第157話
何もないところから、ふわっと気配が現れる。
風が吹き抜けているわけでもないのに、所々に散りばめられた黄金の髪を、細やかな動きでなびかせている彼女には見覚えがあった。
少し前、【切草】を拝見しに行った際に鉢合わせた女性。6大天使のウリエル。そして、その容姿はレニの姉であるユリアのものだ。
何をするわけでもなく彼女は巨樹の根元で、俺たちをひたすらにじっと見据えていた。
「あいつが今回の騒動の黒幕ってわけじゃないよな?」
苦笑いをしながら呟く俺にククルが応える。
「ゲインと繋がってるなら可能性は高いと思うがな……」
そう言って剣を青眼に構え直すククルを横目に、俺も【神の五感】を発動させた。
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《ユリア・バルセロナ(ウリエル)》
Aスキル
【視力】【極・精神耐性】
Bスキル
【魅惑】【計眼】【上・魔力量】【上・命中】【上・剣技】【上・弓技】【上・魔力制御】
Cスキル
【老化耐性】
加護
【信徒の加護】
状態
【ウリエルの心】
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【ウリエルの心】
・あらゆる魔物を配下に入れることができる。
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どうやらユリアが本体で、ウリエルでもあるということらしい。
「ねぇ、あいつ、前に森にいた人よね?」
「あぁ」
杖をぐっと握りながら緊張した声をもらすニーナに俺は応じた。
隣にいたユーシスも身構えながら問いかける。
「あれは敵なのか?」
「味方なら嬉しいところだが」
「確かに……そうだな」
武を極めている者としてユーシスも高みの存在だ。あの天使の力量が並レベルではないことを経験から感じたのだろう。残り少ない魔力を足に集中させている。
俺はゆっくりとユリアの元へ近づくことにした。
他の者も俺に続こうとしていたので、手を出してそれを制止させる。
「……」
ユリアは距離を詰める俺に視線を向けてくるが、それくらいで、他になんの反応も示さない。
睨んでいるわけでもないのに、鋭い圧を肌で感じる。
「お前はなぜ、ここにいるんだ? ウリエル……いや、ユリアと呼んだ方がいいか?」
「……よく、《アース・キメラ》を倒せましたね」
無表情のままユリアが囁いた。その整った容姿に似合う丁寧な口調。
どうやら対話はできるらしい。会話になっているかは怪しいものだが……。
「そのアース・キメラってのはさっきの魔物のことだな? まさか、お前が原因ということでもないだろ?」
「だったら、どうしますか? クレイさん」
空気が変わったような錯覚を感じる。
逆に、鋭い圧力が消えていき、柔らかいものになった。
「どうやら自己紹介は不要のようだ」
やれやれと頭を掻きながら俺は続けた。
「どうするもなにも、お前を捕まえさせてもらうよ。それで知ってることを洗いざらい吐いてもらいたいんだが、それには応じてくれるか?」
「ふふっ」
変化のなかったウリエルの表情に笑みが灯る。まるで聖母のようなやわらかい微笑みだった。
「殺さなくていいのかしら」
「お前に会いたい奴がいるもんでね」
「あら、やさしい」
まるで子供を相手にするような態度で笑顔を崩さずユリアは告げる。
自分が優位に立っていると言いたげな大人の対応。天使というからにはやっぱり長生きなのだろうか。
「ただ、私にはまだやらなくちゃいけないことがあるの。その後ならいくらでも捕まえてくれていいわよ」
「やることねぇ……その内容について、お伺いを立ててもいいか? 天使さん」
俺は挑発するように口元を緩めた。ユリアがすぐに応える。
「そうですね。ヒントだけなら――ハーデスを復活させる準備とだけ」
