第140話
第六章の始まりです。
――ドックン。
誰もが寝静まった深夜。バロック王国の王都にあるクレイの屋敷。
自室で眠っていたアリエルの心臓が、杭を打ち付けられたように大きく脈うった。
「はにゃっ! ――なんじゃなんじゃ」
身体が揺さぶられるほどの大きな衝撃に飛び起きたアリエルは、困惑しながらも周囲を確認した。
しかしいつもと何も変わらない寝室が視界に映り込む。
隣では、この屋敷でメイドを務めるエミルがすぅすぅと静かな寝息を立てているだけだった。
「な、なんだったのじゃ……」
ぽつりと呟く。何か攻撃とは考えにくい。
精神攻撃や魔力の攻撃であったなら、6大天使であるアリエルが気づかないわけがないのだ。
「魔力……」
アリエルは身体に起きている異変に遅れて気づいた。
心臓を中心に、自身の中を流れる魔力が暴れているのだ。
しかしそれは軽度であり、対処法ならわかっている。
落ち着くように目を閉じたアリエルは、暴走している魔力を外へ放出。
それから大気に霧散した魔力の残滓を再び取り込んだ。
「これでよしなのじゃ」
荒れ狂う魔力は嘘のように収まり、ほっと胸をなで下ろす。
すると隣から可愛らしい上声が聞こえた。
「んん……アリエル様、どうかされましたか?」
どうやら暴走を収める一連の流れでエミルを起こしてしまったようだ。
エミルはエルフ族と人族のハーフ。
エルフ族は魔力の流れに敏感で、故にアリエルの多大な魔力に反応してしまったのだ。
「なんでもないのじゃ。起こして悪かったの」
さらさらとした水色の髪を優しく撫でながらアリエルが囁くと、再びエミルは寝息を立て始めた。
暗い部屋でアリエルは考える。それにしてもなんだったのかと。
100年以上は生きているがこんなことは初めてだった。
だがいくら考えても答えにはたどり着かない。
「まぁ、いいのじゃ」
機会があれば姉であるミカエルに相談してみよう。
そう考えつつ横になったアリエルもしばらくして眠りにつくのだった。
◇
「お兄様はどうやって色情を満たしているのですか?」
昼下がりの邸宅の執務室。
ティアラは小さな顔を傾げて唐突な質問を投げかけてきた。
彼女は隣国の皇女――《ティアラ・フリシット・クリステレス》としてこの世界で新たな生を受けた俺と同じ転生者である。
そして前世では俺の妹でもあり、最愛の恋人でもあった。
最初こそ誤解していた部分もあり争ったりもしたが、今はこうして隙間の時間に会ったりしている。
「……なんて?」
そんな突然の爆弾に、俺は目を張る勢いで聞き返してしまった。
今の今まで業務的な話しをしている最中だったのにも関わらず、自然な流れで話題をシフトされたからだ。
「お兄様は性よく――」
「うん、ごめん。聞こえてたから繰り返さなくていい。……なぜ話題が切り替わった? 記憶が正しければジルムンク統治の計画内容を話してたはずだが」
さっきとは違うニュアンスで伝えようとしてきた妹の言葉を、言い終える前に遮る。
ティアラはふふっと笑みを零した。
その美しすぎる端整な顔立ちは、スキルによって耐性がある俺でも魅了されてしまうほどの妖艶さがある。
自分の長所を理解してそれを伸ばした結果でもあるのだろう。
まぁ自分の妹というだけでどうしようもなく可愛いものなのだが。
「業務的な話は一旦おいておきましょう」
「置いておくな置いておくな。それにしたって話題の内容が変わりすぎだろ」
伝えると、ティアラはいじけた様に唇を尖らせる。
しょうがないですわね、と小さな唇で告げて、先程まで話していた内容に話しを戻した。
「ジルムンクの統治は恐らく大丈夫かと。問題は王国――つまるところ、陰湿王子の出方次第ですわね。それも情報が入るまではなんとも言えませんが……あの小物が何を起こそうがお兄様なら問題ないかと思いますよ」
