第176話
「リンシア様もティアラ様も優しい方たちでした」
「ねーねー、私は?」
「もちろん、ハク様もですよ」
「だよね!」
にこっと微笑むマリアの右手を握りながら、ハクは嬉しそうに答える。
夜闇が薄くなり、ほんのりと明るくなってきた夜明けの時刻。
俺たちは開港都市イシュタルトを出た足で、法国領土にある海信都市クラウディアに向かっていた。
イシュタルトから海岸沿いを北へ進むとたどり着く港町なのだが、マリアが法国領土の街も見てみたいと言い出したことがきっかけである。
「リンシアも一緒がよかったなー」
「色々と忙しいからな。ハクはわかっているとは思うが」
先ほどまでリンシア、ティアラを含めたメンバーで談笑していたのだが、公務があるということで自国へ帰っていったのだ。
「リンシア様やティアラ様は貴族の方なのですか?」
「まあ、そうだな」
あの【メッセージ】の後、ティアラとハクは本当にリンシアを連れてイシュタルトの海岸までやって来たのだ。
リンシアはあれでも一国の王女であり、おいそれと気軽に出歩いたりは出来ない。ましてや夜中という非常識な時間帯は避けるのが普通である。
しかし、俺がそれを指摘したところ、リンシアは「わかっています。今回はクレイのせいですから」とぷいっとそっぽを向かれてしまった。
それからはいつの間にかティアラが設置した丸テーブルと椅子に腰掛けて、聖女に王女に皇女という知る人が知れば腰を抜かすメンバーでのお茶会がスタートしたのだ。
最初はおどけてたマリアであったが、リンシアたちの裏表のない態度に安心し、自然と話せるようになっていた。
ちなみにティアラ、リンシアを含め、マリアも自身の素性は明かしていない。
場所が場所だけに、立場上あかすことが出来ないという理由の他に、先入観に囚われず話せるようにと、ティアラが配慮してくれたのだ。
話し方からして平民ではないということはお互い存知していたと思うが。
途中、ハクの「クレイの子供が欲しいんだよねー」という発言に対して、マリアの「私もクレイ様に子供が欲しいとお願いしたのですが断られたのです」という爆弾が投下されたハラハラはあったが、それ以外は普通に楽しい会話をしていたと思う。
別れ際、少し名残惜しそうにしていたマリアに「またお話しをしましょう。私たちはもう友達ですわよ」と素直な気持ちを口にしたティアラは流石だと思った。
今までの法国の情報に、俺がマリアを連れていたという意図を正確に理解していたのだろう。
前世では俺と似ていて、友達すら作らなかったティアラだが、この世界に来て少しずつ心境に変化が感じられた。
「それで、これから行くクラ……なんとかって街はどんな街なの?」
「クラウディアな」
「活気が溢れていて、人々は笑顔で暮らし、信仰心の深い街だと司祭からの報告で聞いています」
微笑みながら語るマリアの表情は、出会ったときよりも柔らかい。
ティアラたちと話をさせたことは正解だったように思える。
「聞いてるって、行ったことないの?」
「……はい、訪れたことはないのです」
「ふーん」
「それどころか、私は首都イーリスから出たことがないのです。それにイーリスの塔から出たのも2、3度。5つよりも前の話になります――」
なんとなく予想はついていた話であった。
話を聞くと、5歳の信徒の儀を受けてから母親の部屋であったあの聖女の間に閉じこもっていたという。
母親が亡くなったあとも聖女の間から出ることはほとんど無く、国のトップとして外出する要件は全て司祭たちの最上地位にあたる最高司祭たちが代行していたらしい。
これといった娯楽もなく、10年以上も同じ部屋に引き込むる暮らしというのは気が狂いそうな所業である。
それに聖女としての仕事まで取られる始末。気崩れもするのも納得がいくとも思えた。
「――じゃあよかったじゃん。今日、外に出れてさ!」
繋いだマリアの右手をぶんぶんと振りながらハクが言った。
こういうポジティブなところがハクのいいところでもある。
「私は盲目であり、聖女としての価値はもうないだけなのですよ」
「またそういうこと言うー! 立場とか価値とか、関係ないよ。周りが勝手に決めたことじゃん」
俺もハクの意見には同意である。
しかし、王族や貴族のような立場のある者達からしたらそうもいかない。
人の上に立っているからこそ、責任と義務が生まれるものなのだ。
