第163話
郷の中央にそびえる巨大な大樹の上部に建てられたユーシスの屋敷には、郷全体が一望できる大きめのテラスがある。
日もすっかり暮れた午後8時。
俺はそのテラスに備えられた椅子に座りながら、木造の街並みを眼下に収めていた。
辺りは暗く、すでに静まり返っている。
王国だったら商売に精を出す亭主や依頼を済ませた冒険者たちの活気でガヤガヤとした声が聞こえてくる時間帯だ。
エルフの朝は早いため、締めるのもまた早いのだろう。
ポツポツとほのかな灯りが視界を埋めていた。
ツリーハウスから漏れる光が、エルフの自然的な街並みを照らしているのだ。
頭を少し上げれば、地平線を堺に宝石のような輝きを放つ鮮やかな星空が彼方まで広がる。
一言で表すなら、絶景。
人の多い都市部では味わえない神秘的な夜景がそこにあった。
濁りのない澄んだ空気の風が肌を抜けていく。さらさらと揺れる葉の音が心地よく耳に入ってきて気持い。
そして、たまに聞こえてくるエルフたちの生活音からは温かみを感じた。
「……」
そんな景色を見据えながら思い返す。
ディザスターを消滅させることでダンジョンの攻略は無事に果たした俺たちは、入口にいたエルフ部隊と合流して郷へと戻ることとなった。
不思議なことに『力の欠片』を奪われたことでエルフの郷を取り巻く魔力の乱れは正常に戻されたのだ。
その後、郷の民たちの盛大な歓声に包まれながらの凱旋。やっとのことでユーシスの屋敷にたどり着いた俺たちはすぐに眠りに着いた。
それまでが昨日の夕方のこと……。
俺とユーシス以外はまだ眠っている。
回復魔法のおかげで外傷こそないが、疲労はかなり溜まっているのだ。
朝には目を覚ましてユーシスは郷長としての業務をこなしていた。
民たちへの報告や、今後の郷の方針を決めなければならないのだろう。
同じく朝に目を覚ました俺はエルフ達の訓練を見たり、商会を回ったりして、この郷への貢献と今後のラバール商会の取引のための準備をちゃっかりと済ませていた。
そして、今に至る。
「なにひとりで黄昏てんだ」
風情な雰囲気に浸っていると背後から声がした。
長い髪を一つ結びにして青白いハッピを羽織った長身の女性。零れ落ちそうなほど巨大なメロンを胸元で揺らすそいつは帝国最強の騎士、ククルだった。
どうやら少し前に目を覚ましていたらしい。
丁寧に湯浴みまでしたようで、身体から少し蒸気が上がっていた。
「似合うだろ?」
俺が冗談で返すと、ククルは設置されている丸テーブル沿いの木製の椅子に腰をかけながら呟く。
「その景色には似合ってると思うが、そのツラはあんまり似合ってねーぞ」
「そのツラ?」
「考え事をしてるようなツラだ」
「なるほど」
「……まだ、気にしているのか?」
一息ついてククルは問いかける。何を?とは聞き返さない。
「気にしてないと言えば嘘にはなるな」
視線を外して俺は言った。
「あのクロード家の赤髪――"剣帝"は己の学友なんだろ?」
「そうだ」
『力の欠片』を奪い返そうとしたとき、クロード家の赤髪――ヴァンが現れたことを思い出す。
ユリアはゲイン側の人間であり天使でもある。それを助けたということは、必然的にヴァンもゲイン側に加担しているということになるのだろう。
「何かわけがあるんじゃねーか?」
「おそらくな」
俺の認識ではヴァンは真っ直ぐな男だ。曲がったことが嫌いなあの男が世界を滅ぼすハーデスの復活に手を貸すとは思えない。それに神の使徒でもある。
何かしらの理由があって、やむを得なく向こう側の協力をしていると俺は思ったのだ。
まあ、機会があれば是非問いただしてやりたいわけなのだが……。
ヴァンについてはおいおい調べるとして、俺は話題を変えることにした。
「それよりも身体はどうだ? 異変はないか?」
「異変? ……あぁ、今はない」
「今は、というと?」
「あの魔法を発動させている最中は体の内側を何かに蝕まれるような感覚はあった」
それは俺の感じたものと同じ特徴。
「たぶんそれは神級を使った代償というやつなのだろう。俺も、ティアラもその感覚には覚えがあるからな」
「そうなのか……」
納得したような、そうでないような表情を浮かべる。おそらくあまり理解していないようにも見えた。
「神の領域に足を踏み入れることの代償というやつだと思うぞ。乱発するなという警告だろう」
