第178話
「それは誠なのです?」
俺の提案の真偽をマリアは問いかける。
やや懸念が窺える、半信半疑という様子であった。
「ああ」
「一体、どうやるのですか」
その方法は単純である。
あの場にいる最高司祭のふたり。うねった緑髪が特徴的なバリエゾと、いかにも賢者のような老体のグレンシャル。
バリエゾはともかくとして、グレンシャルはティアラに情報をリークしている張本人なのだ。いわば、法国にとっての裏切り者ということになる。
今回はそこを利用しようと考えたのだ。
しかし、この作戦内容をマリアに告げることはもちろんできない。
「それは、お楽しみってことで」
「伝えておきますが、武力での対抗はできませんよ。あれでもこの国で最も強い6人のうちのふたりが揃っているのですから」
「そのつもりはない。俺も問題を起こしたくはないからな」
「ならどうやって……やはり私が出ていくのが一番収まりがいいと思うのです。こうしている間にもあの子が宮廷に連れていかれているではありませんか」
そう言って今にも路地裏から身を晒そうとするマリア。その肩に手を回して留まらせる。
混乱すると頭が回らなくなるタイプのようだ。その行動力はハクに似ている。
「だからなんで早まるんだ。少し待て」
「いてもたってもいられないのです」
「お前、意外とアクティブだよな……」
「私は物静かでお淑やかだと、母は申していましたよ」
「……そ、そうか」
マリアの天然な主張を適当に流しつつ、俺は思考を回転させる。
問題はどうグレンシャルに接触するかであった。
簡素的にすませるなら【メッセージ】を使うのがいい。
たが、【メッセージ】には使う条件があり、一度会話をしたことがあり、送る相手の体を流動する魔力制御を理解しなければならないのだ。
つまり、飛ばす相手に一度触れる、もしくは魔力に当たる必要があるということ。
こちらが魔力を使えば気づかれてしまうリスクもある。
信者を装い何かしらの理由をつけて近づくか、強行突破か……。
「ハク、今から俺がアイツと接触する。だからお前はマリアを連れてこの街から出ろ」
接触さえできれば、ティアラとの関係性があることを匂わせせればいいだけなのだ。
不審だったとしても、そのあとはどうにかなる。
「……ん?」
俺は遅れて、ハクに対して返答がなかったことに疑問を抱いた。というよりも、気配自体を感じない。
「あの野郎……」
確認のために一応、振り向く。
ハクは忽然と姿を消していた。
「……なんじゃ、お主は」
広場からグレンシャルの発せられた警戒な声色が耳に届く。ハクがどこへ行ったのかは、すぐにわかった。
「ねえ。その子に何する気なの?」
挑発混じりのハクの声もすぐに聞こえる。
答え合わせをするために覗く必要もない。
「マリア、どうやら作戦変更のようだ。少々武力行使も必要になる」
「えっ……?」
俺は呆けるマリアを横目に新しく策略を練り直す。
ハクは素直な性格だ。だから我慢というものをあまりしない。
言いたいことははっきりと告げ、欲しいものは何がなんでも手に入れる。
嫌な奴には嫌と言うし、許せないことは立場とか関係なしに手が出てしまうだろう。
それは兄であるクロの意気揚々な性格と、ジルムンクという無法地帯な環境で育ったことが関係していると思う。
ジルムンクでは基本的に全てが自己責任で、欲しいものは奪う――もしくは取引をして手に入れるのが原則だ。
食料、金、そして女――。
ジルムンクにも女は流れ込んでくることがしばしあった。
弱肉強食の獣が蠢く無法地帯。力ある者は武力で従わせ、知恵のあるものは強者の女になればいい。
そして、そのどちらにも当てはまらない者には不当な扱いが待っていた。
俺もハクもその不当で惨めな扱いを受けてきた女性たちを何人も見ている。
ハクですらも襲われそうになったぐらいなのだ。
後ろ盾がない、助けのこない環境で恥辱の時間を過ごすことはどんなに辛いことだろうか。
そういった女性の気持ちはやはり、同性にしかわからない。
だからこそ、ハクはこういう場面を見過ごせなかったのだ。
聞くより先に体が動いてしまったのだ。
ここまで考えて、どうするべきかの道筋が見える。
その間にも向こうの会話は進んでいた。
「聞こえなかったわけではなかろう。お主は何者だと聞いているのじゃ」
「へ、ゴミ野郎に名乗る名前なんてないよ」
そう言い放つハクの闘力が広場中に広がった。
◇
この世で最も美しい存在とはなにか。
そう問いかけられたとき、グレンシャルの脳裏に浮かぶのはひとりの少女であった。
華奢な体付き、あどけない仕草、健気な笑顔。花と蕾とが内包する中間の存在。
そんな繊細なガラス細工ような麗美な少女が浮かばれる。彼女のことは決して忘れることはない。