ラバール商会にしたってそうだ。
もしも今、商会が王族の勝手な都合で無くなってしまった場合、会長のセリナや、教会の子達、雇っている数百の人たちは生活に苦しむことになるだろう。
そういった従ってくれる者達の期待をいつの間にか背負っているものなのだ。
そして、マリアは聖女としての役目を果たせて貰えないのに、その責任だけを感じてしまっている。
それは舵の取れない船に乗せられているようなものだ。
もちろん、マリアは聖女としてはまだまだ未熟であり、大きな決定をできる器ではないのかもしれない。
しかし、その聖女としての経験を積ませても貰えないというのが法国上層部のやり方らしい。
情報を得てからわかっていたことではあるが、その上層部である6人の最高司祭に問題があるのだ。
「そうもいかないのが国というやつだ。ハクも政治の勉強でもするか?」
「私はいいや。強いやつが偉い! シンプルが好き!」
「ハク様はお強いのですか?」
「ハクでいいって。自分で言うのもあれだけど、クレイ以外に負ける気はしないよ。マリアを無下に扱うその偉い司祭? たちも私がぶっ飛ばせば解決するんじゃない?」
こいつなら本当にやりかねない言葉に、マリアはくすりと笑った。
冗談だと思われたようだ。まあ、思って当然の言動なのだが。
「ふふっ、それでは解決しませんよ。それに、いくらハク様が強いといっても最高司祭たち――中でもそれをたばれているダグラスには絶対に勝てないと思います」
「えー、そうかな?」
「"魔神"という2つ名が他国に知れ渡っていると母から伺いました。私が生まれる前に上げた武勇も数しれず、彼は人類最強であると」
「なるほどねー」
それを聞いたハクがニヤリと笑みを浮かべた。
ハクは否定されると燃えるタイプで、その表情からは「ちょっとちょっかいでも出しに行こうかな」という子供じみた対抗心が感じ取れた。
「ないとは思いますが、もし対面することがあっても、絶対に手を出してはダメですよ。ダグラスは司祭の中でも特に非情な方です。大義名分で命を取られてしまいます」
そんなハクの感情を感じ取ったのかマリアが注意を促す。
ハクのことを心配して告げているのだろう。
「確かに、私には機会がないかもねー。それにしても、人類最強は大袈裟すぎでしょ」
「大袈裟ではないのです。ダグラスは神に選ばれた使徒なのですから」
「なに?」
今、マリアはなんといっただろうか。
聞き間違いでないのなら『神に選ばれた使徒』と言ったのだ。
「神に選ばれた使徒というのは、どういう意味だ?」
平静を装い無難な質問を返す。
12神の使徒同士が触れると『使徒』だということを確認できるのだが、マリアからそれは感じなかった。
神の使徒ではないマリアが使徒のことをどこまで理解しているのか、どこでその話を得たのか気になるところである。
「この世界を作った12神。その一神に選ばれた存在であり、人知を超えた力を有している。それが神の使徒なのです」
「興味深い話だ。それがその最高司祭であるダグラスであると」
「はい」
話を合わせて質問をしていく。
世界を作った12神という話は、この世界の童話にもなっている歴史そのものだ。
しかし、その神が選んだ『12神の使徒』、そして人知を超えた力である『神の加護』はその歴史には伝わっていない。
それは使徒を取り合う戦争を防ぐなど様々な理由から、自分の口から豪語することを禁止していると《ゼウス》は言っていた。
もし破れば『神の加護』が消失してしまうとも。
「どこでその話を?」
「母から聞きました。ダグラスのみならず、同時に12の使徒がこの世界に存在することは絶対だと」
「なるほど……信じよう」
マリアの母親は使徒となんらかの関係があった、もしくは知る手段を持っていたということだろう。
ダグラスと関与して情報を得た可能性もあるが、とりあえずマリアが悪魔やゲインたちと繋がっている可能性は薄い。
「あっなんか見えてきたよ」
そんな話をしていると、前方に白をモチーフにした巨大なドームのような建造物が見えてきた。
俺たちが歩いている場所は進んでいるうちに高度が上がっていて、海岸だった海辺も今は崖になっている。
その断崖絶壁に沿うように白いドームは建てられていた。
「これは都市っていうのかな?」
首を傾げながら呟くハクと同じ感想を俺も抱いた。
