第159話
――私は……間に合ったのだろうか。
消えそうな意識の中でユーシスは思った。
手足は動かない。感覚がないみたいに何も感じない。それどころか脳が働かない。視界はかなりボヤけている。
耳鳴りが酷く、ぴーっという超音波のような不快な音が脳髄にまで響いていた。
手足は動かせなくとも、僅かな力は残っている。
だから、ユーシスは最後の力で瞼を閉じることにした。
フロアが樹海に埋め尽くされようとしたとき、ユーシスは残り少ない魔力の使い道を瞬時に判断した。
意識のない最愛の娘達を守るためだ。
――どうやら間に合ったらしいな。
回避は成功したと思う。自らを犠牲にして、違えても守りきるという絶対の意思が身を結んだのだ。
右の手のひらにささやかな温かみを感じるのはそのせいだろう。
「……」
ユーシスは安心したように、意識を闇に沈めようとした。
このまま死にゆくのだと受け入れ始めようとしている。
体の硬直と、感覚がなくなる直前まで感じていた腹部の痛みがその思考へといざなった。
――それも悪くない。因果応報と言うやつか。
それを受け入れたとき、ユーシスの生まれてからこれまでの生涯の情景が走馬灯のように流れてきた。
長の息子として生まれ、才能が認められて12神の使徒にまで選ばれたユーシス。
学び舎でも成績はトップだし、周りからももてはやされてテングになっていた。
次の郷長はユーシスだろうと誰もが言っていた。
だけど20歳を超えた頃に頭角を表してきたライバルが現れる。
今は亡きユーシスの友、ヒョウケンだ――。
それはユーシスの数ある悔いの中で、一番の後悔でもある。
使徒に選ばれるほどの才を持つユーシスと対等以上に渡り合えた唯一の男がヒョウケンだった。
一気に上り詰めてきて、郷長候補にまで選ばれるようになった。
ユーシスはヒョウケンを脅威に感じていた。負けたくないと思った。同時に芽生えてきた感情は敵対心。才能に対する嫉妬心。
強情で大雑把な性格な男だったが、勝負事は正々堂々をもっとうとしていた。それに対してユーシスは友人の仮面を被り、周囲には良きライバルのようにみせていたのだ。
「種族関係なく住める郷を作りたい」
これがヒョウケンの口癖であり、目標だった。
当時からユーシスとヒョウケンはエルフ族の考え方が古いことを理解していた。
郷を繁栄させるためには他種族との交流が必要で、差別的な考え方を無くすことが重要だと。
しかし、だからこそ、ユーシスはそれに反対した。反対することが理にかなっていた。
民達の意見を汲み取り、味方に付けられることでヒョウケンの支持を落とすことができたのだ。
ユーシスはどうしても郷長になりたかった。そして父親、並びにヒョウケンをどうしても追い越したいと強く願う。
長年の月日が流れ、そろそろ次の郷長が選ばれるかもしれないと噂がたち始めた頃、そんな気持ちは次第に強くなっていく。
だからこそ、ユーシスは過ちを侵してしまったのだ。
エルフ族には昔から破ってはいけない掟があった。
それは他種族との交接をしてはいけないというもの。
ハーフエルフが差別されていたからこその掟。それに繋がる行為は禁忌とされていた。
ユーシスはそれを破ったのだ。
最愛の妻がいながらも、帝国の娼館へ赴き、それをヒョウケンの罪にしたてあげることで。
さらには、この話が広まるようにと誘導を加えて……。
噂は思惑通り、当時の郷長の耳に届いた。
これによりヒョウケンは郷長候補から外れることとなったのだが、それだけでは収まらない。禁忌を破った者として追放という意見すら上がっていた。
さすがにユーシスも焦る。追放までは望んでいなかったからだ。
ユーシスは自然な流れでヒョウケンを庇うことにした。
しかし、最初こそ否定していたヒョウケンは罪を認めてしまった。やっていない罪を受け入れることにしたのだ。