「……まだ信じられねえ。神の領域の魔法……神級を、オレが使ったんだよなあ」
自分の右手のひらを見つめながらククルが言った。
「あぁ、ばっちり使ってたぞ」
「まだまだオレは成長できる。己の――クレイのおかげだぜ。ありがとな」
「お互い様だ」
ククルの感謝に俺は笑いながら答えた。
一度見ればその魔法や技術を再現することができる【完全再現】が俺にはある。だから、今回のことで【太陽獄】を習得したのだ。
その事実と俺のスキルのことについてはククルにも伝えてある。
最初こそ表情が固めて唖然としていたが、納得したようで、「己が強い理由がわかったぜ」と囁いていた。
この『神の領域』に並ぶ魔法は、今後、ハーデス絡みの事柄に絶対に必要となるはずだ。
どれだけの『神級魔法』があるのかはわからないが、手数は多いに越したことはない。
俺は神級を見る必要があった。
習得出来るのは最上位の属性魔法のスキルを保有している者だけというのが難点だが……。
「……そうかい」
「ククル、お前はアフロディテの使徒にはあったことがあるのか?」
そして、12神から直接授かっている加護もまた、ハーデス絡みのことでは必要になるだろう。
残念ながら加護は神からの授かるもので、再現することはできない。
しかし、情報収集として知っておく必要がある。
なにより、アフロディテの使徒は天使の悪魔化を防ぐ鍵となる可能性もあるのだから。
「オレは会ったことはねーよ。ただ、魔族である可能性は高い」
「魔族?」
魔族とは一度、戦闘を交えたことがある。
同い年の騎士科、髪を1つ結びにした前向きな少女――リオン・カゲーヌと武器の素材を取りに遠方の洞窟へ赴いたときだ。
精霊の輝石を奪う目的のところに遭遇して、襲いかかってきたので返り討ちにした。
俺の疑問に答える形でククルは口を開く。
「使徒はバランスを保つために選ばれる」
「人が選ばれれば、魔族もまた選ばれるということか」
「やっぱ理解がはえーな」
素直に納得した。
俺が知る12神の使徒は魔族以外が多い。世界のバランスを保つための使徒であるなら魔族側にもあと数人いるということになるのだ。
「魔族領土に行くべきなんだろうな……」
「何か問題があるのか?」
「今、法国との問題を抱えてる。戦争の可能性も低いとは言えない。だから、魔族領土に行くための時間があるかどうかを考えていた」
「なんだそれ……どこ情報だよ」
「ティアラ情報だ」
「あの皇女ちゃんか……」
俺たちの住まうバロック王国で王位継承第1位のルシフェルが法国の者と繋がっていることが明らかになっている。
法国は、バロック王国、ミンティエ皇国、ザナッシュ帝国とはほとんど無干渉な状態。
だからといって敵というわけでもない。しかし、国が目指す方向性に透明性がないため、何をしているのか、何を目指しているのかがわからない状態なのだ。
そんな国が、王家――それもあのルシフェルと繋がりがあるのだから何かを企んでいるに違いないと踏んでいる。
おそらくはもうティアラが新しい情報を調べているだろうし、聞くのが楽しみなところではあるのだが。
「なんか悪い顔してねーか?」
「してない」
思わず緩んだ口元をククルが指摘する。
慢心しているわけではない。ただ、ハーデスの問題と比べると規模が小さく、対処しやすい事柄でもあるのだ。
「一応、伝えておくぞ。最高司祭の"魔神"の二つ名を持つ《ダグラス・ジ・ヴィンセント》は12神の使徒だかんな」
「……やはりそうだったか」
確証はなかったが、ククルの情報により確信に変わる。
「歴代最強の魔法士と言われてんな。まあ、己なら、なんの問題も無さそうだなあ……」
「忠告は素直に受け取る。油断はしない」
呆れるククルを無視して視線を夜景に向ける。
再び涼やかな風が素肌を抜けていく。風呂上がりであったためか女性らしい甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
そして最後に、一番最初に解決しなければいけないこれからの問題が頭を過る。
俺は隣で空を見上げていたククルに、なくなく、相談という形で問いかけることにした。
「なあ。やっぱり、子供は父親の元にいるべきだと思うか?」
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