第177話
「どっちが最高司祭だ?」
俺は中央の広場が見渡せる路地裏に身を潜めながらマリアに問いかけた。
白を基調とした円の模様が描かれた広場には100以上の人達が集まっている。
その最前には仕立てのいい修道服を着ている者が数名。そして、一際目立つ衣装を纏った男がふたりいた。
おそらくはあのどちらかが最高司祭なのだろう。
ひとりは10代後半から20代前半の若々しい男。翡翠のような緑色の短髪をくせっ毛のようにうねらせて、性格がひねくれていそうな笑みを浮かべている。
もうひとりは還暦はとっくに過ぎていそうな老人。白い髪に白い髭、もっさりと生えた眉毛が目元を覆っている。視界が悪そうだ。
「えっと……ふたりともです」
俺の抽象的な指摘の意味を即座に理解して、マリアは答えた。
ティアラの報告を思い出す。あのふたりが最高司祭なのだとすれば、緑髪の男が《バリエゾ》、老人の方が《グレンシャル》という名前のはずだ。
「バレると流石にまずそうだな」
「そうですね。私は聖女の間にいることになっていますから……」
元気のない声でマリアは呟く。顔色も先程から芳しくない。
おそらくはこの海信都市の状態を見たのが原因だろう。
――活気に溢れていて、人々は笑顔で暮らし、信仰心の深い街。
ここへ来る前にそう語ったマリアの表情はどこか楽しげで、期待に溢れていた。
きっとイシュタルトのような明るい街並みを期待していたのだ。
しかし、蓋を開けてみれば、そんな印象などどこにもなかった。
内側のことはまだわからないが、少なくとも外側は活気に溢れて、人々は笑顔とは言い難い。
これまで俺が見てきた貧民街のような街並み――いや、それよりも酷い状況なのかもしれないと思った。
普通なら人は危機に直面すれば直面するほど、欲望という部分に忠実になるのだ。
それは生きるために本能で行動を選択するようになるからだ。
ジルムンクでは奪ったり取引をしたりという行動が見て取れた。
王国の貧民街ですら、窃盗や恐喝という事件が起きているぐらいだ。
だが、この街にはそれがない。
生きる気力がないに等しかったのだ。
マリアの耳にはこの街の惨状が届いていなかったらしい。
それが法国の上層部の意図なのかどうかはわからない。
ただ、そこに関して俺が関与できることはなにもないのだ。
「バレる前に戻るぞ」
俺は隣で気落ちしているマリアに声をかける。。
今は聖女がこの場にいるという事実に気づかれる方が問題である。
下手をすれば数週間後に開かれる交流会にも支障が出る可能性すらあるからだ。
「もう少しだけ、お願い致します」
「……わかった」
わかりやすく落ち込むマリアの姿を不憫に感じてしまう俺は甘いのだろうか。
マリアの言葉を聞き入れて【気配遮断】を強化した。
実際、俺も最高司祭たちのことが気になっていた。という考えにシフトする。
最高司祭とはイーリス法国の国政の中枢を担う6人の人物だ。
王国で例えるところの大公や公爵と同等であり、聖女に選択権がない今、実質、国の舵を取るトップの者たちになる。
そして、このクラウディアは人口が、いても2、3万人という小規模という都市。にも関わらず、最高司祭という地位に付く者がふたりも首都を離れ、この都市へ集まるということに疑問を感じたのだ。余程の事件があったのかもしれない。
王国や皇国ではあまり考えられない状況なのだ。
「いずれも女が集まっているようだが、法国ではそういうイベントがあるのか?」
「そのような催しは聞いた事がありません」
よく見ると集まる人々は皆が女性なのだ。
そんな女性たちが老人であるグレンシャルの元へ並ぶように列を成している。
そして、2、3人ずつ前に出て、小袋のようなものを手渡していた。
あの袋に入っているのはおそらく金貨だろう。
「金貨の入った小袋を渡しているようだが、納税でもしているのか?」