それによりヒョウケンを追放する流れは強まったのだが、ユーシスの必死の説得が幸をそうして免れることとなった。
才ある大切な戦力ということもあったのだろう。
それから5年。ユーシスは順当に郷長に選ばれた。
ヒョウケンはというと、相変わらず好感的にユーシスに接してくれていた。
「お前が郷長なら安心だ」と就任の儀でも笑顔で言ってくれたのだ。
ユーシスの中の罪悪感は強まるが、もう遅いこともわかっている。このことはユーシス自身中に閉まっておくことにした。
そして、その日はやってきた。
一回目のダンジョン攻略の日。
エルフの郷に災いを生む魔物の討伐。
エルフ族の部隊一千人を揃えてダンジョンに入り、その中でもヒョウケンとユーシスを含む優秀な猛者の6人が最奥の魔物に挑むこととなった。
開幕こそ余裕だと考えていたユーシスたちだが、魔物は想定よりも強かったのだ。
陣形はすぐに崩され、ひとり、またひとりと仲間は殺されていった。無惨な死。その場で噛み砕かれ、体内に吸収されていった者もいた。
最後に生き残ったのはユーシスとヒョウケンのふたりだけ。
圧倒的な力で迫ってくる魔物に、もうダメだとユーシスは諦めてしまう。
愛娘の笑顔を思い浮かべて、死を覚悟した。
最後の刹那だった。
ヒョウケンがユーシスを庇ったのだ。
「全力で逃げろ!!」
張り裂けるような声でそう叫んで。
自滅覚悟だということはすぐにわかった。
体内に宿る自らの魔力を暴走させて爆発させるヒョウケンが使える禁忌の技。
ユーシスの瞳に映るのはヒョウケンの笑顔だった。
――郷はお前に託す。
そう言われたような気がした。
ユーシスはヒョウケンが命を懸けてまで守るほどの男じゃない。
卑怯な手を使って貶めた男だ。妻を裏切り、友を裏切りった男なのだ。
死ぬべきはユーシスである。
そんな考えが過った。
言おうとした。全てを白状しようとした。
しかしそれすら聞いてもらえないまま、ヒョウケンは最後の力で魔力を暴走させ始める。
ユーシスは悔しさに奥歯をかみ締めながら、全力で逃げた。
走って、走って、走って――――。
気がつけばダンジョンの外に居た。
心配する部隊の隊員達の顔は見えていない。
記憶に残るのは最後のヒョウケンの笑顔だけだった――。
どれくらいの日々を後悔しただろうか。
程なくして、ヒョウケンの目標を叶えることがユーシスの目標になっていた。
もう絶対に道を踏み外さないと心に誓いを立てて。
――
―
「ユ……ス、目を…………れ!」
暗闇の中で声がした。
「おい……まだ…………だろ!」
聞いたことのあるそれは頼もしい声色。
「起き……れ!」
それは、最近出会った仲間の声。
次第にはっきりと耳に入っていく。
「おいユーシス、目を覚ませ!」
どんっと音がしたと思ったら、ぱっと眼に光が入った。
相変わらずぼんやりとする視界の中にひとりの男が映り込んでくる。
鋭い目付きに銀色の髪の毛の少年。共にダンジョン攻略に挑んでいるクレイだ。
クレイは歯を食いしばりユーシスの腹部を両手で抑えている。
「目覚めたか。まったく……」
安堵したようなクレイの声色を訊きながら、ユーシスは目線を真下にズラした。
そこには太い大木と、真っ赤な色彩な光景が広がっていて、それが自分の血液だとユーシスは気づく。
樹木が刺さり、腹部を貫通しているのだ。
「抜けば出血は酷くなる。薬草も全て使った。魔力で圧縮する応急処置を施した。まだ、大丈夫だ」
「娘達は……ニーナとエミルは?」
「……大丈夫だ。怪我はしているが、お前が無茶したおかげで大事には至ってない」
クレイの頼もしい言葉にユーシスはほっと胸をなでおろした。
次第に喉から血液が登ってくる感覚。それは死期が近いのだというとをユーシスは悟っていた。
