第149話
エルフ領土にあるダンジョンの奥地。50層の内の45層。
しんと静まり返った鍾乳洞の天井は高く、中央の隙間から青い光が神妙に射し注いでいる――。
ぎゅるり。
空気がねじ曲がる。
歪んだ空間は球体となり、徐々に大さを増していった。
肥大するごとにギザギザの模様が見えるようになり、それが羽根であることがわかった。
やがて人の大きさ程になったそれは、自らを解き放つように――ばさり、と広がった。
「……」
ぱらぱらと光の旋律が飛び散るなか、端正な顔立ちの女性が現れた。
茶色い髪に散りばめられた金色のメッチュがさらさらと揺れている。
彼女は周囲を見回し、まずは嘆息を付いた。
「……危なかったわね」
琴のような透き通った大人の声で、彼女は先程の予想外を悔いる。
『【切草】の在庫を確保する』という私欲のために動いてしまったことで、迂闊にも姿を晒す結果になったことの後悔だ。
それも帝国騎士としての彼女を知る者の前に――だ。
「まぁ、仕方ないわね。それよりも――」
――気になることがあった。
相手の大体の力量を測ることの出来るスキル、【計眼】。
帝国最強騎士であるククルは【計眼】でギリギリ測れれるか定かの力量。 最強騎士と呼ばれていることを証明している強さだった。
しかし、隣の銀髪の少年は違った。
――規格外。
測定できる可能な振り幅など、とっくに超えていた。
使徒であることを差し引いても異常といえる強さだったのだ。
「人の身でありながらあれほどの力量なんて――あの人しかいないと思ってたのに……」
緊張した声が鍾乳洞を渡り歩く。
そんな怪訝な声色とは裏腹に、彼女の口元はゆっくりと広がっていった。
それは油断でも慢心でも怠惰でもない。
純粋な安心を表していた。
「あれが側にいるのだから、あの子も安心ね」
唯一の心残りを彼女は思う。
どうしても守りたい『あの子』の姿――茶色い髪の少年が「ねーさん、ねーさん」と彼女を呼んで、後を追いかけてくる情景。
これは彼女が人間であったときの大切な思い出である。
「ふふっ」
そのまま彼女は優しく笑んだ。
その柔らかい表情は、背中の羽と相まって、慈愛に満ち溢れていた聖母の微笑みだった。
隙間から漏れる青い光もそれを強く演出している。
だけどそれも数秒。
再び感情を閉ざして、使命を思い出す。
『目を覚ませ。ウリエル』
それは数年前、屋敷で眠る彼女の脳を揺らした言葉であり、何もかもを思い出した瞬間であった。
その直後、バルセロ家の長女であったユリアは、6大天使のウリエルになったのだ。
否、――ウリエルであることを思い出したのだ。
そしてウリエルとなったユリアに課せられた使命は、バルセロ家としてのものでも、天使としてのものでもなかった。
「私の全ては、あの人のもの。救われたあの日から、あの人のために私はある」
遥か昔に抱いた淡い感情をぐっと堪え、ウリエルはダンジョンの最奥へと歩みを進めるのだった。
◇
「あれは本当にユリア・バルセロ――レニの姉だったのか?」
「あぁ、オレが見間違えるわけない。あれは正真正銘ユリアだったよ」
夕刻。
郷長であるユーシスの邸宅に戻った俺たちは、先程起きた出来事について話し合っていた。
「俺が視た限りで、あいつの名前は《ウリエル》――天使だ。だから、そっくりなだけ、もしくは何らかの魔法でユリアの姿をしているだけということもありえるだろ」
「いや、僅かだがユリアの魔力と気配を感じた。本人でないにしろ、ユリアが何かしら関わっているのは確かだ」
今回の事柄は使徒の話にも直結するので、俺とククル、そして用を済ませて戻ってきたユーシスのみで話し合っていた。
ここまでの問答を訊いていたユーシスが疑問を投げかける。
「そもそも天使様は味方なのだろ?」
天使はハーデスの復活を阻止するという意味では味方の立場になる。
しかし、ユリアがゲインと共に帝国を去ったことに加えて、そのユリアの容姿をした天使が姿を見せたという事実。
そんなゲインの影が見え隠れしている状況ではそうとは言いきれないのだ。
「裏にゲインがいる限りはそうとは言いきれない。仮にハーデス復活を阻止するために動いていたとしても、それすらもゲインに操られている可能性がある」
「確かにな。それに信じたくないが、天使だって意思はある。この世界を滅ぼそうとしてもおかしくはない」
俺の説明にククルも同調した。
今のところ敵である可能性の方が圧倒的に高い。それは、俺が直にゲインを知っていて、あの男が易々と敵を懐に入れておくはずが無いと思えるからだ。
万が一、味方だったとしても、それがゲインの計算通りに進んでるようにしか思えない。