「……この国では信者からは税ではなく『御布施』という名目で月に一度献上されています。ただ、その時期はもう過ぎているはずなのですが……」
民、もとい、信者たちはいずれも腰が低く、頭を仕切りに下げている。
待っている者たちは物静かで、一切口を開く様子もない。少々不気味な光景であった。
「いつも法国を守って頂きありがとうございます」
女性たちが小袋を渡したあと、口々にそう告げながら頭を下げて広場を去っていく。
また、どこからか新たに女性信者が歩いてきて列の最後尾へと並ぶのだ。
そんな様子を見ていたハクが口を開いた。
「ようは守ってやるから金よこせってことだよね」
「そういうことになるな」
「権力者ってこれだから嫌だよね」
渡されたあとのジャリン、という重々しい音から小袋の中が決して少額ではない金額が入っていることを物語っている。信者たちはそれを淡々とグレンシャルの元へと運んでいっているのだ。
隣にいる緑髪の男は退屈そうにしていて、欠伸をしている。
「これは不当な御布施です」
「権力者の間ではよくあることでもあるがな。王国だって――」
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
すると、俺の言葉を遮るように女性の叫び声が広場に響いた。一瞬で信者たちがザワつき始めている。
見てみると、3人の女性信者が必死に頭を下げて土下座をしていた。
「申し訳ございません! 今月はこれしか集まらなかったんです。どうか来月まで待って頂けないでしょうか」
頭を地面へ擦り付ける勢いで女性が謝っている。
グレンシャルはそんな女性の元へ向かっていき、蔑むような視線で見下した。
「誰がこの国を守っていると思っておるのじゃ」
「なになに、僕たちに守られたくないわけ」
続いてバリエゾがうねる緑の髪をつまみながらニヤリと口角を上げる。
もう片方の手が腰にかかった剣の鞘に触れた。
「待つのじゃバリエゾ。お主は血の気が多いのぉ」
「ええー、やっと斬れると思ったのに」
子供のようにへそを曲げるバリエゾを無視して、グレンシャルは再び女性に目を向ける。
先程とは少し違う値踏みをするような目付き。『女性』に対して向ける眼差しでもあった。
「お主、歳はいくつじゃ」
「28になります」
「婚約は?」
「み、未婚でございます」
直後、グレンシャルの態度が一変した。
興味をなくしたかのように、再び蔑むような視線で睨みつける。
「この者の身ぐるみを剥がし、外へと投げ捨てろ」
グレンシャルの命令により、周りの司祭たちが一斉に動き出す。
その女性を押さえ込み、纏っている修道服を剥ぎとっていく。
「どうか、どうかこの街に居させてください!」
必死に叫ぶ女性。そんな声も虚しく、女性は肌着の姿が街中でさらされてしまう。
「醜く老いた体よ。お前にはもう価値なんぞない」
そう言ってグレンシャルは抑え込まれた女性の頭を力いっぱい踏みつけた。
「お許しください! どうか――」
「しゃべるな! 法国の恥さらしがっ! 生きていることすら恥としれ!」
そして何度も何度も踏みつける。
女性はひたすらに謝罪の言葉を口にしていた。
「――もういい。外へ連れ出せ。二度とこの内側に足を踏み入れぬようにな」
一通り踏みつけたグレンシャルは興味が失せたのか、拘束する司祭に手を振って合図を送る。
司祭のひとりがボロボロになり、がくっと項垂れた女性を担ぎあげて広場を出ていった。
グレイシャルはそのままの足で、頭を下げる残り2人の女性の元へと歩み寄る。
「お主らは……親子か。歳はいくつじゃ?」
見るからに若い少女の方へグレンシャルは声をかける。
「そ、その……」
「いくつになる」
「じゅ、14でございます」
「そうか。立ちなさい。その顔をわしに見せてくれ」
言われた通りに少女は立ち上がる。
背は低く、着ている修道服が少しブカブカな、まだあどけなさの残る容姿の少女だった。