「それ、ほぼ答えだろ」
思わずツッコミを入れてしまう。意外にも人間味のある性格をしているようだ。
しかし、その内容に目をつぶることはできない。
「天使のくせに悪魔みたいなことを言うんだな」
「ふふっ……天使も悪魔も何も違わないわ。それこそ、あなたたち人やエルフとも」
含みのある言い方に、俺は訝しげに問いかける。
「どういうことだ?」
「感情があり、使命を全うし、決まった時間を生きるということ。ほら、変わらないでしょ?」
確かに屋敷にいる天使のアリエルも、ジルムンクで出会ったランロット――4大悪魔、アスモデウスも個々の感情があり、それぞれの生き方を選択している。
アスモデウスに至っては恋までしていた。
その人間味のある行動原理は本人の感情や人格からくるもので、俺たちとなんら変わらない。
しかし、ユリアの言い方には何か引っ掛かりを覚える。違和感のような何かを……。
「いったい何が言いたいんだ?」
「永遠の命なんてないということです」
「そんなもの当たり前……いや――」
先ほどのユリアの言葉を言い換えるならこうなる。
「天使も悪魔も寿命で死ぬということか」
「はい、当たり前のように、死ぬんです」
万遍の笑みを浮かべてユリアが言い放った。
「参考までに、お前ら天使は何歳で死ぬんだ?」
「限界を迎えたときですよ」
「……限界?」
「天使の体は老化しない。でも、脳は違う。経験を積むことで成長するのです」
「そういうことか」
つまり、ユリアは脳の限界が天使の寿命だと言っているのだ。
同時に一抹の不安が過ってしまう。
俺の屋敷でぐーたらと寝ている天使、アリエルは大丈夫なのだろうかと。そして、ティアラと共に行動するミカエルも。
限界には予兆などがあるのだろうか。質問しようとしたが、ユリアの次の言葉に俺の思考は一瞬だけ固まる。
「そして、限界を迎えた天使は、まっさらな状態に戻り、上位種の悪魔へと生まれ変わります」
「は?」
「上位種の悪魔もまた同じく、天使に生まれ変わる。これは逆らうことのできない理です」
唖然とした。何を言っているのかと。
ただ、嘘を言っているようにも見えないのがまた、タチが悪い。
もしこれが本当だとして、誰がなんのためにそうしたのだろう。答えは決まっている。12神の誰かであることは間違いない。
だけど今は、それを考えるときではない。
俺は頭に考察した推理をユリアに伝えることにした。
「お前――ユリアはその限界とやらを迎えたということか?」
「……」
笑顔が消え、饒舌だったユリアの口が噤まれる。
少なくとも、このことをアリエルたち天使は知らないはずだ。
ユリアがそれを知るきっかけとなったのは自分がその状態に立たされたからに他ならない。
そして同時に、目前にいるユリアがウリエルだというところに解決の糸口があるということ。
「お前はどうやって――」
「そろそろお時間です」
俺の言葉を遮って、ユリアがそう告げた。
力ある声色には重みが含まれている。決死の覚悟のようなものを感じた。
そして、ユリアの周囲にぼわっと莫大な魔力が広がる。とても不快な魔力。目の前に光り輝くものが出現する。
それを見たククルが叫ぶ。
「クレイ、【力の欠片】だ!」
現れたのは十センチほどの紫色の石。これがハーデスの力の欠片らしい。各ダンジョンに封印されているという魔石である。
俺はすぐに魔法を使おうと魔力を練り上げた。アース・キメラを倒してから、魔法の制限が無くなっている。
だが、なぜだか魔法が発動する前に魔法陣が割れてしまう。その現象は【反次元魔法】や【光の絶氷】のような特定の魔法無効化エリアに似ていた。
それを悟った瞬間、俺はユリアから距離を取り、ククルたちの方へ向かう。
「限界を迎える天使たちの予兆。それは魔力の波長が乱れ始めることから始まる」
その言葉で、最近、アリエルがそんなことを言っていたのを思い出す。寝ているときに起こったのだと。
