋がる通路で出番を待っていた。
今までこんなにも緊張することがあっただろうか。15年という短い人生を振り返っても、浮かんでくる事柄は一向に姿を見せない。
戦慄のように奏でられた鼓動の音も普段より大きい。
――王国の王女様はどんな方なのでしょうか。
様々な思案が胸中を過ぎる。
高姿勢ではないか。私意を伝えることができるか。こんな自分をどう思うか――。
それは盲目のマリアにとって薄暗い感情に他ならない。今までがそうだった。母親の死をきっかけに飾られた分不相応の地位。自国のために何もできていない哀れな聖女であると自覚をしたばかりなのだから。
しかし、その一端で僅かな希望も持ち合わせていた。
――友達になれるだろうか。
それは彼女たちと知り合うことで芽生えた期待。
「ティアラ様、ハク様、リンシア様」
口ずさむのは、あの茶会の面々。マリアを聖女としてではなく、ひとりの少女として見てくれた初めての友達。
気兼ねなく談笑する彼女たちの振る舞いには気力を貰った。勇気を授けてくれた。
そして――。
『お前はどうしたい』
茶会のきっかけをくれた彼の言葉。彼との出会いから、止まっていたマリアの時間が動き出したのだ。
マリアはもう一度、目的のためにどうするべきか、何が出来るのかを思考する。
「ふぅ……」
そして、一呼吸。取り乱す鼓動を落ち着かせた。
講堂ではダグラスの声が聞こえる。そろそろ出番だ。
よしっ、と胸中を奮い立たせて、覚悟を決めた。マリアは講堂の広間へと一歩を踏み出す。
――
―
「クレイ様……イジワルです……」
夜半。聖女の間に戻ったマリアはベッドに横たわりながら状況の整理していた。主に王国交流会での謁見のことだ。
緊張、不安、希望。様々な感情が行き交う心中を振り切って前に進んだはずだった。
しかし、蓋を開けてみれば、なんてことはない。
王国から来訪したのはマリアと面識のある人物――リンシアだったのだ。それだけではない。傍らには、リンシアとマリアを繋げてくれた銀髪の彼――クレイもいたのだ。
呆気に取られてしまい、聖女らしからぬ発言をしてしまった。それは相手方の王女、リンシアも同じである。
そんな彼女から読み取れた感情は瞠目。そしてクレイからは無邪気な振る舞い。
あの決死の想いと、それまでに起伏した緊張していた時間を返して欲しい。
ただ、同時にクレイはわざとそうしたのではないかともマリアは考えた。
「嬉しかったのは事実ですが……」
クレイにはそれが有り得るから責めきれない。現にリンシアも事実を知らされておらず、あの瞬間だけでも同じ気持ちになれたことが、マリアにとっては嬉しい出来事であったのだ。
こん、こん――。
すると控えめなドアを叩く音が聞こえた。
感覚が鋭いマリアには、誰が来たのかすぐにわかる。
「どうぞ」
「失礼します。聖女様」
ゆっくりと扉が開くと、大人っぽい色香の混じる声で耳朶を揺らす。
短く切りそろえられた水色の髪に、色気あるすらっとした華奢なボディーライン。最高司祭のひとり、《ティーチェ・フォン・サンタナ》であった。
丁寧な口調ではあるが、どことなくだらしなさが滲み出ている。面倒くさい様子が感じ取れていて、今も首をだらりと曲げていた。
「聖女様より最高司祭の地位を貰ったティーテェ・フォン・サンタナです。最後に顔を合わせたのは5年もたちますが、覚えてますか?」
聖女であるマリアと面会できるのは一部の者のみ。5年前からの決定だ。その一部にティーテェは含まれていない。
マリアはざわざわとした淀みある感覚を抱いた。
「ええ、覚えていますよ。その、本日は何用で……?」
「聖女様の湯浴みを手伝いに来ました」
「湯浴みの……? いつもの女司祭の方はどうされたのですか?」
5年前からマリアの世話をしているのはたったひとりの女司祭である。感情を表に出さず、言葉もほとんど発さないが献身的に仕事をする10代前半ぐらいの幼子だ。彼女の身に何かあったのだろうか。
「交流会の間のみ、聖女様の世話は最高司祭のみで行うものと変更になりました。あのガ……世話係は別の仕事についてます。ダグラス様の決定です」
「……そうですか」
ほっと胸を撫で下ろすが、マリアはこの提案を受けることはできない。
これからこの場には来客があり、それを法国の者に知られるわけにはいかないのだ。
咄嗟に思いついたいくつかの言い訳を並べる。