そもそもゲインのせいでダンジョンの魔力が暴走しているのだから。
「では、味方にしろ、敵にしろ、私たちのやることは変わらないと」
「そういうことだ」
話をまとめたユーシスに俺は同意を示した。
どちらにせよエルフ領のダンジョンの暴走を止めることにかわりはない。
「ただ、警戒はしなければならない」
「というと?」
「天使と戦うことになる――もしくはゲインが出てくる可能性もあるからだ」
ダンジョンの暴走を企てた目的がわからない以上その可能性は十分にある。
「使徒が三人もいるなら大丈夫だろう」
「可能性は低いと思うが、警戒だけはしてくれということだ。ウリエルも天使であるなら相当に強いのだから」
「あぁ」
「わかった」
様々な可能性に、という意味合いを込めた俺の言葉にふたりは頷いた。
天使についての話も区切れたので、俺はここで話題を変えることにした。
主にニーナから聞いた情報、ヒョウケンのことである。
まずは外側から突いていこう。
「ユーシスは他種族との交流を前向きに検討しているのか?」
「……娘から聞いたのか」
「まぁな。結構色々話してくれたぞ」
「あの子からよく話が聞けたな……」
ユーシスは額に手を添えて、項垂れる。
「ツンデレというやつだろう。話してみれば意外に素直だったぞ」
「ツンデレとはなんだ?」
「……それは忘れてくれ」
ティアラやアリエルが言っていたのでこの世界でも通じる言葉だと認識していたがそうでもないらしい。
自信満々に言った俺が恥ずかしくなってくる。
「クレイ殿が指摘するとおりだ。私は他種族との交流を増やそうとしている。というよりも、我が郷に萬栄している差別の風潮を緩和したいのだ」
「元々そういう思想を持っていたのか? それとも――」
「そこまで聞いているのだな……」
ユーシスが言葉を差し込んできた。
他種族の考えを取り入れる政策に変わったのは3年前のダンジョン攻略戦以降。
だからこそ俺は確信に触れることにした。
「ヒョウケンはどんなやつだったんだ?」
「……あのエミルという少女はヒョウケンの娘だと言っていたな」
「あぁ。帝国での話になるが」
好奇心ではなく、エミルのために訊いていることを理解したユーシスは目を瞑って黙考した。
「……ヒョウケンは誠実な男だった。そして郷長候補として生涯のライバルでもあった」
そして目を開き、説明を始める。
「知ってのとおり、郷長は私だ。あいつはそれでも私を祝福してくれるような優しい性格をしていた。そして、そんなヒョウケンには目標があった」
ユーシスは一度言葉を止めて、呼吸をおいてから絞り出すように吐き出した。
「今のエルフ族の現状を変えること。他種族との交流のもと、差別的な考え方を排除する事だ」
「なるほど」
「私はね、反対していたんだよ」
「きっかけがあったと?」
「あぁ。反対していたのはあいつの最後を見届けるまでだ。死に際にヒョウケンに託されて、私はあいつの目標に寄り添うことにしたのだ」
おおよそ、俺の描いていたこととおりであった。
「意志を継いだということか」
「そういうことになる」
当時のことを思い出しているのか、その瞳は心底さみしそうな――後悔しているような、悲しげなものに見えた。
ここまで訊いてようやくユーシスというエルフが信用にたる男だということがわかったような気がした。
俺はここで意地悪な質問をぶつけることにした。
「つまり、俺たちがダンジョンの攻略することも、差別意識の緩和に繋がると思っていることだったのか」
「……否定はできない。利用していると言われればそうなるからだ。だが、ダンジョン攻略に手を挙げてくれたことに感謝しているし、恩は必ず返そうとはしている」
その恩返しも他種族交流の一環のような気もするが……。
ユーシスはエルフの郷で起きているこの問題を、他種族と協力して解決したという事実が欲しいのだろう。
差別をなくすというユーシスの考え方には賛成だし、俺もそれなら協力してもいいと思っている。
ただ――。
「それだと、この問題の解決だけじゃ弱くないか?」
一日中、郷を回った限りでの感想になるが、魔力が暴走しているわりにはそこまで危機を感じているものが多くいない。
単純に表現するなら楽観的過ぎるのだ。「どうにかなるだろう」、「郷長がどうにかしてくれるだろう」というような希望的観測が民達から見て取れた。
この危機感のない状況で解決しても、そこまでの支持が取れるとも思えない。
「おっしゃる通りだ。だから、クレイ殿にはひとつ頼まれ事をして欲しい」
「――なに?」
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