第152話
ニーナには魔法の才能があった。
エルフの郷で、一二を争う天才として名高いユーシスの子供であり、幼い頃から同年代の子供達よりも明らかに魔力量も規模も桁違いに上だった。
そのせいか、ニーナは魔法にどっぶりハマり、本で勉強をしたり、ひとりで訓練場で練習をすることが多くなっていた。
そんなニーナが10歳になったとき、魔道士の先生がつく。
だけど、郷一番の魔道士だった先生の実力に、わずか3年で並んでしまった。
むしろ、追い抜いていたかもしれない。誇らしいことでもある反面、物足りない結果でもある。
ある日、ニーナは古い書物を見つけた。
そこには、魔法が10級まで存在するということや、さらに上――神々に抗うことのできる魔法が存在することが書かれていたのだ。
当時、6級魔法までしか使えなかったニーナの心は踊った。
すぐに先生に言いに行った。
「10級魔法を使ってみたい!」
それを聞いた先生は、
「8級以上は悪魔の領域。10級を超える魔法なんておとぎ話だよ」
と言ったのだ。
先生はそのまま「だけど――」と続けた。
「まぁ、世界は広いからね」
ぼんやりと囁いた先生の言葉が、ニーナの指針になっていた。
外の世界にはニーナを超える魔法士がいる。そんな魔法士達に会ってみたい。そして、そんな魔法士達と切磋琢磨すれば、ニーナはさらに高みへいけるのではないだろうか。
うっすらとそんなことを考え始めていた。
しかし、父親にそれを告げたところで、その夢の欠片は一瞬で崩れ去っていく。
――そんな者はいない。
強調された冷たい言葉だった。
エルフ領土を出て他国に行けるのは郷長と、郷長候補のみだった。
外に出ることができた郷長の父親の告げる言葉には重みがあり、それが正しいのだとニーナも思った。
魔道士としては郷でNo.1のニーナ。
それで十分なのだと納得して油断してしまったのだ。
それから4年後。今から3年前のことだ。
ダンジョン攻略の失敗によって郷は甚大な被害を受けた。
多くの犠牲の元、命からがら生還した父親は変わり果てていた。
それから、政策もがらりと変わっていく。
他国との友誼を結ぶ。それが父親が掲げた最初の言葉だった。
「他種族には私を超えるものたちもいる。そんなものたちとの交流を持ち、多文化を取り入れて郷を強化していきたい」
そう言ったのだ。
それは否定だった。
あの日の父親が告げた「そんな者はいない」という言葉の否定。
ニーナは郷の民達と一緒に反対した。
だけど、その理由は周りとは少し違う。
ニーナは怖かったのだ。
今更、魔道士として1番である地位が揺らぐことが。
そして、諦めていた4年間という時間が戻ってこないと認めることが。あぐらをかいていた時間を「失った時間」にしてしまうことが、怖かったのだ。
それならいっそ、外との関わりは断ち切ってエルフの郷で1番でいたいと、そう思ってしまっていた。
――
―
「……」
ニーナの視界に入る砂埃と黒い靴。それが父親であるユーシスのものだとわかる。
――ここは闘技場。
ニーナはユーシスの魔法で吹き飛ばされたのだ。それもハーフエルフの少女、エミルと共に。
だけど、ニーナは軽傷だった。理由はわかっている。エミルの防御魔法が、ニーナを優先的に守ってくれたのだ。
それがとてつもなく悔しくて、情けなかった。
活躍したくて、焦って、ミスをした。
自分自身への怒り。
3年前からでも外の世界に目を向けていれば、もっと強くなっていたかもしれない……。意地を張って、父親の考えを素直に受け入れなかったことへの感情でもあった。
「所詮はまだまだ。この程度なのだな」
挑発するようなユーシスの言葉と冷たい視線がニーナに刺さる。
後悔を父親のせいにするのは簡単だった。だけど、それをニーナ自信が許さない。
「……知ってたわよ、そんなこと」
「諦めるのか?」
「元々勝てない試合じゃない」
ニーナの眼には戦意はない。
そもそも、元々勝つつもりで挑んでいない。
この試合を終わらせて、魔法の訓練でもしていたい。
背後にいる気絶しているであろうエミルに勝つために。
「そうか。残念だ……」
「お父さんに言われたくない」
エルフ族の固執した考え方が悪い。
3年前は手のひらを返した父親が悪い。
考えたくもない言い訳が脳裏に浮かぶが、すぐさまそれを否定してニーナは首を横へ振った。
「……ニーナ様、まだ、ですよ」
すると、声がする。
背中から、今にも枯れそうで絞り出したような囁き声。
「っ!!」
振り返ったニーナの視界には、ふらふらになりながらも、立ち上がったエミルの姿が映り込む。
「1度の失敗で、諦めては……いけませんよ」
そう断言するエミルの眼は死んでいない。
不撓不屈と瞳は、今にも動き出そうとしている。
一矢報いりましょう。
そんな意思が伝わってきた。
――ああ、そうか。
ニーナは思う。
――あたしが勝てないのは、こういうところだ。
クレイと出会ってわかったじゃないか。世界はやっぱり広いということを。
エミルに出会ってわかったじゃないか。やっぱり負けたくないっていう気持ちを。
何級まで使えるかとか、無詠唱とか、技術とか、そういうのではなく……。
