第162話
――本当に倒してしまうなんて……。
腹部を抉られて重症を負ったユリアは、目の前で繰り広げられた壮絶な戦いの一部始終を見て驚愕した。
視界に映るのは全てが燃やし尽くされてしまったまっさらな大地。形のある石ころすら落ちていないサラサラとした白い砂。そこはまるで人工的に造られた砂漠のようだった。
もしも最初にこの場所へ訪れたときに、元々は巨樹を中心とした広大な草原が広がっていたのだという事実を誰が信じるだろうか。
元から砂漠だったと言われた方がまだ納得がいく。自然では起こりえない現象。それほどまでに凄まじい光景だったのだ。
これが神々と同等の力、『神級』という領域の魔法。それは因果への対抗であり、この世界の理の冒瀆に等しい。
そんな白い大地にぽつりと6つの人影。
このダンジョン全階層で収まるかどうかも怪しい想像を絶する範囲で放たれた神級魔法の中で生き残った者たち。
通常ではありえない。あの魔法の前では全てが灰になるはずなのだ。
つまり、故意で安全な範囲を指定できる。それは同時に敵であるはずのユリアもその安全な範囲に含まれていたことになるのだ。
――私は助けられたようね……。
この戦闘が行われる前の会話でどうして生かされたのかはわかっている。
――あの人の言っていたことは正しかった。
ユリアは主の言葉を思い出す。
銀髪の少年――クレイは必ず戦いに勝利すると。そして、ユリアは必ず生き残れると言っていたのだ。
「……」
ユリアの視線は自然とクレイの元へと向かった。
人の身でありながらハーデスの『力の欠片』を使用して召喚した怪物と互角に渡り合えていた。しかも魔法が無効の状態で……。
それだけではない。
最後の魔法を放った帝国最強の騎士――ククルへの支援も想像を超えるものだった。
魔法とは本来、段階を経て習得するのが常である。『1級』を習得せずに『2級』を使用するのは、順当に習得してきた『3級』よりも難しい。
今のククルが使える等級はせいぜい7級までだった。とても『神級』に届くレベルではない。
それでも『神級』に手が届いたのだ。
潜在能力を上げることのできる【英雄の言霊】と、自分へ好意を抱いている者の成長速度をあげる【アリエルの加護】があったとしても不可能だとユリアは思った。
他に何かしらの力がクレイにはあるのかもしれない。
「ぅ……んっ……」
視線をクレイから外したユリアは痛みに耐えながら地面を這いずっていく。目線の先にあるのは壮絶な神級魔法でも灰にならなかった『力の欠片』であった。
――これだけは回収しなければ……。
神級の魔力を浴びた『力の欠片』の回収。
それこそがユリアが主に与えられた役割だったのだ。
幸いにも、クレイは薄紫色の長髪エルフの治療に専念している。
◇
「お願いっっ……クレイぃ、お父さんを助けてぇ!」
腹部を貫かれた無惨な姿のユーシスを見て、目を覚ましたばかりのニーナが涙を流しながら懇願する。
ユーシスの意識は既になくなっていて、おびただしい量の血が地面を染めていた。
もはや一刻の猶予もない。
その後ろには同じく目を覚ましたばかりのエミルが不安そうな顔をしている。アーテムは悔しさからか歯を食いしばっていた。
ふたりとも深刻な面持ちだ。
「時間がない。ニーナ、エミル、残りの魔力を俺に注げ!」
容態を診た俺はすぐさま叫んだ。
先程まで動いていたユーシスの心音がたった今、停止したのだ。
心肺停止後、数秒も経過すれば死を迎えてしまう。
死んでしまったら最後、どんな回復魔法でも復活は望めない。
「はい、ご主人様! ニーナさん、魔力を!」
エミルの行動は的確で素早かった。
泣き愚者るニーナ手を掴み、魔力を流動させる準備をすぐに整えていく。
ニーナもこくりと頷いて、俺の背中に手のひらを置いた。
ふたりの魔力が一気に流れてくる。
「魔力を爆発させるが、動揺するなよ」
そう言って、さらに俺は感情を解放した。心の中で『力を貸せ』と呪文のように唱える。
久しく使っていなかった負の魔力が体を満たしていく。
耳元で【サタン】の笑い声が聴こえたような気がした。
十分に魔力が補充されたのを確認してから、今使える最上位の回復魔法を無詠唱で発動させる。
「【パーフェクト・ヒーリング】」
目も開けてられないほどの光がユーシスの体を帯びていく。膨大な魔力が光属性魔法へと変換されて、ユーシスへと流れていった。
風穴の空いた腹部はみるみる塞がり、傷だらけの手足は綺麗な状態へと戻される。
問題はユーシスが目を覚ますかどうか。
もしも死を迎えていたのなら、傷のふさがった死体にしかならないからだ。
俺は微力な電撃をユーシスの体内に放って心臓マッサージを施す。
すると――。
ドクリ、と心臓が動き出した。
どうやらユーシスはまだ死を迎えていなかったらしい。
俺は胸を撫で下ろし、背後に目を配る。
赤く目を腫らしたニーナと不安そうなエミルの顔が視界に入った。
「安心しろ。ユーシスは助かったぞ」
「本当に……?」