「小物って……油断は禁物だ。その小物でも助けを求めることは出来る」
「同盟を組むとしても法国でしょう。コンタクト自体は既に取っているようですが……」
王国での王位継承権、第1位である第2王子ルシフェル。
邪魔になる存在の力を削ぎ落としたり、自分の敵になり得る者を事故に見せかけて排除したりしている。
調べれば調べるほど真っ黒な奴なのだが、王子なだけあって隠蔽対策や証拠隠滅は抜かりない。
そんな王子だが、法国の者と密談をしていることがわかったのだ。
経済の発展や地位の向上。
同盟を組むメリットは多いがルシフェルの目的は軍事力の強化であり、戦に向けての準備を整えているのだろう。
ではどこを攻め込むか――それはもちろんティアラの住まう皇国だ。
攻められるとわかっているのであればそれに応じて準備を整えておけばいいだけなのだが、同盟国の戦力を事前に把握していないといけないのだ。
「詳しくは情報を集めております。お待たせして申し訳ありません」
「謝ることはない。いつも悪いな」
ティアラの情報収集力はずば抜けている。
それは要領を利かせた機転と多量の魔力、次元属性魔法。そういった部分では彼女に勝てるものはいないだろう。
そんな優秀な妹にはいつも助けられているのに、謝られるとこちらが申し訳なく思ってしまう。
「もっと褒めてくださいお兄様」
頬を赤らめたティアラは嬉しそうに微笑むと、顔の左右を流れる綺麗な黒髪を、両手で掴みながら口を覆う。
そのままちょこんと頭を差し出してきた。
俺はそんな小さな頭をよしよしと優しく撫でる。
「ありがとな」
「もっと」
「偉いぞ」
「もっとですわ……」
「ティアラは凄いぞ」
「それで、お兄様の情欲は――」
「そういえば、エルフの国の話はどうなってる?」
隙あらば話を振ってくるティアラに俺は次の議論を投げた。
王国から南南西に果てしなくまっすぐ進んだ先にはエルフ族の国があるという。
剣闘士大会に参加した帝国で《ドリームポーション》という、飲めばいっとき本来の数倍の力が得られる薬の製法実験場を破壊した経緯があった。
その《ドリームポーション》の原料にエルフの国で取れる【特別な秘薬】が使われているという事を知っていたので前々から軽く調査はしていた。
しかし記憶が蘇った事で、昔のジルムンクでハクの病を治すためにゲインから貰った薬の成分に《ドリームポーション》と同じ【特別な秘薬】が使われていることがわかったのだ。
そして『エルフ族と唯一取引をしている』とも言っていた。
さらにゲインは《ドリームポーション》の製法に関わった裏ギルドの創設者でもある。
エルフの国との何かしらの繋がりがある――もしくは何かしらの手掛かりがあるかもしれないと思い、本格的に調査を開始したのだ。
「エルフはあまり他族を受け入れない国なので、実際に行かないとなんとも。ただ、ダンジョンがあるというのはわかりました」
「……ダンジョンか」
「はい」
世界各地に散らばるようにあるダンジョンは無限といっても差し支えないほど魔力が湧き出していて、内部では魔物が生成される。
また、《神器》という特別な武器が保管されていて、天使がそれを守るように存在するのだ。
さらに奥へ進むと、ダンジョン主である天使ですら知らない《ハーデス》の力の一部が封印されているのだが、ゲインはそれを集めているのだ。
――エルフと関わりがあるゲイン。
――ダンジョンにハーデスの力の欠片。
何かしらの繋がりが見えたようにも感じる。
「俺が調査しよう」
「お兄様が行かれるのですか?」
「エルフの国は興味あるし、ティアラに働かせすぎるのも申し訳ないからな」
1度行った場所にしかいけない《転移》は使えない。
つまりは徒歩で行かなくてはならないのだが、噂通りなら1日やそこらで帰ってこれない。