「せっかくのお申し出ですが、湯浴みはひとりで大丈夫です。サンタナ様も疲れているのですから本日はゆっくりと休んでください」
「基本待機なので疲れてません」
「それなら尚更、今後のために体を休めてください。何があるかわかりませんから。それに……この聖女の間には色々と規則が……」
「えっと、あた――私、生娘ですよ。一応」
「……」
なんとも言い難い沈黙が走り、失言してしまったという後悔が押し寄せる。
マリアの記憶では、ティーチェは20代半ばぐらいだったはず。普通なら婚約しててもおかしくない年齢なのだ。
それに最高司祭であるグレンシャルが、前に「ティーテェは夜な夜な男をみだりに誘惑している」と言っていたことも拍車をかけている。
謝罪するべきだと、優しいマリアは考えた。
「その……」
「聖女様が大丈夫というなら。ただ、言いにくいのですが……その目で大丈夫なんですか?」
気を使わせたくないのか、面倒くさいのか、ティーチェは話題を切り替える。
謝罪をしようとした反面、モヤモヤが心に残る。
「はい。見えていませんが、感覚は伝わってくるのです。今もサンタナ様が手を上げているのがわかります」
それを聞いて、ティーテェは慌てて手を戻した。後頭部を掻いていたからだ。
しかし、そんな人間味のある行動にマリアは親近感を覚える。
「咎めるつもりはありませんよ」
「……ありがとうございます」
「サンタナ様はどうして最高司祭に?」
ティーチェは目を細めて、首を傾げる。どうしてこんなことを聞くのかと。
「ダグラス様に任命されてです」
「家は……ご家族は?」
「……私的な話しはするなとダグラス様に言われているのでできません」
少し複雑な心境が読み取れた。何かあるのだろう。
「……そう」
「大丈夫とのことなので、私は退出します」
「今度、あなたのことを色々と聞かせてください」
「……失礼します」
その問いかけに答えることなく、扉はゆっくりと閉められた。
直後、正面の空間が歪み、本日の来客が姿を見せた。
◇
視界が開けると、薄暗い室内へと切り替わる。
これで3回目の来訪となる聖女の間。マリアの部屋だ。
ベッドとテーブルだけの、相変わらず一切の無駄を省いた簡素的な空間。大きなベッドの上にちょこんとマリアが座っていた。
「クレイはいつも急です! マリアに会いに行くなら、最初の方に報告できたでしょう!」
開口一番にリンシアから咎められる。「もう!」と頬を膨らませて怒っている表情がなんともいえない愛らしさがあった。
これだから、こういうことはやめられない。
「タイミングがな……多分、礼儀のことで咎められてたせいだ」
「それでも話の合間にタイミングはあったはずです!」
「仲が宜しいんですね。少し妬けてしまいます」
そんな俺たちの様子を見てマリアが微笑みながら告げる。
リンシアははたとし、慌てながらも気品を取り戻す。
「マリア、ごめんなさい。はしたない姿を……」
「気にしませんよ。リンシアはその……友達なのですから」
「そうですね。私たちは友達です」
ふたりの空気がなんとも微笑ましい。男の俺が居ずらい雰囲気であった。
それに気づいたマリアが照れたような表情を見せて、話を進める。
「それで、話とはなんですか。ただ遊びに来たというわけでもないのでしょう?」
「いや、ただ遊びにきた」
「「えっ!?」」
ふたりの声がシンクロする。
「っていうのは冗談で、まあ、この間の話をリンシアに聞かせたくてな」
「……なるほど」
その言葉だけでマリアは納得した様子だった。
リンシアは俺とマリアの顔を交互に確認して、頭に『?』を浮かべている。
マリアの部屋を訪れた目的はふたつ。
ひとつは俺が神の使徒であることをマリアの口からリンシアに告げてもらうこと。
ティアラやハクと情報を共有するにあたって、その方が効率がいいと考えたからだ。それと……リンシアの不安を少しでも解消できればと。
そしてもうひとつは、ダグラスの能力も含めた今後についてだ。
「前に言ってただろ。リンシアが知りたかったこと。今ここで説明しようと思う」
「……以前の話でしたよね。お姉様やハクは知っていること……」
「そうだ。先に行っておくが、マリアには故意で教えたんじゃないからな。それに話の性質上、俺から話せないことだからマリアに頼んでいるんだぞ」