「本当だ。もう少ししたら目を覚ますだろう」
それを聞いて力が抜けてしまったのかニーナはその場にへたり込み、再び大きな瞳から大粒の涙がポロポロと流し出す。
「よがっだ……ほんどうによがっだよぉぉ……」
そんなニーナの背中をエミルが静かにさする。表情は明るいものに変わっていた。
その後ろにいたアーテムも安堵しているのがわかる。
かく言う俺も、安堵の余韻に少しだけ浸った。
「さて……」
ひと段落して、俺はすぐに足を進めた。
向かう先はユーシスと同じく大怪我を負ったユリアの元。
ボロボロになった羽を引きずりながら、ククルの【太陽獄】でも消滅しなかった『力の欠片』を回収しているからだ。
「それは返してもらいたいんだが」
「……無理な相談です」
残る魔力で回復魔法を使用したらしく傷口の応急処置は済まされていた。ただ、立つことがまだできないように見える。
「その体で俺から逃げられるとでも思ってるのか?」
「……」
ユリアは俺を見据える。
「お前には聞きたいことが山ほどあるんだ。大人しく捕まってくれ」
「そうですね……あなたの知りたいことをひとつ教えるということで手を打ってあげますよ」
「なんで上から目線なんだ……。勝手に決めるな」
それを聞いて、ユリアの口元が少しだけ広がる。
「知りたくないんですか? 限界を迎えた天使を悪魔化させない方法」
「それも含めて吐かせるよ」
「そんな悠長なことを言っていていいのですか? 果たして、あなたの大切なアリエルはまだ大丈夫なのでしょうか」
含みのある言い方だった。
『限界を迎える天使たちの予兆。それは魔力の波長が乱れ始めることから始まる』
ユリアはそう口にしていた。
もしそれが本当であるなら、アリエルが危ない可能性が高い。
「どうやら間に合いましたか」
ユリアがそう言った直後、微かな魔力の流れを背後に感じた。
魔力だけではない。攻撃的な一撃を放った気配も一緒に現れる。
「っ!!」
攻撃の正体は斬撃。俺は【アイテムボックス】から剣を取り出しそれを防ぐ。
軽いと思っていた一撃はかなり重く、ガシャーンと衝撃音が響いた。
だがすぐに滑らかな剣撃で2撃目が放たれる。俺はそれも捌こうとした。
が――、その攻撃は俺の剣を叩くことは無かった。
「……」
俺の心中に動揺が走る。
そのせいで2撃目がフェイクだということに気づくのが遅れてしまったのだ。
「おいおい――」
追撃のフェイントを入れたそいつはユリアの抱えて距離を取っていた。
元々そうするつもりだったのだろう。
瞬きをして再度そいつの姿を確認した。
間合いを埋めるような絶妙な【威圧】。
流れるようなお手本のような剣さばき。
燃えるような紅蓮の赤髪をアップバンクにしているその男は俺のよく知るやつだった。
「――なんでお前がここにいんだ……ヴァン」
バロック王国から公爵の地位を授かるクロード家の五男であり、12神であるアレスの加護を授かっている神の使徒。そして同じ学園に通う友人でもあるヴァン・アウストラ・クロードだったのだ。
面長な顔につり上がった眉毛。その姿は俺の知るヴァンそのものだ。
しかし、纏う気力や魔力は知っていたものよりも大きく逞しかった。
「クレイ、友達の好間で見逃してくれねーか?」
俺の質問には答えずにヴァンは自らの要望を口にする。
「無理だと言ったら?」
軽めに【威圧】を放ち、牽制しながらそう告げた。
「力ずくで押し切らせて貰う」
ヴァンからも【威圧】が放たれる。手に持つ神器――神剣アレスに魔力が灯った。
「……」
「……」
お互いに無言で見つめ合う。
崩壊したフロアの隙間から風が吹き抜けて、さらさらと地面の砂を少しずつさらっていった。
ふたりの間に流れる時間は限りなく0になる。
真剣な空気が肌を伝っていった。
「……やっぱまだ勝てねーか」
ヴァンは静かに剣を下ろし、ぽろっと口からそう漏らす。
だけど、その口元は少しばかり綻んでいる。
直後、魔法が発動した。
「勝負はおあずけだ」
それはいつの間にかヴァンの手元にはあった魔石がある。しかもかなり上位の魔法を保存することの出来る石。
その魔石に込められた魔法は【転移】。
「逃がさねーぞ」
魔法の発動を阻止しようと俺は剣を振った。
「それを防ぐことは俺にだってできるぜ、クレイ」
鋭い目付きでヴァンはそう言った。
すると突然、俺の手に持つ剣はパキッと音を立てて折れてしまう。
次元属性の魔力の類。予め俺の行動を読んでいて、何かしらの仕掛けを施していたのだ。
そのせいで【転移】の発動を許してしまう。
「……」
険しい眼付きのまま、ヴァンはユリアと共に姿を消していく。
ユリアは最後に口元を緩める。
「アフロディテの使徒を探しなさい。それが天使の悪魔化を防ぐことに繋がりますよ」
ふたりの姿はもうなかった。
空気に残ったユリアの言霊だけが脳内に響き渡ったのだった。
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