しかし、人は歳を取るものだ。
重ねていくうちに老いていくものなのだ。
10年もすれば蕾は花になり、もう10年たてば成熟した実になる。
グレンシャルはそれに耐えられなかった。
だから、彼女の若さを永遠のものにするために、亡き者にしたのだ。
しかし、後悔した。
永遠の若さを手に入れた彼女は笑うことも、自らの名前を呼ぶこともない。
どん底に落ちた気持ちだった。
幾多もの策略を積み重ねて実行したものが報われなかったからだ。
しかし、そんなグレンシャルに光明が差し込んだ。それは彼女の子供である。
彼女に似た、華奢な体付き、あどけない仕草、健気な笑顔。
グレンシャルはそれを手に入れたいと思った。
それを自らの手中に落とすことができればどんな快楽が待ちうけているのかと。
幸いにも、グレンシャルにはそれを手に入れることができる立場にいる。
彼女は殺される運命にあるからだ。
――あともう少し。あともう少しじゃ。
グレンシャルは思う。
亡き少女に重ねて、貪るように少女を手にかけてきたが、もう我慢しなくて済む……と。
――あともう少し。あともう少し。
グレンシャルの思考はすでに狂っていた。狂い果てていた。
もう取り返しのつかないところまで来ていた。
――あともう少し。あともう少し。
満たされることのない欲望を少しでも埋めようと、今日もまた、新たな蕾を手にかける。
今日はどうしてやろうか。何をさせようか。
グレンシャルの脳裏はすでに色情に染まっていた。
「ねえ。その子に何する気なの?」
しかし、そんなグレンシャルの色情に邪魔者が現れた。
突如、姿を見せた白髪の少女にグレンシャルは目を細めて睨みつける。
「……なんじゃ、お主は」
ここは法国であり、権力の上位者であるグレンシャルに反論するものはいないはず。
ただでさえ、仕掛けが完了している状態で、真っ向から対峙することができるはずがないのだ。
つまり他国の愚者である。そう考えたグレンシャルはもう一度強く言い放った。
「聞こえなかったわけではなかろう。お主は何者だと聞いているのじゃ」
「へ、ゴミ野郎に名乗る名前なんてないよ」
――生意気なガキだ。
とグレンシャルが考えたのも束の間。少女の容姿はグレンシャルの好むものであった。
短く切りそろえられた白髪は艶があり、あどけなさの残る端正な顔立ち。
是非、コレクションに加えたいとグレンシャルは欲望を膨らませる。
「ねぇ、グレンシャル。こいつ部外者だよね? 斬っていいんだよね?」
「待つのじゃ」
血の気の多いバリエゾを制して、グレンシャルは少女に向けて言葉を投げた。
「最高司祭であるワシに無礼を働いたことは罪である。しかしながら、ワシも寛大じゃ。お主も宮廷に来ると言うなら許してやっても良いぞ」
「うげえ、気持ち悪っ。ロリコンじじいに興味ないよ。バーカ」
「なんじゃと?」
子供っぽい軽い挑発に思わず殺気を放った。
だが、白髪の少女はそんな殺気などものともせずに言葉を挑発する。
「逆にさ、さっきの人も連れ戻して、その子も離してくれるなら、仮死状態ぐらいで止めてあげてもいいよ?」
無邪気な表情から滲み出た悪魔の笑み。それは彼女が、ただの少女ではないことを物語っていた。
ヒリヒリと肌に伝わる類まれない実戦経験の気配。
大口を叩くだけのことはある、とグレンシャルは思う。
「残念、時間切れえー!」
我慢の限界だったのか、隣にいたバリエゾはすでに剣を抜いていた。
剣先から魔法陣を出現させる。4級闇属性魔法【グラビディ・バインド】。この広場にいる信者を巻き込むつもりで放とうとしている。
「闇魔法なんて使わせないよ」
少女の不敵な笑み。グレンシャルは目を見開いた。
即座に発動しようとしていた魔法陣が消滅したからだ。
「なんじゃと!?」
これは対闇属性の無効化系統の魔法であった。この法国でも使える者はふたりしかいない高難易度の魔力制御である。
「へえー。ダグラスさんと同じやつが使えるんだ」
剣筋に光が帯びる。直後、グレンシャルの前にバリエゾが踏み出した。
カーン、と軽快な金属音が響き渡る。
少女がグレンシャルを殴りかかろうと距離を詰めたところを、バリエゾが剣で受け止めたのだ。
「硬い拳だねえ。強化魔法?」
「バリエゾ、そのままにしておれ!」
グレンシャルは魔力を纏う。
対魔法制御が存在しない4元素。4級地属性魔法【グランドパニッシャー】を発動させる。
が――。
それが発動することはなかった。
魔法が完遂する前に打ち消されたのだ。
斬られたと表現するのが正しいかもしれない。
「うわっ、と」
突然の圧縮された風圧がバリエゾとグレンシャルに降りかかる。
それにより白髪の少女との距離が離れてしまう。