グレンシャルは顎に手を添えながら少女の頭から足先まで満遍なく観察する。
それは先程の女性に向けていたものとは比べ物にならないほど、みだりがましいものであった。男が女に向ける卑猥な視線である。
「宮廷へ来なさい」
「っ!?」
それを聞いた母親がすぐに頭を上げた。
「む、娘は婚約を控えて――」
「誰が頭を上げていいと言ったんじゃ!」
殺気すら感じさせるような怒号でグレンシャルが言い放つ。
「も、申し訳ございません」
「齢14で何が婚約じゃ。全く……わしが色々と教えこまねばならぬようじゃわい」
「……」
口元をあからさまにニヤ付かせるグレンシャルの言葉を母親は黙って聞いていた。手が震えているのが見える。
「娘のおかげで命拾いしたのお」
「……」
グレンシャルが少女の修道服の中へと手を入れる。抱きとめるように腰の下の方へと手を回した。
「っ……」
「うむうむ。わし好みのいい身体じゃ。この娘を宮廷へ連れて行け」
グレンシャルの言葉に他の司祭たちが無言で動き出す。すぐさま娘の両腕を掴み拘束した。
「い、いや……」
「みんな通る道じゃよ。神の思し召しじゃ」
そんな少女ににこやかな笑みでグレンシャルは言いつける。その笑顔は広場に集まる信者たちにも向けられた。
「皆も、そう思うじゃろ?」
直後、広場を埋めつくしていた空気が変わったように思えた。
今まで黙っていた列を成す信者たちが、同意をするように口々に「そうよ、そうよ」告げていく。
そして、先程まで嫌がっていた少女も、
「……はい」
と、素直に言葉を受け入れていた。
――何かがおかしい。
「でたよ悪い癖。グレンシャルだけずるいよ」
「お主は殺すことしか考えてないじゃろうが。娘子に手を出すのは禁止じゃぞ」
「正直、なにがいいのかわかんないないよ」
バリエゾとグレンシャルの会話など、信者たちの耳には入っていないようだった。
それが当たり前かのように受け入れている様子。
「こんなこと……」
すると隣からぽつりと囁く声が聞こえた。
震えるように声を漏らしたのはマリアだ。
「私、止めに行ってきます」
そのまま飛び出そうとしたマリアの右手を俺は掴んで静止させる。
「待て待て、 話がややこしくなるだろ」
「聖女としてこのような状況は見過ごせないのです」
「お前が出ていっても根本的な解決にならんと思うぞ。それに空気が異様だ」
「空気?」
「【強感覚】でお前も感じただろう。なんとなくそれが正しいように思えてしまうようなあの場の空気のことだ」
「それがなんなのだというのです。こんな状況で放っておくのが正解なのですか?」
ぶっちゃけ正解な気もするが、あれを見てしまっては俺も放置しがたかった。
あの少女がこの後どうなるのか容易に想像できたし、無抵抗の女性の顔を蹴るというのも苛立ちを覚える。
「まあ待てよ。あのふたりの最高司祭だと、じいさんの方が偉いのか?」
「そんなこと、今関係があるのですか!?」
「落ち着け」
興奮しているのか、取り乱した様子のマリアを落ち着かせるために、頭に軽いチョップをお見舞する。
「今チョップしましたね!? 母にもされたことないのですよ!?」
予想斜め上の言葉が返ってくる。どこかで聞いたようなセリフだ。
「その主張は今どうでもいいだろう。で、どうなんだ」
「…………はい。ご老体の、グレンシャルの方が最高司祭としての経歴も長く、発言権もあります。逆に若い方の――バリエゾは最高司祭に入って数年の新参者なのです」
「なるほど。そうか」
そう言うと、マリアは眉根を寄せながら怪訝そうな表情を俺に向けた。
「それが何か関係があるのですか」
「まあ色々とな。根本的な解決にはならないが、この状況だけでもなんとかできるかもしれない」
俺はそんなマリアを落ち着かせるようにそう告げたのだった。
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