巨大なドームの崖側とは逆の外側を囲うように綺麗な邸宅が並んでいる。
ドームと同じく白で統一されており、如何にも信仰を示しているといった感じだ。
ただ、外側にいくにつれて、綺麗な白は灰色になっていくのだ。
民家など、建造物は見るからにボロボロで、まるで廃村という印象であった。
こんな目に見えたグラデーションは初めてみる。
「聞いていたのと違うな」
「ジルンムンクの集落みたいだね」
粗直な感想をハクが告げた。
その感想通り、側まで行くとそれが如実であった。
ただ、ジルムンクの集落のように壊されたというよりは劣化してそうなったというのはわかる。
どの建物も古く、それこそ木材のみで建てられた住居も多い。
街というよりも村である。
たまに見かける者は色あせたツギハギの服を着ていて、俺たちを見るなり避けるように歩き去っていく。
まるで怯えているようにも見える。
マリアの話で聞いていた「活気のある街」という印象からはだいぶ遠い。
「これが法国の街か」
「……」
マリアはその街の外側の空気感を感じ取ったせいか、黙ったまま立ちすくんでいた。
聖女ですら知らなかったこの状況にショックを受けているのだ。
すると、路地裏から、よたよたとびっこを引いて歩み寄ってくる少年の姿か目に映った。
歳は5つぐらい。足首を捻挫しているようだが、顔色も悪い。
今にも倒れそうなぐらいに弱っていた。
「大丈夫ですか?」
マリアは迷わず側により、声をかけていた。
一応、それなりの立場についているのだから、警戒心を持ちなさいと注意を促したくなる。
「たべもの……ちょうだい」
少年は虚ろな目でそう告げて――バタッとその場で倒れてしまった。
「え……」
それを感じたっとのか、マリアは唖然としてしまう。
確かに少年が放つ生気が弱々しく感じ取れないくなりそうなほどであった。
俺は少年の元に駆け寄り、魔力を流し軽く診察をした。
「……栄養失調だ」
「栄養、失調? なんで……」
俺はアイテムボックスから緊急時用に所持している栄養ドリンクを取り出した。
栄養価の高い食品を混ぜ合わせた飲み物で即効性があり消化もしやすい。
もちろんラバール商会でも取り扱っている商品だ。
「ゆっくりと飲め」
【ヒール】などの魔法をかけながら少年の口にゆっくりと流し込む。
何日も食事をとっていない胃袋に、いきなり何かが入ると拒絶反応を起こしかねないので、その対策だ。
「助かるのですか?」
「大丈夫だ。少し慣れてきたら固形物も取れるようになる」
「良かった……」
安堵するマリアを横目に、魔法を発動。身体の抗体を上げる補助魔法で吸収も早める。
しばらくして、少年はぱちくりと目を見開いて立ち上がる。
「ありが、とう」
ろれつがまだ回らないのか片言気味に少年が感謝を述べる。
俺は【アイテムボックス】の中から食べ物を取り出し、めいっぱい袋に詰めて少年に持たせる。
「俺に恩義を感じているなら、これをみんなでわけるんだ。わかったか?」
少年はこくりと頷いて、路地へと走り去っていった。
おそらくだが、栄養が足りないのはあの少年だけではない。
「クレイのそういうところすっごい好き」
「こんなもの偽善だ。根本的な解決になっているわけではない」
「そういう素直じゃないところもいいんだよねー」
ハクの言葉を無言でスルーして、俺はドームの方を見やる。
「……いくぞ」
「は、はい」
俺たちは中央の白い建造物のエリアへと向かう。
聖女であるマリアの顔は司祭たちしか知らないらしいが、一応、目立たないように【気配遮断】を発動しておく。
何があるかわからないからだ。
ひとつ門を隔てて超えた先に広がっている街は、先程までの場所とはまるで別の世界であった。
加工された白い石で作れれた街路に、白い邸宅。
中世の綺麗な街並みが広がっていた。
歩いている者達もしっかりとした修道服を纏っている。
そんな街並みをしばらく進むと中央広場にぶつかった。
なにやら人がたくさん集まっている。
「クレイ様、隠れてください!」
すると突然、マリアが焦った様子でそう告げた。
焦ってはいるが潜めた声を出している。
「どうした?」
「あの中央に私の知る、最高司祭の気配を感じました」
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