視線をやや上に向けると、宙に浮く陰がそこにあった。
「お主は……何者じゃ」
「自己紹介が必要か?」
濁った声色。洗礼された魔力。
特徴的なデザインの仮面を付けた男の姿。
腰には一本の剣をさげていて、腕を組み、悠然とこちらを見下ろしている。
「……っ!!」
直後、グレンシャルの背筋が凍り、身体の自由が奪われたかのように麻痺してしまう。
「がっ…………うっ…………」
それは病でも魔法でもない。仮面の男から発せられるとてつもない量の殺気であった。
息など吸うどころか、吐くことすら許されていない。
いっそ呼吸を止めていた方が楽になれるのではないかという異常な条件反射の思考が過る。
一種の警告に近いそれは、心臓の鼓動すらも止めかねないものだった。
グレンシャルはどうにかして、内側から魔力を膨らませ、止まりそうになっている血液を流動させる。
わずかに息を吐き捨て、少しずつ息を吸い込んでいく。
その姿まるで動物のように惨めな姿であった。
「っ、っ、っ、っ。その、仮面……おぬ、しは……ラグナか?」
グレンシャルは確証していた。
あの男が噂に聞く《ラグナ》だと言うことを。
王国で四大悪魔の《サタン》を滅ぼし、皇国でもそれに匹敵する二匹目の悪魔を滅ぼした謎の男。
その証拠にこの殺気。あの大型の魔物ですら触れずに殺せそうな殺気を浴びて、信者たちが立っていれるわけがない。
しかし、広場に集まった信者たちは平然と地に両足をつけているのだ。
導き出された答えはひとつ。こんな強大な殺気をグレンシャルにのみ放たれているということ。
そんな繊細な気力のコントロールをこの強さでできる技量。悪魔を倒したと言われれば頷ける実力である。
そして、グレンシャルとの実力差は明白であった。
数十年も魔法を追求してきたグレンシャルが足元にも及ばない存在だと思わせられたのだ。
砕ける心を持ち合わせていない。
いっそこれくらい離れていれば清々しいとさえ感じさせる。
そこまでの差が、グレンシャルとラグナの間にはあった。
人生で二度目の経験。
この人生が後もう一度あったとしてもたどり着けない高見に、彼はいるのだと悟ってしまうほどである。
『これは皇女の指示か?』
そんなグレンシャルの脳裏に誰かの言葉が過ぎった。
「(これはダグラスの使う声を飛ばす魔法……)」
一体誰が使ったのかなど、確認するまでもない。
目の前にいる仮面の男が使ったに違いなかったからだ。
グレンシャルは途端に察する。
ラグナは第3皇女と繋がっていることに。
そして恐怖した。今、自らが行っている行為が彼、もしくは皇女の逆鱗に触れるかもしれないということに。
――好き勝手なことをしたら殺すぞ。
そんなメッセージが込められた一言であった。
「そうだとしたらどうする?」
殺気を解いたラグナが嘲るように問いかける。
もうあの殺気を浴びるのはごめんだとグレンシャルは息を飲んだ。
「仕方ないの……今、ラグナとことを構えるのは得策ではない。バリエゾ、行くぞ」
そして、立場を守るための精一杯の言い訳を口から漏らす。
すると、わかりやすく怪訝な表情でバリエゾが問いかけてくる。
「……ちょっと待ってよ。せっかく見つけ出したのに、逃がしちゃうわけ?」
「そうじゃ。このままやりあったらワシらもただではすまん。それにこの街全体が滅んでしまえば、ダグラス様もご立腹じゃぞ」
「……」
まだ不満そうではあったがバリエゾは納得したとグレンシャルは思った。
バリエゾが無言でいるときは肯定という意味だと理解していたからだ。
いつの間にラグナの姿はなかった。白髪の少女の姿も同様に。
「とりあえず帰るぞい」
「はいはい」
後頭部に手を当てながら、呆れた様子で返事をする。
「皆も解散じゃ。お主ももう帰れ、興が覚めた」
グレンシャルはそのままの流れでドーム型の宮廷に連れて行く予定だった少女に言い放つ。
遠くから見られていれば命がないと思ったからだ。
「バリエゾよ。この件に関してはワシに一任してくれんか」
「えー」
「他領土で反乱を企てる罪人たちがおってな。お主が処分しても構わぬぞ」
「ほんとに? じゃーしょうがないね。今回の件はグレンシャルがしっかりとダグラスさんに報告してよね」
「任せるが良い。では先にいくぞ」
心中でほっとため息は吐き、グレンシャルは【飛行】の魔法で宙に浮かび、そのまま真っ直ぐとイーリスの塔へと向かう。
そんなグレンシャルをバリエゾは蔑むような視線を向けていた。
「はぁ、使えないじじいだ……」
そして、毒づく。
すでに離れているグレンシャルの耳に、その言葉は聞こえていない。
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