もしかしてそれは……。
「最後のお仕事です。これに勝てるなら、私のことは煮るなり焼くなり好きにしなさい。もちろん、今のあなたが一番知りたいことも教えますよ」
アースキメラを討伐した場所に転がる魔石が宙へ浮く。べりっと何かが剥がれ落ちた。
天使の羽のように見えるそれは、燃え盛るように消えていく。
「きゃっ」
「なんだこの揺れは!」
突然、立つことがままならないほどの大きな地響きが起こり、ニーナとユーシスの声が耳に届く。
その間にも、宙を舞う魔石はユリアの正面まで移動して――【力の欠片】と合わさっていった。
魔石の形が姿を変えていく。
手足のある人型。
身長が約3メートルと大型で、筋肉質の真っ黒な全身。腰から足、胸元、右腕にはそれぞれ黄金の鎧のような硬質の皮膚を纏っている。頭を覆う刺々しい甲冑も同じく金色。
背中から縦に四枚の悪魔の羽。先っぽが尖った漆黒の尻尾に、龍のような鉤爪のある足。人間と変わらない5本の指。
ドラゴンと人を合わせた……それでいて悪魔のような印象を受ける巨体がそこに立っていた。
――――――――――
《ディザスター・バイデント》
??????
・???????
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【神の五感】で見ても、名前ぐらいしかわからない。確かなのは、『?』があるということでハーデスとの関わりを伺えることと、魔力量の桁が違うということだ。
今まで見たことがない。
目の前に現れた巨体は莫大な魔力を宿していて、その量は悪魔、サタンの100倍を軽く超えている。
凝縮された威圧感。
そんな緊張を打ち消すように俺はククルに問いかけた。
「あれって、お前の親戚かなんか?」
「あんな親戚はいねえな……」
放たれた【威圧】を瞬時に解き崩した。
体は動く。
しかし次の瞬間、《ディザスター》は右手に魔力を貯めた。
まずい――と、直感が告げる。
俺はすぐに警告は言い放った。
「全力で離れろ!!」
それを聞いてユーシスがアーテムと共に地面を蹴った。
俺は魔力を全身に込めて、反応できていないエミルとニーナに【超・防護】を付与する。
「オレの後ろに立て!!」
ククルが叫び、剣を構えて俺の正面に盾となる配置で立つ。
それはすぐにやってくる――。
ディザスターが地面を殴り付けたのだ。
その影響で地面が絨毯のようにぐにゃりと曲がり――あちこちから三角錐の巨岩が飛び出してくる。
巨石の剣山がディザスターを中心に広がっていくのが見えた。
それだけならまだよかったと思えた。
地面を殴った反動による衝撃波もまた、凄まじい勢いで剣山よりも先に飛んできていたのだ。
まさに、天災。
天変地異でも起きているのではないかと錯覚するほどの光景。
カウンターで迎え撃つつもりで、ククルは衝撃波に合わせ、ありったけの魔力を宿した剣を振るった。
が――。
その剣はまるで細枝のように、ぱきっと折れてしまう。
呆気ない光景に驚いている余裕はない。
ククルはそのまま全身の鎧を使って、衝撃波を受けた。
反射効果が作用して衝撃を緩和している。
「ぐおっ」
だが、遅れてやってきた巨岩の柱に凪払われて、遠くに飛ばされてしまう。
俺はすぐに【反射絶盾】を発動するも――。
「くっ……」
呆気なく――というよりも衝撃波に触れた直後、魔法の盾が霧散したのだ。
だから俺は自らの体で衝撃波を受けて軌道をずらすことにした。
肉をえぐられ、大剣で斬られたときのような鋭い痛みが走る。
そして、やはり後から来る巨石を受けきれずに吹き飛ばされる。
――なるほど。
その瞬間、柱には魔法の効力が効くことを理解する。
間に合えと思いつつ、すぐに魔力をユーシスたちの元へ飛ばした。
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