リンシアの反応を予想して先回りして告げる。
まだ知り合って間もないマリアもこの話題を共有していたことに対して疎外感を抱かせたくないためだ。
それに気づいたリンシアは目を細めて答えた。
「私は子供じゃないんですよ? ……わかりました」
俺が目で合図をするとマリアは説明を始めた。
「では、私から申し上げますね。この世界の成り立ちは、12の神々によって創造されたというのはご存知ですか?」
「古典書物の歴史の内容ですよね。幼い頃に全て暗記しています。12の神様、12神はこの世界と様々な種族たちを生み出したと」
「はい。その12神はこの世界を豊かにするために様々な種族を創造しました。エルフ、魔族、獣人族……そして私たち、人族など色々な種族をです。ただ異種族間ではお互いを受け入れることが出来ずに争いを始めてしまったのです」
争いという言葉にリンシアは反応した。
構わずマリアは説明を続ける。
「その争いにより、多種いた種族たちは絶滅していきました。12神はそのようなことを望んでいません。しかし、12神は直接的に世界に干渉することはできないというルールがあったため、どうすることもできなかったのです」
ごくりと唾が喉を通る。リンシアはその話を聞き入っていた。
「そして、私たち人族も絶滅の危機に陥ったとき、12神は人族から使徒を選び、自らの力を『加護』という形で与えたのです」
「使徒……ですか」
「はい。それにより次第に人族は勢力を取り戻しましたが、次は魔族が絶滅の危機に遭遇してしましました。リンシア様が神様ならどうしますか?」
「魔族側にも使徒を選びます」
「そうです。魔族の勢力が強ければ人族に。人族が強ければ魔族に。という具合に12神は使徒を選んで行きました。そして、使徒には特別な力、『加護』が授けられています。それが神の使徒。神から世界の均衡を保つようにと託された存在」
「それは、世界が創造してから起こった出来事なんですか?」
「私はそうお母様から聞いています」
「でも、そのような特別な存在がいたら、話が広がっているはずですよね」
「そこにもルールがあります。神の使徒は自らを使徒と口外してはいけないというルールです。リンシア様ならもうおわかりかと」
地頭がいいリンシアはすぐに話を理解する。何かに気づいた様子で、再びマリアに問いかけた。
「まさか、その使徒って……」
「そうです。そこにいらっしゃる、クレイ様は神の使徒になります」
驚愕してリンシアは目を丸くした。空いた口が塞がらない。
「というわけなんだ。まあ使徒だからって何か変わるわけでも――」
「あ、頭を下げた方がいいですか?」
「いや、使徒が偉いってわけじゃないからな。リンシアはいつものように接してくれ」
「……」
それからリンシアには俺が信徒の儀で神の使徒に選ばれたこと。ティアラも使徒であること。ジルムンクでハクと一緒に神会へ行ったことなど、使徒に関することを全て説明した。
「お姉様も使徒様だったんですね」
「まあな。今まで黙っていて……その、悪かった」
「大丈夫ですよ。こうして今、話を聞いているわけですし」
そう言うリンシアだが、少し腑に落ちない様子だ。
「なんか気になることでもあるのか?」
「その、強いて言うなら……私も使徒に選ばれたかったなと……」
最後の方はごにょごにょと口篭りながら告げる。こういうところがまたいい。
「使徒であることは、俺たちの関係に何の意味もなさないよ」
「クレイ……」
リンシアが少し泣きそうな表情で笑った。なんとも嬉しそうだ。
「あのぉ……仲睦まじいのはわかりましたが、話を続けてもいいですか?」
「ど、どうぞ」
「そして、法国の最高司祭統括のダグラス様もまた、神の使徒のひとりなんですよ」
「……そういうことでしたか」
リンシアは再び驚愕するが、俺のときほどではない。なんとなく、話の繋がりを察していたのだろう。
ここからは俺が話すことにする。もう使徒について話せないことがないからだ。
「それで、ダグラスの授かった加護についての話だ」
「クレイにはダグラス様がどんな加護を持っているのかわかるんですか?」
「ああ。それが俺の持つ神の加護、【神の五感】の一部の力だ」
そう言って、俺は先ほど視たダグラスのスキルをリンシアとマリアに説明した。
――――――――
《ダグラス・ジ・ヴィンセント》
Sスキル
【超・魔法制御】【超・魔法量】