忙しいティアラを煩わせるわけにはいかないのだ。
それにいくらティアラが強くても、ゲインやハーデスが関わるのであれば危険が伴う。
そんな場所に大切な妹を調査させに行かせる事はなるべく避けたい。
「そう……ですわね」
軽く俯きながら呟くティアラの表情は儚げで寂しそうである。
心配してくれているのかと思った俺はティアラに向けて微笑んだ。
「大丈夫だ。すぐ戻ってくる」
「お兄様ぁぁ!」
するとティアラは身を乗り出す勢いで抱きついてきたので、俺はお姫様抱っこで受け止める。
脳を刺激する魅惑で甘い香りが鼻をくすぐった。
「そういえば、エルフの国へ行くなら『俺も連れていけ』とククルさんが言ってましたよ」
「俺が行くこと予想されてんじゃん」
「私が言っておきました」
「まじか……」
どうやらティアラは俺が行くと言うことを見越していたようだ。
全くこの妹は……。
《ククル・マーティン・カイゼル》――帝国最強の騎士にして"龍虎"の二つ名をもつ。
そして俺達と同じ12神の使徒である。
今回のエルフの【特別な秘薬】に関しての情報提供者であり、帝国の上層部が企む《ドリームポーション》実験を破綻させようとしているのだ。
ククルは強い。あいつがいればかなり楽に立ち回れるだろう。
「お兄様、あの膨らみに誘惑されないでくださいね?」
「それは大丈夫だろう。俺は感情重視だからな」
「まぁ、お兄様ったら」
俺は自然と笑みを零しながら、抱き抱えるティアラをゆっくりと下ろした。
すると彼女は何かを思い出したかのように口を開く。
「そう言えばお兄様、歓楽街に行ってくださいな」
「……なぜ?」
「娼館です」
「…………さっきから言ってる欲をどう発散させてるかという話と繋がりがあるのか?」
「ないと言えば嘘になります」
いつもの調子で微笑みながら、ティアラは告げる。
歓楽街の娼館エリアは王都の貴族の邸宅が並ぶ場所にいくつか存在していて、主に大手の商会が管理している。
しかし俺はカジノを作るための視察で見に行ったぐらいで、娼館を利用したことはない。
ここでこの話題を切り出すということは――。
「ついに商会でも娼館を扱うのか?」
「やはりわかりましたか。エルフの国に行く前に、軽く調査に行って欲しいのです」
リンシアと俺が管理するラバール商会と、ティアラが管理するセントラル商会。
そのどちらでも娼館エリアの開拓を行っていない。
その理由は簡単で、前世でも経営を含めて経験がないからだ。
経験がない商品に関しては資金に余力があるときにやらなければ万が一転んだときに痛い目をみる。
必然的に娼館――つまるところの夜のお店は最後の方にまわされていたのだが、ついに商売として取り扱うということだろう。
ティアラは 人差し指を唇に添えて、揶揄するようにちらっと俺を見る。
「私が調査して経験して来てもいいのですが……」
「それは嘘でも口に出さないでくれ……逆に俺が娼館を利用していいのか?」
「……大丈夫ですわ。殿方はそういうものだと理解しているので」
「本当に?」
「ただ心に深い傷を負い、一週間ぐらいは泣くだけです。あと公平性を期する為リンシアちゃんにも情報は共有しておきます」
公平性って……。
「……肝に銘じておこう」
そういう気は一切なかったが、改めて決意を固くした。
そんな心情もティアラならわかっている気がするが。
あと、と付け加えてティアラが呟く。
「少し気になる情報があったので」
「気になる情報?」
「はい、実は――」
説明を訊き終えるとなるほど、と感想を漏らす。
その後ティアラと別れた俺は外出する準備を整え、同居しているエミルやアリエルに悟られぬよう歓楽街へ静かに向かったのだった。
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