第147話
翌日。郷長であるユーシスの邸宅の客室。
意識を覚醒させた俺はゆっくりと目を開けた。
窓から差すわずかな木漏れ日が朝を伝えている。
エルフ族は寝るのが早く、もう夜も遅いということで、【切草】の元へは今日、案内してくれることになったのだ。
「すぅ…………すぅ…………」
2つ並んだベッドの片方に眼を向けると、昨晩「ご主人様と同じ部屋がいい」と駄々をこねたエミルが、寝心地よさそうな寝息を立てていた。
いや、実際に寝心地はかなり良かった。
木製の枠組みに乗っかったベッドマッドは身体を吸収してくれる柔らかさと絶妙な弾力があり、遅れてやってくる反発が全身をしっかりと包み込んで安心感を与えてくれるものだった。
なんでもエルフの領土で生息する《レリーフ・メリー》という魔物の毛に、《スライム》を調合して作った素材らしい。
そんな素材のベッドに《レリーフ・クロウ》の羽毛で作られた、重さを感じさせない保温効果の高い綿のような掛け布団。この世界の寝具としては超が着くほどの最高の代物で、エルフ領に来るまでの疲れが一気に消えていった。
この商品を是非ともラバール商会に流して欲しい。
「ん……んっ……う…………ご、ご主人様! ごめんなさい」
すると寝息を上声に変えたエミルが起き上がり、すぐにぺこぺこと頭を下げた。
メイドとしての仕事が身についていて、主人よりも先に起きていなかったことを悪いと思っているようだ。
そんな些細なことを気にしたことなど1度もない。でもそれではエミルは納得しないだろから、俺は労いの言葉をかけることにした。
「今は休暇中だから気にするな」
「でも、出先では先に起きて、ごほーし? して起こすものだとリルさんが」
どうやら思っていたのと違ったようだ。
戻ったらあの青髪メイドにはキツく言っておこう。
「それは忘れろ。うそだから」
「……わかったわ」
「それよりも、気持ちの方は整理がついたか?」
俺の言葉に、エミルの表情が僅かに曇る。
「……元々、いないようなものだから」
いないようなもの……か。
昨日のユーシスへの最後の問いかけ――ヒョウケンというエルフについての話を思い出す。
その男はかつて帝国の娼館を利用し、《ミィシェル・ノーベット》と一夜を共にしたエミルの父親なのだ。
「なぜ?」というユーシスに対して、俺はエミルの父親であることを正直に告げた。
するとユーシスは、これでもかってほど目を大きく見開いたのを覚えている。
やがて自らを落ち着かせるように瞳を閉じて、
「3年前のダンジョン攻略の際に、魔物に殺された男だ」
と静かに語った。
つまり、エミルの父親は既に亡き者になっていたのだ。
顔も知らない父親を亡くした気持ちは俺にはわからない。
でもエミルはそこまでショックを抱えていないようにも見えた。
「……それならいいがな」
するとエミルが「それに――」と続ける。
「ご主人様やアリエル様、リンシア様にリルさんにメルさん、商会の子達。私の周りには沢山いるから」
表情がぱっと明るくなる。
そこには嘘偽りない太陽のような笑顔があった。
本当に無理をしているというわけではないらしい。
「……ならいい」
しかし気になる点がひとつ。
ヒョウケンの名を出した後のユーシスの反応が過敏すぎたところだ。
友人、仲間、同僚――関係性はわからないが、近しい者を亡くした悲しさや悔しさとはまた違う感情。
早々に話題を切り替えられたのも、その疑問を強くした。
ヒョウケンとユーシスの間には何かがあった。そんなように思える。
しかし詮索したところで、もう意味はないのだが……。
「《紙札》でもやるか」
俺は時間を潰すために【アイテムボックス】から紙札を取り出した。
遊ぶこと数分――。
起こしに来たユーシスの案内の元、食堂へと足を運ぶこととなった。
生活感のある家具が並んだ40帖はありそうな広い空間。
中心に設置された木製の大きな長テーブルの上に色鮮やかな朝食が並べられていた。主にフルーツや木の実を基調とした料理のようだ。
「おお、起きたか」
先に席に着いていたククルが口をもぐもぐとさせながら呟く。
揃って朝食というわけでもないらしい。ククルの他に、3名が同じ席で料理に手をつけていた。
俺を含め、それぞれを一瞥したユーシスが、
「紹介しよう。左から妻のアイーダ。娘のニーナ。そして向かいに座るのが私の護衛隊長のアーテムだ」
とそれぞれに手を添えながら紹介した。
腰まである金色の髪に、鋭い目付き。ククル程ではないが強調的な胸。品位を感じさせる動きで料理を口に運ぶアイーダ。