「クレイ殿……私はもう、助からない。娘達を連れて……逃げてくれないか……?」
「あいつからは逃げられやしない。今はまだ静かだが、時期にこの場所へやってくるだろう。俺が絶対倒してやる。だから、諦めるなバカ野郎」
真剣な瞳でクレイは告げる。
今この状態がどう転ぶか、ユーシスの意志の力に左右されているということなのだろう。
「それよりも、『達』とはどういうことだ?」
眉根を寄せて問いかけるクレイに、ユーシスは口元を緩めた。
「クレイ殿になら……話してもいいか……いや、是非、聞いてほしい」
「言ってみろ」
「私の罪――17年前に……帝国の娼館へ行ったのは……私なのだ」
「……ヒョウケンだと聞いたが?」
「彼を貶めるために……」
「……なるほど、そういうことか」
クレイは驚くでもなく、ユーシスを攻めるわけでもなく、ただ納得したように告げる。
「私は、ヒョウケンを疎んでいた。17年前――」
ユーシスはゆっくりとヒョウケンとの何があったのかを説明した。
簡潔的な詳細を懺悔のように語っていく。
クレイは表情一つ変えずに静かにそれを聞いて相槌をつく。ユーシスとってそれは居心地がよかった。
「――黙っていて……済まなかった」
それはクレイではなく、ヒョウケンに対しての謝罪だった。もう届かない友への誠意。
「そうか……」
黙って聞いていた噤んでいたクレイの口が開かれた。次第に口元を緩めて、
「なら、なおさら死なせるわけにはいかないな」
とユーシスに告げた。
「何を言って……」
「お前がエミルの父親なのだろう。なら死なせてやるものか。それに、お前は郷をまとめる者としてこれからも必要だ。これは決定だし絶対だ」
まくしたてるようにクレイは語りかける。
「その事実を知ったとしても、誰もお前に死んで欲しいなんて思わない。ニーナも、郷の民も、亡くしてしまったヒョウケンもきっとだ。ヒョウケンに至っては、自分の分までやり遂げろと言っていると思うぞ。俺がその立場なら絶対に言ってやる」
クレイは少し複雑な表情を一瞬だけ浮かべたがすぐに元に戻す。
「……ありがとう」
気か終えるとユーシスは目を瞑った。頭が下げれないからこその行動。
すると、すぐにぱちんと頬をはたかれる。
「バカやろう。目を閉じるな。意識を持ってかれるだろう」
「すまない」
「もう喋るな。目を開けて、呼吸を落ち着けろ。できる限り長く生存しろ」
「……すまない」
「しゃべるなよ」
「……」
思わず口元を綻ばせて笑顔を見せるクレイの表情は新鮮だった。
ユーシスは、もし叶うことなら今後もクレイを全力でサポートしようと心に誓う。
「来たようだな」
不意にクレイがそう言った。バキバキと大木が折れる音が聞こえる。
ユーシスは敵が攻めてきたのかと気持ちだけ身構えた。
しかし、樹海の大木を薙ぎ払っていたのは見知った大剣と鎧の女性。
「ふう、なんとか合流でき――おい、ユーシスは大丈夫か!?」
声を荒らげたのはククルだ。甲冑は外している。
そんなククルにクレイは頷きながら答える。
「まだ大丈夫だ。回復魔法を早くかけたいんだが……」
「魔法を使うにはあいつから距離をとるか、倒すしかねーってことか」
「そういうことだ」
ククルは顔を歪める。
「それにしてもその神器とやらはほんとうに強いな」
クレイはしげしげとククルの全身に観察していく。
神器である鎧は傷ついてはいるが、そこまでのダメージがないようだった。
すぐにクレイが何かを閃いたようなかのような顔をした。
「妙案でもうかんだのか?」
それに気づいたククルはクレイに問いかけた。
「可能性はある」
「本当か!?」
「あぁ。ただ、お前の力が必要になるだろう」
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