Aスキル
【極・闇魔法】【極・次元魔法】【極・風魔法】
Bスキル
【上・光魔法】【上・水魔法】【上・土魔法】【魅了】
Cスキル
【火魔法】【老化耐性】【精霊魔法】
加護
【信徒の加護】
【ヘルメスの加護(神の傀儡)】
【ラファエルの加護(情愛の導き)】
―――――――――――――
【ヘルメスの加護(神の傀儡)】
・他者の心を意のままに操る。
【ラファエルの加護(情愛の導き)】
・他者の感情を増減させる。
―――――――――――――
魔法に関するスキルが多いのは、流石に魔神と呼ばれているだけはあると思う。
ただ、気になるのは――。
「他者の心を意のままに操るって……」
悲報を口にするかのように弱々しい声がリンシアからもれる。マリアも同じく驚愕している様子だった。
ダグラスの注目すべき点は【ヘルメスの加護(神の傀儡)】と【ラファエルの加護(情愛の導き)】である。
【情愛の導き】は感情の起伏を操作する加護。
それは信仰が深い法国ならではの力で、おそらく、民たちに芽生えた信仰心を増加させているのかもしれない。
マリアと訪れた海信都市の広場での違和感はこれで説明がつくだろう。
問題は【神の傀儡】だ。
人を意のままに操ることができるという反則級の加護。
ただ、多用していないところを見ると、発動にはなんらかの難しい条件があるのかもしれない。発動する条件、効果時間、効果の制度に人数……。これは使う本人にしかわからず、【神の五感】でみることはできないのだ。
「人を操ることができるなら、なんでもできるじゃないですか」
「そうだな。だけどダグラスは使っていない様子だ。何かしらの条件があると思うが、それは俺の力でもわからない」
「条件ですか」
「そうだ。だからこそ気をつける必要がある」
「操られないようにですか?」
当然のリンシアの疑問。
しかし、俺は首を振った。
「問題なのは俺が操られることだ。もし、俺が変な行動をしたら、迷わず逃げろ」
「……」
俺の言葉にリンシアは切実な表情を浮かべる。
リンシアや他の騎士が操られた際はなんとでも対処できる自信はある。気絶させて解除させる方法を探せばいいのだから。
しかし、俺自身が操られた場合はそうはいかない。加護、魔法、武力、俺は自分自身の力量を存分に理解しているからこその危惧。
「このことはティアラにも伝えとく。もし何かあったらティアラのところへ飛ぶんだ。そのネックレスに魔力を注いでティアラのことを思い浮かべれば飛べる……ネックレス、持ってるよな」
「はい。肌身離さず」
「よし。まあ今回に限ってはそうなる危険性は薄いかもな」
真剣モードから突然、俺は口元を綻ばせた。リンシアは小首をかしげて不思議そうに尋ねる。
「どうしてですか?」
「それはマリアの体質――というよりもスキルが関係してる」
「スキル?」
「あぁ。実はマリアには神の加護の効果が効かないんだ」
再び『?』を浮かべるリンシアに、俺は丁寧に説明した。
基本的にSからDのランク付けされたスキル――才能を持っているということ。そのスキルには上位のXスキルが存在するということ。
そのXスキルをマリアが所有している可能性が高いということを。
俺はあの晩、マリアとXスキルのことについてのことを話し、色々と実験をしたのだ。
わかったことは、マリアが神の加護どころか、神級魔法などの『神』の領域に踏み込んだものの効果を一切受けないということであった。
効果はマリアを中心に円形の範囲が張ってあり、感情によってその大きさは増減するというもの。
「なんか凄く話がややこしくて、頭がごちゃごちゃしてきました」
無理もないと思う。政治や経済の話と違って、今までの枠組みから外れたスケールの話なのだから。
「まあ、そういうわけだから」
俺はプシューと煙が出る勢いの、オーバーヒートしそうなリンシアの頭の上に手を添える。
「寝る前に話を整理してみます……」
少し顔を俯けて、リンシアは言った。
「それで、マリアに聞きたいんだが」
「はい、なんでしょう」
突然話を振られて、マリアはピクリと反応を示す。リンシアの頭を見ていたようだ。
気にせず、俺はマリアに問いかけた。
「最高司祭の――フレンスとはどんな男なんだ?」
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