第151話
模擬戦の当日がやってきた。
郷の北部へ進んでいくと、隕石が落ちたように広く陥没した土地があり、外周の壁や床が石や鉄製の素材でしっかり固められている場所がある。
そこが本日、正午12時から開催される模擬戦の会場であるエルフの郷、唯一の闘技場らしい。
現在の時刻は11時55分。
ユーシスは10分ほど前から闘技場の中央に堂々と立ち尽くしている。
これからエミルとニーナもそこへ向かう。
「エミル、いつも通りでいい。ただ無理だけはするんじゃないぞ」
緊張しているせいか、目の前で動きがカチカチになっているエミルに声をかけた。
「は、はい。ご主人様」
「大丈夫だ。エミルは凄い。お前の凄さを皆に見せてやれ」
「っ、はい!」
今回は勝つ必要があるわけではない。だからといって負け戦の気持ちで挑んで欲しくもない。
その中間のニュアンスをエミルはわかってくれていたようだ。
「あんた、あたしの足引っ張らないでね」
「ニーナ様こそ」
文句を言うニーナにエミルも対抗する。
相変わらずの関係ではあるが、エミルが意見を言えるぐらいにはなったのだ。
きっかけは、訓練中にガミガミと理不尽な文句を飛ばしていニーナに、温厚なエミルがキレたところから始まった。
キレたというよりは、「自分は出来てないじゃないですか」というように、ボソッと毒を吐いたのだ。
毒舌はメイドの師であるリルの真似をしたのだろう。
俺は喧嘩になるんじゃないかと思った。しかし、ニーナは、「わ、悪かったわよ……」と素直に謝罪したのだ。
ニーナは無詠唱では3級魔法の一部までしか習得出来ていない。だから習得魔法全てを無詠唱に出来るエミルの能力に思うところがあったのかもしれない。それか周りからチヤホヤされることが多かったので、反論されたことに驚いた、とか。
理由は明確ではないが、そこから2日しかなかったにも関わらず、形になるぐらいの連携には整ったのだ。
時と場合にもよるけれど、素直に気持ちをぶつけることの大切さをわかったような気がした。
「さあ。ふたりとも、行ってこい」
「はい!」
「言われなくてもわかってるわよ」
俺はふたりを見送って周りを見渡した。
数え切れないほどのエルフの民達が今か今かと開戦を楽しみにしているようだった。
ここは陥没した低い土地なので、遠くから観戦が可能であり、北部の郊外から覗いている者達もチラホラといる。
ユーシスの適切な間合いに、エミルとニーナが横並びに立って止まる。
両者に挟まれるようにククルが中央へ向かって歩いてきた。
「立会はオレが務めるぞ! 危険だと判断したら止めに入るから、覚悟しろよ」
どっと歓声が湧き上がった。「ニーナ様、頑張れー!」や、「長様、素敵です!」、みたいな掛け声が聞こえる。
皆、ユーシスの方が強いことはわかっているようで、ニーナへのエールの方が多い気がした。
もちろん、エミルへの応援はない。
それどころか「混ざり物は邪魔」、「ニーナ様の足でまとい」などと陰口を叩いているのが耳に入る。まぁ仕方ない。
「両者構え!」
ククルが叫ぶと、ニーナは杖を、エミルは短剣を正面に構えた。
「ほう……」
無手で構えすら取らないユーシスが、ニーナ、エミルと交互に視線をくばってから囁いた。
武器から連想すれなら前衛はエミル、後衛がニーナという役割を果たすだろう。だからこそ横並びに並んだままのふたりの立ち位置を不審に思ったのだ。
「では一戦、はじめ!」
「「【上・防護】」」
エミルとニーナの声が同時に上がった。
物理、魔法のダメージを防いでくれる3級無属性魔法【上・防護】。
「【自己加速】」
「【地粒沼】――――」
続いてエミルは自己補助を発動して前へ出る。
同じタイミングでニーナはユーシスの足元に泥沼を作った。そして、そのまま次の詠唱を始める。
「なるほど、かたちにはなってるな」
関心したユーシスは、地面を軽く蹴って、飛び込んできたエミルと対峙した。
「これをどう捌く?」
いきなりユーシスから、ノーモーションの高速のキックが繰り出された。
鍛え抜かれた騎士ですら捉える子のできないその蹴りを、前衛経験の浅い少女が反応できるはずがない。
ユーシスの足がエミルの腹部目掛けて真横から――すり抜ける。
空振り。高速のキックはエミルの少し手前を通り過ぎたのだ。
「はあっ!」
その隙をついて、エミルがユーシス目掛けて短剣を突き出した。
これは、ニーナの発動させた【蜃気楼】の効果である。
それによってエミルの体をブレさせたのだ。
つまりエミルの少し先の動きが幻影として見えている状態になるのだ。
高速の蹴りだからこそ、その少し先の幻影に向かって攻撃してしまったのだ。
ユーシスからはエミルが消えたように見えただろう。
まるでエミルの体をすり抜けて、ふわりと姿を消したように。
「面白い」
だけど、ユーシスは振り抜いた足をそのまま身体ごと縦に回転させる。
その遠心力のまま、踵落とし。エミルの短刀を弾いた。
「少し、痛いぞ」
そのまま体制を持ち直したユーシスは、エミルの腹部に手のひらを当てて掌底を繰り出した。
もちろんノーモーションからの高速の掌底だ。対応が間に合うわけがない。