「わかってるわよ……」
誰にも聞こえないほどの小声で囁き、ニーナは立ち上がった。
失った戦意を取り戻すのに時間は必要ない。
――気持ちでも勝ちたい。この子にだけは。
ニーナは負けず嫌いなのだから。
「諦めてなんか……ないわよ!!」
腹から、これでもかというぐらいの咆哮が出てくる。
観客達の歓声が上がったのがわかった。
それも一時。
歓声は次第にニーナの耳から遠のいていく。
集中する。
これから起こる戦闘に。
「いい眼だ」
ユーシスが笑った。
溢れる気持ちを制御する。
目の前の相手と、少し離れたところにいるエミルに意識を向ける。
心臓の音のみが聞こえてくる。
呼吸の吐き出す。
魔力の流れを意識する。
――今だ。
ニーナは魔法を発動させた。
4級風属性魔法【斬風の竜巻】。無詠唱。
ユーシスの足元から鋭利な風のナイフによる竜巻が発生した。
「あまいぞ!」
だがすでに、魔法を発動させたばかりのニーナに向けてユーシスは駆け出していた。
読まれていたわけではなく、反応が早いのだ。
「穿て――」
それを見てニーナが短縮詠唱を唱えるが、ユーシスが距離を詰める方が早い――。
しかし、ユーシスとニーナの間に巨大な盾が出現した。
5級光属性魔法【反射光盾】。エミルの魔法だ。
ニーナはなんとなくわかっていた。
このタイミングで盾が来ることが。エミルならこうするだろうということが。
だから――。
「【風の剣】」
盾が出てくるより前に備えていた魔法。ノンストップで出現した4本の風の剣を【反射光盾】の表側に向けて放つ。
盾がなければ自滅行為であったそれは、反射されて、ユーシスに放たれる。
「そうくるか」
ユーシスはそれを避けるでなく、魔力を纏った蹴りで弾いていく。反射された事で軌道が読みにくくなっているせいだ。
ニーナは急いで次の魔法を発動させる。
【自己加速】――エミルに対してそれを使った。
「任せたわよ!」
「承知しました!」
直後、ニーナの後ろから短剣を持ったエミルが現れた。【反射光盾】は霧散し、【風の剣】を弾いたばかりのユーシスへ飛び込む。
「はぁぁぁぁぁ!」
右、左、右へと、蝶が舞うような動きで短剣を振り抜いていく。
「いい動きだが――」
ユーシスはノーモーションの蹴り、【無天脚】をエミルに打つ。
が、――それは幻影のように消えていった。
「【蜃気楼】、ニーナの魔法か」
一度見れば対応することはできる。
ユーシスがすぐさま体勢を立て直し、エミルの懐に掌底を放った。
「うぐっ……」
エミルが上へと吹き飛ばされてしまう。
違う。
その隙をエミルが作ってくれていたのだ。
エミルもニーナもデュアル制御までしかできないため、4級以上の魔法の連続使用はできない。
故に【蜃気楼】を使ったばかりのニーナは次の魔法を発動するまでに数秒の時間が掛かる。
そうユーシスに思わせていたのだ。
【蜃気楼】を使ったのはニーナではなくエミルだったのだ。
ニーナは既に魔法の準備に取り掛かっている。
この隙を逃さない。
かつてないほどの集中――頭の中で詠唱を浮かべた。
85字の詠唱からなる7級地属性魔法、【サンドブレイク・ゲージ】。
一言一句全てを、明確に、はっきりと――。
「【サンドブレイク・ゲージ】!」
地面から砂塵が吹き出した。
それは対象者であるユーシスと、一定の距離を保ちながら高速に固まっていく。
逃れようと動いても、攻撃を放った直後の遅れが仇となり、間に合わない。
「――ふっ」
砂に埋もれる直後、ユーシスが唇を綻ませた。
それは、嘲笑などではなく、父親としての優しい微笑みのような気がした。
やがて、わらわらとユーシスを閉じ込めた白砂の球体が完成する。
「まだよ!」
ニーナは残りの魔力を一気に凝縮して、上に放つ。
宙を舞っているエミルに向けて受け渡したのだ。
なぜそうしようと思ったかなんてわからない。
そうするべきだと、体が勝手に動いたのだ。
「【水の囲】」
魔力を受け取ったエミルが更なる魔法を発動させる。
砂の球体をさらにドーム状の水流が囲っていき、そのまま包み込んだ。
砂の檻を固める水の囲い。
倒すことは出来なくても、捕まえることはできるとふたりが思考した作戦だった。
魔力切れで落下してきたエミルを、ニーナが危なげにキャッチする。
「ありがとうございます」
「あんたこそ……ありがとう」
エミルを下ろす。すると、手をグーにして前に突き出てきた。
ニーナは無愛想な表情でそれを見た。
「なに?」
「……なんとなくです」
「……そう」
その拳に、ニーナも握った手をこつんとぶつけた。
「――もはや【天瞬核】を使わされるとはな」
「「っ!?」」
いきなり、背後からの声。
その聞き覚えのある声は、捕縛したはずのユーシスだった。
ニーナとエミルは驚いて、すぐに向き直る。
「いい連携だった。だけど油断はいけない」
ユーシスは笑顔でそう言って、ニーナとエミルの首をとんっと叩いた。
途端に、ニーナの意識は真っ暗闇へと消えていった。
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