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第166話

日を跨いでしまいました……


新章プロローグです。

 湿った空気が漂う薄暗い寝室。

 中央に設置されたベッドの上にひとりの少女が薄布をまとい横たわっていた。


 ここは法国の中心部にあるイーリスの塔。

 50階層にもなるこの塔は天空に向かって高々と建造された国のシンボル。その上位階。


 高貴な身分にしか与えられない広い室内にある調度品の数は、最低限のものしかない。代わりに、どれをとっても豪奢なものが置かれていた。


 少女が身を預けている直径10メートルの大きなベッドの四方には金色の柱が、同じく金張りの天蓋を支え、そこから純白の薄布が垂れ下がっている。


 その豪華な寝台と並ぶのに相応しい煌びやかな椅子とテーブル。白と金を基調とした絢爛たる絨毯。ドアの入口には絹のような透き通った高級なカーテン。それだけだった。


 鮮やかな花模様が描かれている壁には陽の光を運ぶ窓の類は一切存在しない。


 現在は陽が昇り経つ日中。だというのに、夜の暗さが室内に満ちていた。

 灯りはテーブルに置かれたロウソクのような魔石から漏れる仄かな朱色の光。それと別室にある湯浴みから漏れる青い神秘的な光だけ。


 そんな宵闇の部屋を与えられた彼女は《マリア・アニエル・イーリス》――このイーリス法国の聖女であった。歳は今年で成人の15となる。


 こん、こん、こん。

 静まり返っていた室内にノックの音が響く。

 眼を瞑ったまま、マリアは白絹のシーツに沈みこんだ脚を動かし、身体を真っ直ぐに起こした。

 ドアの方向へ顔を向けて応答をする。



「はい」


「聖女様より最高司祭の地位を授かっているグレンシャルと――」


「ブラストです。へへっ」


「どうぞ」



 少女にしてはおっとりとした落ち着きのある声でマリアは応答すると、すぐにガチャっとドアが開き、白い髭と髪の70を超える老者と、カールのかかった青白い肌の青年が入室してきた。

 バタンとドアが閉まる音。ふたりは入口に掛かる薄布のカーテンの前で足を止める。


 御心を清めた生娘しかそれ以上、立ち入るこは禁忌とされているのだ。それが法国――聖女の間での法であった。

 男性が決して入ることの出来ない花園。澄んだ空気の中に混ざる甘い何かがふたりの鼻腔をくすぐる。



「ふたりとも珍しいですね。何用でしょうか」



 入室を確認したマリアは包み込むような柔らかい声色で口元を緩めながら問いかける。その瞳は一向に閉ざされたままであった。



「先程の演説は信仰の導き手として素晴らしかったですぞ、聖女様。信者たちもよりいっそう精進することでしょう」


「ありがとう。これも盲目の私に変わって、あなたたち最高司祭がこの国を良き方向に導くために努めているからです」



 機嫌を伺うような少し高めの声を出すグレンシャルに、マリアは優しく答えた。

 その目は光を失い、二度と開くことはないと言われている。盲目の聖女。彼女は法国でそう呼ばれていた。



「有り難きお言葉。私どもめには勿体ない」


「そんなことはありません。私もあなたたち司祭や法国のためによりいっそう精進します」



 見られているわけではないが、グレンシャルは軽く頭を下げた。

 そんな老者を横目に見下ろしながら、ブラストは外に跳ねたカールの髪を手もとでくるんとさせてから笑う。



「聖女様はこれ以上頑張る必要はないですよ。へへっ」



 それを聞いていたグレンシャルは何かを言いたげにむっと顔を歪める。だが、聖女の前であるが故に、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。



「そうはいきません。こうしている間にも苦しむ信仰の者はいるのですから」


「そのためにオレ……いや、私たちがいるんですよ。へへっ」


「口を慎めブラスト。聖女様の前じゃぞ」



 その態度にグレンシャルは我慢できず指摘する。

 ブラストは目を細めた。その視線はカーテン越しで影しか見えない聖女にも向けられる。



「申し訳ございません、聖女様。へへっ」



 カールの髪をいじりながら謝罪するブラストには悪びれる様子はなく、頭を下げることもない。

 グレンシャルは再度ブラストに注意を促そうするが、その前に少女の声が聞こえてくる。



「いいのですよ。私を労わっての事なのでしょう」


「なんとお優しい……その寛大なお心、先代の――母君様にそっくりでございます」



 グレンシャルの言葉にマリアは少しだけ顔を俯ける。あまり触れたくない話題であったためだ。



「……それで、それだけのためにこの聖女の間を訪れたわけではないのでしょう?」


「はい。実は先日、他国との交流が決まり、王国の王族が法国へと赴きます」


「王国…………友誼を結ぶため、ということですよね?」


「左様です。その際に、相手方の王族にお目通りを願えないでしょうか」


「それが必要だと最高司祭たちが判断したのなら、私はそれを聞き入れましょう」


「ありがとうございます」



 考える素振りを見せることなく即答する少女にグレンシャルは再び頭を下げた。

 最高司祭たちの会議で決まったことにマリアは反発したことがない。

 反発しても意味がないことがわかっているのだ。マリアという少女は5年前に病に倒れた亡き母に変わった象徴、肩書きの聖女なのだから……。



「それと、聖女様も今期で成人。そろそろあの件も動きます故、お心の準備もお願い致します」



 交流会の報告を形式的に済ませたグレンシャルは話題を切り替える。途端に空気が変わったような感覚。カーテン越しに映る聖女に注ぐ視線もみだりがましいものになっていた。

 今は亡き母と重なる絶世の美貌のせいか。それとも成人したばかりとは思えない匂い立つような色気のせいか……。


 ブラストはそんな老者を哀れな目で見つめ、口元を広げる。



「聖女を受け継いだ日から心は決まっていますよ」


「それを聞いて安心しました。今後の会議で決まり次第、報告をさせていただきます」


「お願いします」


「では、失礼します」


「失礼します。へへっ」



 最高司祭たちが訪れたときと同じようにドアが開閉する音がマリアの耳に届く。

 再び、しんとした静寂が寝室を埋め尽くした。



「……」



 ひとり残された少女は思い惑うようにシーツに顔を伏せる。


 母親は病死ではなく、何者かに消されたに違いない。マリアはそう考えていた。


 どうにかしなければならない。でもどうすればいいかわからない。


 法国の司祭たち以外に人間を知らない彼女には、味方と呼べる者は母親以外に存在しなかったのだ。誰ひとりとして信じられない。母親を亡きものにしたかもしれないのは司祭の誰かなのだから。



「お母さん……」



 幼い少女のように感情のこもった独り言がマリアの口から漏れる。


 しばらくしてから落ち着いたマリアは滑らかな布地を移動しながら備えられている椅子へと向かった。

 豪奢な椅子にゆっくりと腰を下ろし、華奢な身体を預ける。


 さらさらとした手入れの行き届いた髪を揺らしながら、マリアは懐に手のひらを添えた。


 一瞬の光。少女の手元には本と同じサイズの手帳が握られていた。



「お母さんから託された大切なもの……」



 細い指でその手帳をなぞる。そこにあるのだと確認することで、マリアは安心するのだ。


 大切な備忘録。三親等離れた代から受け継がれてきたもの。


 記載されていることは盲目になる前に見ていたために覚えている。

 これは後世の、イーリスの一族に託さなければならない。


 日記に記された、異界の文字が読める者に巡り会うまでは……。

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