山吹色の髪を肩口で切り揃え、2人の子供であることがわかる特徴的な切れ長で細くて大きな瞳。見た目の歳は俺と変わらないぐらいのニーナ。
筋肉質でガタイの良い体付きに、くすんだグレーの短髪。昨日の戦闘の際に指揮官をしていた男、アーテム。
3人ともが無言で一礼をする。
無関心のアイーダとは違い、ニーナとアーテムは眉間に皺を寄せている。
俺とエミルに敵意を抱いているようだ。
よく見ると、ニーナという少女は昨日、最初に意識を奪った唯一の魔法職の子だった。
俺もひとまず席に付くと、エミルも隣に座る。
「エルフは食事中、会話はあまりしない。神に感謝をしながら食べるのが我々エルフ族なんだ。さぁ、召し上がれ」
ユーシスは言い終えると一礼して、料理を口に運ぶ。
それに習って俺もエミルと一礼して朝食をとった。
――
―
朝食が終わるとユーシスが、
「申し訳ないが、本日は急務が出来てしまった。薬草の場所への案内は娘のニーナに任せる」
と告げた。
秘薬である【弟切草】になる前の【切草】はエルフ領でもよく見られる普通の薬草らしく、珍しいものでもなんでもないという。
「ちょっとお父さん、なんで私なのよ!」
あからさまに嫌そうな顔でニーナは不服を申し出る。
「わがままを言うな。今回のダンジョン攻略を手伝ってくれるのだぞ」
「はぁ? 私こんなやつに背中預けたくない」
「これはお願いではない。長としての命令であり仕事だ。わかったな」
厳しい目付きで命令するユーシスに、ニーナは萎縮して俯く。
「……わかりました」
「ついでに軽く郷の方も案内するといい」
「っ!! ……はい」
ニーナは反抗したい気持ちを押さえ込んでいるように見えた。
反抗期の娘という印象だ。
「というわけだ、クレイ殿。大丈夫だろうか」
「俺は問題ないぞ」
俺たちが郷を歩いても大丈夫なのか? という疑問を抱いたが、ユーシスからの提案なので無下に扱うことはしない。正直エルフの郷には興味があった。
満足そうに頷いたユーシスはアーテムと共に邸宅を出る。
アーテムは終始――主にエミルに敵意を向けていた。
俺はニーナに向き直り、一応、軽く挨拶をすることにした。
「俺はクレイだ。よろしくな」
「ちっ」
舌打ち――なかなか素行の悪いお嬢さんらしい。
しかし、無視されると思っていたのに、ニーナの方から口を開いた。
「あんたいくつよ」
「16だな」
「私は20歳。歳上なんだから敬いなさいよ」
ニーナのまっとうな物言いに感心した。同時に、話が通じないわけではないと悟る。
「俺は誰にも媚びないと決めているんだ」
だが、その物言いを受け入れるかどうかは別の話であった。
「なによそれ。ふざけてんの?」
「ふざけてない。育った環境が悪かったんでね」
やんわりと【気】を纏い含み笑い。
ニーナはイラつきながらも目を逸らす。
「……まぁ、いいわ」
「んで、こいつがエミル。俺の家族だ」
いきなり紹介されるものだから、エミルも慌てて頭を下げる。
「よ、よろしくお願いしま――」
「聞いてないんだけど。家族ってなに? あんた兄か何かなの?」
明らかにエミルへ向ける視線が冷めたものに変わる。
怒りとかではない。
街の人たちが向けているような侮蔑の眼であった。
「血の繋がりはないが、家族のように接している」
「なにそれ……まあ、私には関係ないけど」
興味ない素振りでそう言って、ニーナは外へ向かっていく。
職務放棄かと思いきや、扉の前で待ってくれているらしい。
案内をする気はあるようだ。
その後に続こうとした俺にククルが声をとばす。
「あぁ、クレイ。オレは別行動をする。薬草の場所に行く時、【メッセージ】で呼んでくれないか?」
「なんだ、お前は行かないのか?」
「オレは寄りたい場所があるんだ。この郷にも知り合いがいてな」
「なるほど。わかった」
納得した俺はエミルと外へ出る。
玄関先でニーナが腕を組みながら人差し指を小刻みにとんとんとん、と動かしていた。
いかにもイライラしてますという感じだ。
「……早くしてよね」
「嫌な仕事は早く終わらせたいと?」
「ええ」
「なら、商会を見てみたい。早めに終わらせよう」
「わかったわ」
早く終わらせようという提案に同意したようで、早々に足を進めるニーナ。俺達は後を追った。
その間、無言が続く。
気まずいという感覚はないが、彼女は新たに生まれた疑問に対しての答えを持っているかもしれないと思いたった。
だからまずは親しみを込めて名指しで呼んでみることにする。