直撃したエミルはニーナのいる位置よりも後ろに、弧を描いて吹き飛ばされる。
ニーナが魔法を発動させようと、魔力を流した。
「グレ――きゃっ!」
「遅いぞニーナ」
ユーシスが飛ばした風の矢で魔法の発動が阻止される。
その隙にニーナは間合いを詰められた。
「【無未無掌】」
風よりも速い音速を超える掌底。当たれば意識は刈り取られるだろう。
しかし、ユーシスは動きを中断。逆に距離を取った。
直後――ニーナの身体の20センチほど前に、ゆらゆらと波紋が浮かぶ分厚い膜が構築された。見るからに防御魔法で、その見た目は緑色で毒沼のように禍々しい。
エミルが発動させた5級水属性魔法【毒盾】だ。
触れた相手に多種の状態異常を発現させる2メートル四方の盾を出す魔法。
「させませんよっ!」
奥に飛ばされたはずのエミルが手をかざしながら立ち上がった。
気絶していてもおかしくない打撃だったはずだが、【【蜃気楼】】を使った次のタイミングで、ニーナが自らの【防護】を無効化してエミルに重ねがけしていたのだ。
それによりダメージがかなり軽減されて、落下の衝撃ぐらいに収まったのだ。
「おそろしく早い魔法だ」
ユーシスの口元が緩んだ。その面持ちはどこか嬉しそうで、まだ余裕であることも告げている。
エミルの魔法はとにかく早い。
無詠唱とは詠唱するために必要な言語を『文字』にして頭に浮かべるところから始める。
その『文字』と、発動する魔法との両方をイメージして放つことで成り立つのだ。
『文字』を頭で読み上げているわけではない。
だから、詠唱が長ければ長くなるほど頭に浮かべた『文字』はぼやけていくし、そのぼやけた部分を音読しなければ魔法が上手く発動しなくなるのだ。
しかし、エミルには【完全記憶】があるため、どんなに長い詠唱でも写像のようにくっきりと『文字』を浮かべることが出来て、ノンストップで魔法の発動が可能になる。
発動速度だけでいえば俺やティアラと同じぐらいなのだ。
「いきますよ!」
ニーナに向かって合図を送る掛け声。
エミルが新たな魔法を使う。
空中から水分が集まりだし、見えるほどの水の玉になる。
数は六。その玉は次第に濁りだして、毒々しい色になっていき、ユーシスの元へと放たれた。
「触れたら痛そうだな」
緩く呟きながら、ユーシスは大げさに移動してそれらを避けている。
追尾式の玉は、そんなユーシスのあとを追っていく。
次第に、ひと玉ずつ、魔力を帯びた蹴りで裁かれていった。
「逃がすわけないじゃない!」
後ろに下がったタイミングで、ユーシスを追うようにニーナが飛び込んだ。
杖の先の尖った部分を突き出し、魔力を纏う。
「【雷突】」
一瞬、ユーシスは目を丸くしたが、すぐに納得したような顔になる。
びりびりと音を立てた雷撃の巡った杖の先を、ユーシスは魔力を宿した人差し指で抑えつけた。
「まさかニーナが前に出てくるとはな」
「そんなの、反則……よっ!」
ニーナは杖の先端から電撃を流し込んでみるが、人差し指の先で止まってしまう。
「おぉぉぉぉぉ!」と歓声が湧き上がる。
観客達は興奮していた。
「だが、剣術はまだ付け焼き刃だな――【波正】」
「きゃっ――」
ユーシスが指先から気と魔力を練り上げたものを流す。それは杖の先から内側を通ってニーナの体内に撃ち込まれた。
【柔】の気。俺がよく使う、内側にダメージを与えることのできる技である。
衝撃によるノックバックで、ニーナは吹き飛ばされた。
そこから、ユーシスはとんっと地面を踏みつけて、魔法を発動させた。
「【千手の樹根】」
地面を伝う魔力。ニーナの足元から影響を及ぼす魔法が発動しようとしていた。
ここは引くか、防御する方が無難。それはニーナの頭でもよぎっているだろう。
【風の矢】。
しかし、ニーナは発動速度が一番早い初級の攻撃魔法という選択をとった。
目の前に映るユーシスが無防備なので、チャンスだと思ったのだ。
勝負を焦ってしまったのだ。
無理な体勢からの魔法発動。防御ではなく攻撃。
ここは1度引くべきだったのだ。
「ニーナ様!」
引く選択をしていれば完璧だったタイミングで、エミルが後ろから飛び込んできたのだ。
ニーナを助けるために、防御魔法を発動させるために。
計ったようなタイミング。だからこそ、正面に現れたエミルの左肩にニーナの放った【風の矢】が突き刺さってしまった。
「んっぅ……」
悲痛に歪む声色がもれた。
そこからユーシスの魔法が続く。地面から細く、長い木の根が無数に飛び出して合わさり、大きな棍棒のように形作る。
それはふたりを巻き込むように大ぶりで振るわれた。
直撃――はしなかった。
風の膜がふたりを中心にドーム状に張り巡らされ、衝撃を緩和させている。
エミルが防御魔法の発動を済ませていたのだ。
「きゃぁぁぁ――」
不完全な形だったためか、ふたりは吹き飛ばされた。
思いのほかエミルの方が遠くへと飛んでいく。
すぐそばにニーナは倒れ、1秒遅れてエミルもどさりと地面に落下した。
「ここまでのようだな」
ユーシスは落胆したように、硬い表情でニーナに言い放った。
ご愛読、ブックマーク等ありがとうございます。
更新の励みとなっております。