「ニーナは3年前のダンジョン攻略には参加したのか?」
「……私はしてない」
「ふーん」
ぶっきらぼうに返すニーナに、俺はわざとらしく大きな相槌を打った。
「なに? 文句あるの?」
案の定、突っかかってきた。
ニーナの性格が掴めてきた気がする。
「いや、ニーナほどの魔法職が参加しなかったんだなって思ってな」
「なにそれ」
「昨日の戦闘で俺たちに放とうとしたあれ、上級魔法だろ?」
「魔法職でもないあんたにわかるわけないでしょ」
「魔法は好きだぞ? 7級地属性魔法。それも地盤を動かして俺たちを閉じ込める魔法だった」
「なんでわかったのよ!?」
この世界で5級以上の等級が扱える魔法職は一流であると認識している。
そして7、8級ともなれば冒険者であればSランク、騎士団に所属していれば宮廷魔導師という最高職に付けるだろう。
つまり20歳のニーナは魔法職としては天才の部類に入る。
「だから魔法は俺も好きで研究してるんだ。あの繊細で濁りのない魔力の流れ。いいと思うぞ」
「あの一瞬で組み立てた魔力の流れを見極めたっていうの?」
「そうだ。さっきも言ったが、魔法が好きで研究してる」
「……そう。あんたが魔法好きなのはわかったわよ」
思った通りでニーナは魔法好きだったようだ。
好きなものを共感するというのは誰でも嬉しいものだ。
だからこそもう少し踏み込んでみることにする。
「そんな高等魔法が使えるのに、なぜ参加しなかったのだ?」
「あんたには関係ない」
突っぱねられてしまう。踏みこみすぎたようだ。
だけど、このまま押し通すことにした。
「ユーシスの命令か」
「……」
山吹色の前髪で目元に陰りがうまれる。
どうやら的は得ているみたいだ。
「父親として娘が心配なのだろう」
「……どうだか」
毒づくニーナの反応を確認した。
ここまで来たらもう少し踏み込んでみることにしよう。
「父親が嫌いなのか?」
「嫌いじゃないわよ。厳しかったし、ムカつくときもあったけど……それに、一部の考え方を除けば、今のお父さんの方が好き」
意味深な発言だった。
俺は『一部の考え方』をスルーして『今のお父さん』を拾うことにした。
「昔は違うみたいな言い方だな」
「……」
ニーナは俯き、押し黙ってしまう。
俺は本題を切り出すことにした。
「前回のダンジョン攻略で何かあったのか?」
「……」
肯定とも取れる無言。それがきっかけでユーシスが変わったと俺は予想した。
だからこそ質問を変えて別のところからアプローチすることにする。
「ニーナはヒョウケンというエルフは知っているか?」
「……知ってる」
「どんなやつなんだ?」
訝しげに睨み付けてくるニーナだが、素直に口を開いた。
「……強くて、元々は郷長の候補だったエルフよ」
「ユーシスはいつから郷長なんだ?」
「私が5歳ぐらいのときだったと思うけど」
「じゃあライバルだったんだな」
「さぁ。喧嘩ばかりしてた気がするけど、たまに笑いあってたし、そうなんじゃない」
ライバルを失った悲しみ。
ユーシスの表情はそこから生まれた感情によるものなのだろうか。
「それで、そんなユーシスがダンジョン攻略を堺に変わったと」
「……うん。人が変わったように優しくなった」
厳しくなったのではなく優しくなったのか。
確かにユーシスは俺の思っていたエルフの印象とは少し違った。
どちらかというとニーナのように他種族を毛嫌いしているイメージだったからだ。
「それは……よかったじゃないか」
「でも、外の考え方を取り入れようとするようになった。私は嫌よ。エルフ以外の種族と関わるなんて」
どうやらそれがニーナの言っていた『一部の考え方』らしい。
他種族との壁を払おうとしているユーシスの考え方が嫌なのだ。
「他文化を取り入れる姿勢はいいことだと思うがな」
「良くないわよ。私はごめんよ」
「他の種族に何かされたのか?」
「今あんたの質問にされてる」
つまりはそれだけということ。
何かされたというわけではないけど他種族との交流を拒否している。
これはエルフのあり方や考え方に問題があるのだろう。
「なるほど」
「って、なに切実に語ってんだろ私……」
はっとしたニーナを見て、思わず笑いが溢れる。
「ははっ」
「なに笑ってんのよ。死ね!」
ニーナはむすっとした顔でそっぽを向いて、づかづかと前に進んでいく。
悪いやつではなさそうでなによりだ。
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